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妹、多加代来伯に伴うイグアス見学旅行備忘日誌。車での3083kmの冬期休暇旅行(1)。
大阪に住む妹の多加代は、7月19日(月)にサンパウロに到着後、東北伯のレシフェー、サンルイスの町を長女の弥生に案内してもらい29日(木)にポルトアレグレに遣って来た。丁度、井上祐見のポルトアレグレ公演があり日本でも見る機会の少ない歌謡ショーを楽しみ翌日の30日(金)のみポルトアレグレに留まり今日31日より車でのアルゼンチン、パラグアイ経由のイグアス見学旅行に出ました。都合8泊9日の車の旅を楽しみましたが同船者訪問、学移連の仲間訪問等は、別途報告するとして旅行中の備忘録程度ですが思い着くまま記録を残して置く事にしました。
写真は、矢張りイグアスの滝をと思ったのですが、今回は悠久の歴史を刻むパラナ州の顔とも言えるヴィラヴェーリアの奇岩タッサを選びました。


7月31日(土)休暇前にどうしても遣っておく必要のある仕事の関係で前日の30日は、日帰りのサンパウロ出張をしたため何の準備もせずに朝になってから荷物をまとめ7時出発予定が結局9時半出発となった。
今回の旅行は、主役が来伯中の妹、多加代で案内役のけい子に同行する形でアルゼンチン、パラグアイ経由のイグアス見学の旅に出ました。大学が休暇に入っており私も仕事が気にならない事もないが何時もの様にPCを担いで旅に出ることにしました。PCさえ繋がれば最低必要な仕事はこなせると思うが接続環境が外国も含めうまく行くかどうか心配であるが『案ずるより生むが易し』強制休暇に突入する。丸紅勤務中には想像も出来なかった自由さを感じる。さわやか商会も9年目に入っており、順調な業務展開でこのような贅沢な?強制休暇実施が可能であり有難い事である。
今回使用の車は、社有車の通常けい子が使っているHONDA CIVICで陸路イグアスの滝に向う事にした。帰路クリチーバ、フロリアノポリス経由を計画しており、往路は、カラジンニヨ迄北上、リオグランデドスール州の大豆小麦地帯を横断し『大統領の町』サンボルジャに最初の宿を取る事にした。
出発時の走行距離表示メーターは、30630km(つい最近3万キロの点検を終了)、気温9度、雨のポルトアレグレを発つ。途中2時間弱運転を手伝っただけで総てけい子が運転してくれサンボルジャの町のHOTEL EXECTIVO(予約を取ってくれた旅行社の話では町で一番良いホテルとか)に午後6時15分、走行距離計31263kmで到着する。633kmを8時間45分掛けて走った事になる。平均時速70kmとなる。
前半は、雨の国道をワイパーの音を気にしながらクラシツクのCDを聞きながら注意して走る。後半から雨も上がり大豆、小麦地帯を西にひた走る。民営化された有料道路が多く料金所が4箇所あった。ソレダーデまで登りきるとその後はカラジンニヨ辺りから見慣れた大豆小麦地帯に入る。丸紅勤務当時大豆の植付け、生長状況、収穫予想等をチエックするために毎年フィールドサーベイと称してこの大豆小麦地帯を回り組合での聞き込み調査、畑に入り生育状況チエック(大雨による畑の土流出、旱害、病虫害等を見ながらその年の収穫予想を立てる)をして回った。現在と違いインターネットによる瞬時の情報取得、共有といった方法がなくこうした現場の情報によりニュヨークのトレダーがシカゴで相場を張っていた懐かしい時代を隣りで懸命にハンドルを握っているけい子を眺めながら思い出しました。最近では、中国のブラジル大豆引取り拒否等で問題を醸していますが、昔はブラジルのこの大豆小麦地帯の収穫予想等がシカゴの相場に大きく反映した時代もあり、ブラジルが出した輸出バン(輸出禁止令)の情報をTELEXでニュヨークにいち早く流しFOB買いしていた2万トンの期近船積み予定の大豆分をシカゴでヘッジしシッパーが国際グレーン商だった事から輸出許可取得分で契約通り積み出すとの情報を得てからこのヘッジ分を高くで、手離し1船2万トンの商売で20万ドルの相場による余得が生じブラジル会社に正規口銭以外に5万ドルの報奨金が送られると云う殊勲を上げた事が懐かしく一人思い出し笑いをして窘められました。
