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船、あるぜんちな丸第12次航から40年を経過して【第四部】
あるぜんちな丸第12次航の二等航海士吉川誠治さんの寄稿文第四部です。今回は、大型化と専用船化の *4.コンテナー船 *5.船の多様化 *6.自動車船 *7.ガス専用船です。写真は、自動車船【PEGASUS LEADER】 57,566 G/T パナマ船籍で日本郵船の自動車専用船です。乗用車換算6000台積みで、背の高いトラックも積めるようにアジャスタブル自動車甲板を持っています。


*4.コンテナー船
コンテナー船も専用船です。40年前当時の貨物は船のデリックと呼ぶ起重機で、僅か半トンにも満たない貨物をモッコに入れ揚げ荷、積み荷をしていました。これらは全て荷役人夫の手によって行われていたのです。 当時神戸や横浜の港では1,000トンを超す貨物の荷役をしていたわけで、100人以上の人夫が昼夜ぶっ通しで数日かかることが当たり前でした。 今ではこのような荷役を見ることは出来ません。 コンテナーで運べない貨物も人手を極力省くため出来るだけ機械を使うようになりました。

このような趨勢から一般貨物のコンテナーによる輸送が30数年前から始まりました。 68年に北米向けに建造された日本最初のコンテナ専用船は700個積み(註10)でした。それが現在では10倍の7、000個積みのコンテナー船が毎週神戸港にも寄港します。この型の船は総トン数9万トン、長さ343メートル、幅43メートルにもなります。
コンテナー船は甲板上に何段にもコンテナーを積み重ねる関係上、船橋からの見通しを確保するため、船橋の位置を高くしなければなりません。そんな関係でこれらの大型コンテナー船の船橋は水面上約35メートルにもなってしまいます。 操船のため船橋に立ってみると、並んで航行している1万トンクラスの船を遙かに見下ろすような格好です。 さながら大型トラックの運転席から見る軽自動車といった感じでしょうか。

タンカーの大型化は一段落しましたが、コンテナー船の大型化はますます進んでいます。 既に8千個クラスは近々就航しますし、1万個積み、1万2千個積みのものも具体的に計画され、設計が完了しております。 一部の主要船社は既にこれら1万個以上積載可能なコンテナー船の発注を終えたと云われています。 これに対応して、一部主要港湾ではこれらの巨大コンテナー船を受け入れる基本的な条件即ち、測傍水深15メートルを超える大水深コンテナー・バース(註11)と水際線から50メートル以上の距離まで届く巨大ガントリー・クレーンの整備が完了しております。その他の港でも生き残りをかけて、これらに負けじと超大型コンテナー船が着岸可能な岸壁を建設し、水路の浚渫が進められています。というのは巨大コンテナー船はその運行効率を高めるため、ごく限られたハブ港湾(註12)にのみに寄港し、その他の港にはフィーダー輸送(註13)でカバーすることになるからです。 近い将来、北米西岸、極東、ヨーロッパを結ぶ航路は超大型コンテナー船の時代になり、日本の港でもこのようなコンテナー船が寄港するのは精々1港のみになるといわれています。

コンテナー船によるメリットは荷役の機械化、省力化に止まりません。 コンテナーの中には平均約10トン程度の貨物が入っています。 岸壁上の巨大なガントリー・クレーン(門型のクレーン)は1時間に50個程度のコンテナーを船に積み卸しすることが出来ます、普通大型コンテナー船には2/3基のクレーンを使用しますので、1、000個程度のコンテナーも10数時間以内で荷役が完了してしまうわけで、船が港に停泊する時間が極端に短くなってきました。 神戸港で積み卸しするコンテナーは1船当たり多くても1,000個程度ですから朝入港した船は夕刻には出帆しますし、夕刻入港した船は早朝2〜3時には荷役を終了し出帆することになります。 中には数時間の停泊で入出港を繰り返すことも日常見られることです。 お陰で我々水先人も深夜の仕事が多くなりましたが、乗組員は一層大変です。 40年前は1年以上乗船しなければ休暇をもらえませんでしたが、今では半年程度で交代しています。 その代わり、船に乗ったら最後、下船するまで短時間の上陸の機会もないのが普通で、下船するまで土の上を踏むことがなかったと言う者が珍しくありません。

(註11):Berth, 船や列車の寝台のこともバースをいいますが、船の停泊場所を意味します。
(註12):車輪のハブをスポークの関係で、中心であるハブ港に貨物を集積し、周りのスポーク港へ後述のフィーダー船により二次輸送することになります。 航空業界でもハブ空港といわれる周辺を代表するような大型空港が出現しています。
(註13):前述のハブ港湾から、小型のコンテナー船でスポークに当たる周辺の港まで二次輸送する手段です。

