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ブラジル最東端の夢の島フェルナンド・デ・ノロニア、休暇旅行備忘録(3)
フェルナンド・デ・ノロニアの休暇旅行の第8日目から10日目までの記録です。少し饒舌に過ぎるかとも思いますが他愛のないこのような休暇の過し方を経験する事が少なかっただけに変わった形の時間の過し方、今後の為にも参考になる二人だけの休暇、実生活に戻り10日以上も過ぎた現在も島の生活が続いているような錯覚を感じる島の生活でした。
写真は、島の象徴の一つ双子島を使う事にしました。


残り3日となりました。今日もお付き合い下さい。
2月25日(金) 第8日目
朝9時にこれまで観光用のバス、バンで回った場所を自分で回るために車をレンタルする事にしてポウザーダまで届けて貰う。島では乗用車がなく殆どがBUGGYと言われる簡易ジープでこれを1日半36時間借りる事にした。ガャ潟淘繧除いて1日でR$110,00との事。難しい手続きはなく前日に電話で頼んで置くと届けて呉れる。
何時のように7時には起きだし朝食を摂る。本日のジュースはゴイアバのジュースで桃色のジュースに少し甘味を添えて飲むと美味しい。島には殆ど果物、野菜も採れず(特に乾燥期)全て大陸から運んで来ているとの事でメロン(香りの良いマッカ瓜)、パパイア、スイカ、葡萄、りんごが並びハム、メ[セージ、チーズ等もあり本土のホテルの朝食に引けを取らないものが用意されている。特にタピオカの粉で作った中にココ椰子の実を削った白いパサパサしたココの粉を挟んだパンが美味で毎朝これを食している。今日は葡萄のジャムを上から塗り一緒に食べたらとてもいける朝食となる。食するものの写真を撮って置く。我々は4号室を使用しているが前の顔を合わせる3号室の客は、今朝また変わっており娘さんを連れた親子3人組が入っていた。到着当時は、日本の千葉で行われたサーフィンの世界大会にブラジル代浮ナ行った事のあると云うサーフィニストでブラジルの選手権が先週の土曜日まで行われていたのに参加するために小さな子供を連れて親子3人連れで来ていた。子供の夜鳴きが聞こえなくなったと思ったら若い二人ずれのカップルに代わり今朝から親子3人ずれに変わっていた。通常の島の見学は、2泊3日か3泊4日で充分であり、我々の9泊10日は、少し長すぎる感じがするが、残り3日間を充分楽しむ事にする。
9時に頼んでおいたレンターカーのBUGGYが来ないので再度電話で問い合わせて貰う。昨日通知した1日100レアイスより10%UPの110レアイスで良ければ直ぐに持って行くとの事で再確認を要請して来た。10レアイスは、ポウザダの手数料として支払うらしい。10時少し前に女性のセールス担当者が車を持って簡単な垂オ込み用紙に運転免許書番号等を記入したものに署名して手続きは終了、一応明日の夜10時までの1日半借りる事にしてR$165,00を小切手で支払う。ガャ潟唐ヘ、赤い印しのレゼルバを示しており使用希望分だけを島唯一の港にあるPETROBRASのガャ潟塔|ストで給油して使うようにとの事で1日半乗り回しても25レアイスは使用しないだろうからそれを目安に適当に給油するようにとの事だったが念のため40レアイス(約12リットルX5kmとして60キロメーターは走れる?)を給油して走り出す。走行距離を示す指示器は、32864kmで止まっており幾ら走っても動かない。エンジン始動は、鍵を差込隣りのボタンを押しながらアクセルを踏むとブルンブルンと大きな音を立てて始動する。ブレーキが高くクラッチも高い位置にありシートベルトを締めるとサイドブレーキを外すのに苦労する。先ず車に入るのにドアがなく足掛け台もなく苦労する。普段のドライブでは運転が好きで取り合いと成るハンドルをけい子は見向きもしない。そんな重ステ(パワステアリングのHONDAのCIVICを運転しなれているものに取ってはほんとにハンドルが重い)は運転したくないとの事で色々運転に注文を付けながらコパイロットを勤めて呉れる。ブザーだけはちゃんと鳴り、ブレーキもサイドブレーキは余り利かないが満足で島のなかで乗り廻す分には問題がないと判断する。
