アルゼンチン拓殖協同組合創立四五周年記念誌を贈って頂きました。
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私がアルゼンチンを始めて訪問したのは、まだ学生移住者?早稲田在籍の1963年だったと思います。ブエノスアイレスでは、当時兵庫県人会(県花のノジギクから取った野路菊会と呼ばれていた)の会長をしておられた山田ホルヘさんに大変お世話になり兵庫県人会から餞別まで頂いたのを覚えております。その後も何度かブエノスを訪ねる度に山田さんにお会いしておりましたが、今年5月に久振りにブエノスを訪問する機会があり山田さんの新居をお訪ねしました。前の家は余りにも大きすぎ夫婦2人では構い切れないとの事で高級マンションに引越されていました。美人でお優しかった奥様は、体調を崩しており臥せっておられるとの事で残念ながらお会い出来ませんでしたが、もう40年も前にお世話になった奥様の姿が瞼に残っており昔のままの記憶を辿り時の経過を感じました。
最近になり山田さんが理事長をしておられるアルゼンチン拓殖組合の創立45周年誌を郵送して頂きました。
写真は、山田さんを訪問した時に住んでおられるマンションの入口で管理人にシャッターを押して貰った一枚です。
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創立四五周年記念誌発刊の辞
アルゼンチン拓殖協同組合
理事長 山田 ホルへ
戦後の日本人移住者の受入機関としてアルゼンチン拓殖協同組合が創立されてから45年が経ちました。この間、日本の経済復興と高度成長にともない、移住政策も変更を余儀なくされてきました。そして、移住の形態、価値観の変還によって、移住政策は既移住者援護へと、例えば移住者の生活環境の充実、事業への新分野、地方産業開発、日本語教育、福祉援護事業など、新時代に即応した移住理念が要求されております。
歴史的にも常に移住者社会の後見役として折々本来の使命を果たしてきた亜拓では、今後益々大きな宿題を担って、皆様と共にあらゆる分野と交流を深めて行く心算でございます。 このことが基盤の脆弱な邦人社会に一つの力となり、移住の好ましい成果を高めることにつながり、より高い人的資産として国際社会に貢献するものだと確信いたします。
日本・アルゼンチン修好百周年の意義ある年に当たり、本誌四五周年記念誌が、先達の歩みと、私達の生活記録など、将来への指針となり、歴史の一端としての役割を果たすことになりますよう、心から念じています。
終わりに、本誌出版にあたり、寄稿を賜りました各位を始め、いろいろと御配慮,御協力下さった方々、ならびに編集の労を取られた委員の方々に深甚の謝意を表し発刊の辞とさせて頂きます。
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