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ブラジルに外国人観光客を誘致するには(その3)JETROサンパウロ所長、桜井 悌司さんの提言。
(その3)には、「提言7」以後最後までを掲載します。桜井さんのこの大論文は、『ブラジルがオリンピックや万博を開催する時期が来れば、真に経済大国、観光大国として世界が認めることになろう。』と締め括っておられますが、何時その日が来るのでしょうか。それまでには桜井さんが提言されている具体的な事例、直ぐにでも始められる諸施策を取上げ地道な努力が必要である事は確かであり我々個人が努力するだけでは足りない点もあるとは思いますが、出来る所から始める。大いに勉強になりました。有難う御座います。
  写真は、リオグランデ・ド・スール州にも観光資源が多く南米のグアンデキャニオンと言われるイタインベジニオの国立公園の景観です。その所在地のカンバラ・ド・スール市は長く野党の市長が押さえていたこともあり道路も舗装されず忘れられた観光地として眠っていましたが最近は、IBAMAも観光資源開発に力を入れ道路も舗装され国立公園内の施設、案内人、道路標識、自然との共存の誰もが行ける観光地に育っています。


「提言7」リピーター客をいかに増やすか

         東京には、「デイズニ−・ランド」、「デイズニ−・シー」と2つのデイズニ−・リゾートがある。2000年度の入場者の内、90%がリピーターである。日本でもブラジルでも全く同じであるが、リピーターの確保がなければ、持続的な外人観光客の増加は望めない。そのためには、極力、観光客の意見や印象を聞き、それら情報の分析が必要である。ポジテイブ情報であれば、それを伸ばすようにし、ネガテイブ情報であれば、それを修正するようにする。例えば、ブラジルのハブ空港であるサンパウロのグアル−リョス空港の入国審査に要する膨大な時間を一度でも経験すれば、ブラジルには2度と来るまいと思うだろう。内外の旅行代理店が行うツアーの参加者からのフィードバック情報を収集し、しっかり反映させることが望まれる。前述したEMBRATURのアンケート調査によると、ブラジルを訪問する外人観光客の内、67%はリピーターということになっている。また97%が再びブラジルに来たいという回答になっている。ブラジルは、来て見て初めてその魅力が理解できるという類の国なので、初めての人を多く誘致し、リピーターにさせることが大切である。

「提言8」 地域のお祭り、フェステイヴァルを盛んに

  ブラジルにも、世界的に有名なカーニヴァルがあるし、SALVADORのFESTA DO BONFIMやBELEMのCIRIO DE NAZARE、PARINTINSのBOI-BUNBA、BLUMENAUのOCTOBER FEST等よく知られたお祭りもある。
SERRA GAUCHAに行くと、GRAMADOの音楽祭、CAXIAS DO SULのFESTA NACIOAL DE UVA, BENTO GONCALVES の FESTIVAL NACIONAL DE VINHO等比較的近年に始まったお祭りがあり、まちづくり等地域開発に役立っている。
このような地域のお祭りは、イタリアやスペインにもたくさんある。日本にも昔から伝わるお祭りのみならず村おこしや町づくりのために多くのエネルギーが投入されている。また90年代までは、地域開発の一環として、国内博覧会が毎年2〜3都市で開催され大勢の入場者を集めた。このような各種お祭り、イベントは観光誘致の観点から見て大いに有効な手段である。日本でもう1つ興味のある町つくりの方法がある。それは一村一品と呼ばれるもので、それぞれの町や村が、地元の資源を主として活用して、自慢のできる産品を開発し、うまくいけば、日本全国で売り出すというものである。日本の大分県や熊本県、北海道などが熱心で、芋や麦でできた焼酎、かぼす、つけもの、竹細工、木製品等を生産している。これらの運動が観光振興に役立っていることは言うまでもない。この一村一品運動は、今やタイやヴェトナムまで広がっており、中には輸出産品にまで成長している。