午前中は、既に行った事のあるPRAIA de LEAOに緑の亀が上がって来ていないか探索に行くが矢張り産卵時期が過ぎてしまっているようで見られず。もう直ぐ小亀が孵るIBAMAのプロジェクトTAMARの卵所在地を示す杭の写真を撮り諦めて戻る。途中でバス観光では行っていなかったMIRANTE de CARACASとFORTE de SUESTEに立ち寄りトレッキングする。SUESTEの砂浜で水浴びをしてMAR de DENTROのブラジルで一番綺麗な海浜と言われているBAIA de SANCHOに行き70メーターの高さからの海浜の眺めとその後岩と岩の間にある梯子段を下りて海浜にでる。昼過ぎの時間で人も疎らで旨く待たずに上り下りが出来る。持参した水中眼鏡と水中呼吸器を着け天然プールに潜り色取り取りの熱帯魚の生態を観察する。このスポーツは、シュノーケリングと言う名が付いているそうで画像掲示板の関船長さんの書き込みで知る。私は、珊瑚礁の上に座り近くに来る魚や蟹を眺めて過す。
午後、一応ポウザーダに戻り遅い昼食を摂り休息する。けい子は読み始めた神山さんの【勝負あり】が気に入りハンモックにぶら下り読み耽っていたが4時過ぎからまたBUGGYで海浜に出かける。
昨日歩いて回った道を反対にVILA dos REMEDIOSの中心地から各プライアを回ってBR363に出てPRAIA do BODEに行くが5時半には誰も浜にいないので不思議に思ったらIBAMAがこの浜は亀の産卵期は夕刻6時から翌朝まで立ち入り禁止区域に指定しているとの看板があり納得する。6時前にその場を立ち退き一先ずポウザーダに戻る。明日は朝からGOLFINHOを見に行きBAIA dos PORCOSを潮の満ちない間に岩伝いに行って見ようと相談する。
夜はBUGGYを借りているので足があり、港の近くにある島唯一の日本食店SUSHI BARを覗きに行く。オーナはレシフェーの大学で水産大学を卒業したとの事で大学の先生が日系人でレシフェーでやはりSUSHII BARを経営しているとかでそこで勉強させて貰い島で始めたとの事。先日夕食に行ったクレペリアの経営者でもあるとの事で水産大学を出て島でSUSHI BARを経営している変わり者。寿司マンは、レシフェーから来ているブラジル人で器用に刺身包丁を使いこなす。ネタは、マグロと白身のカバーロは、ノロニア島の近くで取れるが蛸と蟹カマは、レシフェーから運んで来ているとのこと。蛸は歩いていても見つける程、ノロニア島には多いのにどうして遠くから運んで来るのかと聞いた所、IBAMAが蛸漁を禁止しており島では蛸を取っては行けないとの事。(繁殖期だけに限るとの説明を後日受ける)。2001年にUNESCOの世界自然遺産に指定されているが島の環境保全にはIBAMAが隅々まで監督しており、島の立ち入り禁止区域、トレッキングの許可区域、亀、GOLFINHO、鮫、蛸、蟹、蜥蜴、各種野鳥まで保護政策を立てて実施している。人口制限、車の台数制限、ポウザーダの数制限と観光客の健全制限もしており、フライトの本数、船による訪問等も登録制を取り管理している。BUGGYを運転していてもラッシュアワーもなく安心して走れる。明日もう1日車を中心に過す嵐閧ナあるが、夕食後9時から始まるIBAMAの夜の講義を聞きに行くが講堂は満員で据わる場所も見つからずお土産とどうしても欲しかった魚の図鑑【潜水時に首にかけて潜る下敷き状のもの】を購入する事が出来満足してポウザーダに戻る。
本日撮った写真は132枚。万歩計の歩行数は、BUGGYを使用したことも手伝い少なく12176歩。

長かった休暇と休暇報告の日誌も愈々明日で終わりです。
今日のポルトアレグレは、昼間は32℃まで上がりノロニア島並みの気温で朝夕涼しくなって来ているとは云えまだまだ暑いです。島で出会った大雨、スコールがポルトアレグレにも来て呉れると良いのにと望むことしきりです。
