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「おいやんのブラジル便り」真砂 睦さんの【黒潮タイムズ】掲載ブラジル便り(7)
真砂 睦さんの「おいやんのブラジル便り」は、真砂さんがブラジルに滞在中に郷里和歌山の【黒潮タイムズ】に掲載する事になっており後数ヶ月で任期満了帰国となればどうなるのか心配な連載ですが、お忙しいお仕事の傍らブラジルが直面する諸問題を取上げて分り易く説得力のある論調を展開しておられ楽しみにしています。今回掲載の〈その43&44〉は、ブラジルのUNESCO指定世界遺産の一つオウロ・プレットの町が景観を乱す無秩序な民家の拡大によって、遺産の認定が剥奪される寸前まで追い詰められていると警鐘をならし、昨年「紀伊の霊場と参詣の道」としてUNESCOの世界遺産に指定された郷里の熊野三山の保護、発展を望み「熊野・歴史文化検定試験」制度を立ち上げてはどうかと提唱する。これは真砂さんが帰国後も郷里和歌山のために継続して行ける課題であり是非実現させて欲しい。これ迄以上に熊野詣でが活発になる事が卵zされそれだけに地元の皆さんの自然保護、世界遺産を守る努力が求められる。
今回、休暇で2001年のUNESCOの世界自然遺産に指定されたFERNANDO de NORONHAを訪ねましたが、IBAMA(ブラジル環境庁)を中心とした観光と相容れない自然を守る為の多大の努力を真の当りに見る機会があっただけにその難しさと観光と共存する形でのあの島の自然を何時までも保って欲しいと切に願っている次第です。ということで今回は世界自然遺産の島の写真を使用しました。


「おいやんのブラジル便り」(その43)         2005年2月9日
リオ州の北、サンパウロ州の東隣にミナス・ジェライスという大きな州がある。日本の技術と資本の支援でできた、ウジミナス製鉄所がある所である。その州の南部の山間に、ゴールド・ラッシュでできたオウロ・プレトという古い町がある。金山は17世紀末に発見され18世紀中頃に最盛期を迎えた。この地域一帯で採掘された金の量は、18世紀の全世界の産金量の実に85%を占めたと言われ、当時のブラジルの富と人口が、リオから500キロも離れたこの山間の僻地に集中した。一山当てた金満家達は、大金をはたいてきそって教会を建てた。当時ヨーロッパを風靡していたバロック様式の教会が、僻地の狭い谷間をうめていった。地元生まれのアレイジャジーニョという天才彫刻家が、教会の正面外壁や内部を彫刻で飾り、同じミナス生まれの宗教画家・アタイ<fが、教会の天井に極彩色の天国世界を描いていった。装飾には有り余る金がふんだんに使われ、薄暗い教会内部でにぶい黄金色をはなっている。こうして遠くヨーロッパ生まれのバロック様式の建築群が、地元生まれのアーチスト達によって産金地帯に再現された。こうした建築物は、文化史上「ミナス風バロック」とよばれている。民家も当時のポルトガルの家々とそっくり同じで、アラビア伝来の飾り窓、白い壁に赤茶色の屋根瓦で統一され、道路はくまなく石畳である。金の生産は新世紀を迎える前に終りをつげた。多くの人々は産金地帯を去っていったが、18世紀「ミナス風バロック」建築群に囲まれた、オウロ・プレトの街は残った。谷間の朝霧のなかで静かに佇む18世紀の街並みは、今も幻想的な風情をかもしだしている。1980年、ユネスコはオウロ・プレトを貴重な歴史的遺産と認め、街全体を「世界遺産」に認定した。以来20数年を経た今、街は深刻な問題に直面している。人口が増え、旧市街をはみだした人々が、街をとりまく山の斜面に無秩序に住み始め、ミナス風バロックの風情豊かな旧市街にそぐわない、粗末な住居に取り囲まれてしまったのである。事態を重く見たユネスコは、昨年現地に調察団を派遣し、査察を行った。その結果、市当局に対して無秩序な民家の拡散を防ぎ、世界遺産の景観と環境を保護するために、緊急に都市計画を策定、実行に移すよう要請した。このユネスコの要請に応えられない場合は、「世界遺産」の資格が剥奪される。オウロ・プレトは現在、市長が先頭に立って、市の環境整備に全力で取り組んでいる。