近藤 博之先輩より引越し通知を頂きイグアス見物の旅の帰路立ち寄りました。
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近藤先輩には、ブラジル到着の1962年5月11日よりお世話になっておりブラジルで知り合った最初の早稲田の先輩です。昨年6月6日に御子息利秋さんが交通事故で亡くなられ奈落のどん底から這い上がり現在は、フロリアノポリスのイングレーゼスの海浜に引越されたとの通知を受けました。大阪の妹、多加代が来伯中でイグアスの滝見物に車で3083kmの旅の帰路フロリアノポリスに立ち寄り近藤先輩と夕食をご一緒する機会がありました。73歳の白髪の好紳士近藤さんと潮風の匂いを楽しみながら飲み交わし語りあかした楽しい一時を報告して置きます。引越し通知は、多くの稲門会の皆さんの手元にも届いていると思いますが、全文を掲載して置きます。
写真は、カイピリニアを手に語る近藤さんです。
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8月7日(土)夕刻、フロリアノポリスに到着、島の北部海浜イングレーゼスのサンチンニョーに引越された近藤先輩を訪問しました。先週からパラナの元住んでおられたウムアラーマに出かけておられ前日に戻って来たとの事で在宅しておられ再会を果たしました。引越し通知を出して始めての訪問者とのことで再会を喜び合う。近くのポウザーダに宿を取り7時半から夕食をご一緒して頂き11時半まで4時間掛けてカイピリニアから始めビールを7本平らげて海浜の潮風が匂うレストランで歓談する。昨年の長男利秋さんの交通事故による急逝の悲運から立ち直り穏やかな人を包み込む暖かさを感じさせる73歳とは思えないお元気さに接し嬉しく思いました。
近藤先輩は、私が1962年5月11日にあるぜんちな丸第12次航でサントスに到着しブラジルで最初にお近付きになりお世話に成った方です。同船者の静岡県出身の佐々木兄弟に託送荷物があるとの事で港に出迎えに来ておられ早稲田の移住研究会の後輩がいると知り早速お世話になった次第で1泊させて頂き翌日サンパウロの稲門会事務局長?の世話人高井先輩の家までバスで送り届けて頂いきました。その後も何度かサントスのゴンザガ海岸の近くでトルコ風呂、サウナ風呂、マッサージ等をする健康保養所を奥さんと一緒に経営しておられた健康保養所を訪ねました。
近藤さんは、名門静岡中学(新制高校1回生)卒業後早稲田学院3年に編入、早稲田は、政経の経済学部に入学1956年卒業と同時に移住船チサダネ号でブラジルに来られ結婚後サントスで開業、10年間盛業を続け、その店を閉めてご家族4名全員で日本に行かれ帰国は、再度あるぜんちな丸の最終航の1船前に家族で乗り込みブラジルに戻られたとの事。帰国後は、サンパウロの奥さんの実家の水木さんと共同経営者として働き1978年に最愛の奥様、由紀子さんが心臓の手術に失敗、亡くなられるという不幸に遭遇、その後再婚を期にサンタカタリーナ州のラーモス移住地に入植し林檎栽培等農場経営に取り組むも経験不足とブラジルの経済政策に翻弄され5年で事業を断念、1985年に日本に帰国、トヨタ自動車系の出稼ぎ者収用の大型寮の管理等をしながら日本とブラジルの架け橋的役割を果たす。15年の日本での生活後、御子息利秋さんの誘いに応じ2000年にブラジルに戻り初期の目的の移住者としての農業経営、大ファゼンデイロ(農場主)への道をご子息と目指していた矢先のご不幸で奈落のどん底に叩き込まれた、現在14歳のお孫さんの為にも100才迄生きてご子息利秋さんに替わってその成長を見届けるとの事で気持を新たに新しい健康産業を目指して現在のフロリアノポリスに移転されたとの事です。ラーモス移住地当時、近藤さんの土地を引き受けて呉れた拓大卒の会田(カイダ)さんと合同での新事業展開を計画中との事です。