*5.船の多様化
40年前当時は、純客船、「あるぜんちな丸」のような貨客船、石油を輸送する2〜3万重量トンのタンカー、の他は少数の例外を除いて、殆ど全ての船は定期航路用、不定期航路用を問わず、単なる“貨物船”と呼ばれるものでした。
主要外航航路に用いられていた1万重量トンクラスの貨物船は、その船形も総トン数7〜9千数百トン、長さ145メートル〜155メートルで三島型、或いは平甲板型と呼ばれるもので、上甲板の他、一層或いは二層の中甲板を持った船でした。
実際、大阪商船、日本郵船、三井船舶、川崎汽船等が当時建造し、北米或いは欧州定期航路に使用していた優秀船は、船室やマストの形状、塗装等は違っていましたが、おしなべて機関室、船橋乗組員居住区画を船体の中央に配置する平甲板型で、前後に各々3つ貨物倉があり、前部に二層、後部に一層の中甲板を有する全長約155メートル、幅19.4〜6メートル、主機関9千〜1万2千馬力、航海速力17〜8ノットの船でした。「ぶらじる丸」も上部構造物こそ違え、そっくりこの船形を流用したものですし、「あるぜんちな丸」も上述の通り復元性を確保する等の理由のため船幅を20.4メートルに増幅しただけで基本的には同じ類の船型を持った船でした。 従って両船の総トン数は船室等が拡大した容積分だけ増大し1万トンを少し超えたものになったのです。

現在は特定の貨物をそれ専門に運ぶ所謂、専用船の時代です。 石油タンカーは勿論専用船ですが、40年前当時から既に少数の2〜3万重量トンクラスの鉱石専用船も例外的に存在していました。 しかし前述の通り海上輸送距離が飛躍的に増大し、大量の輸送需要が発生した結果、これら専用船は更に大型化し、輸送品目毎に最適な船型・構造を持った専用船が創られるのは経済的効率を上げるための必然の結果だったのです。
従前の定期貨物船は原則的に往復に小単位の貨物が恒常的に集散する港を結ぶ航路に就航します。 それ以外の不定期貨物船は数千トン単位の貨物を求めて、出来るだけ積み荷のない時間距離を局限して世界各地の港に電報一本で荷物を求めて移動航海していたのです。 我々の専門用語で前者を”ライナー”後者を”フランテン”と呼んでいました。

従来、船を所有するためには大きなの資本が必要で、それを効率的に回収するためには、貨物を積まないで航海する時間距離の割合をミニマイズすることです。 それ故どんな種類の貨物にも適応可能な汎用性のある船が主流を占めていたのです。 その上容量的にも船倉一杯、重量的にも喫水一杯に荷物を積むこと(我々の言葉でフル・アンド・ダウンと呼びます)が最大の収益をあげる方法と考えられていたのです。 経済が飛躍的に発展した現在この考え方は次第に通用しなくなりました。 鉱石専用船は鉄鉱石の比重が大きいので船の喫水は深くなりますが、鉱石を積む貨物倉は船体中央部のみで、両サイドは,空船時のための脚荷水(註14)タンクになっており容積的にはガラガラなのです。 コンテナー船や車を自走させて船内に積み込むロール・オン・ロール・オフ [Roll On Roll Off = Ro-Ro] 船は容積をフルに使用しますが重量的には問題になりません。 この範疇には勿論自動車専用船も含まれますが、船腹一杯に自動車を積んでも喫水は浅く、巨大な風船が海上を移動しているようなものです。このように自動車専用船もコンテナー船も航海中風波の影響を受けやすく、また上部に相当量の貨物を積むので船の復元性(安定性)にも注意が必要です。

資源を持たない日本が世界の彼方から安い運賃でエネルギー資源や鉄鋼資源を運ぶには大型船による大量輸送しかありません。 専用船の出現当時は片道輸送が原則の汎用性に欠ける大型専用船に船会社が巨額の投資をするのはリスクが大きすぎ、殆ど全ての大型専用船は石油資本、鉄鋼資本の長期10年以上の積み荷を保証するという条件で建造されており、いわば鉄鋼、石油資本のひも付きの船であったわけです。 今もこの方法で大型専用船が建造されているのが普通です。

(註14):バラスト・ウオーターと言い、貨物が全くなく、所謂空船状態では喫水が浅くなり過ぎると、荒天が予想される大洋航海には困難を伴います。そのため空船時はタンクに海水を張り船の喫水を沈めて航海します。

*6.自動車船
「あるぜんちな丸」乗船に先立つ2年前の59年に、私は「めきしこ丸」と云うニューヨーク航路の定期貨物船に乗船しておりましたが、その時初めて排気量1,000ccのブルーバードとネーミングされる以前のダットサン2台を横浜からマイアミに運んだことを覚えています。 59年のことですので、日本もやっと自前の乗用車を生産し始めて間もなくのことでした。車の大きさはカブトムシと呼ばれたホルクス・ワーゲンと同じぐらいのサイズですが、デザインといい車の造りといい、大型乗用車全盛時代のアメリカでこんな車を一体誰が買うのかと不思議に思い、多分こんな車がアメリカで相手にされるような時代が来るとは思いもよらないことでした。

