戦いすんで日が暮れて・・・…(顛末記5)
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4月16日の第1次選挙で過半数を得られず71票差の第2位の上原候補との決戦投票を前に選挙管理委員会を相手取って裁判所に訴えを出すとの法的手段を実施するも4月30日の決戦投票に辞退するとの通知を出し文協会長職を断念しその後裁判所への訴えも取り下げ日本文化協会選挙は現執行部の存在感がある上原幸啓氏が再選され今後のコロニアの舵取りを継続することになった。谷氏は、5月4日に裁判所に訴訟断念の手続きを取り更に6月28日付けで掲題の【戦いすんで日が暮れて。。。】の支援者及び日本文化協会全会員宛のお礼状を出して総てに終止符を打った。2月26日のニッケイ新聞の前代未聞の選挙事務所開設の報から数えて実に4ヶ月間に渡る谷旋風でしたがこれは何を意味し何をコロニアにもたらしたのでしょうか。100周年記念事業の箱もの記念事業としてのレオポルジーナ案を阻止しただけでなくそれに変わる100周年記念事業との取り組みと言う大きな宿題が残ってしまい3年をきった100周年祭までに何が出来るのか皆で考えて行く必要があろう。私個人としては、谷候補への1票の為に入会した日本文化協会の会員資格だけが残った。
好漢、谷 広海のブラジルでの活躍の場が近い将来到来することを期待したい。
写真は、谷 広海さんです。
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ニッケイ新聞による文協会長選挙関係ニュース 4月19日 (1270)
各候補・陣営の動き=谷広海候補
仕出弁当を支持者に用意するなど配慮を見せた谷候補。Yシャツの腕をまくって、投票会場内を精力的に動いた。というのも、法人七社、個人庶≠フ委任状を抱え、自ら煩雑な手続きをこなしたためだ。
「投票にこれだけ列が出来ているのに、肝心の総会への出席者が少ないのはおかしいね」「法人会員向けのアピールが足りなかったのでは。商議所にしっかり説明するべきだった。百年祭に積極的に参加してもらうためにも」と、現体制に対して不満を並べた。
優勢が伝えられる中、必勝を期し、二日前にダルマの片目に墨を入れた。祝賀会の場所も既に決まっているのか。報道陣に聞かれると、「今晩、(リベルダーデ区のレストラン)『ごんべ』に来てよ」。自信をのぞかせた。
午後五時過ぎからの開票の模様は涼子夫人と見守った。時折、額を流れる汗を拭い、緊張を隠せない。「力を抜いて」とばかりに、夫人が肩叩きやマッサージする姿も見られた。
前代未聞の選挙事務所を開いて一カ月。決起集会を行なうなど、「文協を変えるために」支持者の獲得に全力を注いできた。それだけに、委任状以外の票が伸び悩んだことを知ると、「うーん……。代理で払っとけば良かったかな」とポツリ。充血した目が疲労のほどを物語っていた。
緊張、興奮のピークを超え、「一晩ぐっすり寝れば回復すると思うけど、明日は朝早くから日本語センターで仕事なんです」
4月19日(火)ニッケイ新聞
記者の眼=谷伸び悩み、上原に勢い
■投票結果をどう読むか■
七処齦差をどう見るか。谷派八百四票と上原派七百三庶O票の差だ。選挙後、上原氏は「こんなにたくさん票が入るとは思いませんでした」と繰り返し、喜んだ。一言で言えば、上り調子の上原陣営に、伸び悩みの谷陣営か。
上原陣営内では、谷氏が一発勝利を決めるという筋書きが、かなりの信憑性を持って語られていた。それゆえに現執行部は、最後まで高等審議会の谷氏説得にこだわったようだ。
なぜ、事前に四百票と言われていた上原票が七百票と二倍近く伸びたのか。「積極的な上原支持」というよりは、コロニアの持つ保守的な傾向が「現体制支持」という形で三百票以上の上乗せとなったのでは、との声を聞く。現体制ゆえの上乗せ分が卵z以上に多かった、との分析だ。
逆に、谷派は用意した委任状七百票プラス、百人程度しか当日票が入らなかったのは誤算だった。決起集会で二百五署lが集り、その後の盛り上がりようを考え合わせれば、九百は固いと踏んでいた節がある。