ひるがえって我が紀州は、昨年「紀伊の霊場と参詣の道」が世界遺産に認定され、高野山と熊野三山を要とする広い地域が遺産に組み込まれた。遺産となるのは建物だけではない。信仰を生み、紀伊山地の風土を育んだ豊かな自然も重要な主役となる。なかでも田辺市は今度の合併で、「熊野のヘメvである本宮大社、熊野古道のメイン・ルート「中辺路」、日本最古の温泉郷・湯の峰をそっくり市内に抱え込む。つまり田辺市の大半が世界遺産に組み込まれることになったのである。「中辺路」と「大辺路」の分岐点で、熊野三山を統括した別当の本拠地であった田辺市街から、本宮大社に至る古道・中辺路を囲む広い地域にわたる景観・環境の整備や、熊野の森の植生の保護・再生に重い責任がかかってくる。熊野はもう紀州だけのものではなくなったのだ。(次号に続く)

「おいやんのブラジル便り」(その44) 2005年2月12日(前号から続く)
18世紀の黄金の都、オウロ・プレトは、「世界遺産」の景観を乱す無秩序な民家の拡大によって、遺産の認定が剥奪される寸前まで追い詰められている。後輩の「紀伊の霊場と参詣の道」にとっても他人事ではない。戦いはこれから始まる。熊野の霊場は、高野山の弘法大師、比叡山の最澄といった特定の聖人によってひらかれたものではない。熊野の信仰は、名もない庶民が育んだ。信仰の対象となったのは、自然そのものであった。地を圧する巨岩、昼なお暗い鬱蒼たる森林、天をつく滝など、自然への畏敬から人々が信仰を育んだ。中央から遠い辺境の地の、厳しくも豊かな自然が熊野の信仰を生み、熊野の風土を作った。ユネスコは、他でもないその熊野の自然が生んだ信仰の世界を、人類の文化遺産として認定した。つまりそれは、「熊野の豊かな自然を大切にしなさいよ」というメッセージなのである。そう、それはまさに紀州が生んだ天才、南方熊楠の主張そのものではなかったか。熊楠は人生の後半を田辺に居をかまえ、熊野の照葉樹の森や田辺湾・神島の亜熱帯植物群の中に分け入り、微小生物・粘菌の生態研究に没頭した。その微小生物の研究のなかで、粘菌が生存できるための森、森が生存できるための植生、それらが相互に関連しあって、微小生物も動物も植物も、ひいては人間にとっても生存に不可欠な生態系が作られていることを喝破した。熊楠は1世紀近くも前に今で言うエコロジーの概念を確立し、エコ・システムを守ることの大切さを訴えたのである。そして熊野の多彩な植生が織りなす貴重な生態系を守る為に身を呈して闘った。その熊楠の訴えは、100年近くたった今、「世界遺産」の認定という形で、世界の識者の後ろ盾を得たのである。くり返すが、熊野の信仰に聖人は居ない。特定の宗派もない。だから誰でも受け入れる。11世紀の昔から、男女をとわず夥しい数の貴族・武士・庶民が熊野の霊場を訪れた。そうして再びかつての「熊野詣」の賑わいを取り戻そうという今、おいやんにひとつの提案がある。「熊野・歴史文化検定試験」制度を立ち上げてはどうかということだ。東京の友人の話では、京都や東京では既に実施しているそうだが、それの熊野版だ。地域の地理歴史・自然・史跡・風俗習慣・神社仏閣・伝統工芸・地方料理・祭り・伝統行事等の知識を問う試験で、3級〜1級のランクをつけ、毎年全国から受験者を集め試験を実施する。試験問題は、田辺・中辺路・本宮・新宮・那智など熊野地方の識者や語り部に作成してもらう。1級まで登りつめた方には、「熊野大使」として各地域で熊野の宣伝に力を貸してもらう。かつて「蟻の熊野詣」を支えた「熊野比丘尼」の再現である。とにかくまず、多くの人々に熊野に興味をもってもらい、外から人を呼び込む為の仕掛けを作ることが大事である。「京都検定試験」には全国から毎年1万人以上の受験者が集まるという。地域の活性化に絶大な効果があろう。世界遺産として注目を集めている今がその時である。田辺市は、かつて熊野三山を統括した別当家、エコロジーという概念を世界に発信した南方熊楠家を擁し、今又「熊野信仰の原点・本宮」を迎え入れる。田辺市民こそが、熊野蘇りの為に音頭をとるべきであろう。「田辺の人らよ、いっちょう、腹を据えていこらよ!。おいやんも地球の反対側から応援しやるで」。