そのような時代も今や昔物語で、64年頃から日本でもマイカー時代の朝日がさし始めました。 日本独自の規格である軽自動車は超ミニサイズながら、庶民にも手が届く価格であった上、税金等の維持費にも特別の配慮が払われていたので、街の彼方此方に見られるようになりました。 トヨタ、日産等の代表的な自動車メーカーも小型乗用車コロナ、ブルーバードを開発し、所得が上昇した日本人の購買意欲を刺激しました。 日本最初の高速道路である「名神高速道路」が神戸と名古屋の間に開通したのはこの頃のことです。 当時日本には乗用車を生産するメーカーは、トヨタ、日産の他にも本田、プリンス、いすゞ、日野、ダイハツ、三菱、マツダ、スズキと多数あり、これらの間で価格に加え、性能競争が繰り広げられ、急速に日本製乗用車の競争力が強まりました。 その結果、アメリカには見られない高性能コンパクト・サイズ・カーが次々と誕生しました。 これらは価格的にも魅力的なものでしたので、アメリカでも裕福層のセカンド・カーとして、あるいは低所得層のマイカーとして、競争相手のヨーロッパ車を排除しながら、アメリカの市場に浸透し、乗用車の対米輸出は急速に拡大する気運にありました。

このような趨勢から、急増する乗用車の対米輸出に対処するため、日本最初の自動車運搬船「追浜丸」が65年末、合併後の商船三井により建造されました。 運搬船と書いたのは完全な専用船でなく兼用船であったからです。 この船は日産自動車と商船三井が提携して建造されたもので、当時の代表的小型乗用車日産ブルーバードを1,200台積載可能な専用船ではなく兼用船と称するものでした。 日本から北米への往航には自動車を積み、北米から日本向けの復航には石炭乃至穀類のバラ積み輸送が出来るように艤装されており、空荷で航海する期間を出来るだけ短縮し経済性を求めたものでした。

日本製乗用車の対米輸出は日産自動車が先鞭を付けましたが、直ちにトヨタ自動車も追従し、こちらの方は日本郵船と川崎汽船がタイアップし、日本の主要海運3社はこのような自動車兼用船の保有を増大させました。
アメリカで評価された日本の自動車はその後、アジアの各地は勿論、中近東、オーストラリア、に販路を拡げ、とうとうコンパクト・カーの競争相手であったヨーロッパにまで浸透し始めました。 世界中で日本製の乗用車が闊歩していなかったのは、厳しい輸入規制を敷いていた韓国と、本場のドイツ以上にフォルクスワーゲン・カブトムシが幅を利かしていたブラジルだけと云っても過言ではない状態にまで、日本製の乗用車が世界中の隅々にまで輸出されるようになりました。

私は78年に後述のPCCと称する純自動車専用船でヨーロッパに行った時、ドイツのブレーメン・ハーヘンのパイロットが乗船し船橋に上がってくるなり、敵意丸出しで『俺たちは日本の車なんか必要としないのに、何故、お前のところの車を持ってやって来るのだ!』と云われたことがありますが、自動車王国のドイツ人が脅威を感じるようになるまでに、日本製の乗用車が日本の海運会社が支配(註15)するPCCによって世界中の港に運ばれ、いつの間にか世界中の街を走り回っていたのです。

そんなわけで兼用船では、その中途半端な構造故に、充分な自動車のスペースを確保することが出来ず、その上、往きは自動車を積載するために多層の仮設自動車甲板を設置し、帰りはばら積み貨物のために仮設自動車甲板を撤去する作業が必要で、そのためにある程度の乗組員の員数が必要という問題があり、それらの手間暇を省いた方がより効率的である、収益も上がるという考えから、自動車輸送は自動車だけを扱う純自動車専用船=PCC (Pure Car Carrier) に次第に転換され、今では完全に専用自動車運搬船であるPCCに取って代わられています。

最初のPCCは71年頃から出現しました。 デッキの間の高さは背をかがめて歩かなければならない程度の高さ2メートルI以下で、船底から船の安定が保てるぎりぎりの高さまで10数層の積載デッキを積み上げた、さながら浮かぶ高層駐車場と呼べるような船がPCCです。 最大船型は6,000台積みで、長さ200メートル、船幅32.2メートルはパナマ運河を通過出来る限度一杯、深さは30数メートルですが、満載喫水は僅か8メートル程度に過ぎません。 従って水面上に出ている部分が水面下の部分に比べ非常に大きく、必然的に風邪の影響を受けやすく強風下の操船には難渋します。

