今東光和尚の【南米漫遊記】丸善石油高等工学院の学院だより15号より転載(2)
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今 東光和尚は、昭和36年11月3日に日本出発、同年12月3日に日本帰着でアルゼンチン、ブラジル、パナマ等を訪問しえいる。その間の感想等を南米漫遊記として我々のでて来た37年春に丸善石油高等工学院の春の教養講座として話しておられます。【日本移民の南米での実情】と【歓迎される日本人と製品】です。毒舌が冴える第2部です。写真は、今東光伝の本の表紙からとりました。 |
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日本移民の南米での実情
それからベレンというところから上流にサンタレームという町がある。日本の移民たちは、みんなそのサンタレームから奥へ入るんです。入植地はね。ところが船で行くと1ヵ月かかるんだそうだ。ベレンからサンタレームまで・・・・・あきれた川ですね−。それを飛行機で行きますと4〜5時間かかる。東京〜大阪間は全日空で50分か。そうすると九州から北海道の千歳くらいまでの距離です。あそこでは年中そのくらい飛ばないとたどりつかない・・・・・ムチャクチャに大きい。
そのサンタレームまで日本の人達が行くんです。私はね−憤慨したのは(年中わたしの話は憤慨ですけれども
僕が立つ朝電通の吉田社長から、君にどうしても会いたいという参議院議員がおられるんだがちょっと会ってくれないかと・・・・・参議院議員さんに用はありません。これから南米に行くのに、予定が夜までつまっていて、いそがしいから時間はありませんよと・・・・・じゃ君とわしと昼食を食うことになっているから、その関に呼んでよいかといいますから、勝手に人のめしを食うところを見たかったら、見たらよいでしょうと・・・・・妙な野郎がいるもんだと私は相手にしないでいた。
なるほど相手はやってきやがって、そして人がめし食っているところで、何とかかんとかしゃべっておる。聞いていると自分はアマゾンに行って、日本の移民を見てきた。50余日、朝夕彼らと寝起きして真に移民を慰めてきたというので、まあなかなかご奇特なお方ですなあといいながら私はめしを食った。
あそれからいったい私には、どういうご用事なんですと聞くと、はっきりはいわんけれども、移民問題では日本一えらい人で、両院を通じて南米通の第一人者だといわんばかりのことをいっていやがる。それから僕はムカーッとしたもんだから、あばたは何で帰ってきたんですか・・・・・50余日せっかくいらっしゃったんですから、何でお帰りになったんですか、と聞いてやった。すると、いや僕は参議院に議席があるから、やはり帰らなくちゃならんというんで、ええ参議院なんか、あなたが帰っても帰らNでも困らんでしょうといったら、いやな顔をしておった。
ああよい気持だと思ってね−、私は−なぜこういう皮肉なことをいってやったかというと、・・・・・だいたいいろんなところへ多少行くんですからね。−西東分らなくちゃいかんから調べてくる。私はいよいよそのアマゾンを見に行った。川得お見たってしようがないから、アマゾンに行き、サンタレームにも行き、入植地も見た。ところが、日本の移民線アルゼンチナ丸とか、いやブェノスアイレス丸とかなんとか丸で送り出す。大阪商船で行くでしょう。そのようなとんでもない広いところへ先祖代々のカマとクワを持って行くんだよ。だからね、私はひどいじゃないかと、まるで象の体にノミが一匹つかまって、この象の野郎刺してやろうなんていったところで、象の野郎こたえんですわね。
そうでしょう。そんなところへカマとクワだけで行くんですよ。しかも何も開墾されていないジャングル地帯へ放りこまれる。そこで最初何をするかというとしかたないから、まずそこの森に火をつける。ジャングルに火をつけて自分の入るところを焼くわけです。焼くといったって、そんなに広いものだから1日や2日で焼けるもんじゃない。幾日も幾日もかかって焼く。焼いたらすぐ翌日入れるかというと、熱くて入れない。スコールでもきて冷えるまで入れやしない。やっと火が消えたというと、こんどは残った根を掘らなくてはならない。その気がその辺にあるような木なら僕らでもすぐ5〜6人で掘れるけれども、とにかく幾抱えもある木が無数にあるでしょう。牛も馬もいないんだからコツコツと掘る。一つ掘るのに何ヶ月とかかっている。しかしながら日本人が勤勉だから耐えている。私はこのときに本当に涙が出ると同時にこの政府のやり方。移民政策というものに腹が立ち、あの参議院議員こんど日本に帰ってきたらドヅキ廻してやろうと腹がたった。ホテルも何もないところで移民とともに50余日起居をともにしたと、ひどい野郎だね。この野郎まるで詐欺師だね。私はむかむかした。なぜそんなに腹立つかというと、その近所に沖縄県人が入植しておる。ところがいまアメリカが沖縄に手を入れて、何とか少しづつ日本から沖縄を離したいですから、沖縄に独立政府のようなものをこしらえて、どんどん沖縄のことをやっている。ところが沖縄は残念ながら日本が好きでしようがない。祖国復帰運動などを猛烈にやっている。この間池田総理がアメリカへ行って、ケネディ大統領と話して、話がついたのは、沖縄では何か大祭があるときは日章旗をかかげてもよいという許可が出た。許可が出て全党にどれだけの日章旗が上がるかというと、全島日章旗になっちゃった。アメリカなんていう国はかわいそうだ。一生懸命銭出してよくしようとして、手前の旗は立てられず、日章旗ばかりなんだから。
