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南米移住史を日本の教科書に!=子どもに何を伝えるか(1)(2)(3)(4)ニッケイ新聞編集長 深沢 正雪さんの問題提起と解説文。
10月29日から11月4日まで4回に渡って【南米移住史を日本の教科書に!=子どもに何を伝えるか】との課題でニッケイ新聞編集長の深沢 正雪さんの連載文が掲載されています。日本の教科書に南米移住史の記載が全くないというのは奇異な感じがしますがそれが事実なのですね。私が神戸の中学に通っていた頃、課外授業?の一部として社会科の女性の先生【お名前は失念】に連れられてブラジルに移住する神戸から乗船される方達のテープ拾いに出かけたとの事実が私のブラジル移民の遠因の一つとなっていることから考えると矢張り学校教育の場で南米移住史の取上げを希望する一人ですが史実として取上げるか人生の選択の一つとして海外移住といった発想、可能性もあるということを感受性の強い学童期に旨く教える先生の存在が大切と思います。戦後移住が再開して間もない頃に移民船のテープ拾いという課外活動を思い立たれた先生の思いはどうだったのでしょうか?何か個人的な思いもあったのではないかと興味を抱きます。
写真は、矢張り1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航の神戸出航時のものを使いました。


 南米移住史を日本の教科書に!=子どもに何を伝えるか(1)=「忘れられたら困る」=山田長政はあるのに・・・
10月29日(金)
 この連載原稿は、「南米移住史を教科書に!」という趣旨で組まれた、日本の小中高校教師向け専門誌『歴史地理教育』九月号の特集「近現代史の中のブラジル移民・移住」の一部だ。ニッケイ新聞社の深沢正雪記者が担当した部分で、教科書掲載の意義と期待に関する、移民の声を拾って日本側に伝える意図で取材したもの。この特集を機に、コロニア側でも教科書掲載運動に対する認識を深め、日本側と手を取り合って百周年までに実現することが期待されている。
 太平洋が陸地なら子どもを背負って帰りたい――。邦人社会では、そんな唄が詠まれたこともある。特に戦前移民には筆舌に尽くしがたい苦労もあった。
 「よその民族に囲まれて生活する辛さ、楽しさ。異文化や隣人に対する理解や誤解。移民というあり方に深く関わるそのような点を、良くも悪くも事実を事実として書いてほしいものです」。ブラジル岐阜県人会会長、戦後移民の山田彦次さん(六七)はそう語った。
 「奥地の原生林の開拓に家族で入った女性は特に、お産を始め生活の様々な点で大変だったそうです。子どもが死んでしまう。ちゃんとしたお墓もない、戸籍もない。しかたなく植民地に埋めて、別の場所へ移動する。何年かたってそこへもどってみると、埋めた場所になんの痕跡も残ってない。再生林や町になっている。移民の百年の歴史は、そういう積み重ねなんですね」としみじみ語った。
 「日本は戦争に敗れた時、『俺たちの祖国はどうなっているのか』とみんな心配し、日本の復興の手助けをしようとララ物資=戦後ブラジルの日本戦災同胞救援会がLARA(国連救済復興委員会)を通して物資などを送り祖国を支援した=を送った。そんな話、日本の人はほとんど知らないんじゃないですか」。
 山田さんは県人会長をしている関係もあって、日本との交流も多い。「郷里に帰って肌で感じるのは、日本人は我々に対して優越感をもって接してくること。酷いやつは慇懃無礼でさえある。おそらく、自分の祖先の墓を捨てて行ったという意識からではないか」と推測している。「デカセギ でいった人に、『金をやるからよその県で働いてくれ』と親族から言われる人もいた」と憤り、そのような日本在住者の意識を教育を通して改革することを期待する。
 十歳で渡伯した戦前移民、清谷益次さん(八八)は「(教科書に掲載されたら)みんな、嬉しいんじゃないですか。移民を送り出したことが日本にとってどういう意味があったのかを、みんなで考え直す良い機会です」という。「少なくとも、忘れられたら困る」。