「提言9」 地域間協力の強化

        ある州の観光振興に携わる職員は、たぶん自分たちの州のプロモーションしか行わない。それは当然の話で、州間にまたがる仕事は、観光省やEMBRATURと考えるからであろう。しかし、ここでもう少し考えを変え、例えば、リオ・グランデ・ド・スル州の職員が、サンタ・カタリ−ナ州の観光促進にも協力するという発想である。NORDESTEの場合、BAHIA州、SERGIPE州、ALAGOAS州、PERNANBUCO州、PARAIBA州、RIO GRANDE DO NORTE州、CEARA州、PIAUI州がお互いに協力し、外人観光客に地域として売り込み、次回は、他の州にも行ってもらうとい発想ができれば、中長期的には、多くの州が間違いなく潤うことになろう。観光客にとっても、ブラジルの数々の魅力を知ることができるし、ブラジルが国をあげて、地域をあげて観光振興を行っている様子がよく理解できるであろう。最初から多くのことができなくても、観光局のインフォメーションに他の州や都市の観光パンフレットをおいてあげるだけでも徐々に効果がでてこよう。

「提言10」 不安、不便、不自由の除去

        不安の最大のものは、ブラジルにおける治安の問題である。前述のEMBRATURのアンケート調査には、治安の問題が、第3位にランクされていたが、実際、ブラジルの観光振興にとって、この問題が最大の障害と言えよう。その理由は、第1位の交通標識や第2位の清潔さや第4位のコミュニケーションなどは、ブラジルに着いてから判明することであるのに対し、治安の問題は、ブラジル旅行をキャンセルさせる効果、延期させる効果があるからである。筆者もブラジルに赴任するに当たって、友人等に挨拶に行くと、「GOOD」、「DISTANT」、「DANGEROUS」の3つの形容詞がブラジルのイメージであった。治安の問題は、往々にして誇張して伝わる傾向にあること、また一度事件が発生すると、ものすごい勢いで一瞬のうちに全世界に伝わる、とりわけ映像で紹介されると、何倍にも誇張されることになり、元のイメージを回復するのは、大変な時間とコストがかかる。観光客の足が遠のくと、ホテル、レストラン、ガイド、航空会社、タクシー、バス等交通輸送、旅行代理店、おみやげ店等に従事する人がすべて被害を被ることになる。観光産業振興についてのコンセンサスと言った場合、当然治安当局も含まれることになる。治安の回復は、いくら強調しても強調しすぎることはない。

        不便、不自由については、観光地の特徴により異なる。例えば、アマゾンやパンタナル等のエコ・ツーリズムに行き、すべてが自由、便利であれば、かえっておもしろくないであろう。しかし、大量の観光客を誘致するとすれば、近代的なホテルが要望されるし、観光地への国内便の増発、昼や夜のオプショナル・ツアーの充実も望まれる。観光地であっても、例えば、NORDESTEの場合、郊外のツアーが助ェに整備されていないことが多い。たぶん多くの人がレンタカーを使うので必要ないと考えられているのかもしれない。しかし、観光で売るとすれば、少なくともいくつかのバスによるツアーを用意しておくべきである。
        観光客にとって、ドルやユーロをレアルに交換する為替の問題がある。ホテルにより、換金率が大きく異なること、理不尽な為替レートで交換を余儀なくされることは大いに不愉快である。レアルに交換し、帰国時にドルやユーロに再び戻す場合のルールについても換金窓口や観光ガイドブックで明確に知らせることが必要である。換金に伴う損失の不愉快さは、誰もが経験することであるが、観光客に不信感を持たせることは得策ではない。
   
「提言11」観光振興に関わるいろいろな考え・提案  

        ここでは、筆者が日頃感じていることやブラジルの観光促進からみて役立つと思われることを10項目記してみたい。

1) ブラジル観光の魅力発信ハブ拠点の設置
 今、ブラジルの観光情報を一気に入手しようとすれば、一体どうすれば良いのだろうか。ENBRATURのホームページを見ればいいのだろうか?どこかに行けば、ブラジル全土の観光情報が入手できるのであろうか?たぶんそのようなスポットはないと思われる。年に数回サンパウロ等で行われる観光見本市に行って、情報を入手するくらいであろう。各州、各都市の観光情報は、その場その場で入手できるが全体となると難しい。私は、もし、サンパウロとブラジリアにブラジル全土の観光情報を一手に集めた観光情報センターがあればすばらしいと思う。サンパウロは国際ハブ空港である。またブラジリアは、ブラジルの内陸部に行く時の乗り継ぎ空港になっている。それゆえ空港内に、全州、全主要都市をカバーしたカウンターをつくるのである。サンパウロ市内、ブラジリア市内にも設置すべきである。

