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ブラジル最東端の夢の島フェルナンド・デ・ノロニア、休暇旅行備忘録(1)
ブラジル最東端の夢の島、フェルナンド・デ・ノロニアに2月18日より27日まで9泊10日の夏期休暇旅行を楽しみました。通常3泊4日程度で充分の所を10日間掛けての休暇は、少し贅沢だったかなとも思いますが、普段不義理をしているだけに女房孝行としては、最適で喜んで貰えました。
今回もPCは担いで行ったのですが、衛星中継による接続は可狽ナしたが、3軒程、見て回ったCAFÉショップは、日本語が読み書きできず自分のPCをLANに接続して貰いましたが速度が遅く役に立たず完全GIVE UP、島でのPCは写真の取り込みと備忘録として使用しただけに終りました。
10日遅れで『私たちの40年!!』MLに毎日送らせて貰いましたが、初日から3日目までをここに掲載しておきます。
写真は、矢張り島の象徴PICOを背景に飛行場到着時に撮ったものを使用しました。


皆さん 大変ご無沙汰しました。
卵zしていたとおりフェルナンド・デ・ノロニアの島ではINTARNETは、全て衛星通信を使用しており繋がったり繋がらなかったりでインターネットCAFEのパブリックの店3軒でTRYしましたが全て日本語が読めず(勿論書けず)『私たちの40年!!』MLのWEBにもアクセスできず仕舞いでした。
2月27日(日)午後10時半に我家に戻りPCに接続して留守中の758通(思ったより少なくて済んだ)のメールを落とし必要な返事を書きMLにアクセスしました。留守中も皆さんの書き込みがあり嬉しく思いました。
完全隔離の島の休暇の様子は毎日1日分ずつを10日間に分けて御知らせする事にします。皆さんのコメント、質問等も一緒にまとめ『私たちの40年!!』HPに3日程度に分けて掲載する積りにしております。皆さんの参加を御待ちします。

2月18日(金)第1日
4時10分起床 PCを接続メールをCHK、2-3返信を出す。『私たちの40年!!』HPとMLにもアクセス。最後?の書き込みをして電源を切る。次は何時、何所で接続できるかと不安になるが一応NOTE BOOKと接続の為のADSLのケーブル、電話線等を持参する事にした。
4時45分 携帯の目覚ましが鳴る。起床嵐闔條ヤ前に目が覚めた事になり起床嵐闔桙ノはPCを切る事が出来、旅の準備を始める。
5時30分 次女、茜を起こし飛行場まで送って貰う。途中の電光時間気温侮ヲ板には気温21度が侮ヲされていた。
6時 VARIGのVIPルームが開きそこで新聞を読みながら時間を潰す。けい子は、寝不足か余り気分が優れぬとのことで何も摂らずに事務所引越し手伝いの時に残しておいた松本清張の『混声の森』を読み始める。私は、カフェーとジュース、チーズパンで腹拵えをする。普通なら直ぐPCを取り出し接続するのだが流石に遠慮して側に座り長い休暇旅行の始まりを味わう。
7時10分 定時より10分遅れてポルトアレグレの飛行場を発つ。機体はボーイングの737で粗満席。リオ、レシフェーと停まり最終目的地ノロニア島まで同じ機体で行くとのことで乗り換えがなく便利である。
9時 リオのガレオン国際空港に到着。まだ朝でもあり気温は26度との事。機内で約30分待ち9時半にはレシフェーに向う。
12時10分 レシフェーのガララペス空港に到着。気温は30度。北に上る程、暑くなる。機体左側の窓からはマセオの町を過ぎてからは、有名な海浜が次々現れ機長がアナウンスして呉れる。残念ながら右側の窓際に席を取っていたので立ち上がって見る程度で写真は取れず。右側の18Lに座っていたので横の窓からは右翼が邪魔で写真は無理だが後ろの窓からは大海原が望め着陸前には必ず機体が位置を替えることを期待して待っていたら着陸態勢に入ってからレシフェーの町が目に飛び込んで来た。しきりにシュッターを切り町の航空写真を撮る。
13時 レシフェーを発ち一路ブラジル最東端の大西洋に浮かぶ島、フェルナンド・デ・ノロニアに向う。機上からは、レシフェー市内の高層建築が建ち並ぶプライア・デ・ボアビアジェンの海浜に並び立つ高層ビルが眼下に見られこれにもカメラを向ける。数年前に家族全員でこのプライアに1週間泊まった事があり懐かしく感じる。