近くの公園には、俗にブラジル桜と呼ばれているパイネイラの花が満開で夏の終わりに咲く桜?遠くから見るパイネイラの大木は本当に桜の花に見えます。
もう一つポルトアレグレの街路樹として沢山植えられているのが赤いエストレモーゾと呼ばれる赤いピンクの花、日本では百日紅(サルスベリ)と呼ばれている花が咲いており新事務所の前にも咲き誇り会社設立の時期に咲くジャカランダと引越しの時期に咲くこの百日紅を特別の花として扱いたいと願っています。

2月26日(土) 第9日目
愈々、休暇も終わりに近づき今日、明日の2日間を残すだけとなった。昨日借りたBUGGYを走らせ島の探索を続ける事に成るが狭い島だけに見ていない場所がなくなりリピートとなる。先日、早起きしてTRYしたいるかの岡は残念ながらいるかの入場が見られず終いとなているのでそこから見学する事にする。
何時もの通り7時には朝食を摂る。ジュースはアセローラ。ビタミンCを供給しタピオカのパンにゴヤバのジャムをつけて腹拵えを終えて出発する。
夜半に雨が降りBUGGYの席は水溜まりが出来ており雨足の強さを感じる。朝から曇り空で一雨来そうな頼エがする。
先日は、暗い夜道を歩いたが今日は、既に明るくなっており7時半頃にいるかの岡に着いた所、IBAMAのTAMAR計画による看視役のロベルタさんが頑張っておりいるかの様子を聞いた所、今日は300頭以上が入ったが既に出始めており湾内には居なくなっているとの情報。理由は、今朝方島に強い雨が降り湾内の水が濁っておりいるかはこれを好まず外海の綺麗な水のところに何時もより早く出て行くとの事で双眼鏡を借りて覗いてみたがそれ程詳細には見えず余り感動は沸かず。それでもいるかの岡からBAIA do SANCHOまでの海辺に沿ってのトレキングは、最高で50M-70Mの切り立った断崖に沿って下の海浜、色々の様相を現す島々を眺めながらの散策は最高で特に双子山の景色が絶景である。一回り2キロ半のトレッキングコースを終え車で隣りのPRAIAであるPRAIA da CACIMBA do PADREに行きそこから歩いてBAIA dos PORCOSまで行く。この海浜は、潮が引いた時しか砂浜が現れず毎日数時間しか訪問出来ない砂浜で丁度干潮時にあたり訪問する事が出来た。途中に天然プールが幾つも出来ておりその内の一つに足を浸けると魚が側に寄って来る。けい子の足元に群がる魚を上から撮る。透明度が抜群で海底近くを泳ぐ魚が上から旨く撮れるのは驚く。黄色と黒の縞模様のあるSABERE又はSARGENTINHO【小さな軍曹さん=肩の黄色と黒の縞模様からの連想?】というのが多い。赤い島模様のある魚も写真に収めるが名前は分らない。CACIMBA do PADREの出口にある双子の兄弟で遣っている店に立ち寄りココナツの水を飲む。珍しい椰子の実の一種を拾い集めて来たので試して見るように薦められプチトマトより少し大きめの実を口の中に入れると甘い味と繊維質に被われた大きな種があり皮を食べる金柑のような感じの果物で次々口に掘り込む。店の名物とかでBOLINHO de TUBALHAUとかが美味しいので食べて行けと薦められそれを注文したが、普通のバカリャウ【たら】で作る肉団子のフライを鮫の肉で作った物との事でツバロンで作ったバカリャウとの意味でツバリャウと名付けたと自慢そうにしていたが味は鮫の肉と聞いていた性か少し生臭い感じの味でそれ程美味でなく7個の内5つを平らげるのがやっとで2個残してしまう。昼になったので一応、ポウザーダに引き上げる事にした。車のエンジンをかけるのを見計らって日焼けした青年が車に近寄りサーフィンボードが折れたので取替えに戻るので途中まで乗せて欲しいとの依頼を受け乗せてあげる。島ではカローナ【便乗】は普通のようで頼まれれば断る人はいないようです。