まだまだ寒い日が続いていますが、道路沿いには、春を告げるイッペーロッショのピンクの花が見られました。生育の良い小麦畑が緑の絨毯を広げ、牧場では牛が長閑に草を食む姿が見られましたが沿道にひと際目立った黄色い畑が広がり目を見張りました。これがCORZAと言われる種をカナダから持ち込んだ菜種の花で綺麗に咲き誇っていました。RS州の小麦は、寒さが不足するためかカナダ、北米、ロシア、アルゼンチン等のハードなマカロニ(パスタ)用の小麦は採れずマイルドな小麦となるが、これが日本のうどんにはぴったりで蕎麦粉を買い集め日本に出していた島田屋の担当者がこのRS州の小麦を日本のうどん用の小麦粉として是非買い付けたいとのことで研究をしていましたがブラジルは、基本的に小麦の輸入国で巧く行かなかったようです。
第一日目は、けい子に運転を任せ、取り留めない昔の出来事を思い出しながらうつらうつらしながら見慣れた景色を楽しみながらの一日でしたが、今回のイグアス行きの往路にこの道を選んだのは、40年以上前の早稲田の学生時代に実はこの道をバスでサンポルジャまで来てバルサ(渡し舟)で川向のアルゼンチンのサント・トメの町に入国しポサーダスの町、パラグアイ側のエンカルナシオンの町、フラム移住地、ピラポ移住地、ミッショネスのグアルアッペー移住地等を回りイグアスのアルゼンチン側に辿り着き今も佇んでいる灯台の傍で寝袋に入り野宿した経験がありイグアスの滝を訪問する度にこの灯台に登り当時の事を思い出すのですが、これら40年以上前に訪問した移住地を再訪したいとの思いを特に『私たちの40年!!』HPの管理運営をし始めてから持っていたことから今回、妹多加代の来訪にかこつけて実行に移した次第です。
サンボルジャの町は、つい最近リオで亡くなった巨星ブリゾラがこの町の墓にバルガス大統領、ジョンゴラール大統領と共に埋葬された事は、記憶に新しい所で明日は、是非『大統領の町』と言われるこの町の誇り市営墓地を訪問して置きたいと思っています。40年振りの訪問ですが殆ど以前の記憶がなく人口6万5千人の何の変哲もないこの町から大統領二人を生み出した土地柄とは一体何がそうさせたのか単なる偶然?荒涼とした牧草地、イエズス会のインヂオ教化部落を中心とした伝統の町、アルゼンチンとの国境の町、知りたい事が満載の町ですが、如何にも寂びれた街で10月の市長選挙のキャンペンとモトケイロ(暴走族)の大集会が開かれているとの事で騒がしい夜となっていますが、PC接続環境がなく(自動電話機がなく総て電話は受付で繋ぐ方式)この日誌を書くのがやっとでした。明日以後の過去との邂逅を期待して早めに床に着く事にしました。

8月1日(日)
朝、8時半にホテルを出発、『大統領の町』サンボルジャの観光名所になっている市営の墓地を訪ねる。入口の正面にヴァルガス大統領の墓があり向って右に数メター離れた所にジャンゴ大統領のファミリーの墓がありました。ジャンゴの妹さんと結婚したつい最近なくなったブリゾラ元RS州知事、元リオ州知事もこのジャンゴ家族の墓にネウザ夫人の傍に埋葬された事は、記憶に新しい所です。ブリゾラの写真はまだ墓石には嵌め込まれて居ませんでしたが奥さんと同じ場所に安置されているとの事でRS州の3大英傑の墓を訪ね手を合わせる機会をえました。
