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『アマゾンの読経』記録映像作家 岡村 淳さんの渾身の大作完成。
『私たちの40年!!』の映像記録として、『40年目のビデオレター』アマゾン編、『移住41年目のビデオレター』グアタパラ編の2編を作成頂いている岡村 淳さんが9年の歳月を掛けて完成させた3巻5時間の渾身の作『アマゾンの読経』の紹介記事がサンパウロ新聞、ニッケイ新聞、日本では日本経済新聞の【交遊抄】に作家星野智幸さんが取上げています。『私たちの40年!!』ML、画像掲示板等で取り上げたものを寄稿集にも残して置きたいと思います。
写真は、岡村さんのHPよりご自慢の一枚をお借りしました。


1月7日 ML 第853番
5日、6日とメールがなくほっとしている方が多いのではないかと想像しますが、この1週間は、何かと重なり手を抜いていたのではないのですが結果としてお休みになりました。週末はまたお邪魔します。
メンバーのお一人で稲門の鬼才(その域に達しつつある偉才です)の岡村 淳さんの渾身の作品完成とのニュースがサンパウロ新聞に掲載されていました。
私たちの40年!!でも岡村さんに映像編として40年目のビデオレター アマゾン編とグアタパラ編を作成して頂いております。今回の『アマゾンの読経』は取材に9年を費やし5時間15分、全三部の大作とのこと是非早い機会に鑑賞したいと願っています。岡村さんご苦労さまでした。

我が巡礼の旅は終わらじ・故藤川辰雄氏壮絶な足跡辿る・記録映画作家岡村淳氏の渾身の作品完成 サンパウロ新聞1月6日版
「今もなお鬼哭の声が耳につき我が巡礼の旅は終わらじ」=B一九八六年九月、一人の日本人僧侶がアマゾナス州パリンチンス付近で失踪し、溺死と推定された。その名前は藤川真弘(辰雄)さん。ブラジル日本人移民の無縁仏を供養すべく、東京都伊豆大島とサンパウロ・スザノ金剛寺に富士見観音像を建立した。氏の思いを引き継ぎ、「アマゾンの読経」(五時間曙ワ分、全三部)と題する長編ドキュメンタリーをこのほど完成させたのが、聖市在住の記録映像作家・岡村淳氏(四六、東京都出身)。生前の藤川さんを知る人々の貴重な証言をもとに九年間におよぶ取材を重ね、日伯間を幾度となく往復した渾身の作品だ。
《「アマゾンの読経」・移住者のために献身、無縁仏供養も》   日本海外移住家族会連合会の初代事務局として序Z年間務めた藤川さんは、海外日系人団体との連絡活動をはじめ、移住花嫁のあっせんや中南米移住地の視察・調査などを行なっていた。そうした中、各地で志半ばで亡くなり、墓標すらない日本人移民の無縁仏の存在を知る。アマゾンを訪れた際に鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)の声を聞き、その思いを冒頭の短歌として綴っている。
 その後、七三年に得度。七八年に同連合会を退職した藤川さんは同年、海外開拓移民の御霊を慰めるため浄財を集めるとともに私財を投じ、ようやくの思いで富士山の見える伊豆大島に「富士見観音堂」を建立。同地に移り住み、自給自足の修行生活の中、その管理を行なってきた。
 八六年には無縁仏供養のためにブラジルへと向うが、これが藤川さんにとって最後の旅となった。そして、同年九月二藷。氏はパリンチンス付近での供養後に失踪した。地元警察では、溺死と推定している。
 藤川さんの死後、伊豆の富士見観音堂管理は未亡人に引き継がれるが、その未亡人も九四年に他界。その後、心有るボランティアたちが自主的に管理を行うが、様々な問題がつきまとう。
 八六年当時、日本のテレビ局の取材でアマゾンを訪問していた岡村氏は、その諸N後に藤川さんのことを知ることになる。氏の心を突き動かしたのが、藤川さんの遺した手記だ。
 「われを知り、心ある人には、日本であろうとブラジルどこであろうともこの祈りが通じ、読経が聞こえるはずである。すべてが狂った今の世に対して『アマゾンの読経』と題して、書いてくれる人があれば、必ず心を動かして目を覚ます人があるはず」=B  
 しかし、岡村氏が「アマゾンの読経」の取材を始めた当初、日本政府機関のJICA(国際協力機香j関係者などは「そんなことをする気が知れない」と取材を拒否。藤川さんのことを知る人が少なくなる中、取材は困難を極めた。
 映像では、岡村氏が残り少ない「生き証人」を訪ねて渡り歩く。彼らの言葉が、今は亡き藤川さんの姿を浮き彫りにしていく。他の取材と並行して日本とブラジル、南米諸国を周る岡村氏。取材年数は実に九年間にもおよんだ。
 「偶然が重なった。色んなものから押し出された感じ」と岡村氏は、取材を通じて知り合った人々との縁を痛感しているようだ。
 「アマゾンや移民にも関係のない人たちに、何かを感じてもらうことができれば」 岡村氏は、楓ハには出ることのない移民たちの姿を今後も記録していく考えだ。


