首相揮毫記念碑が除幕=『感動』永遠に刻む=入植43周年に合せ祝う=グァタパラ
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7月10日に行われたグァタパラ移住地43周年記念式典に付き掲題のニッケイ新聞記事がWEB版に掲載されていますのでお借りしました。3年前の40周年祭には、同船者多数と参加しましたがその時の様子が下記に記載されています。モンブッカの公園に植樹したイッペーの花が今年は咲くのでしょうか?また訪問して見たいと思っています。グァタパラ移住地には7家族42名が入植しましたが現在も見尾さん、小島さんの2家族が残っています。
グァタパラ移住地四庶年記念式展開催。同船者多数が参加。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=156
サンパウロ新聞には、『感動』の記念碑万感の除幕式・小泉総理の祝辞も披露され・グァタパラ入植再開43周年記念祝うとの関係記事を掲載しており小泉総理の祝辞も全文が紹介されていますのでお借りしました。
写真は、同記念式典に参加された同船者の小山 徳が撮られた『感動』の記念碑前の牧 昇次郎さんご夫妻と小島夫人です。
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7月12日(火)ニッケイ新聞 WEB版より
入植四庶O周年華やかに=。ブラジル随一の〃元気のある移住地〃グァタパラ移住地は藷、入植祭を開催した。昨年九月に同地を訪れた小泉首相を記念して建立された記念碑の除幕式も行い、移住地の歴史に大きな一歩を刻んだ。この喜びの日に合わせて植えられたひまわりの大輪咲きと、これからの発展を象徴するかのように躍動する鯉のぼりに迎えられた来場者、約八百人の喜びの声が移住地内に響き渡った。
式典に先駆け、参加者はグァタパラ市営墓地にある拓魂碑を参拝、移住地内にあるモンブッカ聖家族教会のマシエル神父が祭事を執り行った。
この拓魂碑は入植曙ワ周年記念事業として、七七年に建立されており、グァタパラ耕地に配耕された笠戸丸移民の無縁仏を供養したもの。
同農事文化体育協会の川上淳会長は「移住地、日本人がいる限り、拓魂碑を大事に守っていきたい」とあいさつ。参加者たちは先人の苦労を偲びつつ、献花を行った。
会館での式典で川上会長は、関係者に謝辞を述べ、昨年九月の小泉首相の訪問を「活性化のきっかけとなった」と位置付け、「青少年の育成と共によりよい移住地づくりを目指したい」と決意を新たにした。
続いて、在サンパウロ総領事館の丸橋次郎首席領事が堀村隆彦大使の祝辞を代読、県連代浮フ南雲良治副会長、ブラジル日本文化協会代浮フ菅原ミルトン理事が祝辞を述べた。
かつて造成後に陥った同移住地の問題を解決すべく、日本側で奔走した国際協力機鴻Tンパウロ支所の石橋隆介次長はあいさつのなかで「二年がかりでまとめた『グァタパラ振興対策について』という稟議書が理事長の決済後、手に戻ったとき感動のあまり、手が震えた」と往時を回顧。
「移住は子供のために美しいふるさとを作る運動である」というかつての上司の言葉を引用し、「三諸N後の今、ブラジルにあって日本を感じさせる素晴らしい移住地に発展した」と感極まった撫で今日の繁栄を称えた。
続いて、会場となった会館前に建立された記念碑の除幕式が行われた。これは昨年、同移住地にヘリコプターで降り立った小泉首相の訪問を記念して建造されたもので、高さ一・八メートル、幅一メートル。
「感動 日本移民発祥の地」と首相の揮毫が刻字されており、総工費は二万七千レアル。
小泉首相の従兄である井料堅治氏が「皆様に涙をもって迎えられた感激を昨日のことにように思い出します。気候も言葉も習慣も違う土地で元気に生活しておられる姿を忘れることはありません」という首相の祝辞を代読、除幕の瞬間を逃すまいと無数のカメラが記念碑を取り囲んだ。
鏡割り後、樽酒が振舞われるなか、青年会や演芸部によるカラオケや太鼓、よさこい・メ[ランなどが披露され、会場からは大きな拍手が送られた。
会館隣に設置された食堂は、婦人会手作りのやきそばやお弁当に舌鼓を打つ家族連れや、若者の喜びの声に包まれていた。
グァタパラ農業協同組合の斉藤長一会長は「日本移民百周年に向け、何か(グァタパラでも)出来ないかな」と仲間と談笑しつつ、笑顔でビールを呷った。
特設物産展で販売された、様々な農産品やグァタパラ自慢の味噌や山クラゲ、お菓子などを買い求める人々で会場は賑い、来場者の中には、両手に抱えきれないほどのお土産を買い込む姿も見られた。
同時期に造成されたリオ州のフンシャル移住地からお祝いに駆けつけた小松滋さんは「こんなに沢山の人が来るなんて」と目を丸くしていた。
『感動』の記念碑万感の除幕式・小泉総理の祝辞も披露され・グァタパラ入植再開43周年記念祝う サンパウロ新聞7月13日WEB版より
笠戸丸ゆかりの地でもあるグァタパラ移住地への入植が今年で四庶O周年を迎え、藷に記念式典並びに先没者慰霊祭が同地で行われた。また、昨年九月に来伯した小泉純一郎首相からの揮毫による記念碑の除幕も行われ、除幕式に寄せられた小泉首相からのメッセージが披露され、式典に二重の「感動」を届けた。【山本悠介記者】