総投票数が千八百弱だと分かった時、過半数は九百票と分かり、谷陣営の中では、一発勝利への期待が強まっていただろう。
下馬評では、もっぱら優勢と言われて谷陣営だけに、「もう勝った」という慢心が生まれ、入るはずの票を減らした可柏ォがある。最多得票だったにも拘わらず、逆に、谷陣営は〃敗北感〃を感じたのではないか。
逆に、存在感を明瞭に際立たせたのは下本陣営だ。彼の持つ二百四庶l票の重みがずっしり、両陣営には感じられるだろう。ある意味、下本氏がどちらにつくかで大勢が決まる。水面下での交渉は、激しさを増すに違いない。
下本陣営のある幹部は、上原陣営とはすでに統一シャッパを組むかどうかで、シャッパ提出前に庶條ヤ話し合ったが、合意に至らなかった点を強調し、谷陣営と組むかどうかは「条件次第だ」と言った。
現在の図式が、今後どのように展開するのか。二週間後、フタを開けるまで分からない。開票後、渡部和夫氏と下本氏が肩を抱き合い、携帯電話の番号を交換していたのもこれからの票の行方を如実に暗示していた。
しかし、肝に銘じたいのは、これは〃政治ゲーム〃ではない点だ。
今回、文協への関心が高まった=との話もあるが、年に一度の大事な文協定期総会(大講堂)の場にいたのは、たかだか六署l余りだった。昨年の百六署lと比べても寂しすぎる人数だ。
昨年の事業報告や、今年の事業や落Zの審議が行われた総会に、その程度の人間がしか来ないのは、本当の意味で「文協」への関心が高まっているのではなく、「文協の選挙」への関心だからではないか。
選挙当日の文協には、今までにない輝きがあった。一世、二世関係なく、みなが生き生きとしていたという印象を受けた。この勢いを削がず、分裂させることなく百年祭へ向けること、それこそが本当の課題ではないか。
■本当の争点とは■
今回の文協会長選挙の実質的な争点は百周年だった、と言ってもいいのではないか。特に、ヴィラ・レオポルジーナの日伯総合センター計画に関しての意見の違いが、文協初の対抗シャッパを生んだと言っても過言ではない。
その意味で、判断は下されたといってもいい。センター反対派の谷・下本両派を足せば千四諸ェ票となり、上原陣営の得票は遠く及ばない。
この結果をどう解釈するかとの本紙の問いに、上原氏は「まあ、とくかくケンカもなく無事に選挙が終わって良かったです」と繰り返し、お茶を濁した。
ヴィラ・レオポルジーナ案に関して賛否を問う、実質的なアンケート調査となったこの選挙だが、上原氏は相変わらず結果を直視したくないようだ。
このような結果がでても、「若者は支持してくれている」と都合のいい部分だけを解釈する傾向は変わらない。口では「みんなの話を聞いている」「何百人ものチームでやっている」などと老練さをみせる。
三藷の百周年祭典協会総会で、何を提案するのかとの問いには、ヴィラ・レオポルジーナ案一時凍結とコロニアの世論調査という従来の姿勢を崩さず、「レオポルジーナ反対案が総会に出され、可決されたら、それでお終いですから」とつけ加えた。
あくまでヴィラ・レオポルジーナ案を推し通すこの自信は、選挙結果と無縁ではないだろう。
下本候補は九日の立会演説会で、「ヴィラ・レオポルジーナはやらない」とする提案を三藷の百周年祭典協会総会に出すというと公言したが、どうするか。
また午前中に百周年総会、午後から決選投票という順序はどう情勢を左右するのか、見えないところだ。
選管を相手取り訴訟=谷陣営=決選投票差し止めへ=文協会長選=法廷闘争に発展 4月28日 (1305)
日本での仕事を無事終え4月26日の阪神ー中日戦観戦(又も敗戦で六甲颪歌えず)、27日愛知万博【愛・地球博】見学、28日東京オフ会と続きこれから福岡に向かいますが、『私たちの40年!!』HP、画像掲示板、MLとその更新が思うように進んでいません。写真等は沢山撮り、報告したいことも沢山有るのですが、矢張り仕事優先?報告書作り等に時間を取られています。