サンボルジャの町は、ブエーノスアイレスからラプラタ河を上りウルグアイ河の東側にイエズス会のインヂオ教化部落として1682年に現在のブラジル領土内に開かれた町でSETE POVOS(七つの部落)の最初の教化部落だったそうです。最初は、Sao Francisco de Borjaと呼ばれていたようですが短くサンボルジャに短縮されて1882年にリオパルドから独立して行政区としてのムニシピオとして町に昇格しました。牧畜と水田が主な経済活動ですが、この辺鄙な町からバルガス大統領とゴラール大統領を輩出させた『大統領の町』は、元アルゼンチン側から開拓されたSETE POVOS地域とCISPLATINAと呼ばれていた現在のウルガイ領土との交換の形でリオグランデドスール州の一部としてブラジル領になったようです。
9時半にメルコスール最初の共同税関制度を引いた国際統合橋で出国手続きとアルゼンチンへの入国手続きを済ませる。統合橋は立派なもので40年前にバルサで渡ったサンボルジャーサント・トメーの記憶にもないもので始めての感が強くしました。
サント・トメーからポッサーダスまで150km弱、コリエンテス州からミッショネス州までの車の旅で国道の両側の牧場には、エレフォード、シャロレーズ、アングス等ヨーロッパの肉牛が草を食み新しく植えられたアメリカ松のエリオット、タエーダの植林が拡がり、製材所、マテ茶の製茶工場等が散在し飽きない景色を楽しみながらの2時間弱でポッサーダスの町に着く。10数年前に掛けられた国際橋を渡りパラグアイ側のエンカルナシオンに入りガソリンポストで簡単なランチを取りながら道を聞く。ピラポまで71kmとの事で国道六号線を北に向かえば直ぐ分るがその手前にイエズス会の教化部落の廃墟があるので是非見て行くようにと薦められ国道から12km入ったJESUS de TABAGURINIと言う昔のイエズス会のインヂオ教化部落の廃墟を見学する。入場料の2000グアラニは、持ち合わせのアルゼンチンペソで支払うがどうしても現地通貨のグアラニを必要とするかも知れないと思い観光用のCDを買い50レアイスで支払いお釣をグアラニで貰う。4万グアラニのお釣があり途中で払った有料道路の通行料等への当座の心配がなくなる。共通通貨EURO同様、何れメルコスール域内も統一通過が採用される事になれば便利だと思う。共通通貨の名称は、ガウショとなるとの話も持ち挙がっていたが最近では話題にも上がらなくなっている。
午後2時過ぎにピラポの町に着き食事処を探す
が生憎食事時間を過ぎており(顔を見てから用意するとの事)一先ず同船者の園田義人さんの所を訪ねる。サンパウロの園田昭憲さんからの連絡が届いていたようで鹿児島の研修生2名とマルタ内海さんをイグアスから連れて来ていた園田八郎さんご夫妻、近くに住んでおられる園田光雄さんと同船者の園田兄弟3人が集まっており早速同船者4人で写真を撮らせて貰いました。搗き立ての御餅に海苔を巻き腹こしらえをして義人さんに移住地を案内して頂く。今も住んでおられる同船者の家族、蓬田さんのお宅を訪ねた。
同船者の蓬田キヤウさんは、平成2年11月3日海部俊樹首相より勲六等瑞宝章授与。パラグアイの移住地で助産婦として200人以上の日本人、パラグアイ人を取上げた事により地元日本人会の推薦で叙勲、現在もお元気に過しておられた。蓬田さん。松永、小椋、蓬田、
NHKの8月2日(月)の朝のニュースでも報道されたパラグアイの首都アスンシオンのスーパー・マーケットの火事で298名が死亡、行方不明者を加えると300数十名の犠牲者を出した火災事故によりパラグアイ政府は、3日間の喪に服す事を決定し明日に予定していた大運動会は、8月7日(土)に延期されたとのことで慰霊祭のみ行うことになった。
一時間の時差があり、NHKの連続テレビドラマが10時45分に見られるとの事で皆で観賞し翌日に備え早めに?床に着く。

8月2日(月)