《新たな歴史紡いで躍進・今年の記念日を首相来伯元年として》
式典会場となったグァタパラ農事文化体育協会(川上淳会長)会館には、約八百人が参加した。
午前庶栫A「拓魂」と刻まれた慰霊碑の前には多くの人が詰め掛け、訪れた人は聖歌の中で花を捧げた。川上会長は「ファゼンダ時代の共同墓地に『南無阿弥陀仏』と書かれた木片を発見したことから慰霊碑建立の必要を感じ、皆の協力を受けて入植曙ワ周年記念事業としてこの慰霊碑は建立されました。我が移住地がある限り、この地に日本人がいる限り、この慰霊碑を守り続けていきます」と挨拶した。先没者を奉る慰霊碑は墓地内にある。グァタパラは、笠戸丸移民九藷人が振り分けられ、コーヒー園での労働に従事した歴史を持つ。その後はファゼンダとなっていたが、一九六二年に全拓連の協力を受け、移住が再開された。
場所を同文体協会館に移して行われた記念式典には、サンパウロ総領事館の丸橋次郎首席領事をはじめ、元サンパウロ州議員の下本八郎氏や、新潟県人会長(県連副会長)の南雲良治氏や、鹿児島県人会長の天達市雄氏、グァタパラ市副市長のジルベニール氏など、多くの日系団体の代浮ェ来賓として招かれ、賑わいを見せた。川上会長は「昨年九月の小泉首相のグァタパラ訪問については、感動的であると同時に日系社会のさらなる発展を約束するもの。これからも過去を知り、しっかりとした歴史認識のもとで青少年の育成を計り、日伯間交流を促進し、日系社会の発展に尽力します」と挨拶。丸橋領事は「四庶O周年を小泉首相来伯元年とするような前向きな気持ちで、新たな歴史を紡いで欲しい」と壇上で話した。
グァタパラ文体協会館前に建立された石碑は大理石と黒御影石製で高さ三.七メートル。除幕を前に、カメラを持った群集が前へ前へと詰め掛けた。八百人が見守る中で川上会長らがリボンをほどいてカバーを外すと、刻まれた「感動」の文字が観衆の前にあらわになった。
この記念碑建立にあたり川上会長は五月中旬から一か月にわたって訪日し、小泉首相に阜h訪問をした。その席上で、川上会長は小泉首相に対し揮毫の謝意を述べるとともに除幕式へのメッセージ文を依頼していた。小泉首相のメッセージは、除幕式当日に届いたという。小泉首相の従兄である井料堅治さんが壇上に登り小泉首相からのメッセージをゆっくりと読み上げると、聴衆は一様に耳を立て、聴き入っていた。
無数のカメラを相手の記念写真を終えた後に来賓一同で鏡割りを行い、式典は幕を閉じた。
昼食を挟み、会はそのまま「四庶O周年記念演芸祭」に移行した。地元日本語学校の生徒らによる太鼓や、婦人会による舞踊が披露された他、来賓として訪れていた歌手の中平マリ子さんも歌を披露した。
会場では物産の販売も行っており、特産の山くらげをはじめとした地元農家の野菜や鶏卵、さらには「感動 日本移民発祥の地」とプリントされたオリジナルTシャツまでも並んだ。地元日本語学校生徒手作りのお菓子なども販売され、このコーナーは終始賑わいを見せていた。
なお、記念碑の前は絶えず記念写真を撮る人で賑わった。「感動、という言葉は本当にぴったり」「私はグァタパラに住んでいる訳ではないけど嬉しく思います」と、多くの人が記念碑の前で「感動」、笑顔を見せていた。
(小泉総理大臣の祝辞)
本日グァタパラ移住地入植四庶O周年を迎えられたことを大変喜ばしく思います。
また、入植四庶O周年祭の折りに、私が揮毫した言葉を記念碑に刻んで将来に残して頂けることは、まことに光栄に存じます。
今般の入植四庶O周年祭に先立ち、サンパウロに在住している私の従兄の井料堅治より、記念碑除幕式にあたり私の気持を皆様にお伝えしたいとの話があり、私も喜んでこの祝辞を井料に託すこととしました。皆様に対する私の忘れがたい思いが、皆様の元に届けられるように願っております。
昨年九月に私がブラジルを訪問しグァタパラ移住地をヘリコプターで視察した際、「歓迎 小泉首相」の文字や鯉のぼりを目にして、急遽地上に降りることにしました。その時皆様に涙をもって迎えられたことの感激を、昨日のことのように思い出します。気候も言葉も習慣も違う土地で、皆様が苦労して農業に従事して礎を築き、今日では、現地に溶け込み、元気に生活しておられる姿を忘れることはありません。
私の訪問に引続き、去る五月末には、ルーラ大統領を日本にお迎えしました。こうした往来を通じ、日本とブラジルの関係はさらに一層強化されていくものと信じます。その基礎にあるのは、皆様のような日本人移住者・日系人の方々です。より良い日本とブラジルの関係を築いていくにあたって、皆様が両国間の掛け橋であり続けて頂けるよう期待しております。
皆様の御家族、御子孫が今後とも、ブラジルの大地にしっかりと根を下ろし、未来に亘って御繁栄されるよう祈念し、私の挨拶といたします。
二〇〇五年七月藷
内閣総理大臣 小泉純一郎
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