2) ブラジル旅行ガイドブックの充実を
英語によるブラジル旅行のガイドブックはあるが、日本語のものとなると、「地球の歩き方」というガイドブックしか存在しない。しかもブラジルとヴェネズエラの2カ国が一緒である。ブラジルのようなポテンシャリテイのある観光資源大国であるならば、当然複数のガイドブックが発行されていてもおかしくないだろう。
EMBRATURは、外国で発効されるブラジル観光ガイドブックの発行には、積極的に協力すべきである。また旅行専門誌の記者・編集者を可狽ネ限り多く招聘すべきであろう。

3) 大使任命制度
 日本で流行している地域観光振興政策の一つとして、「大使」任命制度というのがある。この制度は、ほとんどコストがかからず、それなりに効果をあげているので紹介する。この制度は、日本の県庁や市役所が、その地域の出身者で有名な人物、有力な人物、あるいは、その地域出身でなくともその地域の発展に貢献した人物に県知事か市長が、「××大使」という名誉的な称号を与え、地元の観光誘致や経済発展につき、あちこちでスポークスマンの役割を担ってもらおうというものである。コストといえば、せいぜいDIPLOMAの紙ないしはプラスチックが1枚で、年間1度ばかり、地元や東京で県知事や市長がパーテイをし、感謝の意を浮キるといったものである。日本には、30以上の地方自治体が採用している。ブラジルには、出身地方を離れて、ブラジリア、サンパウロ、リオなどで仕事をしている有力者が多いのでこの案は結鴻tィージブルである。

4) 在日の出稼ぎの活用
イタリアは、日本への食品の輸出に大成功を納めている国であるが、その秘訣は、日本にある膨大な数のイタリアレストランのお陰である。イタリアレストランが急増したのも、せいぜいこの10年くらいの間に、フランス料理を完全に凌駕したのである。これらイタリアレストランを通じて、ワイン、パスタ、オリーブオイルが大量に入ってきたのである。もちろん、「地中海料理」とか「スローフード」というようなコンセプトも大いに役立った。
日本には、ブラジル人出稼ぎ者が28万人、たぶん近いうちに30万人に上るものと見られている。一説によるとこれらの人々は、年間20数億ドルの金額をブラジルにもたらすと言われている。日本人は、年間メルコスル諸国には、45,000人が訪問するといわれており、その内、40,000人がブラジルを訪問する。2005年3月25日に、JICAの協力を得て、東京にMERCOSUL観光事務所が東京にオープンしたことは前述したが、2007年までに日本人観光客のMERCOSUL行きを倍増するということになっている。日本人の所得の高さ、未知の外国への知的好奇心、高年齢者が時間とお金を持っているという点から考えて、適切な振興策をとれば助ェ可狽ネターゲットである。その際でも、出稼ぎの28万人の存在を決して忘れてはいけない。彼らには、日本の親戚もいれば友人もいる。仮に出稼ぎ者人口の10%が1人の日本人観光客を誘致できれば、自動的に28,000人の日本人観光客の誘致が可狽ネのである。

5) スーべニアにもっと工夫を
外国旅行の楽しみの一つは、それぞれの土地で思い出になるものを購入することである。観光客にとって買い物と言っても、いろいろな種類があろう。大別すると下記の4つに分けられよう。@いわゆるブランド物、A品質の良い消費財、B食品、健康食品等、Cみやげ物、スーベニア等々。

   @ブランド品
   最初のブランド品は、イタリア、フランス、英国等を旅行した時の大いなる楽しみの一つである。また香港、シンガポール、ドバイ等が観光客であふれるのもタックス・フリーの買い物のお陰である。ブラジルで世界的に認められているブランド製品としてどのような製品があるのかわからないが、宝石、ジュエリーの類は、H.STERNやAMSTERDAM SAUER等ブランドが確立していると言えよう。またハンドバッグのVICTOR HUGO等は、デザインも品質もすばらしい。今後5年から10年をかけて、外人旅行者が買いたいと思わせるようなブラジル・ブランドを確立するという努力が望まれる。