14時過ぎにノロニア島に付く。着陸寸前に目に飛び込んで来たのがリオのポンデアスカール(砂糖のパン)を思い出させる山でこれが島のシンボルのひとつMORO de PICO(突き立つ丘?)で滞在中毎日眺めて過す事になるようである。
小さな田舎飛行場で国際空港の入国手続き同様、島に滞在中一晩に付き幾らと計算して到着時に支払、島を発つ時にその支払証明書を提示することを義務付けているようで長い列に入り滞在証明瑞ソ書(TAXA de PRESERVACAO AMBIENTAL=環境保護税)を記帳し島に滞在中保管、CHK IN時に提示する証明所とお世話になる宿泊所に一枚と支払証明書を発行して貰う。9泊で一人当たり100ドル弱で安くない金額である。観光税の一種。これは島だけで使用する事になっている落Zだそうです。荷物の取り場所が電動のコンベイアーになっておらず運んで来たに荷物を作業員が一つ一つ荷台に乗せ半券と引換えに手渡して呉れるという本土の飛行場では見られなくなった古い遣り方で高い入国税?を取るのだからもう少し改善してはと思うが、考えてみれば時間が掛かるこの方式が島には適しているのではないかと思いました。
荷物を貰い外に出ると機内でアナウンスしていた気温32度よりは、幾分浜風が吹きしのぎ易い感じがするが真夏の気候である。旅行社の案内人と小型バスが待って呉れており荷物を積み込みバスに乗る。荷物はバスが引っ張る荷台を使用、飛行場からの主要アスファルト道路(国道とかでBR363号線との標識が有った)を3キロ一寸走ったVILA FLRORESTA NOVAという地域のPOUSADA DA BELと言う民家に届けられる。4部屋ほどある普通の改造民家で家主のBELさんが息子さんと一緒に経営?している旅籠で朝食つきの簡易旅館です。住処に付いてはもう少し過してからコメントするとして愈々島での生活が始まる。
午後4時頃から町の探索に出る。時間に付いては、本土(大陸=コンチネンテ)と時差が一時間あるが本土が夏時間中は一時間進めているので時差なしとなる。丁度明日2月19日(土)で夏時間が終り20日より一時間の時差に戻る。ポルトアレグレに戻るまで夏時間侮ヲの時計のまま使用する事になる。坂を少し下りると国道に出てそれを渡ると直ぐに真っ赤なFlamboyantの大きな木が飛び込んで来て眼を見張る。このフランボヤンの木は、ポルトアレグレの公園でも季節になれば赤い花を咲かせるが、原産地がアフリカのマダガスカル島と聞いているこの花は、ノロニア島でも映える島の象徴的な花だと思う。このフランボヤンの森を過ぎると島の中心地VILA dos REMEDIOSに出る。島の行政機関(村役場?)、島にある唯一の銀行、BANCO REAL、郵便局、タクシ乗り場等がありその前に教会が有った。階段を下り砂浜に出たら近くの椰子の木越しに見える島々、何とも阜サし難い海の色、歩けばのめり込む足ざわりの砂浜、随所にある波に洗われた黒い石、東の国?の夢の島の名を欲しいままにした景色は、本等に目を楽しませて呉れる。最初の海浜は、Praia do Cachorro(犬の浜)。その由来は知る由もないが確かに1匹犬がいたので犬を入れて写真を撮る。ゴロゴロした石の難所、森を抜けると隣のPraia do Meio(中浜)、直ぐ続いてPraia da Conceicao(コンセイャ唐フ浜)を漁師の周りに集まる海鳥(カモメ?)の群れを見ながら島のシンボルMoro de Picoの麓まで辿り着く。海浜の石の多い歩き難い場所をゴム草履でそろりそろりと迂回しながら真上にPICOを臨みながら次の浜に向うが途中【親知らず子知らず】の難所があり足元まで水が来る黒い石の上を跨ぎながら歩く。途中PICOの麓を迂回する歩き易い場所も有ったが戻りたいと思っても余り遠く来すぎている事に気付き苦労しながら次の浜Praia do Boldroまで辿り着く。二人で小さな征服感を味わう。小さな店があり水を買い喉を潤す。矢張り水が一番貴重であると分る。Boldroの砦からの景色を楽しみ大きなトカゲがいたので写真を撮ろうとしたら逃げられて残念がっていたらトカゲはそこら中におり島で一番蔓延っている事が分る。