専用船化が始まった当時は兼用自動車船が多数建造されましたが、それも次第にPCCに取って代わられました。 同じことが鉱油兼用船にも言えます、日本から空船でペルシャ湾に行き、原油を積んでヨーロッパ或いは北米東岸へ、原油を揚げた後、油槽内を洗浄し残留している原油のガスを完全に除去し、鉱石を積載可能な状態にしてブラジルに行き日本向けに鉄鉱石を積載して日本に帰るというのが、典型的な鉱油船の航海でした。しかし、これらの鉱油兼用船も同じような理由で現在殆ど見ることはありません。

PCCも最近は乗用車だけでなくクレーン車、大型トラック、大型建設機械を積めるように一部の甲板は高さが自由に変えられるアジャスタブル・デッキを持ったものが一般的になりました。 先に挙げた自動車兼用船は空船で航海する期間を出来るだけ短縮するために考えられたものでしたが、車の輸入が次第に自由化され、そのトレードが世界的なものになった現在、専用船即ちPCCは日本からヨーロッパに乗用車を運び、ヨーロッパから欧州車を北米に運んで、満船にはならないにしても北米から日本にアメリカ車を運んで帰るという経済的なローテーションが営業努力とトレードに恵まれれば可能なのです。
自動車船は大型化と言っても5/6,000台積みが限度です。パナマ運河を通行できなければどうにもならない為と、車の価格を考えれば、同じ車種が集中的に売れることもないので、あまり大きなトレードの単位が成り立たないためです。 実際、6、000台という車の多さは大変なもので、常時1万台近くの乗用車が広大な敷地に所狭しと一面に並べられた名古屋のトヨタ自動車専用岸壁の眺めは壮観そのものです。

(註15):競争が激しい海運業界ですが、世界で自動車輸送の分野で幅をきかせているのは、日本の3社、商船三井、日本郵船、川崎汽船、と北欧の Wallenius Rederierna, Hoegh Ugland Auto Line とそれに韓国の Hyundai ぐらいで未だ寡占状態です。

*7.ガス専用船
船の多用途化と云えば、まだまだいろいろな専用船がありますが、ガス船について是非書いておきたいと思います。 輸送の対象となるガスは主に石油ガスであるブタン・ガス、プロパン・ガス、及び天然ガスですが、その性質について私が知っている範囲で簡単に解説しておきます。

ガスを保存し運搬する場合、容器に入れなければなりませんが、ガス状の儘では巨大な容器が必要で現実的ではありません。そこで液化して保存するわけで、ガスライターの中の圧力容器に入っているのは液化ブタン・ガスですし、都市ガスのないところでガスボンベに入れて供給され、主に台所の熱源になっているのが液化プロパン・ガスです。これらの二つのガスは常温で圧力を加えれば液化することが出来ますし、圧力を加えない場合でも温度を下げれば同様に液体になります。 我々が日常使っているガスライターも家庭の熱源のボンベも外観から解るように圧力を加えて液化し保存されているわけです。
商用目的のブタンやプロパン・ガスの性質とは少し異なるようですが、船に積載されるブタン、プロパン・ガスは常温では40気圧程度で液体になります。 大気圧ではブタン・ガスは−0.5°C、プロパン・ガスは−42.8°C、に温度を下げてやれば、同様に液化し体積が約230〜250分の1に圧縮されます。 天然ガスは常温では幾ら圧力を加えても液化することはありません。温度の方を−161.5°Cに下げてやることによって液化することが可能で、体積は600分の1に圧縮されます。

液化ブタン、プロパン等を液化石油ガス、LPG (Liquid Petroleum Gas) と言い、液化天然ガスをLNG (Liquid Natural Gas)と言います。 前述の性質から船で運ぶ場合、LPGの場合は加圧式と冷却式船の二つのタイプのLPG船が存在します。 前者は主に二次輸送用の内航LPG船、後者は大型外航用のLPG船に用いられています。これらのガスは油田の中では原油の上の層に堆積していたり、原油が殆ど存在せずガスのみの場合はガス田として、主にペルシャ湾岸、日本近海ではインドネシア等のオイル生産国に存在します。

原油油井から原油と一緒に噴出する石油随伴ガスは液化して、輸送する技術が確立するまではフレア・スタックと言われる燃焼筒に導き、燃焼させて処分するしか方法がなく、貴重な資源を無為に捨てていたわけです。 従ってガスのみのガス田からの天然ガスは消費地に近いところ以外は利用が不可能で、将来のエネルギー源として残しておく以外になかったのです。 今は枯渇してしまいましたが、戦後千葉県下で小規模の天然ガスが生産され、東京ガス(株)は熱量の多い自前の天然ガスを千葉市近郊に供給していたことがあります。




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