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年末、年始に交わされたマナオス勤務から神戸の郷里に帰国された内田雅夫さんとリオの出羽さんのbatepapoでの交信です。
リオの山下さんが管理運営しておられるBatepapoのメーリングリストの第1500回目の書き込み者に与える記念品が最近マナオス勤務を終えられて帰国された内田雅夫さん(シャープ勤務)に当りこれを1501番目の方に譲りたいとのご希望で幸運を得たのがリオの出羽さんでお二人の交信が興味深くつい神戸が取り持つ縁と割り込んだ次第です。生粋の神戸っ子で神戸を愛しお父上の思いでも含め神戸の昨今を語られる内田さんの書込みをお借りして寄稿集に残して置きたいと願う次第です。写真は、神戸を語っては右に出るホームページはないと自他共に許すMASAYOさんのホームページ『好きです神戸』の画像掲示板からお借りした神戸の生田神社2005年の初詣の様子です。


和田さん(と、さん付けにさせていただきました。)
ご返事が遅れました。申し訳ございません。神戸から内田です。
私の書いたものが、”私達の40年”に掲載されるなんて夢見たいな話で、ご参考となるなら、どうぞ掲載お願いいたします。 私達の40年”にも一度、入らせていただいた事あります。地道な作業ですが、このような事がのちのち、非常に貴重な財産になるのだと思って敬服しております。何事も地道な作業の積み重ねですものね。
和田さんも神戸高校のご出身ですか。パナマに駐在していたおり、ヤコンの渡辺さんとはご懇意にして頂いており、山下さん、和田さんもきっとその一味(失礼、お仲間でした)で中南米を駆け巡った方々なのでしょう。神戸一中/神戸高 校にはそういう進取の気風がありました。今はどうでしょうね。
ご出発された1962年というと昭和37年ですね。この年から、原口神戸市長の、” 山、海へ行く”と全国で神戸株式会社ともてはやされた大土木工事がはじまり、 私の住んできた東灘区住吉も景観が一変しました。なんという無残な変わりようなのでしょうというのが、生まれ育った地元の人間の感想です。
文字通り白砂の海岸線だった住吉浜、うっそうたる松林で松籟(しょうらい)が騒いだ、渦森山は跡形もなくなくなりました。住吉川にはダンプが轟音とほこりをまきちらし埋め立ての土砂を運んでいました。いまはこれは清流の道とかいって、散歩道となっています。こんな子供だましの遊歩道なんてクソ食らえです。
あの失われた景観に比べたら、残念でならないです。これが世の中の発展とは到底私には思えないのです。何か違う。経済発展のモデルも日本の国土を可愛がる哲学で組み替えが必要です。ブラジルのマナウスも、同じこと。気がつけばあっという間にジャングルはなくなり、動物園かなにかのなかに、”保存密林”とかなにかになってやっと残っているというご時世はすぐ来ます。
また、私が中学1年のときというとまさしく和田さんたちがご出発された昭和37年ですが、クラスに(住吉中学の1年B組)、ブラジル移民をするというクラスメートがおり、(確か兵頭くんといった)、お別れ会をやったことを覚えています。きっとあるぜんちな丸の681名の方々の中に入っているのではとふと思いました。
国内では全国的に土木工事で景気をつけ、海外雄飛も、経済発展のもう一つの国策であった時代だったのですね。 海外雄飛はともかくとして、あれ以来、この美しい国土はもう世界に誇れないというか、一番してはいけない好例だと思います。もうサッパリワヤです。 日本へ帰国してこういう国土に成り果てた日本の現実を確認するのはつらい事です。 今は出来るだけ考えないようにしています。
でも、小学校の帰りに住吉浜に寄り道し、遊んでいたら急に夕立が来て、ずぶぬれになって帰ったなど、今の神戸市民には考えも及ばない事でしょうね。
しあわせ、というのはどういう事をいうのでしょうか。
つまらないグチになりましたが、和田さんは神戸のどちらでいらっしゃいますか?
内田雅夫