1960年8月2日に26家族の日本からの第一回移住者到着の日をピラポ移住地の創立日としており今年で44周年記念日を迎えた。現在では、この8月2日をピラポ市の祝日に制定し毎年盛大に市の記念日として慰霊祭と運動会を開いているとの事で楽しみにしていたが、昨日のアスンシオンに於けるスーパーの大火災惨事により国が3日間喪に付し総ての行事を慎む事になり、慰霊祭のみを行うとの事で8時半から市の共同墓地(日本人会の土地を市に寄贈)で厳かに行われる。元日本人会長もしておられた(現在は、鹿児島県人会長、日本人会の監査役をしておられる)園田義人さんの案内で会場に出向いたが、役員として正装の義人さんに比べて旅先のラフな服装しかしていないことから少し気後れがするが、カメラを持ってレポターを装い同船者のお墓参り、同船者との面談等をさせて貰いました。
社団法人ピラポ日本人会には現在250家族程が参加、大小6部落に分れ(運動会では4部落に市役所代表チームの5チーム対抗試合の形を取る)各部落毎に日本語学校を中心とした施設があるとの事で昨日案内して頂いた同船者の蓬田さん、学移連の仲間四方さん達の農場は13キロ地点(パラナ河からの距離)のトミ村にあった。市街地と言われている場所はパラナ河から22キロ地点にあり、日本人会の本部施設、大運動場、現在建設中の30mX60mの多目的体育館が来年の入植45周年記念に正式に落成式をする予定とのことで井上祐見さんの歌謡コンサートを計画しているとのことでした。
慰霊祭は、地元の神父さんがミサを上げられカトリック教の式だけで仏式の読経はない簡素なもので大きな拓魂日の前に供えられた祭檀に関係者多数が着席しておられミサの後、弔辞と献花が行われ日本人会の水本涼一会長の挨拶と献花、アスンシオン日本大使館の出先としてエンカルナシオンに領事事務を取り扱う連絡事務所より前川領事、アスンシオンからJICAの斎藤所長、日系市長、日系市議会議長、ピラポ農業共同組合の組合長等次々と弔辞、献花が行われた。皆さんのお名前等も記録出来ませんでしたが(レポターとしては失格)ミサの冒頭神父さんが『これまでに亡くなられてこの墓地に葬られている328名の日本人移住者とほぼ同じ数字のパラグアイ人が昨日首都アスンシオンのスーパー・マーケットの火災事故で亡くなられた。このミサではこれらの犠牲者の霊にも一緒に平安を祈りたい』と述べておられたのが印象に残る。
運動会がなくなったので園田さんを訪ねて来ていた鹿児島県の特別研修生飯尾大祐君、下原耕平君、内海マルタさん達を世界遺産に指定されているツリニダのインヂオ教化部落跡の廃墟を見学に連れて行くとの事でお握りや盛り沢山のおかずを作り総勢9人でピクニックに出かける。1700年代初頭に建設が始まりスペインから派遣されたイエズス会の神父さん達が営々として築いたインヂオ教化部落は、悠久の歴史の流れの中に今も佇まい長閑な姿を留めていましたがどのような人間模様、生き様が残されているのか興味を抱きました。
あるぜんちな丸第12次航の同船者の動向を書き残す作業もこの悠久の歴史の中に埋没して行く681名の生き様の一部なりとも記録に残して置きたいとの気持でやっていますがそれが本当に何らかの形で後世に残って行くのか覚束ない気持も強く、自己満足に過ぎないのではないかと思う時もありますが、少なくとも2008年の日本移民100周年までは継続して見たいと願っています。
近くにある往時に教会を建設する時に使用された石切り場が環境保全公園として整備されておりその公園でピクニックをする。9人の空腹を満たすには、あれほど準備したご馳走が足りない程で暖かい日本茶の後、パラグアイで愛飲されているテレレと呼ばれている冷たいマテ茶の廻し飲みを始める。慣習により一番若い耕平くんがテレレを供する役に着き冷たい水を注ぎ順番に飲み始める。ブラジルで飲む熱いマテ茶と違い一気に吸い込める大きさの器でアニスの味がする飲み易いもので皆で楽しむ。