 戦後移住し、サンパウロ大学を卒業した岡崎祐三さん(六一)は、日本の教科書に山田長政についての記述はあっても、南米移民について書かれてないことを残念に思っている。定期的に勉強会を開き、「何百年かたっても山田長政の時のように苗字しかのこっていない、ということにならない方法」を真剣に議論している。
 「日本の国だけがいいのではない。日本は二百カ国あるうちの一つということ。ブラジルにはあらゆる人種が集まっていて、あなたたちの同胞はそこで頑張っているのですよというメッセージを入れてほしい」と語り、日系大臣や連邦議会議員、連邦政府官僚、企業家、大地主などの名前を列挙した。  
つづく (深沢正雪記者)

南米移住史を日本の教科書に!=子どもに何を伝えるか(2)=肯定的な部分を強調して=苦労話、自虐史観でなく
                            10月30日(土)
 アリアンサ移住地創設に深く関わったブラジル力行会。その会長、永田久さん(七五)は、教科書に載せることは「世界に散らばった日本人がたくさんいて、日本国内だけで生きていくだけでなく、もっと広い選択肢があるということを知ってもらうのは良いことですね。海外旅行だけで外国を知ったと思われちゃ困るわけでね」と賛成する。「ただし、あまり崇高な思いで来た人は、それほどいないでしょうな」と冷静な視線を送る。
 四歳で家族と共に移住してきた大浦文雄さん(七九)は教科書に載せることに反対だ。「もし、移民史を載せるなら、現在のデカセギの話まで書かなきゃいけないだろう。それについては忸怩(じくじ)たる思いがある」という。サンパウロ市近郊のスザノ市にある福博村とよばれる日系集団地の草分けで、同地のオピニオン・リーダーの一人だ。
 「一世は雑草のように土地にしがみついて生きてきた。二世はこの国の教育を身に付けてブラジル社会へ入った。デカセギの中心世代である三世は、本来なら二世以上にブラジル社会で活躍しているべき世代であって、より社会貢献ができるはず。それが日本に逆流していることは、移民という流れから言えば完全な挫折であり、今まで伸ばしてきたものの放棄だと思う。〃情けない〃という自虐的な気持ちが強い」と大浦さんは語った。
 「移民史の解釈にはいろんな角度があるだろうが、私は教科書に載せるのには否定的な考えだ。ただ、載せるのであれば、日本文化の継承、新しいブラジル文化の創造に日本移民が寄与してきたこと、日系人が今もって参画していることを強調してほしい。今の日本では、ブラジルや日系人に関してネガティブな面が強調されがちだから、もっとポジティブな部分を扱って欲しい」
 日毎叢書企画出版代表、野口浩さん(六六)は「小学校低学年の教科書から載ってしかるべきだと思う」という。「ただし、苦労話だけじゃしょうがないから、もっと国際的な視野に立った記述がされたらいいのでは」とし、世界的な移住労働者の一部としての移民史観を提唱する。「デカセギ現象を否定的に語る人もいるが、それを否定することは、デカセギのつもりで来ていた戦前移民を否定することにもなる。それのポジティブな面を捉え直し、それも含めて教科書に載せるべきだろう。その時代に突出して起きた社会現象は、そのまま載せるべきだ」。
 野口さんは教科書に掲載することに大賛成だ。「今まで全く扱ってこなかったのだから、いきなり深く踏み入らなくても概略で良いと思う。日本の義務教育に組み込まれるだけでも大変な進歩だ。日本の人が持つ移民に対する暗いイメージ、特に石川達三の『蒼茫』がいけないよね。それを払拭するためにも教育することは意味があると思う」。
 ニッケイ新聞社の元編集長、吉田尚則さん(六三)は「我々は棄民である、という類いの移民史における自虐史観はやめてもらいたい」と注文をつける。「確かに国策に乗っかってきたかもしれないが、我々、個々人の想いとしては海外雄飛を目指し、?儻不羈(てきとうふき=独立していて拘束されないこと)の気概で人生を切り開いてきた。棄民うんぬんという自虐史観からはプライドを持った移民にはなりえない」と考えている。「食えなくなってデカセギしたというより〃現代の移民〃という視線で捉えてほしい。二十世紀の移民は、よりよい生活手段を獲得するために国境を越えて移動した」とし、日本移民とその子孫である現在のデカセギ労働者を、社会学の「移住労働者」の定義にあてはめる。