内田 雅夫 さん(さん付けが習慣だそうですのでさん付けで失礼します) 始めましてから始めるべきなのでしょうね。
ブラジルの南の端ポルトアレグレに住む和田です。
内田さんの昔の神戸、出羽さんに触発されたお父様の思い出話し、心温まる
交信大変嬉しく読ませて頂きました。
私も純粋の神戸子です。同級生の山下 日彬さんは、岡山の産で途中から名門校に入って来たようです。
1962年の5月11日サントス着のあるぜんちな丸の同船者681名のブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアに入った仲間の定着の過程を書き留める作業が最近では同船者だけに限らず広くブラジルの戦後移住者の記録を書きとめる作業に拡がって来ており出羽さん、山下さん、赤嶺さん、伊豆山さん、工藤さん、山岸さん、桜井さん、河野さん等多くのbatepapoの仲間の皆さんの寄稿も掲載させて頂いております。そこで内田さんの書かれた文を『私たちの40年!!』HPに掲載させて頂きたいのですがご許可頂けるでしょうか。
『私たちの40年!!』のメーリングリストも管理運営しておりブラジル関係のニュース源のひとつとしてこれも購読頂けると嬉しいのですが。。。
下記より参加登録が可能です。
http://groups.yahoo.co.jp/group/watasitatino40nen/

Subject: [batepapo 1590] Re: Batepapo  2005年
出羽さん 皆様
あけましておめでとうございます。神戸から内田です。
出羽さん、1933年に11歳とおっしゃいますと、1922年の大正11年のお生ま
れですね。私の父は故人ですが、1920年大正9年生まれですので出羽さんは父のような感じです。
父も神戸うまれ、1933年というと13歳で尋常科を出て三菱造船所の職工学校へ通い始めた年です。父は神戸一中、県立第一神戸中学校へ行きたかったらしいのですが貧乏人の子沢山の長男、働きながら学べるということで、祖父が捜し
て来て、そう決めたのでどうしようもなかったようです。(なお、神戸一中はリオの山下さんのご出身の県立神戸高校の前身。名門秀才があつまる。)
祖父は運送業(馬に引かせる荷車の馬方、当地の通称、”馬力(ばりき)”で神戸市東灘区(当時は兵庫県武庫郡住吉村)の住吉川上流のたくさんあった水車でついた酒米を海岸線の灘五郷の白鶴や菊正宗などに運んでいました。そのお手伝いをよくやらされたらしいです。
確か、C57蒸気機関車が引く特急つばめ号が神戸-東京間を約9時間かなにかでデビューしたのが1930年の昭和5年。超特急ともてはやされた頃です。皇族も
大臣もブルジョアも東京駅を経ち、神戸まで来て、外国航路の船にのって出か
けたのです。
父はお手伝いの最中に省線の踏み切りでつばめ号の通過を待ち、わくわくしながらそれを見てから帰ったのでお使いが遅れよく祖父にしかられたらしいです。景気が悪く、町内では若い衆が昼間からばくちをして巡査に追いかけられていたとかも聞きました。満州事変が1931年昭和6年、”守れ満蒙、帝国の生命線”とかいうのが槍玉にあげられていますが、戦争は経済学から見たら一種の公共事業、やむにやまれぬ事情もあった事、歴史の事実として考えなければなりません。
1933年の神戸はそんな世相でした。そんななかブラジルに出発されたのですね。 それから96年に帰ってこられたときはきっと驚かれたと思います。
神戸のサンバチームはそれでも日本では上手なほうです。いまでは浅草や大洗 (?)の方が、上手でしょうが、(何しろ、ブラジル人達がすんでいますもの)神 戸サンバチームは1965年ごろにはすでに存在し、神戸まつりにはでていました。 リオの打ち上げ花火、ご自宅からの見物とは豪勢ですね。どんなでしょう。それにパンデアスカルの初日の出とは最高の贅沢です。
本当に所変われば品かわる、です。打ち上げ花火、カーニバルの迫力と汗、リオの海と空、これらはブラジルです。
神戸も、海と空、それにおいしい肉、魚、ですが、サンバはダメですね。しかし、これも”盆踊りの神戸版”と見たら、なかなか迫力があるのでは。どうもお国自慢となると論理が強引になります。すみません。
今年の神戸はおおみそかに六甲山に雪が積もり、私も久しぶりの雪を見ました。 初日の出は拝めませんでしたが、元日は良い天気で大阪湾から河内、和泉、紀伊、そして奈良の山並みを見ていたら今年も頑張ろうという気持ちが湧いてきました。
よいお年であるようにお祈りいたしますとともに頑張って参りたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
ちょうど、父は1月5日が祥月命日で、1971年昭和46年に50歳で他界しました。
この日も寒い年でした。35回忌です。
こうして、出羽さんとのメールで、父を偲べるのもbatepapoのおかげです。
内田雅夫

