六十一歳四カ月の願望冒険旅行ブラジル(2) 阪口多加代さんの寄稿
|
|
前回は、ブラジル到着後、長女弥生に同行させレシフェー、サンルイスの東北伯の町を選び合計9万マイルのVARIGのマイレッジを使用しての旅を報告して貰いましたが、今回は、9日間を掛けてのポルトアレグレからポルトアレグレまでの3083kmのイグアス見学の車の旅とリオのレンターカーを使用しての3日間の旅を丹念に報告して呉れています。イグアス編、リオ編の一挙公開です。同じ場所を見て廻ってもそれぞれの印象、自分流の見方、感じ方があり興味深いです。物心が着いてからは、大学予備校1年、南米9カ国の旅2年間を加えての早稲田時代の6年、その後のブラジル生活と神戸を離れて生活しており、何時も訪日時に大阪の茨木市で妹の所にはお世話になって来たが今回程、時間を掛けての付き合いは珍しく彼女なりに兄貴の実生活を具に見る機会があり若くして逝った母の墓前に報告して呉れる旅との事で良い機会に恵まれたと喜んでいる。
写真は、イグアスの滝、ビラ・ベイリアの奇岩、リオの写真と使いたいものが幾つもありますが、テレゾポリスのデド・デ・デウス(神の指)の前での写真を使用しました。
|
|
イグアス編
イグアスの滝は父と娘がブラジルにお邪魔した時に連れて行ってもらって、話や写真を見ているが、実際に目で見たかった所で今から楽しみにしている。生憎の雨の中での出発で有る。車なので雨でもかまわないが、運転をするお姉様が大変であった。延々と続く牧草の景色を見ていると、自然と眠気がしてきて、寝てはいけないと思いつつも何時しか、深い眠りの中に吸い込まれてしまう。「カフェだよ」「着いたよ」と起こされる事が度々あった。雨が降ったり、止んだりしていたが、道路は渋滞も無く、さすがブラジル、スイスイと走れて、気持ち良い。景色も廻り灯篭の様に変化して満足する。九時間掛かって、リオグランデドスール州を縦断アルゼンチンとの国境の町に到着した。サンボルジャに1泊する。直ぐにイグアスの滝には行かずアルゼンチン・パラグアイを経てイグアスの滝への九日間の旅になるとの事だ。長旅が始まる戦慄に夢馳せながら床に就く。
翌日気持ち良い目覚めで起きたが辺りはまだ真っ暗闇であった。又寝るのには勿体無く、そっと外へ出て見ると明かりが差し始めていて歩けそうなので、早朝の散歩としゃれこんだ。迷子にならない様に来た道を頭に入れながら、イッペーのピンクの花や、小鳥のさえずり声を聞きながらゆっくりと歩いた。ホテルに帰り着きお腹が空いていたので、食堂を覗くと、他の人達が朝食を食べているが兄達は居なかったのでどうしょうかと迷っていたらボーイさんが椅子を指さして、「どうぞ」と言って呉れたので、兄達に悪いかなと思いつつ先に食べた。
出発する前にここは大統領の町と言われていて亡きヴァルガス大統領とジャンゴ大統領の墓が在る市営墓地により、お参りをした。母もクリスチャンで教会の墓地の一角に墓標を建てているが、山の中で静寂として、こじんまりとして、周りもお墓だらけで、これが常識だと、考えていたが、こんな賑やかな街のど真ん中に市営墓地が在り、これがお墓とは思えない程の立派な墓標に加え、はなやかさに、いささか戸惑いを感じるが、ここが大統領の町と言えたのかもしれない。
国際統合橋でブラジルの出国とアルゼンチンの入国手続きが有り、パスポートとブラジルへの入国証明書(?)が必要だが、私はパスポートだけしか持ってなくて、「ポルト・アレグレに置いて来た」と言うと、「貴方はこの先にはいけません」と言われて一瞬青くなりどうしょうかと思った。私だけが置いてきぼりになりそうだったが、入国証明書を提示した事にして呉れて何とかアルゼンチンの入国を認められて、ホット胸をなでおろす。
ピラポに入る途中にインヂオのイエジス会の教化部落の廃墟を見学した。ブラジルには至る所に廃墟が在り、これを保存出きる事の凄さにブラジルならではと感心する。
ピラポの園田様宅で一泊させて頂く。(移住地編にて書き留める)