 つづく(深沢正雪記者)

南米移住史を日本の教科書に!=子どもに何を伝えるか(3)=移民の貢献大のブラジル=棄民意識は一般的でない
                           11月2日(火)
 力行会の永田さんは「日本政府がいいことばかり言ってブラジルに送り込んで、そのままアフターケアをしなかったというのは、当時としては極めて普通のことだったわけで、棄民という意識がその時点からあったかどうかは疑問。むしろ、ある時点から振り返って見た時、その時の常識に照らし合わせたら棄民だったという認識になったのでは。現在から見たら棄民かもしれないが、当時はそう認識していなかったのでは」と指摘する。
 第三アリアンサ生まれで、ブラジルの日系団体を代表するブラジル日本文化協会の第一副会長、吉岡黎明さん(二世、六八)は「今まで教科書に記述がなかったんですか。そりゃ、ぜひ入れなきゃいかんと思うよ」という。「例えばアリアンサでは最初から土地を買って農場主として入植しているわけで、あくまで自分から選択している。捨てられたとかという意識はまったくないと思う」とし、棄民意識は決して一般的ではないとする。
 サンパウロ人文科学研究所の元所長、宮尾進さん(二世、七三)は以前から、移民史を日本の教科書に入れるべきだと主張してきた。「戦争と関係してきた満州移民といっしょくたにして、南米移民史を小・中・高の教科書に入れないのはおかしい。南米に来た移民はそれとは関係ない。まったくねぐっちゃってる(削っちゃっている)のは酷いよね」と語り、政府が移民を〃棄民〃扱いした後ろめたい意識がそうさせているのではないかと推察する。
 そもそも「移民」という言葉から、様々なニュアンスを感じ取る人がいる。宮尾さんがブラジルからのNHK生中継番組に出演した時、同社スタッフから「移民という言葉を使わないで〃移住者〃にしてほしい」と言われた経験がある。「〃棄民〃に通じるような印象をもたせるからダメ」と説明されたそう。「移民は差別語ではない」と主張し、結局、宮尾さんのみOKということで押し通したが、他の出演者は「移住者」に置き換えさせられた。
 NHK本社に直接問い合わせたところ、差別語ではないとのことだった。ただし、以前移民という言葉を番組の中で使ったところ、「移民した人を傷つける言葉だ。若干、棄民のニュアンスがあるから使うべきでない」という抗議を受けたことがあるという。
 「移民の日」「アマゾン移民」「ブラジル日本移民百周年記念祭典協会」など邦字紙上に「移民」という言葉が登場しない日はないほど、ブラジル在住者の多くにとっては誇りのニュアンスが強いだろうが、そうでない人がいることも事実。例えば、志し半ばで日本へ帰国し苦々しい移住経験しかない人であれば、思い出したくもない言葉だろう。そのような帰国者が数多くいることや、教科書が日本国内で使われることを思えば、ある種の配慮が必要なのかもしれない。
 ブラジル国家形成にあたって、各国からの移民が果たした役割が大きかったことは周知の事実であり、それを説明する教科書の記述、副読本教材もある。
 ブラジルの教育事情に詳しい吉岡さんは「教科書によってまちまちだが、詳しいものになればイタリア移民の中には戦前にファシスト運動をしていたグループがあったとか、工場でストライキを主導していたこと、マタラーゾ(イタリア移民一世で同財閥創立者)のことを説明しているものまである」と、移民と歴史が不可分であることを説明する。
 宮尾さんは「ブラジルには五百万人もの外国移民が入った。特に移民が多く入った南部三州とサンパウロ州は産業の中心となっている。新大陸において移民は重要な存在だ」という。なかでも日本移民が農業分野で果たしてきた貢献は広く知れわたっており、それは日本移民の誇りでもある。送り出し国が持つ「移民」へのイメージと、受入れ国がもつそれへの違いは、この辺にも原因がありそうだ。
