日本で本格的活動開始へ・在伯歌手・青木香奈さんCD発表 サンパウロ新聞より
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神戸新聞ニュースで青木カナさんの日本での活躍振りを紹介して頂いていますが、地元ブラジルでも園田昭憲さんから青木香奈さんの日本での活躍ぶりを伝えるサンパウロ新聞の記事をメールで送って頂きました。またご本人の香奈さんからも下記メールを頂きました。
『和田様
歌手の青木カナです。お久しぶりです。お元気ですか?いろいろとお世話になっております。いつもありがとうございます。今、私は日本におります。CD「プリメイロ」発売ライブ、映画音楽録音のために日本にやってまいりました。サイトが新しくなりましたのでご覧ください。日本でのライブ予定も載っておりますのでブラジル音楽がお好きな方には是非お知らせくださいませ。今回の日本でも力の限り、がんばります!それでは、いつかお目にかかる日が来ますように!失礼いたしました。青木カナ』音楽を通じての日伯交流に献身的に努めておられる香奈さんに盛大な声援を送りたいと思います。その内ポルトアレグレでも是非公演して頂きたいと願っております。
写真は、園田さんの101農場の堆肥工場完成式の際に撮らせて頂いたものです。
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日本で本格的活動開始へ・在伯歌手・青木香奈さんCD発表
ブラジルで音楽活動を続けているプロ歌手の青木香奈さん(三九、東京都出身)が今月中旬に訪日し、CD発売、映画への挿入歌レコーディングや書籍出版など、ブラジルに拠点を置きながらも日本での本格的な活動も開始する。「音楽を通じて日本とブラジルの交流を保ちたい」と意気込みを見せる青木さん。メジャーへの道を踏み出しつつも、「焦らず、地道に続けていきたい」とプロとしての幅を広げていく考えだ。
幼少の頃から音楽に親しんだ青木さんは、二十四歳でジャズ・ヴォーカルとして歌い始め、ブラジル女性歌手の故・エリス・レジーナ氏やフローラ・プリン氏の影響を受けて、ブラジル音楽に傾倒。九二年、日本で活動するギタリストの廣木光一氏のジャズ・トリオに歌手としてゲスト参加し全国縦断ツアーに加わったことが、プロへの道を目指すきっかけになったという。
九五年に渡伯した青木さんはサンパウロ州立音楽大学で勉強する傍ら、ブラジル各地を周りながら作詞・作曲づくりも手掛けてきた。日々の活動が実を結び、九九年には聖州のポピュラー音楽作曲コンクールで優勝。〇一年にはリベロン・プレットで開催された童謡コンクールで優勝するなど数々の賞を受賞した。
二〇〇二年には五年ぶりに帰国し、日本全国三十ヵ所で公演を行なった際、東京で行われた友人の公演にゲスト出演したところ、宣伝会社の重役の目に止まった。青木さんはすでに神戸で録音していたオリジナル曲「帰ろうかな」を宣伝会社側に提出、同曲がカード会社のCMソングに抜擢され、日本全国にTVコマーシャルとして流れた。 同曲は九六年頃に作ったというが、当初は曲だけで歌詞がなかった。夫のレオさんがポ語で歌詞を付け、九九年には青木さん自身が日本語で歌詞を作った。「その頃、日本に帰りたいと気持ちを歌詞にしました」と青木さん。当時は同曲が、日本で流されるとは思ってもみなかったようだ。
このことが大きな反響を呼び、今月中旬からの訪日では、ブラジルで発表したCD「日本からセアラへ」(〇一年)「イミタソン」(〇三年)に続き、日本で初めてのCD「プリメイロ」の発表をはじめ、「帰ろうかな」がドキュメンタリー映画の挿入歌への採用が決定したほか、ラジオ出演や書籍出版の話も来ているという。
日本で花が開きつつあっても拠点をブラジルに置く青木さんは「音楽活動しながらブラジル国内を旅行したり、自分のオリジナル曲が色んなところで影響されながら私なりの音楽を作っていきたい」と謙虚ながらも前向きな姿勢を見せる。
これまでの日本での公演では、観客から「元気を下さい」と言われるなど、青木さんの陽気な人柄と心温まる曲の内容が今後さらに日本でも人気を呼びそうだ。
今後の抱負について青木さんは「日本とブラジルの交流を音楽を通じて保っていきたい」と両国をつなぐ息の長い活動を続けていく考えを示している。
なお、青木さんに関する詳細事項はホームページに掲載されている。アドレスはwww.kanadobrasil.com.br
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