1月8日 ML 第860番
既にサンパウロ新聞の記事はこのMLで紹介しましたが同じ1月6日のニッケイ新聞でも岡村淳さんの『アマゾンの読経』に付き大きく報道されています。本日のニッケイ新聞メールマガジンの冒頭コラムにも深沢編集長が本件に触れております。ニュースと共に深沢さんのコメントも掲載して置きます。

無縁仏に呼ばれ謎の死遂げた男=記録映像作家岡村淳さんが真相に迫る=3巻5時間の大作「アマゾンの読経」=移民の裏面史 淡々と
------------1月6日(木)ニッケイ新聞より

 日本海外移住家族会連合会(海家連)の初代事務局長を務めた故・藤川辰雄さんは一九八六年九月二曙ワ日、アマゾン川で無縁仏の巡礼供養中に謎の死を遂げた =。有名なこの事件の真相に迫るビデオドキュメンタリー作品が、聖市在住の記録映像作家、岡村淳さんによって先ごろ完成された。
《墓標をも再生林に消え去りて 鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)ビラアマゾニア》
 藤川さんがアマゾン高拓生の墓地を探しに行き、密林の中から見つけられなかった無念の心境を詠んだ一句だ。鬼哭啾啾とは「浮かばれない亡霊が恨めしさに泣くこと。また、その声」と広辞苑第三版にはある。
 海家連の初代事務局長として序Z年間に渡って移民を送り出した日本側留守家族と、現地との親睦に努めた藤川氏。南米視察業務を重ねる中で、移民の無縁仏を供養せねばとの心境に至り辞職、五庶オ歳にして出家した。
 作品では中流のパリンチンス近くにあるビラアマゾニアの、日本人墓地を望む対岸で消息を絶った経緯を巡る、興味深い様々な証言を集められている。川岸で供養中に暑さから水浴していて溺死し、猛魚ピラニアの餌食となって遺体が上がらないというのが地元警察の推測、“公式な記録”だった。
 ところが、岡村さんが集めた証言には、「今思えば最初から計画的な行動だったようにも思える」「保険金目当てでは」との地元の推測などもあり、衝撃的な内容を含んでいる。
 撮影開始から九年、藤川さんの遺族のいる山口県、同氏が私財を投げ打って海外開拓移住者菩提・富士見観音堂を建立した伊豆大島、マナウス、同ビラでの取材など、二署lほどにインタビューした約七庶條ヤ分にも及ぶ証言映像から、五時間曙ワ分(全三巻)に編集した大作だ。
 藤川さんが最後に残した絶筆メモには「無縁仏が呼んでいる声が聞こえる」「事故死の霊感を受けるに至る」とある。鬼哭の声に惹かれるように、覚悟の上でアマゾン川に入水し、自ら無縁仏の側へ渡ってしまったこと伺われるという。
 伊豆大島に残した富士見観音堂は、和子未亡人が女一人で守り続けたが、九四年にがんで他界。ふとした縁から、その遺志を継いだのは『新宿発アマゾン行き』(文芸春秋、九四年)の著作でも知られる、元移住者の佐々木美智子さんだった。しかし、ガンに犯され北海道で療養。その間、佐々木さんの兄がボランティアで続けたが〇三年一月に、やはりガンで亡くなった。今では、無住となった観音堂自体が“無縁仏”化する恐れがあるという。
 作品中、佐々木さんは観音堂を守るべき人が次々にガン倒れる事実に悩み、「藤川さんに出てきて責任とってほしい。亡くなった人の霊魂を慰めるために作ったのだから…、藤川さんは何をしているのと言いたい」とあの世の建立者に悲痛な叫びをぶつける。「あたし一人じゃ支えきれない!」。