近藤先輩は、早稲田の2年生までバレーボール部に所属していたとの事で1958年の全日本男子バレーボールのブラジル遠征、その後大松監督が率いる東洋の魔女と呼ばれた全日本女子バレー部のブラジル遠征等に私設応援団を形成、その旗振りをされた事は、今でも語り草として覚えておられる方が多いと思います。
唯一つ心残りは、故小渕恵三総理が最初の衆議院選挙に立つ前にブラジルに来ておられる頃、サントスにも出かけて来て世話をした時にまさか一国の総理になるとは夢にも思わず『お前が大臣に成れたらあの島をやる!!』と豪語していたらあれよあれよの出世で総理大臣にまでなってしまった。2000年ブラジルに戻るに当りサントスのお前にやるといった島の写真だけでも届けてその出世を祝ってやりたいと思っていたのにそれが叶わなかった事だと残念そうに語っておられました。ご令嬢の小渕優子さんが衆議員議員として来伯されると聞いているので約束を果たせればとも思うがと懐かしそうにしておられました。
幾多の人生の試練を潜り抜けてこられた近藤先輩の今後もブラジルに付いての理解を深め移住者としての残りの人生をまっとうしたいとのお言葉は、さわやかな潮風の匂いと共に心に染みました。日本の太田市に住んでいる後息女恵子さんご子息(お孫さん)が来年の2月にまた来伯する予定とかで一緒にポルトアレグレにも出向くから宜しく頼むと大きな暖かい手で最後の握手をしながら言い伝えて呉れた言葉が実現することを願っております。
‐ 移転通知 -
前略。長い間御無沙汰してしまいましたが、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。
昨年6月息子利秋の交通事故死から1年が過ぎ去り, 残された私たち家族の顔にもやっと笑顔が戻ってまいりました。これもひとえに皆様のおかげと感謝いたしております。そして、嫁・孫たちの住む新居もウムアラーマの町の郊外に出来、又 FAMILIA KONDO のお墓も完成し、そこに利秋は安らかに永眠出来るようになりました。これで私も後顧のうれいがなくなり、改めて私がブラジルに移住してまいりました時のことを思い起し、ここに移民人生に再挑戦しようと決意いたしました。そして、色々考え検討しておりましたところ、奇しくもこのフロリアノポリス市でマッサージを開業しようとしようとしていた会田氏(拓大出身移住研)と意気投合し、彼のお世話により当地に移ってまいりました。
今ここで3ヶ月が経過し、先の見通しが立ってまいりましたので、皆様に移転通知を発信する次第です。
当地はフロリアノポリス島の北端に位置し、眼前は大西洋で 紺碧の海はあくまでも美しく、汚染もなく 海岸は清浄で、浜の両端にある岩山にはその昔 原地人が住んでいたといわれ、其処には彼らが記したと思われる色々の模様などが残されており、歴史的にも面白いところです。
その岩山の麓には(Costao de Sabtinho) と呼ばれる大きな Internacional Hotelがたっており、世界中から健康と保養を目的とした客が集まってきております。
私も思いがけずかかる所に移り住むことが出来、他人様の健康維持のお手伝いが出来ることはまことに幸せなことです。移住50年目にして、私も移民人生の目標がつかめた感があります。
これは1つに仏縁のおかげ、そして1つには皆様のご声援のおかげと感謝いたしております。
これからはまずは自分の健康に気をつけ、あのサントス時代を思い起こし思う存分働きたいと思っております。
このようなところですので、皆様の御清遊をお待ちしております。
24 de Julho, 2004 近藤博之
新住所
Estrada Onildo Lemos 1937 Santinho/ Ingleses
Fliroanópolis, SC, Brasil Cep: 88058-700
Tel (048) 9907-1353
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