「おいやんのブラジル便り」(その45)2005年3月6日
地球上の酸素の3分の1がアマゾンの熱帯雨林によって供給されているという。広大な熱帯雨林の大半はブラジル領土内にある。そのジャングルの東端に近い寒村で、この2月12日、ドロシー・スタングというアメリカ人女性宣教師が殺し屋によって殺害された。彼女は、土地無し農民が無秩序にジャングルを乱開発することを避ける為に、政府所有の土地を細かく分割し、そこに農民を入植させ、一定の農地の開墾と引き換えに植林を義務付け、熱帯雨林を破壊せず秩序だった方法で、小家族単位の農民を入植させる運動の指導者であった。彼女は何年も前から運動を止めないと殺すという脅迫を受けていたが、意に介さず運動を推進していた。殺害を指示したのはこの地方の木材業者であろうと見られている。海外にも知られていた彼女の殺害は、環境保全に熱心な人々の激しい国際世論をまき起こした。彼女はブラジルに帰化していたが、アメリカ大使館もブラジル政府に対し間髪を入れず、早急かつ徹底的な捜査を要請した。アマゾンの保全に腰の重い政府も、珍しく機敏に行動を起こし、2000人の軍隊を現地に派遣、捜査に乗り出した。同じアマゾンの西端で、天然ゴム採集人で同じような環境保全運動を行っていたシッコ・メンデスが、1988年牧畜業者に暗殺された時以来の、大きな国際的反響であった。しかし、アマゾンの熱帯雨林を舞台に、土地争いで殺害されたのは2人だけではない。浮フ統計に現れた犠牲者だけでも、1994年から2003年の10年間に、380人にのぼると報じられている。警察の統計に現れず、人知れず鰐や豹の餌にされた人の数は、誰もつかんでいない。アマゾンの熱帯雨林地帯の大半は国の保護区域に指定されている。当然、その森林を伐採することは禁じられている。しかし、この規制はザルのようなものである。熱帯雨林には、上質の家具になる大きな銘木が多い。銘木は高く売れる。最初にジャングルに入り込むのは、こうした銘木を狙う木材業者だ。木材は製材所で板に加工され、大型トラックでサンパウロに運ばれる。金になるめぼしい銘木を伐採し尽くすと、火を放って残った雑木を焼き払う。焼き払った後の土地を牧畜業者に売る。牧畜業者が牛を飼った後は、農地として転売される。農地は、大抵は機械化された大豆プランテーションになる。ただの原木を盗伐し、国の土地を売り払うのだから、材木屋はぼろ儲けである。土地を売ったら、次の伐採を目指してジャングルに入り込んでいく。こうして、国の保護森林が違法に伐採され、違法に売買が繰り返され、アマゾンから緑が消えてゆく。こうした商売を仕組めるのは、資金力のある大牧場主や木材業者である。このような連中にとって、森林保護を叫ぶアメリカ人宣教師は、トラクターの前に置かれた石のようなものであった。石は取り除かなければならない。昼なお薄暗いジャングルで、人間1人を抹殺するのは殺し屋にとってたやすい請負仕事である。広大無辺のアマゾンは目が行き届きにくいが、しかし問題は面積という物理的なものではない。本気でアマゾンの緑を守るのかどうかという、純粋な政治問題なのである。ブラジリアの連邦議員は大土地所有者と近い。対する環境保護派は力が弱い。こうして今、地球の酸素供給源の存亡が、ブラジリアの議員達に握られている。

「おいやんのブラジル便り」(その46)   2005年 4月5日
「グロボ」というブラジル最大のテレビ会社が「アメリカ」という連続ドラマの放映を始め、関心を呼んでいる。ブラジルの若者達がより良い生活を求めて、アメリカに移住しようと苦闘をしているところである。移住といってもそれは違法の密入国である。メキシコとの国境の砂漠を横切って、アメリカに潜り込むのである。密入国を斡旋する手配師がいる。高い斡旋料をぶん取って、飛行機でメキシコのアメリカとの国境に近いアジトにつれていき、危険な国境越えに手をかす。新聞の批評によると、ドラマの筋書きは殆ど事実そのものだというので、一層視聴者の興味を引きつけている。現在外国で働いているブラジル人は200万人。このうちアメリカで生活しているのが80万人、次いで日本が30万人。