 つづく(深沢正雪記者)

南米移住史を日本の教科書に!=子どもに何を伝えるか(4)〃新世界建設〃に参加して=異文化接触のモデル示す
                              11月4日(木)
 サンパウロ人文科学研究所の元所長、宮尾進さんは「今では穀物生産の五〇%を占めるセラード地帯の開発も、コチア組合がミナス州政府と組んで始めたもの。それまでは誰も見向きしない不毛の地だった。そのような点を取り上げれば、移住の意義が見えてくる」と語る。
 ブラジルの農業は元々、コーヒーやサトウキビに代表される大規模プランテーションが中心だった。「日本人が集約農業を持ち込み、狭い面積にいろいろな種類の作物を植える農業を広めた。この点で高い評価を受けている。サンパウロ近郊に始まり、パラナ州や内陸部にまで広がっており、ブラジル人の食生活を豊かにしてきた」。
 「海外に出た人は、異文化接触のモデル的な存在だ。梅棹さんが言うところの〃新世界建設〃に参加しているわけだ。ブラジル発展に寄与した日本移民の功績は大きいわけで、同時に、日本人の異文化接触の先駆けとなってきた。日本は今、国際化の時代で外国人も増えているが、南米の移民は百年も前からそれを体験してきている。そこに学ぶ点があるのではないか」と意義付ける。
《移民史の解釈の難しさ》
 移民が持つ祖国への想い、郷愁には格別なものがあり、そこから日本の人には理解しがたい心情が生まれることもある。
 ブラジルでの年月が長いほど、当地の価値観を身に付け、日本語で話す内容にもそれを反映させる。身の回りにはドイツ系子孫、イタリア系、ユダヤ系など、多種多様な民族性を身に付けた友人がおり、「民族」という言葉一つとっても日本国内とは別のニュアンスを持つ。つまり、同じ日本語をしゃべっているようでも、日系人のそれは、日本国内のそれとは別の背景やニュアンスを持っていることがあり、日本在住者の常識で読み解くと誤解する恐れがある。同じことが多民族系子孫と本国の間にも生まれている。
 移住することは、よその国で少数民族として生活することだ。お互いの文化・思想・生活習慣への前向きな理解なくして良好な関係は保ちえない。同じことが、日本国内でも今起きている。在日外国人をどう理解し、どのように付き合うか。それはまさに日本移民が体験してきたことの裏返しだ。
 文化や宗教、思想は相対的なものであること、国や場所が変われば価値観・世界観さえも変わりうることを、日系人は異文化接触の日常から学んでいる。宮尾さんは「移民史の持つそのような点は、教科書に入れてもいいことではないか」と主張し、「移民史の詳細よりも、そのような意義を中心にした方がいいのでは」という。
 同時に、教科書に移民史が掲載されることは、デカセギ日系人子弟が自分のルーツに関する情報を学校で学ぶことでもある。永田さんは「移民史が持つネガティブな側面を隠す必要はないが、ポジティブな部分とのバランスへの配慮は大事でしょうな」という。万が一、学校の場でネガティブな色彩の強いものとして移民史を読み解いた時、出自への劣等感を醸成するなど人格形成への悪影響は計り知れない。
 今回の取材を通して感じたのは、移民のほとんどは今まで教科書に記述がなかったことを嘆いており、今回の特集がきっかけとなってこの取り組みが盛り上がり、実現されるのを望んでいることだ。加えて、移民自身は誇りを持って新世界という異文化接触の最前線を切り開いてきた矜持をもっており、その辺のバランスを配慮した記述をもとめている。近代史の中で、どう日本人ブラジル移民史を読み解くか。そこには微妙な問題を多くはらんでおり、異文化接触などに関する文化人類学的考察、コロニアを理解する社会学な視点、南米近代史に関する歴史学の知識など、様々な学際的専門家の協力が不可欠ではないだろうか。
 終わり(深沢正雪記者)



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