午前中の部だけで写真を148枚撮る。崖の上から50メーター近い大木の頂上に近い部分に巣を張っている海鳥の巣窟がありズームでパチパチやる。そこそこ取れたし天然プールでけい子の足に群がる魚の写真も撮れた。既に島で撮った写真が1000枚を越した。日本から来た出張者の方が残して行って呉れたGEORGIAと言う珈琲を買えば呉れるという万歩計が何度も着替え時に落としたからか電池が弱くなったのか歩く歩数より少なくなり2-3歩に一度とか大きく動いた時だけに歩数をマークするようで4キロ以上歩いた朝の部で1331歩のみ。借りてる車もスピード計と距離メーターは動かず未だに借りた時の32864KMが1kmのみ動いただけで島の時間、距離全てがゆっくり動いている感じがする。昼食後写真の取り込みと編集、備忘録を書いたりで3時まで過す。夕刻よりまた車での最後の島探索に出る。VILA do 30経由、飛行場からBAIA do SUESTEに向けて走る。明日乗るVARIGのポルトアレグレ行きの機体が見え乗客が飛行機に向っているのを見ていたら急に大粒の雨が降り出し横から雨が吹付け始める。BUGGYにはドアがなく横側は、全てオープンで雨がもろにかかる。夏の夕立のようにあっと言う間にびしょ濡れになる。島の雨は降ると土砂降りと聞いていたが聞きしに勝るスコールで水着のけい子の席には雨水の大きな溜まりが出来る。私は半ズボンでこれが水を吸うのか水溜りまでは出来なかったが本当にびしょ濡れになる。ワイーパーが動くのか心配していたが何とか片方だけは、動きライトを点けてポウザーダに逃げ帰る事にしてSUESTEより逆方向に走り出す。大雨の中を吹き付ける雨に身を任せ、目を擦り擦りスピードを落とし何とかポウザーダの近くまで戻って来ると何と宿の近くは地面が少し濡れた程度で土の匂いが立ちあがっている。飛行場近くの豪雨が信じられない。振り向くと大きな雨雲が見られまだ降っているようだ。乾燥期の夏の終りから雨期の冬の到来で島も観光客が落ち込む時期に差し掛かっており島の人達は敏感に季節の変化を嗅ぎ取っているようです。最後の水浴びがポウザーダのシャワーに化けてしまい。濡れ着を着替えた頃、VARIGの発つ音が聞こえて来た。大雨で荷物の積み込み等に支障を来たしたのか定時より一時間以上遅れての出発となった。我々の明日の便はどうだろうか?気に成るところ。。。。
南国のスコール宜しく雨は直ぐ上がったようなので再度BUGGYを掴み雨にあった同じ通を辿りSUESTEまで行く。大雨の後で流石浜には人がおらずこれ迄走った事のない唯一の道であったATALAIAの海浜に通じる道を走るがIBAMAの管理門の前まででそれ以上行けず途中からから戻って来る。飛行場に直接抜ける道を取り飛行場に出る。本日の最終便の地方航空会社のTRAP便のNATAL行きが出るところで写真を撮り見送る。双発の飛行機でJETと違い懐かしいプロペラの音が耳に心地よい。リオーサンパウロのシャトル便で大分前まで使用していたのと同じ機体であった。
他に走る所もなく再度ポウザーダに戻り車を返すよう頼んで置き、歩いて町に出る。中心地を過ぎ最初の日に歩いた道を辿りPRAIA de CACHORROまで下る。満ち潮で波が階段の近くまできており10日前の夕刻に比べると砂浜もない満潮時に変わって来ており月日の経過を感じる。大陸ブラジルと連絡が途絶え9日間、信じられない別世界での生活も明日で終りVARIGの飛行機に乗るとレシフェー、リオ経由7時間でポルトアレグレに着き、現実の日常生活に戻る。けい子も3月から授業が始まり3月2日の水曜日には新学期最初の授業があるとの事、私も28日(月)からは、仕事に追われる毎日が始まる。
