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ブエノスにお住みの同船者三浦大祐さん剣道5段がポルトアレグレに来られました。
仕事でブエノスアイレスに行くことが増えて来ており何時も同船者の三浦大祐さん、お姉さまの三浦祐子さんにお会いする機会があります。同船者の三浦一家は、5人で揃ってガルアーペの移住地に入り原始林を開き永年作物ではマテ茶やツング(油桐)を植えたり単作ではタバコを植えておられました。裕子さんが結婚されて最初にグララッペスからブエノスに移り入植3年目に大祐さんもブエノスに出られました。お姉さんご夫妻の経営する洗濯家さんで手伝いながらアルゼンチンでの勉強を初めブエノスアイレスの国立大学の経営学部を卒業され1992年からアルゼンチンにおける日本国大使館に勤務、移住、会計畑を歩み65歳の定年退職まで後5年頑張るのだとの事です。
写真は、ブエノスのカフェテリアでポルトアレグレ遠征の打合せをしている時のものです。


大祐さんは、中学の時から剣道を学んでおり長崎の開成高校2年生の時に剣道初段を取り家族と共に高校を中退し私たちと同じあるぜんちな丸に乗り込みました。船内に竹刀を持ち込み甲板で素振りを続けていたとの事で入植後もその習慣は、継続しブエノスアイレスに出てから当時有段者3人の仲間と共に日本人会の体育館をかり剣道教室を初めサンパウロで2段の昇段試験を受け合格、その後はアルゼンチンで3段、4段、5段まで到達し近い機会に6段をTRYするとの根っからの剣士で現在ブエノスアイレスの日本人会が運営する剣道教室の師範を努めておられます。

シニアボランタリーの有光俊八師範剣道7段がブエノスアイレスで剣道指導をしておられ8月に2年間の派遣期間が終わり帰国されるにあたり隣国ブラジルのポルトアレグレにもカトリック大学の日本文化研究所運営の剣道教室の生徒30数人を指導する目的で17時間を掛けてバスでポルトアレグレまで来て下さいました。有光先生は、滋賀県に個人道場を持っておられリオグランデドスール州と滋賀県が姉妹県提携をしている関係もありポルトアレグレにまたシニアボランタリーとしてJICA派遣か、滋賀県派遣で剣道の指導に来て頂ける可柏ォが無いか地元関係者が検討をし始めています。ポルトアレグレの剣道は、津嶋冠治総領事が初められたものでその愛弟子の3名が2段を納めておりそれなりのレベルに達しているがこれから先どうして行けばよいか戸惑っている段階で良き指導者がくればブラジルでも大きな剣道王国として育って行く基礎が出来ているとの診断で今後が大いに期待できます。

話を同船者の大祐君に戻しますが、大祐君の亡くなったお父上は、大工の仕事が本職なみで原始林から切り出した大木を使用して立派な机(MESA)を幾つか作っておられそのうちのひとつがブエノス近郊のVILA ELIZAにお住みの大西さんのお宅を訪ねた時に今も使っておられる大きながっちりした時代物の机を示し案内役の大祐さんに『お前のお父さんに作って貰った机だ』と自慢げにしておられましたが40数年前にお父上が作られた机との再会、対面に感無量といった気持ちで撫ぜておられた姿が印象的でした。

43年前に家族5人でアルゼンチンに移住して来られた三浦一家は、もう20年も前にお父さんの清作さんが亡くなられ日本に残っておられたお兄さんの所に戻られたお母さんのハマさんも数年前に長崎で亡くなり、お姉さんの光香さんもアルゼンチンで亡くなっておられ現在は、祐子お姉さんが日本語学校の先生をしておられ大祐さんと兄弟お二人になってしまったとの事で,時代の歴史を刻んでいます。大祐さんの所は、29歳の長女を頭に1男2女に恵まれ皆さんお元気にしておられるとのことです。お姉さんの祐子さんの所も1男1女のご家族で旅行中の写真を提供して頂いており写真集に掲載して置きます。

尚、祐子さんが書かれた日本語教師としての経験を纏めた小冊子を提供して頂きその一部を下記URLで紹介しております。
ガルアーぺ日本語学校のこと  木田祐子さんの【あゆみ】日本語教育実践記録より。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=628



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