ところがね、私、先月24日から1週間ほど沖縄に行くことになっていた。ところが僕は沖縄にロクでもない女が一人いましたが、こ奴の親爺がアメリカ人で、これを僕は知らずにテレビとラジオでその女をボロクソにいってやったのです。ところがその親爺が出入国のビザを出す係だから、おれのことを好ましからざる日本人だと、ついこの間まで遅らせやがってね。やっと許可が出たんだが、4月になっちゃった。こういう意地悪されちゃった。こんどは一生懸命ほめてこようと思う。
そのくらい沖縄を一生懸命アメリカが力をつくしているが、力を尽せばつくすほど、沖縄は日本が好きになるんだ。そのときも私は、沖縄に演説会があって行きまして、しゃべった。着いたその日から復帰運動の連中が、ホテルにジャンジャン電話かけてくる。先生なんとかして、祖国復帰に話をふれてくれ、日本人だという事を大いにいってくれと、大変な依頼がありまして、だからせっかく頼まれたんだから、私は一生懸命それをいったら、彼らは非常によろこんで、万歳を叫んでしようがない。人の話中にね、もう感激してしまうくらい日本を愛している。
その連中がこんど移民でアマゾンにくる。そのときにアメリカは、3〜5年の生活を保証し、農家10戸に対し35〜50トンのブルドーザーを3台くらい無償で貸与している。ですから、彼らは火をつけて焼いた後ブルトーザーを使って、一日に5〜6町歩をゆうに開墾している。隣りの方を見るとわが愛する日本人は先祖代々のカマとクワでやっているんだ。この前の日米戦争と同じですよ。向こうはB29でやってくるのに、われわれは竹槍でねらっていたんだから、きやがってみろといったところで、届くもんじゃない。
日本人は勤勉だ。努力家である。先祖代々これでやってきたんだから、クワやカマでやれというけれども、お隣りでは50トンくらいのブルトーザーでどんどんやっている。そうして何かあると、そういう移民たちは、みんな旗をたてるんですが、日本人の移民は旗をたてる力がない。お隣りの沖縄の方は一斉に日章旗をたてているんだから、アメリカは気の毒なもの。せっかく一生懸命そんなものをくれて、貸してたてられるものは日本の旗なんだからね。アメリカはいやな顔している。そういうふうなところを私は見てきた。この参議院議員というものはね、そういうところを見ているはずなんです。・・・・・それで参議院議員で移民通だというけれども、通だけではなんにもならない。こん畜生、もっと銭出してやれと池田の首玉をつかまえ、ブルトーザーを貸してやれと、それで池田が首をしめられて苦しくてしようがないから、それじゃ貸してやろうと、出したんならこれはまたえらいですよ。何もいやしない。帰ってきたらだまっていやがる。新聞に一行も出ていない。
私はね、こういう政治家が何のためにあるのやら、アマゾンに小便しに行ったようなもので、けしからん野郎だと怒るわけです。どうですか。この通りいっているんだから私がいうと成る程と・・・・・よほど参議院議員よりか、ことが分っている。あ奴らは50余日居候しやがって、私は実際に見て慰問してきて、これは大変なことだと、日本の移民政策というものはこんなことではいけない。もっと経済的な裏づけをしてやり、経済的援助をしてやり、そして機械的な・・・・・。
いまのアマゾンというのはそういうところなんです。大農式なんですからそういうことを考えると、これは日本の政治家はもっと考えてもらわねばならない。何のためにあの野郎達は、われわれから税金を取ってぬくぬくと飯食っているのかと思うと、腹が立ってくるでしょう。だから私はこんどの南米については東京でもずいぶん苦言を呈してきたのです。
<講演中の今先生>
歓迎される日本人と製品
行って見て驚いたことは、南米人が百人中99人アメリカ人をきらっている。ところが日本人はすごくもてる。私ですらもてるんだからね。あっちでもこっちでも引っ張りだこ。それくらい日本人は尊敬され、愛されています。サンパウロの町のネオンサインなんていうのは全部日本人の仕事ですよ。あいつらは不器用だからできない。私の家内にお土産になんとワニ皮のハンドバッグをもらったのはありがたいけれども、止め金が曲がっていやがる。曲がっていてもよいんだが、どうでもくっつけておきさえすればよいというようなかっこうなんだ。その不器用といったら、もうあ奴らぐらい不器用なものはないなあ。私はもらったんですけれども、出すのが恥ずかしかった。家内にわざわざ悪いのを買ってきたなんて思われはせんかと思って・・・・・。もう出来るもんが何でも不器用なんです。そこへ日本人が行くでしょう。ですから日本人くらい有難いものはない。日本人くらい尊敬すべき人種はないといわれている。ですから南米にいる日本人はもう本当に誇り高く生きている。
アルゼンチンのマルデニー川に省線電車が走っている。そこを私どもが通った。そうしたらお前達は日本人かと聞くからおお日本人だというと・・・・・この電車を見てくれ。どうだ、すばらしいだろう、・・・・・日本製だからね。これはお前の国から買ったんだ。どうだすばらしいだろうという。おかしな自慢だね。おどろいちゃった。それからしばらくしてから、何ともいえん立派な電車ですと、ことにお前の国を走っていると余計よく見えるといったら、とても喜んでいる。それほど好人物ばかり揃っている。お前とこで買った電車よくないとでもいうかと思ったら、まるで自分のところでこしらえたぐらい自慢している。なでまわすようにして、大事にしてくれている。
それからパナマに行った。パナマ運河ですね。うちの丸善とも関係があるんですがね。その運河は電車があって船を曳く。スクリューをまわして、そこを通るとその波で次第に護岸工事がゆるんで崩れる。それでここを通るときは、船はみな機関を止めて電車で引っ張る。その曳く電車が日本製。もういたるところ日本のものが活発に使われ、大事にされているんですね。僕は南米へ行って気持がよかった。
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