スタンダード・エレクトリク社呼び寄せ戦60年代後半の後技術移民「星座の会」35周年式典開催。
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『私たちの40年!!』でもHPをリンクさせて頂いている石田勉さん管理の「星座の会」がこの度35周年記念式典を開かれたとのニッケイ新聞の報道と下記石田さんからのDMによる写真送付を受けました。
「和田さん お元気ですか 私達の星座の会の35周年記念を、先日7月10日にサンパウロの岩手県人会館にて催しました。遠方からも集まっていただき全員で42名でした。物故者に追悼した後、ブッフエの食事をとり、昔話に花をさかせ、又、カラオケ等で有意義な1日でした。小島さん夫婦も出席されました。そのときの写真を添付します。石田」
18万円の初任給に釣られて?ブラジルに技術移住者として60年代後半に遣って来られた総勢75名に登る特異な集団は、35年後の現在も物故者4人、ブラジル在住28名の消息を掴んでいる親睦団体。ABRAON社の小島健彦社長もそのお一人。今後の次世代へのバトンタッチと繁栄をお祈りしたい。
写真は、石田さんが送って呉れた全員の記念写真です。関係ニュースは、ニッケイ新聞よりお借りしました。
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技術移民の35周年 「星座の会」記念式典
7月9日(金)
スタンダード・エレトリコ社(リオ・デ・ジャネイロ)の呼び寄せで、ブラジルに渡った技術移民が今年三十五周年を迎える。記念式典が十日午前十時から午後二時まで、聖市リベルダーデ区トマス・ゴンザーガ街95番の岩手県人会会館で開かれる。
同社は、電話交換機の製造などを手掛ける会社。一九六八年十二月〜七〇年五月にかけて、電電公社やNECなどから技術者七十五人が空路により、移住してきた。
生け花店や食堂の経営、診療所所長など、その後の人生は様々だ。相互親睦のため、「星座の会」を八二年に結成。会報を発行したり、節目の年を祝うなどしてきた。
世話役の一人、石田勉さん(京都府出身)は「私は第四便で、六九年二月に来ました。一人だったの心細かったけど、給与などの待遇はかなり良かったんですよ」と懐かしむ。
式では、慰霊法要を営むほか、近況紹介やカラオケで盛り上がる予定だ。
給料、日本の2-3倍=60年代後半の技術移民=「通信拡張」で貢献=スタンダード・エレクトリク社呼び寄せ「星座の会」35周年、旧交温める
7月13日(火)
「実りを照らすブラジルで星座の会は栄え行く」。スタンダード・エレクトリク社(リオ・デ・ジャネイロ)の呼び寄せで、ブラジルに渡った技術移民の渡伯三十五周年記念式典が十日、聖市リベルダーデ区の岩手県人会会館であった。家族も含めて約五十人が出席、旧交を温めた。
六四年に樹立したブラジルの軍事政権。インフレ抑制と経済成長の両立を目指し、外貨の導入、金融の引き締めなどの政策を掲げた。その中で、通信拡張計画が打ち出される。
電話交換機の製造メーカーは、取り付け工事までを義務付けられることになり、専門技術者がいることになった。スタンダード社は、戦後最高の好況(イザナギ景気)に沸く日本に注目。実戦力の強化に乗り出した。
「給与が日本の二〜三倍で、その待遇は魅力でした」。山崎正美さん(71、京都府出身)は応募動機を語る。家族と共に、移民船で渡航するつもりだった。会社側が、一カ月も待っていられないと要求。一人空路でリオに向かった。
六八年十二月の第一便から七〇年五月の第十五便まで七十五人。その中間である六九年を基準に、今年が三十五周年になった。
移住者によって、契約期間は異なる。山崎さんは、搭乗前に、一年契約であることを知らされた。「最初は妻にも、言えませんでした。日本では終身雇用だったので…」。
田中公さん(62、福岡県出身)は都築電気に勤務していた。日本でのサラリーマン生活に失望。海外に活躍の場を求め、第一便できた。「一万回線のシステムを開局するまでに二年かかっていました。私たちは、それを半年に縮めた」と胸を張る。
諸般の事情から、半数近くが日本に帰国した。連絡の取れない人や故人を除くと、ブラジル在住者は、二十八人。
進出企業の従業員から会社経営者、食堂の店主など、今の仕事は様々だ。文協や援協など日系団体に入った人も。八二年に「星座の会」を立ち上げ、親睦を図っている。
式では物故者四人に追悼した後、ブッフェの食事をとり、昔話に花を咲かせた。
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