翌朝世界遺産に指定されているミッシヨンの遺跡、トリニダー。(インヂオの教化部落跡の廃墟)を見学した。昨日の廃墟といい、広々とした広場に静観として立ち並ぶ赤レンガの廃墟が建っている。当時の面影を偲のび住居跡や宗教儀式のための道具や生活用品の土器、首の無い土像が無数にあり、保存状態のすばらしさに感心する。
園田様達と別れを告げ、パラグアイを離れるが、そこでまたまたハブニングが起こった。行く時は誰もいずスゥッ−トと通れたのでそのまま通過したが、帰りしなはパラグアイ側の国際統合橋で車を止められて、事務所に行きパスポートを見て入国手続きが成されてないとの事で、罰金を135ドルも支払う事になり、私のパスポートには入国と出国が同時間と記載され、いとも珍しい珍スタンプと高いスタンプ代を支払う事になった。
グァルアッペの移住地に足を運び、その後いよいよ待望のイグアスに着くが生憎終了時間を過ぎていて見学が出来ずに明日に持ち越す。3国国境表示碑をアルゼンチン側から眺める。パラナ河とイグアス河に面した、アルゼンチン・パラグアイ・ブラジルの3国を一緒に眺める事が出来た。夕暮れのひと時に心休まる思いが目に残る。ホテル・トロピカル・ダス・カタラタスに泊まる。ものすごく広ろびろとしたホテルで玄関から室内迄長い廊下と階段と又廊下を迷路の如く歩く。私の方向音痴には室内に入ると一歩も外へは出られなく全くのおのぼりさんである。室内から滝の音がゴォーゴォーと聞こえて、子守唄代わりに聞きながら明日の滝を楽しみに夢の中に陥る。
朝起きてブラジル側の滝を見て廻る。大地を揺さぶる大音響をとどろかせながら雄大な姿に水が絶え間なく流れ落ちるのに唖然とする。写真で見ても凄いと思っていたが、目の当たりにして感激〜〜ワオオオオ・・・ これで念願を果たせたと思いつつ先に進む。遊歩道の一番先に立つと物凄い轟音で落下する褐色の水と真っ白な水煙に、くっきりと浮かぶ虹の橋に感動する。迫力満点で水しぶきが物凄くて、びしょびしょになりそうで近づけないくらいだが、カメラを避難させて滝の下を覗く。まるで台風で川や海が氾濫して豪濁のごとく怒り狂い、恐怖さえ覚えた。これが寸秒で留めどなく湧き出るエネルギーを発しているので、自然とは雄大かつ不思議で最高の癒しになっている。
ポスケ・グアラニー動物園に入る。南米産の鳥と蝶々がわんさかいて写真を取り捲るが、動くのを撮る事の難しさを痛感する。まぼろしの赤い鳥にここで出会えた様な感じがして胸のつかえが吹っ飛んだ。ほんまに種々多様な檻の中を必死で歩きながら、且 写真撮影をして来た。出口の広場にオオムがいて、手に乗せてくれた。お姉さんの手に代わろうとしたら、私の頭の上にのっかってくれるオチャメなオオムさんである。
滝を空から見たくて、ヘリコプターに乗った。生まれて始めての乗り物でワクワク、もっと怖いかと思っていたが、なかなかの快適さである。空からみる滝もすばらしくて、壮観だ。同じ滝でも見方が違うと変化に富んでいて驚く。アルゼンチン側の滝を見る。此方はもっともっと広くて複雑で滝の上と下に張り巡らせていて、歩けど歩けど滝だらけ。島までボートで渡って、島の上から滝を眺めた。上り坂になった小道がてっぺんまで続いている。たどり着くと、ひときわ違う滝の姿が出迎えてくれて、歩いて来た疲れも吹っ飛び、心が癒された。又、モーターボートに乗り滝壺に行き、スリル満点と水しぶきをかぶりながら大声でキャーキャー叫び、冷たさとおっかなさと楽しさを味わう。滝、様々で色々な想い出が出来た。もうくたくたでグッスリ。
翌朝は9:30に叩き起こされて、もう一度早朝の滝を見損ねて、ほんまに残念でしかがなかったが、年には勝てず、体力の限界を感じた。