内田さん、皆さん
明けましておめでとうございます。
新年早々、申し訳ありませんが、私事を少々。
A) 神戸は私にとりまして大変縁の深い街です。
@ 1933年、11才、家族とともにブラジルへ。アリゾナ丸で神戸港から。 A 震災の翌年、1996年から2001年、計6回、リオのサンバ・チームに同行、神戸フェステイバルに参加。最初の年は150人でした。宿はポートピア・ホテル。
神戸とリオは姉妹都市。神戸フェステイバルのリズムにサンバもありますが、神戸の皆さんのサンバ(申し訳ありませんが)余りうまくありません。リオの本場のサンバのご披露でした。
神戸は私にとって故郷(ふるさと)を感じる街です。
B) リオは毎年、元旦の零時から、世界のトップに並ぶ規模の大花火大会です。 最も大型の打ち上げはコパカバナの海岸。以前の私はよく花火を見に出かけまして、帰りが混雑で大変ですので、ホテルに泊まったこともあります。
昨年も今年も花火見物は我が家の窓から。ラランジェイラスに住んでおりますが、高台のアパート、20階ですので、フラメンゴ、ニテロイの花火は正面
です。
コパカバナは山の向こうになりますが、上がった花火がよく見えます。
B 初日の出、我が家の窓から拝みました。
初日はパン・デ・アスーカルの右側から。
2005年、お互いの健康を祈りたく存じます。
出羽

Subject: [batepapo 1582] Re: 出羽さん
山下さん、出羽さん 山岸さん、そしてbatepapoのみなさん
1501番は出羽さんでしたか。私の提案をお受け頂きありがとうございます。
山下さん、高出力太陽電池瓦。ウオッチしてお伝えできるようにします。
東灘区は変わりつつありますが、山下さんの母校、神戸高校、神戸護国神社のあたりはあまり変わってないようですよ。雪模様とかいっておりお正月もあまりいい天気ではないようです。来年は神戸大震災から10年。気を引き締め
てやりたいと思います。
2005年、良いお年をお迎え下さい。
山岸さん、
よいお年を。来年、訪伯しお目にかかりたいです。 そして、皆様、よいお年を。
内田雅夫

山下さん、内田さん、
リオの出羽です。私は大変ラッキーな人間であるようです。
1501番が私であったこと、存じませんでした。
内田さんがお譲り下さいます記念品、謹んで、嬉しく、頂戴致します。
幸運のおすそわけを戴きます。有難うございます。
BATEPAPOの仲間に入れて頂きましたお陰で、いろいろ勉強の2004年でした。 2005年、仲間の皆さんのご健康を CIDADE MARAVILHOSA からお祈り申し上げます。
内田さん、寒い日本でお風邪を召しませんよう。

Subject: [batepapo 1580] 出羽さん
出羽さん
1500番ヒットの内田さんが1501番にお譲りしますということで1501番の出羽さんに記念品の贈呈となりました。
新刊書が到着次第お届けします。
山下

山下さん
内田です。日本へ帰ってはや1ヶ月、久しぶりのお正月ですが、寒くなって来たのでいやです。
1500番目が私だったとは、宝くじより効率が良い?
ところで、提案です。私の独断で、せっかくのご本ですので、1501番の方に権利をお譲りします。理由は、なんといってもこの貴重本はブラジル在住の方に渡るべきであると思うのが第一ですが、加えて、
@ 私は、既に帰国し、batepapoでは”日陰”の身であること
A A日本ですので、紀伊国屋でもジュンク堂でも、海文堂でも、コーベブックスでもいつでも出かけられ、買い求める事が出来ること。さっそく、今日にでも出かけてやろうかと思っています。(活字に飢えていたと見え、三日に一度は本屋さ んに行き、何か買っています。)
Bきっと、この幸運は来年にも持ち越されると思うので、この幸運のおすそ分 けを1501番の方にも差し上げたい事。
どうでしょうか。アウトサイダーの私の差し出がましいお願いお聞き届けお願 いします。1501番が山下さんなら、1524番の方へ。24は私のラッキーナンバーです。
山下さんの、ブラジルで損をしない方法は今でも、折にふれブラジルの感触を 忘れないようにする格好の材料として読み返しています。
皆様、よいお年をお迎え下さい。
内田雅夫
神戸にて。
P.S.
初詣は元日は地元東灘区の本住吉神社(大阪の住吉大社の元宮)へ恒例。
そして二日には橿原神宮へでもと思っています。

内田さん
リオの山下です。
和田さんに指摘されて(すっかり忘れていました)1500番を見ましたら内田雅夫様の発信でした。
今日本で好評発売、紀伊国屋渋谷店では経済書の最上段!に展示されている陰陽自然学の飯田亨先生の2005年ライフ・ガイド (NAL Vol..81)を贈呈いたします。
郵便の住所をご連絡ください。
なおこの本、クリスマス前到着の予定でしたが、自分の扱う宅配便が米国の混載管理にひっかかって(DHLにすればよかったかな)入荷が遅れています。
到着次第ということでご諒承ください。




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