閉校にあたって-----!【1962年5月6日(日)第三十号船内ニュース さくら より抜粋】
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保存されている船内新聞の最終号には【三十号突破を祝す。移住輸送監督官 伊藤敏夫】の記述と共に1ページ目に上記の閉校にあたって----- !が記載されています。確か新婚旅行を兼ねてご主人の山川健一さんとご一緒に一般船客として乗船しておられた山川純子先生にもポルトガル語及びブラジルの国歌(難しくて覚えきれませんでした)を教えて頂きましたが、ご自分が書かれた文が保存されて居た事を知ればどう思われるでしょうか?是非ご感想を聞かせて頂きたいものです。写真は船内で山川純子先生(右端)と一緒に撮った佐藤昭子さん佐藤薫さんの写真です。 |
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神戸を出帆致しましてすぐまさかと思っておりました嵐に逢いお酔いになられた方も少なくなかった事と思いますが、一週間後には天候も良くなりまして穏やかでそして快適な航海になりました。その後いろいろと行事が行われ、又船内学校もひらかれました。ある日船長さんと監督さんより語学講習もやりたいと思いますので、一つ受けもっていただけないだろうかと御相談承りました時はは、本当にどうしたら良いかとこまってしまいましたが岡田様と御相談致しまして御一緒にポルトガル語の講習を受け持つ事になり毎日不安な気持でぶっかってまいりましたが、皆様の御熱心さに追われるように私も色々と勉強させて頂きました。長い様で短かった船内学校の語学講習も昨日で終り、今日はいよいよ終業式となってしまいました。もう後数日で皆様の行かれる未知の国に着きます。これから今までと違った生活をなさる皆々様の御多幸を陰ながらお祈りさせていただきます。
山川 純子
船内学校の感想 日本を旅立って早40日、長い様な又短い様な期間でした。見知らぬ国にいらっしゃる皆様に初めての言葉を私達は完全に出来ないながらも御教えし、又御一緒に生活させていただいた事は何時何時までも忘れないでしょう。「十人十色」と申しますが色んな方と接する事が出来まして私達に取っては社会勉強の一つとなりました。環境、気候、言葉の違う国へいらっしゃって色々な御苦労がおありの事と思いますがどうぞ皆様充分御身体に気をつけて一生懸命頑張って下さい。御健勝と御幸福をお祈り致します。
岡田 都美慧
わずか四十日間の短い間ではありましたが、幼稚園を受持って、私達出来る限り一生懸命にやって参りました。御両親方の御協力を心から感謝致します。又、船内行事について、かくも心暖かく幼児の心の中に全ての物事に対しての向上心をうえつけさせた事はなかったと思います。運動会、赤道祭等の行事にくわわって、私共が感じました事は子供心にも懸命に努力して居る姿がはっきりと判り、私達指導者のネライでもありました。
船長さん始めとして、船側御一同の心より念願なさって居た事だと思います。子供というものは全く白紙であります。我々指導者には赤にも青にも染める事が出来ます。我々が正しい色にそめあげ得たかどうかは断定できません。しかし我々には、この子供と云う白紙に何色を如何に染めるかは子供の心になりきってきびしき愛情をもって判断せねばなりません。この長いややもすれば退屈な航海にこの様な楽しい船内学校を設けられた船側に厚く感謝致すと共に御両親方に日本の子供を大切に御育て下さいます様御願い致します。尚、私達のつたない指導に対しては、どうか皆様方の寛容なるお許しを御願いします。
幼稚園 三浦 和子
三浦 光香
三浦 祐子
(平成14年4月1日タイプアップ/和田 好司)
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