最初の日でもあり余り無理をせずに旅籠に戻る事にして歩き始める。途中にIBAMA(ブラジル環境庁)の海亀保護計画等を説明した博物館?らしいものを見学するが国道を2キロ半歩くのはきついと思っていると丁度地元の使用旅行社ATALAIAのバスが通り掛かりそれに拾って貰い旅籠まで届けて貰う。午後6時になっていた。夕食は、近くのフランボヤンの森の近くにあるレストランに出向く7時からとの事で少し時間が有ったのでCAFÉ INTERNETEと書いた店に立ち寄りインタネッと接続をTRYするが、衛星通信の状況が悪いとかで繋がらず断念する。夕食は、所謂キロの計り売りのレストランで大繁盛、セルフサービスとの看板もあり外国人を含め50人程の席が粗満席でデザートにアイスクリームがありこれも同じ値段での計り売りでした。ポルトアレグレのキロ売りより幾分高めでしたが、野菜、果物も豊富で大振りの魚のぶつ切りフライが特に美味であった。夕食後何とかインタネットに接続出来ないかポウザーダに戻りCHKしてみたが、ポウザーダの電話は、一回線だけ受付にあり各部屋への切替えも可狽ネようだがPCに接続出来る環境でなく回線を切替えてもらってもアクセスポイントが島にないようで(全て衛星回線によるADSLを使用しているとの事)島滞在中にアクセスするのは無理かも知れないと絶望?的な状況で疲れがどっと出て8時過ぎには就寝する。本日撮った写真が98枚、万歩計は、11034歩を記録していた。

昨日から掲載始めたブラジル最東端の夢の島、ブラジルのハワイ?の二日目の記録です。是非皆さんのコメント等を頂きたいですね。

2月19日(土)第2日目
朝、7時には起き出し今回の旅行で初めてPCを立ち上げる。昨日のポルトアレグレ出発からの経過を書き始める。けい子も8時には起き出し朝食を摂る。アセロラのジュースに普通のCAFÉコースで特別変化なし。
9時から明日旅行社が準備しているCAMINHADA HISTORICAに含まれている島の中心地VILA dos REMEDIOS、要塞址、港とその周辺の廃墟等を歩いて回り約3時間掛けて万歩計で1万2千歩歩く。昨日はゴム草履で苦労したので今日は、昨年妹、多加代が持って来て呉れたヨネックスのスパイクレスのゴルフシューズを履き歩き易くして出かける。帽子を持って来ていなかったので途中でサファリ用の古いキャンバスで作った帽子を購入し着用する。日除けだけでなしに結豪Cに入る。午前中に撮った写真98枚をPCに取り組み12時45分からのバルコによる船旅にでる。
12時45分にポウザーダにバスが迎えに来る。既にバスは満席近く何とか空いた席を見付けて座る。その後幾つかのポウザーダを回り満席で港に向う。港は既に午前中に歩いて見学していたが数多くのバルコが浮かび観光船も幾つも出ていた。乗船券を貰い45人乗りの遊覧船に35名が乗り込み船旅にでる。ノロニア国立海浜公園は、合計21の大小の島からなるノロニア群島を形成しており本島の近くに見える島々の島巡りから始まり本島の内側の海浜に沿って海の方から海浜を眺める船旅は、けい子が北海道の知床岬で似たような景色に遭遇したとのコメントがあり、【知床の岬に浜ナスの咲く頃、思い出しておくれ俺たちのことも】と森繁の歌が口を付く。昨日歩いた海浜を次々海側から眺め良く歩いたものだと感心する。Praia do Bodeでは、サーフィンの国内大会が開かれており沢山の人出で賑わっていた。島の象徴と言われるPICOが何所からも見られ高さ321メートルの山は何所から撮っても写真になる。ゴルフィンニオ(いるか)の住む湾に近づくとエンジンの音を落とし低速航海に入る。見てみるといるかが群れをなして近くを泳いでいた。このいるかの生息地としては世界的にも有名な場所だそうで朝の7時頃毎日いるかが湾に入って来て休息と子供達の養育に時間を割くとの事。朝の5時からのツアーがあることを知りこれもTRYして見たいと思う。
船旅の案内人の説明では、ノロニアからはアフリカ、ヨーロッパの方がブラジルの各都市より近いとの事でアフリカまでが2600km、サンパウロまでが3800km、ポルトアレグレには直線距離でも4500kmは離れている事になりブラジルの国土の大きさとアフリカから漂流して来てブラジルを発見、ノロニア発見500年との事でアフリカの影響、特にマダガスカル島原産のフランボヤンの花が島の象徴の一つとして咲き誇っているのも頷ける。