 まるでホラー映画のような数奇な物語を、作品は淡々と、延々と綴る。多分に湿り気の多い日本側のコメントと、あっけからんと乾いたセリフを吐く移住者のコントラストが興味深い。
 最後の方で、日伯交流協会のOB有志らが観音堂を訪れ、若々しい仕草でてきぱきと奉仕清掃する姿が映され、一転して一服の清涼感が漂い、救いが生まれる。
 ただし、観音堂を継ぐものがいない現実には変わりはない。
 藤川氏が“行方不明”となる当日の、最後のメモには次の文章がある。
 「われを知り、心ある人には、日本であろうとブラジルどこであろうともこの祈りが通じ、読経が聞こえるはずである。すべてが狂った今の世に対して、『アマゾンの読経』と題して、書いてくれる人があれば、必ず心を動かして目を覚ます人々があるはず」。
 そう、岡村さんの作品の題名はまさに『アマゾンの読経』だ。
 日本側から移住者の無念を慰めようと巡礼読経した藤川さんに対し、岡村さんは移住者側から記録に残すことによって応えた。「正史」から無視された市井の移民の記録をライフワークとした岡村さんならではの、入魂の一作といえよう。
 昨年末、東京で上映会も行われ、約百人が熱心に観賞した。『目覚めよと人魚は歌う』(新潮社、二〇〇〇年)で第庶O回三島由紀夫賞を受賞した高名な小説家の星野智幸さん。その感想を「とんでもない作品だった。見た後に客観的に語れるようなものではなく、現実にはみ出てきて、自分自身に問いを突きつけら れ、冷静ではいられなくなった。自分は自分らしく生きようなどと何度も思ったりして。死生観も揺さぶられる」と自身のサイトに記した。
 移住者の無念の声は、鬼哭啾啾としてそれを聞いてしまった藤川さんに引き継がれ、さらに諸ェ年後、岡村さんによって受け継がれた。将来、このビデオを見た人の中から、志をつなぐ人が現れるに違いない。
   ◎    ◎
 希望者が上映会主催を垂オ出れば、岡村さんは作品を持って立ち会い、解説するという。移民の日や移住地の創立記念日など、先人の足跡に想いを馳せる機会に上映会を催すのも一興ではないだろうか。
 岡村さん連絡先(サンパウロ)は11・276・4491。
 Eメール okamura@brasil-ya.com


鬼が哭(な)く=。浮かばれない亡霊が恨めしさに泣く
声を鬼哭啾啾というが、一体どんな声なのか。八六年にアマゾン川で無縁仏の供養中に故・藤川辰雄さん(日本海外移住家族会連合会の初代事務局長)が謎の死を遂げた事件の真相に迫るビデオ作品を、岡村淳さんが完成させた。▼棄民のまま無念を抱えて冥土に旅立っていった移住者らの「鬼哭」を、藤川さんはアマゾン川岸で聞き、仏門に入るきっかけになったという。藤川さんが憑(よ)りついたかのような岡村作品からも、不思議なオーラが発せられ、見た者の心を揺さ振る。▼藤川さんが出家した富士見観音堂を建立したのは、九〇年代前半に一世風靡したホラー小説『リング』に登場する霊迫ヘ者・貞子の地として有名な伊豆大島。 奇妙な符合か、次々にガンで倒れる観音堂の堂守り。岡村さんが描いた“現実のホラー”は、まさに移民裏面史だ。  (深)