比べてみると日米大きな差がないようだが、法的ステイタスが違う。3世までの日系人なら日本へは正規の就労査証で入国できる。だから日本の30万人は全て就労査証を持つ日系人とその家族である。アメリカは近年、特に2001年のテロ以来外国人への就労査証の発給を厳しく制限し、ブラジル人が正規に入手できる機会は殆どない。従ってアメリカの80万人の多くは、手配師の手を借りて闇にまぎれて密入国した人々や、観光査証で入国しそのまま居ついた人々である。ブラジル人は、マイアミ、ニューヨーク、それにボストンに大きなコミュニテイを作っている。そこに潜り込めば、ポルトガル語だけで生活できるし、運転免許証や社会保険証も偽造してもらえる。当面の仕事も斡旋してくれる。食堂の食器洗いや掃除、壁塗り、庭掃除、雪かきといった、あまり英語を使う必要がない肉体労働からはじめる。女性なら家庭のお手伝いさんや掃除人。アメリカで生活基盤を作ろうと懸命に働く。注意をしなければならないのは、事故や犯罪にからみ、警官と関わりを持つことである。特に交通事故が怖い。警官にあげられると、密入国者として逮捕されてしまう。一方で、アメリカ人の間で、「ブラジル人は働き者」という評判らしい。ブラジルからアメリカに潜り込むには相当の資金がいる。借金して手配師に斡旋料を払う者も居るが、貧乏人では密入国ができない。いきおいアメリカに来るブラジル人は中流の人々が多い。目的意識もしっかりしている。真面目な働き手なのである。働いて稼いだ金を、コミュニテイの地下銀行に頼んで、母国へ送金する者も居る。正規の銀行送金は、手数料が高いので誰も利用しない。移民の実態を調査しているブラジル人社会学者が若い主婦に聞き取りをした。「故郷が懐かしい。帰りたい。でも帰らない。ここでは不法滞在者でも、ちゃんと社会保障を享受できる。無料で出産入院できるし、1年間無料で子供のミルクももらえる。バイリンガル教育も無料で受けられる。ブラジルでは、苦労して納めた税金が、みんな政治家に掠め取られてしまう。あの国では一生懸命働いても、いっこうに報われないのです」と涙を流したそうだ。ブラジルは移民によって作られた国である。これ迄多くの移民を受け入れてきた。かれこれ4世紀ほどもたった今、ブラジルは移民の送り出し国に変わった。その昔、大きな夢をもって南の約束の地にやってきた移民達の子孫が、今度は北の約束の地に夢を賭けて移動を始めた。ドラマ「アメリカ」は始まったばかりである。

「おいやんのブラジル便り」(その47)  2005年 4月18日
昨年11月、ブラジル人麻薬密輸業者がパラグアイで逮捕された。かねてよりアメリカ国務省が執拗に追いかけていたメスキッタという大物であった。この男は南米コロンビアの世界最大の麻薬密造「シンジケート」と、「コロンビア革命武装団」とも手を結んで、世界に麻薬を密輸している中心人物の一人であった。男はブラジル国籍だが、パラグアイに大豆の大農場を持つ、パラグアイ有数の富豪である。「シンジケート」は、密造したコカインを米国や地元官憲の目を盗んで輸送するために、「コロンビア革命武装団」と手を組んでいる。「革命武装団」は、人里離れた密林の中に、秘密の飛行場を持っている。「シンジケート」は麻薬の輸送にその秘密空港を使わせてもらう。その見返りに、巨額の軍資金を献上する。秘密空港で麻薬を満載した飛行機はパラグアイまで飛び、そこにある「コロンビア革命武装団」のアジトに荷を隠す。そこでブラジル人密輸業者との取引が始まる。ブラジル人は現金の他に、武器を用意して麻薬と交換する。武器はそっくり革命武装団に渡される。勿論この武器は裏金を握らせて、ブラジルやパラグアイの軍隊から横流しさせたものや、ブラックマーケットで手当てしたものである。革命武装団はこの武器が魅力で、麻薬「シンジケート」と手を組んでいる。シンジケート側も、ブラジル人と取引すれば、武器を餌に「革命武装団」の協力を得られるので好都合である。こうして、麻薬シンジケート・革命武装団・ブラジル密輸業者という三つ巴の関係ができあがっている。「パラグアイ・コネクション」と呼ばれる。麻薬を満載してパラグアイに飛んだ飛行機は、最新鋭の武器とドル紙幣を満載してコロンビアの密林に帰って行く。