イグアスからクリチーバに向う途中ポンタ・クロッサ市の景勝ヴィラ・ヴェーリャ州立公園に行く。マイクロバスに乗り湖を見る。湖底に雲母が層をなして輝いているので黄金の湖と呼ばれている。透きとおった湖で魚が気持ち良さそうに、スイースイーと泳いでいる。私ももう一度ここで泳ぎたいな〜。(禁止区域です)また地獄の大釜と呼ばれる巨大な大地の割れ目がある。ケーブルカーで下に降りられたらしいけど故障との事で下までは覗けなかった。上から見るだけでも、吸い込まれていきそうな気がしたが、神秘的な景色である。バスを乗り換えて奇岩群を見る。この岩達は長い年月の間に風雨によって浸食された砂岩が奇岩群となって、まるで野外美術館の彫刻のごとく立ち並び、岩の一つ一つに名前が付けられている。この名前にあてはまってるのや、見方によってはもつと違う名前の方が良いのにと思うものが在った。こんな巨大な岩を見たのは初めてで、ウナリ声を発しながらも、ここの岩の名前のイメージーはちと違うな〜 ここはなるほどぴったりのイメージーだな〜などと、ひとり妄想しながら、楽しく岩、岩を見て歩いた。歩道からは一歩たりともはみだしてはいけないとのことで、もしはみだせば、ガイドさんに注意される。それだけ厳重な監視の下に今日が存在するゆえなのであろう。
フロリアノポリスの島に行く。見渡す限り海と山でこんなに穏やかな島が存在するのかな〜と思えた。北部海浜のイングレーゼスのサンチンニヨーに引っ越された近藤様にお会いできた。夜の海浜を少し散歩したが、波の音だけの静かな心地よい海浜で、いよいよ明日はポルト・アレグレに戻る、九日間の楽しかった旅の思い出を振り返りながら、終りにふさわしい落ち着いた夜であった。
リオの旅
兄と二人だけの旅なんて、有ったのだろうか、イヤ、母と三人で旅した事が有ったのだろうかと過去を思い浮かべるが、思い出さない。と言う事は三人で旅をした事が無かったと言える。今回が最初で最後かも知れない旅だナ・・・と思うと嬉しくてワクワクして来る。これもブラジルに来れたお蔭だ。飛行機を降りてビックリ、サンパウロやポルト・アレグレとは違う景色が目に飛びつく。車の洪水と道路の広さ、右を見ても海と山・ビルが建ち並び、左を見ても海と山・ビルが全く異なる景色なのだ。特異な姿をした山、高い山、低い山、聳え立つ山、色々な顔をした山々があり、海岸線には綺麗な、はっきりとした白い弧を描き、入り組んだ空間に林立するビルが建ち並ぶ。なんと美しい雄大な、それでいて、穏やかに満ち溢れている景色ではないか!自然という中に人間が作り出した建物とが調和して出来た町がリオなのだ!
レンターカーを借りて、兄の運転でリオの旅が始まる。イグアスの時は姉がほとんど運転をしてくれていたので、私は後ろの席で気ままにいねむりをしていたが、今度は助手席でいねむりなんかしてられないと、緊張のおももちで車に乗る。
リオの郊外であるフンシャル移住地に向かう途中で銃を持った警察官が重々しく三人もいたのでビックリ。ピストルではなく銃なのが怖かった。(後で聞いたのですが、この辺は治安が悪く大変恐ろしくて、夜は絶対に一人では出歩かないとの話だ)この移住地には岩本様他2組の方々がいらっしゃいました。(移住地で綴ります)
テレゾポリスに行き、リオの山々の中では一番(?)高く聳え立つ山らしく、男性的な雄大な山である。朝日がとても美しいらしいが、残念ながらその景色は見る事が出来なかった。
ペトロポリスの町を現地人のガイドさんに案内して貰い、あちこちを見学して廻る。ここでも教会と公園が多く在り、豊な町だと感じた。と思いしや、なんの、なんの、一歩外れれば、スラム(?)の家が山のてっぺん迄隙間無く、ぎっしりと建ち並ぶ。ガイドさん曰くてっぺんに行き着くのに650段の階段を上らなければ、家にたどり着かない。毎回上り、下りするのに、大変だから一度家を出ると夜迄は家に帰らずに時間を潰して、一日一回だけを朝下りて、夜上っての生活をしていると話してくれた。階段を車の中から見ると、ものすごい急な斜傾と幅の狭い小さな長い長い階段である。途中で転げないかな〜とか、私なら30段も上ると息が切れてしまいそだとか思い、なんと不便な所に家が在るのかが不思議で仕方なかった。
夜はサンバショーを見た。広いステージで豪華な衣装を身に着けた踊り子達が、強烈なリズムに乗って乱舞する。楽しんで踊りまくる踊り子の姿に圧巻させられるが、観ている方も楽しくて、自然にリズムを取り、一緒に踊っている様な気持ちにさせてくれる。もう一度リオのカーニバルがある時期に訪れて見たくなるような・・・気分にさせられる。