B 品質の良い消費財
ブランドとまでもいかないがブラジル製品が比較優位の観点から、購入したいと思う品物がある。サンパウロでは、年中いろいろな見本市(FEIRA)が開催される。これらの見本市の中で、ブラジルが誇る大規模見本市にはどのようなものがあるかをみるとイメージが沸いてくる。例えば、FRANCALやCOUROMODAで代浮ウれる靴・履物、アパレル、水着、ファッション等繊維製品、プラスチックの家庭用品、化粧品等である。これらの商品をもっとPRすべきであろう。

B 食品、健康食品等
これらの分野は、相当知られているのでコメントの必要も無いが、コーヒー、プロポリス、アガリクス、ガラナー、JURUA石鹸、トルマリン石鹸、アマゾン派生商品等々である。この分野は、おそらく今後いろいろな商品が販売されるようになると思われる。

C みやげ物、スーベニア
この分野は、極めて多様性に富んでいる。
   陶磁器(皿、つぼ、食器、人形、飾り物、壁掛け)、Tシャツ、サッカー・ユニフォーム、刺繍品、貴石、半貴石製品、ピュータ、木製品(木彫りの人形、壁飾り)等である。しかし、前述のように、陶磁器関連製品や木製品等は大きくかつ重過ぎるし、品質面でも改善のよちがあろう。観光省やEMBRATURがイニシアテイブをとり全国民芸品コンクールを毎年開催し、デザイン、品質、価格で優秀な作品を選定し、大いにプロモーションを行うべきである。
 
6)州や市の観光局とホテル、レストラン、博物館、テアトロの連携を
           地方のホテルで博物館や美術館の開館時間やテアトロの出し物について聞いてもま
ともな回答が返ってくることはまれである。博物館によっては、開館の時間がばらばらで、観光客からみて、極めて不便である。また博物館で説明パンフレットを用意しているところもそれほど多くない。これらの事実をみても、観光産業を発展させようというコンセンサスが行き届いていないということであろう。
   州や市の観光局が、月に1回、博物館、美術館の開館時間、テアトロ、コンサートの出し物、時間、料金等、レストランのショウ等の時間、料金を定期的にホテルに知らせるメカニズムをつくるだけで解決する問題である。

7)地方の民俗舞踊、民族音楽をもっと盛んに
   ブラジルのNORDESTEは民俗色が豊かですばらしいところである。サルヴァドールを訪問した際に、SOLAR DO UNIHAOというレストラン・ショウに行き、バイア州の踊りやカポエラを見る機会があったが、非常にエクセレントなショウであった。SERRA GAUCHAのGAUCHOの踊りも面白い。外人観光客にとって、民俗舞踊や民俗ショウを見ることは、大いに思い出になるものである。他のNORDESTEに同じようなショウがあるかどうかをたずねてみたが余り無い様である。観光振興と地元の民俗ショウ、伝統芸狽ヘつき物であり、例えば、メキシコやタイに行くと民俗舞踊があるし、スペイン、アルゼンチン、ハンガリーに行くと、フラメンコ、タンゴ、ジプシーの踊りなどが複数の場所で見られる。ブラジルもサンバ・ショウや地方の舞踊・民謡等がもっと気楽に聞けるような場所があればすばらしい。

8)チケットの購入をもっと容易に
これだけインターネットが発展し、すべてが便利になっているというのに、例えば、サンパウロでサッカーチケットを入手するのにどうして、スタジアムまで買いにいかなければならないのであろうか?劇場の切符も一部のテアトロを除き、なかなか入手が容易ではない。それも満員でチケットが購入できないのではなく、チケットの入手の方法が面倒だからである。チケット販売による利権が発生するのでそれほど簡単ではないのかもしれないが、クライアントの立場にたつことが必要であろう。