ブラジル人密輸業者は、小分けした麻薬を陸路ブラジルに持ち込む。パラグアイとの国境線は700キロもある。めったに官憲につかまることはない。ブラジルに持ち込んだ麻薬は、一部地元のサンパウロやリオでさばかれるるが、多くはアメリカ・ヨーロッパ・南ア、それに日本にも流される。船のコンテナーに隠したり、運び人を使って空路持込んだりする。こうした裏の流通の要に居た大物が逮捕されたのだが、それでも密輸の息の根を止めることができない。米国の後押しで、ブラジルとパラグアイ政府は共同で、この「パラグアイ・コネクション」に関わっていると目される人物の動きと資産を密かに調べているが、まだ20人程のブラジル人が闇の取引にうごめいているという。その20人はいずれもパラグアイやブラジルに農場や大邸宅などの大資産を持っており、合せると30億ドルを越すと報じられている。なにしろ連中が持っている金は桁外れである。大概の政治家や官憲、果ては軍隊までも裏から手をまわし、抱き込んでしまう。この3月に、「コロンビア革命武装団」がブラジル与党の連邦議員に密かに巨額の資金を握らせたという情報が流れ、マスコミが色めきたったことがある。この情報はその後水面下に沈んでいるが、果してブラジリアに病根が入り込んでいないのか? 麻薬の密造と密輸は、陰の大産業である。兵器売買という裾野産業も抱えている。しかしアメリカ国務省の懸命の切込みにもかかわらず、その全貌が浮ノ現れることはない。アメリカが戦っているのは、テロリストだけではない。南米の密林は広くて暗い。

「おいやんのブラジル便り」(その48)    2005年5月3日
ブラジルは世界最高品質の絹糸の輸出国である。フランスの有名ブランド「HERMES」の絹製品は100%ブラジル絹糸を使っているし、日本の着物用絹糸も90%はブラジル産である。ところで、この国に獅持ち込んだのは日本移民である。1908年の笠戸丸第1回移民が既に賜Iを持ち込んでいるから、歴史は古い。亜熱帯の気候でも絹を吐き出す獅生み出すための品種改良や、獅フ食糧となる桑樹の栽培等、あちこちの日本人入植地で試行錯誤が続けられた後、1938年に日系農業拓殖組合がサンパウロ州奥地で、小規模ながら製糸工場を作るまでこぎつけた。その後、大戦のあおりで、日本とイタリアから輸入していた絹の供給が止まったため、この国の養獅ニ絹糸生産が活況をみせた。戦後日本とイタリアの絹糸生産が復活すると、絹糸の輸出が激減、絹糸産業は崩壊寸前までいったが、経済の国「変化で日本とイタリアの絹糸生産が消滅したため、再びブラジルの養視ニが息を吹き返した。日本人持前の職人気質で、品質向上にうち込んだ結果、1962年スイスの国際生糸検査所でブラジル産絹糸が日本やイタリア産の品質に劣らない最高級品であるとのお墨付きをもらった。こうして日本人がブラジルで作った絹糸が、とびきり品質にうるさい日本やヨーロッパに足場を築いていく。1980年代がブラジル絹糸生産の最盛期であった。その後、合成繊維に侵食され、生産は徐々に下降線をたどり最近に至っているが、ここにきて新たな強敵がたち現れた。中国である。中国は伝統的な絹の大生産国で、現在世界市場の75%を押えている。生産量では中国の足元にも及ばないが、ブラジルは品質で生きてきた。絹の品質を決めるのは、獅ナある。日本移民が柳行李の隅に隠し持って来た日本獅ニ、戦後導入した中国獅交配、この国の気候に適した獅作り出したことが決定的であった。全ては日本移民が仕組んだ。中国産の品質はブラジル産に及ばないが、なにしろ値段が安い。生産コストの低さもさりながら、中国元の為替レートが人為的に極端に低く固定されているので、輸出値が桁外れに安い。為替ダンピングである。米国の強力な圧力も平然と無視し、固定した安い元で世界の商品市場をぶん取っていく中国。品質の差も、あまりに違う価格水準の前では勝ち目は少ない。最高級絹織物向けの小さな市場を除いて、ブラジル絹糸の市場もどんどん侵食されていく。一時6社あった製糸会社が3社に減った。残った3社は全て日系企業である。3社は生き残りをかけて、更なる高付加価値製品の開発に懸命であるが、中国の切込みは容赦がない。