いるかの群れの観測を終え船は、最後にブラジルで一番綺麗なPraiaと指定されている浜辺のBaia do Sanchoに船を停船させ透明度の高い海の海底まで見下ろしながら魚を観察する。船に乗る前に救命具と同じようなチョッキ式の浮き袋を50kgと65kgの物を借りて持参していたので船が砂浜より離れた場所に錨を下ろし停泊と同時に元気良く飛び込む音がするが、我々は泳ぎが余り得意でなく金鎚に近く海に飛び込むのが不安で船に付いている階段からそろそろ下りる。確かに水が透き通っており色とりどりの熱帯魚が泳ぎ回っておりけい子はポルトアレグレで購入して来た水中眼鏡と口で加える水中呼吸器等を付けて覗いていたが矢張り浮き袋を付けてのぎこちない姿で魚の観測と言った余裕はなく殆ど使用実績が上がらず終い。私は小学校低学年の頃、午後の時間に先生に連れられて香枦園の浜の海浜学校に行った時に耳に水が入り中耳炎を患い毎年夏に成ると海に行く度に中耳炎に罹り慢性化して苦労した経験があり中学以後は殆ど水に入らなくなり高校の頃プールに落ち溺れ死にしそうになり皆に笑われた苦い想い出がある。けい子は、プールではそこそこ背泳ぎ、浮かぶ程度は出来るが血圧が低くブラジル南部の海浜では水温が低い性か水に入ると頭痛と震えが来る事からここ数年海に浸かった事がなかった。最後の水に入ったのは矢張りレシフェーの家族旅行の際にポルトデガリンニア、マセオのプライアで遊んだのが最後だったように思う。水温が高く水が綺麗なノロニアでは、安心して浸かれそうで水浴びも楽しみに一つとして過したいと思うが旨く行くかどうか?
6時過ぎにポウザーダに戻りシャワーを浴びて夕食に出る。島の中は治安が良く安心して歩けるのも嬉しい。犯罪は殆どなく島の住民は、3000人、働きに来たりしてそのまま居着いた人が1000人合計4000人程度が島の人口とのことで残りは常時島を訪ねる観光客とのことです。島の住人は体の焼け方を見れば分るとの事で皆、日焼けして真っ黒である。
本日撮った写真は、合計151枚、万歩計は、午後からは船旅で伸びず最終的には14905歩を記録する。明日もCAMINHADA HISTRICAで8時半から案内人付きの島の歴史探索ツーアに出る嵐閧ナ早めに就寝。携帯電話だけは良く通じるので安心で娘達に電話を掛け情報を交換する。お互いに元気であることを確認し安心する。

休暇旅行の第3日目の記録を送ります。日常とは違う島の生活、宜しければ付き合って下さい。

2月20日(日) 第3日目
携帯の目覚ましを7時に合わせて置いたがその前に目が覚める。今日は、8時半にバスが迎えに来る事になっており、それに合わせて朝の準備をする。朝食のジュースはカジューで少し渋みが口に残る独特の味、タピオカのパンが出る。少しパサパサしているがこれが美味しい。
バスには同じツアーに行く仲間が一部乗り込んでいたが島の中に営業許可を持った131軒のポウザーダがあり各地域毎にバスで集めて回りツアーを組んでGUIAと呼ばれる案内人が一緒に色々説明しながら回って呉れる。CAMINHADA HISTRORICAは、島の歴史を知る旅で港の近くから島の一番古い道路(今もオリジナルの石畳が残っている)を町の中心地VILA dos REMEDIOSまで歩きオランダ人が立てた要塞を訪問する。ノロニア島は、1503年に1492年にアメリカ大陸を発見したアメリコ・ベスプチオが発見したとの事で2003年に島発見500周年を祝ったとの事。
1503年見された後、1504年にこの航海をファイナンスしたポルトガルの貴族FERNAO de LORONHAにCapitania Hereditaria(永代租借権付きのカピタニア)として与えられた。島の名前となったLORONIA卿そのものはこの島を訪ねることはなかったと言う。その後ドイツ人、イギリス人等が島を訪れた記録が残っているが、組織的に一番先に占有権を主張、島を占有したのは矢張りレシフェーの隣町オリンダを拠点にしていたオランダ人との事で1629年から1654年までオランダ領となる。1654年にオリンダのオランダ人を追放した同じ仲間がノロニア島も征服しポルトガル領に復帰、1700年からペルナンブッコ統治の島と成るが犯罪人の島送り程度しか島の開発をしておらずその後も小さなイタリア人の村、エアーフランスの通信基地、1942年の第2次世界大戦のヨーロッパに一番近い拠点としてナタールの米軍基地の出先として島に滑走路が建設されたとの事。これと同時にブラジル政府の正規のTERITORIO FEDERAL(連邦直轄州)として行政府がおかれ1988年にペルナンブッコ州に行政が移されその後は、ペルナンブッコ州の一部として州知事が行政官を指名、任命する事になり現在まで続いているとの事。