気になっていたサンパウロの日本文化協会の決戦投票は、4月30日に嵐閧ウれていましたが、谷陣営から定款からして一次選挙の結果、最大票を取った谷候補が文化協会の正当会長であるとの訴えを裁判所に垂オ立て決戦投票指し止めの手続きを取ったとの下記ニュースがニツケイ新聞4月28日付けで掲載されていますのでご報告して置きます。
4月28日(木)ニッケイ新聞
法的解釈を巡って文協選挙が裁判へ=。三藷決選投票で上原幸啓候補との一騎討ちが注目されていた谷広海候補が、第一回投票を有効とする訴訟を起こした。二庶オ日午前庶桙ゥら開いた記者会見で明らかにした。前日の二序Z日、聖州庶O管区裁判所に、選挙管理委員会に対しての訴訟手続きを行い、受理された。谷事務所によれば、二庶オ日中に、文協事務局に決選投票を差し止める通告がなされるようだ。会長選挙が法廷の場で争われることとなった。
二序Z日に聖州裁判所に受理された訴訟内容は、文協の定款第二処齒第一項の「maioria votos dos presentes」という原文がmaioria simples dos votos」という文章に書き換えられており、「最多得票者が当選する」という本来の意味が、曲げられているというもの。つまり、「すでに第一回投票で最多得票の谷氏の当選は決定している」という主張だ。
これに対し、選挙管理委員会のある委員は、「『maioria』は、『過半数』を意味する」と説明しているから、両者の言い分は真っ向から対立していることになる。
シャッパ提出期限の翌日である四月七日に現理事会と評議員会の幹部が決定した追加細則には「entendido 50% mais 1(um)dos votos validos」と解釈を強調している。
谷陣営の小山昭朗氏は、「フットボールに例えれば、試合開始後にルールを変更するようなもの」と揶揄する。
現理事会が選挙細則決定に名を連ねていることに対し、谷氏は、「(選挙の一候補である)現執行部が入ってやること自体がおかしい」と続ける。
「どうしても勝ちたい」との本音も漏らしつつ、「しかし、これじゃあ選挙はできない」とも。
この解釈について、今回の訴訟担当弁護士に相談したところ、「『定款に従えば、(谷氏が)勝っている』との言葉を聞き、自信を持った」という。
谷陣営によれば、訴訟判決が出るまで長くて二カ月と見ているようだが、「取り下げはいつでも出来る。それまでに上原陣営との話し合いを行いたい。今回の訴訟はそのための手段」との考えも示した。
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下本氏からの条件を検討するため、二曙ワ日夜、約二署lの谷陣営幹部が集まった。午後処齊桙ワで続いた話し合いは、下本候補と手を結んでも勝ち目はないと判断したようだ。
「三月三処齠に確認した新規会員の数が三日後には何故か増えていた」。
谷氏と徳力啓三事務局長は、同日事務局が閉まる直前に新会員の登録を済ませた。最後の有権者会員番号を持っているはずが、それから二百人以上も新会員が入っている。
それが分かったのは、事務局に瑞ソして藷後に受け取った有権者名簿の番号からだった。
「誰が入れたんでしょうなあ。つまり、僕らは有権者が何人いるかも知らずに選挙活動していたわけ。でも、向こう(現執行部)は知ってる。こんなバカな話がありますか」と谷氏は声を荒げ、第一回選挙での不公平さを挙げる。
「現執行部と選挙管理委員会はくっついている」とまで言いきった。
会見に出席した記者から、「百周年を三年後に控えた今、数カ月の空白期間を作るのはどうか」と今回の訴訟自体への疑問の声も聞こえたが、「コロニアの問題をコロニアで解決すべきとの考えもあったが、下本さんの票を入れても、この人達の下では、選挙はできないと判断した。選挙までもう三日しかないし、唯一の手段と思う。今回の仮処分期間で話し合いをするほかない」と苦渋の選択があったことを明らかにした。
さらに谷氏は、「(上原候補の当選で)レオポルジーナ案が継続されることにより、(経営危機に陥り)文協がなくなってしまう危機感が大きい」とした。