資本主義は競争の世界である。優勝劣敗は避けられまい。しかし為替ダンピングはルール違反である。元の超安値に固定された為替を解き放ち、元の値決めを市場の判定に委ねろ、と国際圧力がかかっているが、中国は鼻にもかけない。中国は共産党独裁国家である。民主主義などかけらもない。この独裁政体が、他を省みない傲慢を育み、良識ある国内世論も押し潰す。民主主義という同じ土俵に立ち、共通の商業規範を尊重してこその競争である。しかし中国共産党がそのいずれをも受け入れる気配は微塵もない。遠く東洋の共産党独裁国家がはたらく狼藉が、日本移民が営々と築いた珠玉の絹糸産業を、存亡の瀬戸際に追い込んでいる。

「おいやんのブラジル便り」(その49)     2005年5月15日

サンパウロの有力日刊紙に、Pu Zhiqiangという中国人弁護士の「血で手が汚れているのは日本だけではない」という投稿記事が載った。概要次のような内容である。「1989年6月4日、北京で政府に抗議していた無防備の民衆が惨殺された現場が世界に放映された。そして現在、世界大戦中日本人が犯した罪を日本の教科書が隠していること、そんな日本が国連常任理事国入りを狙っていることに対して、中国の民衆が抗議行動を起しているのは周知の通りである。ところがこの二つの抗議の性格は根本的に違う。今般の日本への抗議行動は中国政府の暗黙の了解の下に行われているからである。抗議参加者が政府に惨殺されるリスクはゼロである。ところで正直なところ、中国と日本は同じような間違いを犯している。中国女性を慰安婦にしたり、1937年南京で無防備の市民を大虐殺したり、化学兵器を使ったりといった大戦中日本人が犯した罪に、我々中国人は憤慨している。このような事実をまげたり隠したりされた場合、我々の怒りは倍増する。しかし、正直に我々自身を省みれば、中国も日本も大きな違いがない。日本の捕虜収容所での強制労働は、危険が周知の鉱山で、中国政府に強制労働させられ事故死した多くの中国人を思い起させる。大戦中日本人によって奴隷状態におかれた時代より、今の中国民衆の人権保護は本当に改善されているのだろうか? 南京の大虐殺はあった。しかし16年前の北京の惨事は、虐殺ではなかったのか? 日本の教科書の歴史事実の隠蔽は、中国の検閲教科書よりひどいのだろうか? 1950年代末の大躍進政策の失敗で、毛沢東が中国人農民を2千万から5千万人も殺してしまった事実に、中国の教科書は一言もふれていない。何千万人も餓死した事実が、誰にも知らされていない。1950年代の反革命運動と、1960年代の文化大革命で一体どれほどの人間が消されたのか、誰も知らない。それどころか、ついこの前の北京の事件で、何人が虐殺されたのかも不明である。こんな状態であるのに、南京で日本人に虐殺されたのは30万人であると言い張っている。誰が虐殺を行ったのかによって、殺された人の数が変わってしまうのだろうか? 中国も日本も、手は血で汚れている。しかし、この2つの国には重大な違いがある。日本人によって慰安婦にされた中国女性は、日本の法廷で日本政府や企業を法的に訴えることができる。日本人は東京の街で、日本の軍国主義反対のデモをすることもできる。中国では、北京で惨殺された人々の家族が不都合な動きをしないよう、今だに家の前で警官が見張っている。中国では、政府に承認された事柄にたいしてしか、抗議行動を起すことができない。中国は日本を非難する前に、中国自身の二重規範を問いただす必要がある」。これを書いたのは、中国人弁護士とだけで、詳しくは説明されていない。香港あたりに脱出した知識人であろう。自由に物が言えるなら、こういう主張をする中国人も居るのである。自由に物が言えないのは独裁政体だからだ。独裁が悪なのである。支配者が党であれ軍であれ個人であれ、独裁国家には正義も人権尊重もない。日本も大戦では手を汚した。しかし幸い米国の梃入れで、日本は民主主義と自由の大切さを学んだ。中国共産党の独裁がいつ終るのか、まだ先は見えてこない。



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