PRAIAの帰りに市街地のレストランで島最後の夕食を摂る。蛸のバイヤ風料理でデンデ椰子で味付けした私の好きなクエントロの葉が入った料理でご飯、ファロッフア(マンジョカの煎った粉)に蛸をブツタ切りしたCALDO(汁)を掛けて食べるブラジル料理でこれが潮風を受けて日焼けした身体にピッタリの料理でビールを飲みながら長かった?休暇の復習をしながら今度は何所にしようか等他愛もない話をするのは休暇の醍醐味。丸紅勤務当時とは違いさわやか時代は、娘達より『ママを大事にする事』、仕事を忘れてのんびりする事が会社の命令で遠慮せずにそれを押し通している。昔は家族全員で何所にも一緒に出かけていたが最近では3人とも自分達の選択がある事と出来るだけ二人にして置いてやりたいとの配慮が働くのかめったに一緒の機会が少なくなって来ている。完全な子離れ、親離れが出来たのかも知れない。淋しい気もするがそれが自然でこれからは二人の時間を大切にして行きたいというのが今回の旅行の結論のようである。
撮った写真は、合計197枚。万歩計は、距離換算18688歩。

長かった10日間、やっと今日で終わりです。実際の島での生活と約10日間のずれがあり島から毎日送れる環境にあればもっと臨場感があり直ぐにもコメントを頂いたり違った展開も有り得たのではないかと思いますが、一応島での生活を時空を追って書き残せたのではないかと自己満足している次第です。
明日は、番外編として幾つかコメントする積りですが何か御質問、コメント等を頂けると大変嬉しいです。
長らくお付き合い有難う御座しました。

2月27日(日) 第10日目(最終日)
何時ものように6時過ぎには目が覚める。最後の島の一日もポウザーダの朝食で始まる。今日のジュースはまたGOIABAであった。パイナップル、マンゴ、パパイア、マッカ瓜、スイカ、葡萄、林檎等が毎朝最低4種類は並んでいる。どうしたものか今朝は、タピオカのパンがなく残念。島最後の食事に町の中心地にあるタピオカ専門店が美味しいタピオカを食べさせて呉れるとのことでTRYして見る事にする。夜半に雨が相当降ったようで地面が濡れており軒下に吊るしているハンモックもぐっしょり濡れていた。朝から曇り空で雨期の到来を感じさせるが最後の日でもあり8時頃から歩きに行く。最初の日と同じ道順でPRAIA do CACHORRO、PRAIA do MEIO、PRAIA da CONCEICAOと海岸伝いに歩く。最初の日はそこから岩伝いにPICOの裾野を歩いたが今朝は潮の関係で危険とのことで断念して国道に出て歩いてポウザーダに戻る。約二時間の朝の散歩と成るが汗でびっしょり浜風が心地良いが歩くのもこれが最後と思うと苦行にならない。
砂浜で投網で鰯を捕って鱗を落とす作業をしていた島の人の側に沢山の海鳥が集まり鰯を狙っていた。近くの海鳥を写真の収めていたら空を飛ぶ大きな別の海鳥が頭上を旋回しこれもバケツの中の鰯を狙っているとのことで漁師がナイフの先に鰯を指して腕を上げると近くの海鳥が急降下してさっと鰯を咥えて行く。素晴らしい曲芸を見るようで折角網で取った鰯を散財させてしまったがけい子が喜ぶの見て何匹も餌として曲芸を見せて呉れる。礼を言って浜辺を去ったが、こんどは岩場で砂浜が波に覆われ岩場の近くまで波が来ており濡れないように岩場を歩いたが岩場には碁石になりそうな黒い丸い石から緑の石、レンガ色の石、硬い貝の欠片と色々な波に洗われた石ころがあり記念に幾つか広い集める。我家には旅先で拾い集めた石ころ類がわんさと転がっているがノロニアの石は格別のもので島の子供に石を集めさせて纏めて日本に輸出すれば庭師ならずともノロニアの石なら喜んで買って呉れる人がいるだろうになんて考えるのは30年以上貿易の仕事に携わってきたものの性(さが)、片時も忘れず商売の種を探しているのに気付き苦笑する。帰路お土産やさんにあったペルナンブッコ州の銘酒として名高い海老の絵を商標にしたPITUのピンガ(サトウキビの焼酎)が目に付き東京の吉祥寺にあるブラジル料理を食べさせる店、ランショネッテ・アルボラーダの黒澤さんから探すようにとの注文を受けていたことを思い出しノロニアの島でPITUの缶入りピンガ1ダースを購入しポルトアレグレに持ち帰る事にした。何と一缶R$3,50 ポルトアレグレの倍近くする。これが今回の旅行中の唯一の商売の種?といえるもので黒澤さんに喜んで貰えたらと思う。