9) サンパウロを世界のファッション情報の発信地に
サンパウロ・ファッション・ウイークは、1996年7月に、MorumbiFashionとして始まり、2001年7月にSao Paulo Fashion Weekと呼ばれるようになり、年々盛んになっていることは、周知の事実である。筆者は、1996年から99年までイタリアのミラノに駐在したが、その際に何故ミラノが世界のファッションの中心地に成り得たかにつき関心を持った。イタリアのファッション関連イベントの歴史をざっと振り返ってみると、50年代に、フィレンツェで最初のファッション・ショーが始まり、52年には、イタリアで最初のオートクチュールのファッション・ショーが、ピッティ宮殿で行われた。その後ピッティ・ドンナが開催され、50年代、60年代は、フィレンツエが、イタリアの情報発信の中心であった。さらに1968年には、プレタポルテのファッション・ショー、72年には、ピッティ・ウォーモが行われた。70年代以降は、イタリア各地の繊維産業が力をつけてきた。75年には、絹織物のイデア・コモが、78年には、紳士用の服地見本市のイデア・ヴィエラが、79年には、生地見本市のプラート・エクスポが開催されるようになった。70年代末になって、ミラノが本格的に出てくる。70年代の中頃には、ミラノ市内で様々なデザイナーが個別の会場やショールームでファッション・ショーを行うようになった。さらにイタリアのアパレル工業協会が、1978年レディース・プレタポルテの見本市MOMI(MODA MILANO)を発足させ、その際に初めてイメージ向上のために全国ファッション・ショーを併設して行った。それが好評を博し、翌年79年より、ミラノ会場でファッション・ショーを継続する形でやることになり、そこでミラノ・コレクションが始まったのである。
ミラノは、20年以上かけて、現在の地位を確保したのである。ミラノから学ぶことは、@種々のファッション、デザインの展示会・見本市とリンクさせること、A粘り強く毎年規模と質の向上を図ること、B年々国際化を図ること、Cファッション・ショウの会場だけでなく、町のいろいろな施設で数々のイベントを行うことにより、サンパウロ市をあげての行事にすること、Dミラノ(140万人)とサンパウロ(1000万人以上)では都市の規模も格段に異なるが、都市や市民をあげてファッション・ムードを盛り上げること等である。
   
10)オリンピックと国際博覧会
     オリンピックと万国博覧会(国際博覧会)の誘致は、観光促進に大きな役割を果たす。現在、日本の愛知県で、愛知万博(2005年3月〜9月)が開催されている。ブラジルは、残念ながら公式参加をしていない。博覧会を貿易投資の促進に直接に役立てるのは、なかなか困難であるが、観光振興の面では重要な役割を果たす。その意味で、ブラジルは、愛知万博に参加しなかったことにより、大きな観光促進のチャンスを失ったと言えよう。筆者は、92年のセビリャ万博から2000年のハノーヴァー万博まですべての国際博覧会に従事したり、視察したが、ブラジルは、メキシコやヴェネズエラと違って国際博覧会にそれほど熱心でなかった。セビリャ万博では、メキシコ、チリ、ヴェネズエラが独自の立派なパビリョンを建てたのに対し、ブラジルはPLAZA De AMERICASとういう集合パビリョンの中で小さく展示していた。大田国際博覧会、リスボン国際博覧会、ハノーヴァー万博でもほぼ同様で、展示の内容もアマゾンのシーンが中心でめぼしいものはほとんどなかった。
    オリンピックの開催は、国の総合力を発揮する絶好のチャンスである。誘致するための外交迫ヘ、競技施設・インフラの整備、組織・運営迫ヘ、治安の確保等々が試される。国際博覧会を誘致することは、オリンピックほどは困難を極めることはないが、組織・運営にかかるエネルギーはオリンピックの数倍に達する。それゆえ、日本は、1964年に東京でオリンピックを、1970年に大阪で万博を開催した。スペインは、1992年にセビリャ博覧会、バルセロナ・オリンピックを、韓国は、1988年にャEル・オリンピック、1993年に大田国際博覧会を組織した。中国も追随し、2008年には北京オリンピックを、2010年には上海万博を開催しようとしている。メキシコやギリシャも1968年と2004年にそれぞれオリンピックを開催し、その後2008年の国際博覧会にケレタロとテッサロニキが結果的には落選したが、立候補した。
    ブラジルがオリンピックや万博を開催する時期が来れば、真に経済大国、観光大国として世界が認めることになろう。
      
以   上

「参考資料」
日本経済新聞連載(2004年7月7日〜8月11日)ゼミナール ニッポンの観光戦略
EXAME誌 2004年10月13日号 TURISMO MUITA BELEZA E POUCO DINHEIRO



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