上原陣営との交渉が前日、決裂していた下本八郎氏から会見当日朝、連絡があり、「一緒に組めば、勝てる。決選投票に臨もう」との連絡もあったことを明かし、「そんなネゴシオで勝つ選挙は意味がない。それこそしこりを残すと思う」と話した。
今回の裁判に、支持者たちはどう感じると思うかとの質問に、「ついてきてくれると思う。二世には戦後一世に対する偏見があることはみな経験で知っているし、(このような事態になったことは)理解してくれるはず」と撫を引き締めた。
裁判という方法で会長となり、コロニアの協力を得ていけるのか、との問いに対しては、「文協は企業とは違うし、少しずつ積み上げてゆく。運営に必要なのは、決定し、責任を取るトップ。やるべきことは分かっているし、皆も協力してくれると思う」と述べるに留まった。
選管を相手取り訴訟=谷陣営=決選投票差し止めへ=文協会長選=法廷闘争に発展 4月28日 (1306)
サンパウロ日本文化協会の会長選挙に関してのサンパウロ新聞の記事を参考に下記して置きます。
「文協」ついに「分狂」化・谷派、選挙問題を法廷に・裁定あるまで決選投票延期? (サンパウロ新聞4月28日号より)
三藷の文協決選投票を前にした二序Z日、谷広海候補が「決選投票をしてまでも決着を付けることは、日系社会が分裂する原因になる」として裁判所に仮処分として訴え、当日の選挙を凍結させる手段に出た。しかし、選挙管理委員会(原田清委員長)には事前説明が行われていない。法的手段に訴えることで「上原陣営と話し合う機会を持ちたい」とする谷候補だが、日系社会が混乱する可柏ォもあり、今回の訴えがどう影響するかが懸念されている。選管が異議雛ァてを行うかは二庶オ日現在、未定。
《地に落ちた親睦の名・拙劣な強行手段に増幅する嫌悪感》
二庶オ日午前庶桙ゥらリベルダーデ区の谷事務所で行われた記者会見で同候補から詳細内容が説明された。それによると、会長選挙の当選事項について三月七日に文協の現理事と評議員会代浮ナ作成された選挙規定では、「Maioria voto dos presentes(最も多く票を得たもの)」という定款の原文があったのが、四月七日の選挙管理委員会では「Mioria simples dos votos(五〇%プラス一票=過半数)」との文章に換えられて発浮ウれたという。今回の訴えはこの部分に絞られている。
谷候補は、崩壊したコチア産業組合や南銀が無理な経営拡大をした点を例に出し、「他人の金を当てにしている現在の(日伯総合センター)レオ・ポルジーナ案を進めれば諸Nもしないうちに文協は無くなってしまう」と同案を廃止しない現執行部の考え方を批判。三藷の決選投票を前にした二序Z日の時点で、上原幸啓候補との話し合いが法的手段で訴えるしかないことを主張した。二序Z日、弁護士を通じて聖州第庶O管区裁判所にリミナール(仮処分)として決選投票を凍結するよう訴えているが、上原候補との話し合いができれば「取り下げることもできる」(谷候補)と話している。
二庶オ日現在、選挙管理委員会が谷候補の訴えに異議雛ァてを行うかは未定だが、このまま進めば三藷の選挙が凍結される可柏ォも高い。選挙が凍結された場合、「決選投票をするか我々が勝ったという内容になるかは、一か月か長くても二か月には決まると思う」(谷候補)としているが、上原陣営が控訴した場合は、日系社会がさらに混乱する恐れもある。
記者側からは「今年の文協五庶年、三年後の百周年を前にした大切な時に、裁判により空白時期をつくることと混乱を与えることは会員に大きな影響を与えるのでは」との質問が出された。これに対して、谷候補側は「(序Z日の選挙の前に)上原候補と下本候補が三回にわたって話し合いをしたが一緒になるという結論が出なかったと聞いている。決選投票をやればお互いにわだかまりが残るが、裁判に任せたことで他人の力で判断でき、負けた側も新たに文協に参加できる」と話している。
また、「責任者でない人に(百周年の)決定権を任せていること自体がおかしい」(谷候補)と、文協改革委員の一人でありながら現在の文協執行部以上の権力を持つ元州高等裁判所判事の存在を批判した。