10時から11時半まで撮った写真の取り込み作業とこの備忘録を叩きながら過した。
昼食は、今朝タピオカパンが出なかったのでVILA dos REMEDIOSの中心地にあるタピオカを食べさせるところまで歩いて行く事にした。何時も前を通る時は、人だかりで賑わっていたが今日も日曜日でお休みの店が多い中、営業していた。古い汚い普通の民家にフォゴンに鍋を置いて見ている間に注文したタピオカを作って呉れる。毎朝食べていたのは白いタピオカパンの中にココナツの擦ったものが入っているシンプルなものでしたが、この店では特性のタピオカの粉(マンジョカ芋の粉を篩いにかけて小さな粉にするのがコツとか)を暖めたフライパンに大きく満遍なく広げ少し暖めると薄いホットケーキのような白いパンが出来そこに果物、乾し肉、サラミ等甘いものと塩辛いものを入れて客の好みに合わせて作って貰う。1枚(1個?)がR$3,00(1ドル弱)で二つも食べるとそれ以上はもう食べられない、バナナにカネイラをかけたタピオカに干し肉のタピオカを頼んだがタピオカは、矢張りCOCO RARADOのシンプレスで真っ白でサラサラしていて口に粘りつく感じのするのが最高だと思う。サルバドールのホテルでもバイアナの衣装を付けた給仕さんがその場で焼いてくれていたのを思い出し、この次はサルバドールでも是非試して見たいと思う。
タピオカによる島最後の食事を撮り、急いでPOUZADA do BELに戻り、帰国?の準備をする。同じブラジル領土内の島なのに本土ブラジルに帰国すると云った感覚が可笑しく感じる。島での最後のシャワーを浴びるが、シャワーは、電気でなく太陽光線を利用した太陽熱によるお湯でこれが非常に熱い。水を混ぜて浴びないと焼けどする程(50℃以上?)のお湯が出る。島ならではのシャワーに大変お世話になった。荷物の準備が出来上がり、午後1時35分(VARIG便出発の2時間前)に旅行社の送迎バスが来て呉れるまで宿の主人BELさんと話し込む。ご主人とは3年前に別れたとかで元のご主人は、BELさんと3人のお子さん(二人はレシフェーで勉強中との事)に現在のPOUSADA do BELを残してBUGGY(タクシー用の車)だけを持って出て行ってしまったとの事。島では新しい車の所有許可が取れず元のご主人は車一台で何とか生活が出来るとの事でした。
飛行場行きのバスは定時にやって来て多分また来る機会はないと思う宿のBELさんとお別れの言葉を交わし飛行場に向う。
飛行場では到着時にTAXを支払滞在許可証明書を貰っていたがそのオリジナルを提示、コンピュターの識別機を通し確認をする。VARIGの窓口ではレシフェー行き、リオ行き、ポルトアレグレ行きに分けて搭乗券を準備しており一番少ないポルトアレグレ行きの薄い束から搭乗券を取り出し手渡して呉れる。荷物を預けてしまうとする事がなくVARIG便の到着を待つ。飛行場の周辺の温度は32℃で待合室は空調が付いているとは云え暑く汗がにじむ。3時35分に嵐闥ハりノロニア島の飛行場を飛び立ちレシフェーに向う。レシフェーの飛行場の温度が30℃、リオのガレオンも暑く30℃、夜10時過ぎにポルトアレグレに到着したら22℃と少ししのぎ易く感じる。矢張り次女の茜が迎えに来て呉れたが、マット・グロッモノ行っていた長女、弥生がクヤバから路線バスで36時間掛けて粗、同じ時刻にRODOVIARIAに付いたとかで一緒に飛行場に来て呉れる。久し振りのポルトアレグレ。この町に住んで居て良かったと何時も旅から戻ると感じる。学生の頃、神戸に戻り三宮駅から緑の市電に乗ると故郷に帰って来たとの気がしたが、今ではポルトアレグレの飛行場に着くと自分の町に戻って来たとの気がする。長かった10日の休暇も終りまた明日からポルトアレグレに於ける通常の生活が始まる。リフレッシュした新たな意欲と次ぎえの挑戦に。。。。長い間お付き合い頂き有難う御座いました。



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