昼食後、名残を惜しみつつエンカルナシオン、ポサーダスに向う我々とピラポに戻る園田さんご夫妻、研修生と又の再会を約し別れを告げる。
パラグアイ側のエンカルナシオンからアルゼンチン側のポサーダスに戻る国際橋のパラグアイ側で入国の判がないので罰金を払えと言われすったもんだの末、パラグアイ国への協力(ほんとに国に金が落ちるか疑問)する意味で3人分135ドルを支払い8月2日入国、出国の判を押して貰い無事アルゼンチン側のポッサーダスに戻る。多加代が日本に持ち帰る旅券は、高いパラグアイ入出国の判が押された事になる。ウルグアイ国境地帯のコロニージャの弥勒農場訪問では、100キロ以内の入国(農場は18km)では出入国の手続きは要らない(判子をいちいち押さなくても良い)との事でモンテビデオまで行く時以外はそのまま通過していたのでパラグアイ入国でも検問所でなにも言われなかったのでウルグアイ方式?でそのまま通過したのが悪かったようです。それにしても罰金の26万1千800グアラニは、金額としては驚く数字であった。これが今回の旅の唯一のチョンボで終って呉れる事を願いカメラの置き忘れ等に気を付ける事にいした。
ポサーダスからのイグアスに向う国道12号線は、道路標識等もしつかりしており途中でミッショネス州の道路地図を買い求め安心して300kmの距離を走れそうで快適な旅が続く。明日は、GARUHAPEの同船者多田さんと近くのEL ARCAZARに住んでおられる高松さんを訪ねる予定で一番近いPUERTO RICOの町にあるリゾートホテルSUIZOに泊まる事にした。夕食は、8時からとの事でPUERTO RICOの町を一時間半程散歩する。ホテルで夕食を取り9時半には、床を着く。
本日の走行距離は、31772km終了で290kmとなる。

8月3日(火)
少しゆっくりの出発で9時半にホテルをでる。PUERTO RICOの町では一番高級なリゾートホテルとの事であったが夕食を含めて3人、2部屋で180ペソとの事。ペソとドルは1対1の換算で180レアイスを支払いホテルを後にする。プールもあり広々としたホテルで子供達が小さい頃であれば喜んだのにと思う。折角なので近くのパラナ河まで下り船着場を見学する。フェリーによるパラグアイ側のツリウンフォまで車での渡河可能で入出国の手続きが出来るイミグレーション、税関の施設があった。海軍による警備もあり国境を感じさせる。パラグアイ側には、穀物のサイロがあり大豆、小麦等の積み出し施設がありピラポ移住地の穀物もここからパラナ河を下りロザリオ、ブエノス経由輸出されてているようです。
PUERUTO RICOから程近いGUARUHAPEの町の郊外に同船者が39名入ったグアルアーペ移住地があり今も多田さんと高松さんのご一家が住んでおられるとの事でしたので立ち寄る事にする。
移住地訪問と同船者の動向は、【アルゼンチンに入植された同船者の動向】に掲載。
夕刻、アルゼンチン側のイグアスまで着くが入園時間が過ぎているとのことで断念して明日再度訪問することにする。折角アルゼンチン側にいるので3国国境表示碑をアルゼンチン側から眺める為にイグアスの町に入る。暮れなずむパラナ河とイグアス河に面したアルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの3国国境表示碑を眺め記念写真を撮る。
妹のブラジル再入国の手続きと我々の帰国手続きをしてブラジル側に入り国立公園内のVARIG経営のトロピカル・カタラッタホテルに入る。部屋から滝の音が聞こえる滝側に面した部屋で滝の音を聞きながら寝入る。



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