到着日の18日に既に歩いた海浜を皆で説明を聞きながら歩く。島特有の植物は少なく本土、アフリカ等から持ち込まれた植物が気候にあうものが生き残り現在の島の植物図を形成している。2月と8月の年に二度咲くというマダガスカル島原産のフランボヤンの赤い花が目を見張りフランボヤンの森には赤い絨毯が敷き詰められた感じで見事な景色でこれは赤い花びらが空気が乾燥している気候から腐る前に乾燥し色鮮やかな枯葉に成るからだとの説明をして呉れる。
島の一つの象徴にもなっている150年近く経っているというガメレイラと言う大木があり皆、その前で記念写真を撮っていたが細い毛のような紐が木の枝から何重にも垂れ下がりそれが大きく太く成長し親枝を支える為に地上に根を下ろし一つの木に育つとの事で見れば親木の枝に何本もの子供の木が生えておりそれが全体で1本の木になっている不思議な木で直径が10メーター近くなっていた。森のように聳えており大きな日陰を提供している。自然の妙といえよう。
もう一つ面白い現象として要塞の近くにあったタマリンドの大木が要塞に向けて吹き付ける海岸よりの強風に逆らわず枝を全て城壁側に大きく広げているのが見られたがこれも風と云う自然と共生している生活の知恵だと感心する。
ブーロ・レイテイロと言う木があり緑色をした綺麗な葉っぱの先の方の両側に刺が出ており鋸状の葉が広がり案内役のエンリッケさんがその葉をちぎり半砕した所、中から白い乳液が出てきた。この乳液は、非常に有害で肌に付けると火傷すること、間違って目に入れると失明する恐ろしい葉っぱとの事でやたらに葉を千切り目を擦ったりしないようにと注意される。
CACHORO、MEIO、CONCEICAOの海浜は既に歩いていたが時間により潮の満ち干が激しく様相を一変させる。昼前にツアーを終え一応ポウザーダに戻るが、途中ATALAIA社の観光斡旋所事務所に立ち寄り残りの島の観光を垂オ込む。2月22日(火)14時30分 船に引っ張って貰い水中の魚、海底を覗くMERGULHO A REBOQUE 2時間コース R$70,00/一人、2月23日(水)TRILHA ATALAIA 1日の訪問許可旅行者が100名と環境保護のためにIBAMAにより制限され管理されているとの事でGUIAが着いた10名までの車による団体を順次許可するとのことで通常2時間程度は待たされるとの事で潮の満ち干にも影響されることから出発時間は未定との事。前日になれば知らせて呉れる。2月24日(木)は朝暗い内の5時出発でいるかの群れがいるかの湾に入って来るのを観察に行く事にした。3プログラム締めてR$280,00〈二人分〉をカードで払う。 
ポウザーダの近くにある新しいレストランを見つけて簡単に昼食、午後再度プライアに水浴びに行く。粗午前中に歩いた所を歩いて回るが途中Praia do MeioとConceicaoで水浴びをする。大きなクルーズ用の船が停船しており小さなランチがしきりに動き回っているが見える。外国人が多いとの事で町のなかでも外国語が氾濫しており耳慣れない言葉が飛び込んで来る。海浜は潮の満ち干で大きく様相を変え午前中黒い石の浜、橋になっていた所が水没し波を立てている。変わらぬ景色は島の何所からでも見えるPICOとコバルト色の海、咲き誇るフランボヤンである。
夜は近くでセルフ・サービス。帰路少し雨が降り土の香りが立ち上がるが濡れる程にならず3月から本格的な雨期に入るその前触れとのこと。
写真撮影は、158枚、 万歩計は、14626歩を記録。




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