ボン・デ・アス―カルに登る。頂上に行くのにはゴンドラに乗りウルカの丘まで行く。ここで第二のゴンドラに乗り換える。ウルカの丘でボン・デ・アスーカルを背後に兄と一緒に記念写真を撮って貰って、お皿の写真を購入して持ち帰った。頂上から見える景観のすばらしさに息を呑む。太陽を一杯に浴びてキラキラ輝く水面と豆粒のようなピーチの人々、箱庭のようなビル達がパノラマのごとく目の前にあり楽しんだ。
コルコバードの丘に登る。絶壁の頂に建つキリスト像。街中を歩いていてもキリスト像がどちら側に眺められるかで自分の方向が確認出来るような街。リオのシンボルである。
私達はドライブを楽しんだが、ケーブル式登山電車もあり、真っ赤なボディーに白のラインの入った車両に出くわした。頂上に立つとキリスト像の雄大な姿に圧倒され人間て、なんとちっぽけ姿なろのだろうか?と思うが、キリスト像をここに建てたのはその人間である事に違いは無い。昔の人々が強い信仰心と創造力とで完成させたきりスト像に敬服する。眺めは素晴らしくて、ボン・デ・アスーカルとは異なった景観を見せてくれる。亡き母へのお土産にキリスト像を購入した。
リオは海岸通りが延々と続いてるがすべてに海岸名が付けられていて、それぞれの顔の特色を持っている海岸である。どこからどこまでが、どの海岸なのか私には区別が付かない。大きなショピングセンターで買い物をしてから最初に行った海岸は、バーハ・デ・チジュカだったと思う。高級アパートメントが建ち並ぶ海岸。アパートからの眺めは最高であろう。毎日窓を開けて、景色を見てる人々がうらやましくなる。波打ち際まで歩いて行ったとたんに、大きな波がド・ド・ドッと押し寄せてアット云う間ズボンと靴が水びたしになり、波にさらわれる感じを味わう。トウモロコシを半分ずつ、食べた。とても美味しかった。
コパカバーナ海岸を歩く。この海岸は娘が来た時に、襲われたことのある海岸だ。連れの二人が襲われて、財布と時計等を取られそうになったが、ブラジル人と言うことですべて返して貰い未遂に終わった。娘曰く怖い目に合った海岸が忘れる事無く嫌な思い出に、あの時の怖さはいまだに身震いがするなんて口にしていた。怖い海岸だから、油断しないで、しゃきっと歩かなければと思いつつも、当日は歩行者天国で車は通行止め、車道が歩けるのでのんびり歩く。兄曰く砂浜に行くと襲われる可能性があるが車道を歩けば安全だ。との事で安心もした。道端には色々な品物が売っていて、覗き・覗き歩く。途中で聞き覚えのあるメローディが聴こえた。よく聴くと昔、母に連れられて神戸の湊町教会で聴いた賛美歌である。しばしその賛美歌をクチズサミながら昔にタイムスリップする。やはり母と共に旅していると実感する。娘は怖い目にあった海岸だが、私は母を想い出す懐かしい海岸として残る。ココヤシを呑みながら夕日の海岸を飽きる事無く眺める。珍しいのがあった。タイルに指で絵を書いて、印象的だったのでコパカバーナ海岸の夕日とキリスト像の絵を購入したが、乾ききってなかったまま持ち帰ったので無残にも、絵にはほど遠い物になって、ただのタイルと化して残念で仕方なかった。ホテルに帰るのに何度同じ所をぐるぐると廻った事か、一方通行でしか通れなく、なんとややこしい道路なのか・・しまいには歩けば一分とかからないから、車を置いて歩こうか、なんて云いながらもやっとの思いでホテルに辿り着いた。
翌朝は早々にレンターカーを返し空港に行く。9:30に兄と別れて出発時間迄の五時間を空港で一人過ごす。内心どうしょうか?大丈夫かな〜と思いつつも時間が立つにつれて、持ち前の厚かましさと度胸が表れて、タバコが吸える所を探したり、空港の外回りを探検しに行ったり、買い物したりで時間を潰す。昼食にはビールまでも飲む事が出来た。出発時間ぎりぎりになり、あわをくったが、無事空の人となった。
こんなに面白かった、楽しい旅が出来たのも兄とお姉さんのお蔭です。運転ご苦労さんでした。ほんまにありがとさんでした。(続く)
|
|