1月10日 ML 第869番
和田好司さま
拙作のご紹介をいただき、ありがとうございます。
私の方は「頭が固くなり偏屈になりつつある」とおっしゃる「和田流」には足元にも及びませんが、少しは真似をさせていただきたいと願っております。
和田さんとの決定的な違いは、和田さんは巨額の利益を誇るご本業があるのに対して、私の方は記録映像家業が本業で、これで少しはこれまでの赤字と次の活動資金をなんとかしなければならない、というところかもしれませんが。
ブラジル日系社会にはそんな私をアプロベイタして、さらに出費を強いるような輩が多く、いやはやであります。
まずは御礼まで。
サンパウロ
岡村淳

1月10日 ML 第871番
岡村 さま
お便り有難うございます。渾身の傑作【アマゾンの読経】早く見せて貰いたいです。同船者の皆さんに集まって貰うか夢・ベテランの皆さんと一緒に観賞させて頂くか何とか機会を作りたいと思います。
森の石松ではないですが『馬鹿は死ななきゃ直らない』最後まで石松で終りたいと願ってますが(益々頭が固くなり偏屈になって行く?)体力と気力の続く限り本業でも現役で頑張りたいと思ってます。本業の方はBUSSですのでこれはUNVERSAL、GLOVALな世界で個人的な趣向等の入り込む余地のない世界ですので旨く合わせられるのかも知れません。忙しく立ち回る程に『忙中閑あり』『私たちの40年!!』にのめり込む活力が沸いて来るのではないかと思います。これと云った趣味のない面白みのない人間だけに『私たちの40年!!』が趣味とも励みとも云えるのかも知れません。その意味では本業に満身を込めて取り組める岡村さんを羨ましく思うと共に経済的な心配を掛けさせずに(例えばNHKのハルとナツのような企画)を岡村さんに遣って貰えるような環境が出来ればと思うのですが、2008年が勝負の時でしょうか?岡村さんの善意を利用するだけでなくお手伝いできると嬉しいのですが。これからも宜しくお願いします。

1月16日 ML 第902番
大阪の自称あそびにんの井ノ口さんが岡村 淳さんの事を書いた記事を目敏く見つけられその新聞記事をメールで送って呉れました。日本経済新聞の1月15日朝刊に掲載された作家星野智幸さんが書かれた【交遊抄】です。
岡村さんは1月15日から新作を目指してヴェネズエラに取材旅行に出かけています。

1月15日 日経新聞:朝刊に下記記事がありました。
「業界と私生活」 星野智幸(作家)
昨年は忙しかった。長編二作の執筆に大学での授業。何とかこなしたものの、悩みは増えた。業界のつき合いが増えるほど、私生活での友人関係がおろそかになっていくからだ。
そんな私に活を入れてくれたのは、記録映像作家、岡村淳さんの新作「アマゾンの読経」だった。
岡村さんとは、8年前に私がデビューしたころ、上映会で知り合った。
自らブラジル移民となり、主に日系一世たちのドキュメンタリーを撮っておられるのだが、その登場人物たちの何とチャーミングで凄みのあること。私が、ある作品に出てくるおばあさんのファンになったら、岡村さんはその方が焼いた陶器をお土産にくださった。聞けば、今でもたまに訪ねているという。作品を作るためではなく、友人として。
これが岡村さんのスタンスである。「登場していただいた方々とこれからどのようにお付き合いしていくかが、僕の僕に対する問い」という。
9年越しの大作「アマゾンの読経」は、日系人の無縁仏を供養し、自らもアマゾンに入水した藤川辰雄さんを追ったもの。岡村さんが日々、取材を越えておつきあいしている人々の膨大な束が、そのまま陰のブラジル移民史として浮ウれている。
岡村さんのお仕事には、業界と私生活といった分け方はない。人生の師である岡村さんと会うたび、私は自分が何かを閉ざしていることに気づかされるのである



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