裁判について上原候補側は「自分たちが言われる立場ではなく、選挙管理委員会が判断すべきこと」と話している。
サンパウロ日本文化協会会長選擧に付いて。谷さん辞退発普A終結する。 4月30日 (1316)
気になっていたサンパウロの日本文化協会会長選挙は、30日午後に決戦投票が行われる事になっていたがこの選挙指し止めの法的手段をとった谷陣営が、その矛先をおさめ決戦投票への参加辞退を垂オ出て一応解決したとのニッケイ新聞のニュースがメルマガに掲載されていました。ギリギリの線でコロニアの良識の勝利、しこりを残さず今回の3候補者の各陣営の人材を起用、ブラジル日本移民100周年祭を実施して欲しいものです。
谷さんご苦労さまでした。貴兄の努力は、コロニアで大きく評価され生きて行くことでしょう。これからもコロニアの為に頑張って下さい。
谷氏辞退、争いに終止符=緊急会見「当初の目的達成」=上原氏と握手 協力を楓セ----------------------4月30日(土)
「このままではコロニアが割れてしまう。上原会長がレオポルジーナ案を止めたことで、我々は選挙に出た目的の半分以上を達成した」。文協会長選挙に関して、谷広海候補が辞退することを文協会議室で二暑纉午後二時過ぎ、正式に楓セした。
谷候補は「パラベインス」と祝辞を贈り、上原会長は「確かに私たちも間違ったこともやってきた。この選挙で勝者はいない。これから一緒に働きましょう」と握手を交わした。一カ月半の運動期間中、コロニアから大きな関心を集めた今回の選挙は、ギリギリの段階で矛が収められた。
午後二時からの話し合いには谷候補のほか、小山昭朗、諸川有朋、徳力啓三の三氏が、文協側からは上原会長、吉岡黎明、伝田英二、松尾治ら三副会長、選挙管理委員会からは山内淳副委員長が出席した。
最初に谷氏は、レオポルジーナ案を中止する件を確認した。「百周年協会の担当グループと日系研究者協会代浮ェ昨晩、先方の投資家グループと話し合いをもち、中止を垂オ入れて受け入れられた」と上原会長は報告し、谷氏は「感謝する」と述べた。
加えて、「これで最初の目的の半分は達成された。あとは定款を改正して、若い人が六〜七人でもシャッパを組めるようにし、さらに民主的な選挙制度にしてほしい。また、会員への接客対応を良くしてほしい」などと谷氏は要請した。
小山氏は「我々も上原会長には大変な敬意を持っているが、最初からもっとコロニア一般の声に耳を傾けていてくれれば、このような選挙もなかった。その点をしっかり約束して欲しい」と語った。
谷氏は立候補を辞退する理由としてさらに、下本陣営が上原陣営と組むことを二諸ェ日に楓セした点や、現在の選挙管理規程では委任状を戻してもらえるのは代理人だけで、現状では前回投票した代理人の多くが外国など遠くへ旅行していたり、地方在住者でもう一度投票に来てもらうことが難しく、委任状のかなりの部分がもう使えないため、と説明した。
また、「我々はただ辞退するだけでなく、いつでも日系社会のために働く準備がある」とし、百周年などに協力する意志があることを強調した。
これに対し、頷きながらじっと聞いていた上原氏は「選挙によってコロニアを動かすことができた。これは大きな成果。今回の選挙で誰が勝ったということはない。一緒に働きましょう。今日は美しい日になった」との胸中を語った。
二庶オ日に谷氏が裁判所に決選投票を中止するよう仮処分瑞ソした件は、「協会内で決めた方がよい」との裁判官の判断で、翌二諸ェ日に裁判官からさし返され、谷氏は同日に再瑞ソした。「同じ裁判官に瑞ソしているから受理されるのは難しいでしょう」とも。ただし、取り下げはしていない。
小山氏は「裁判は相談して決めたことなので、早急にみんなと話し合いたい」と取り下げる意志があることをほのめかしたが、明言は避けた。
「日本にはいい言葉がある。『雨降って地固まる』です」=。そう谷候補は説明し、上原会長は「三つのシャッパの人全員に集まってもらい、いつか一緒に写真を撮りましょう」と提案した。
谷広海氏の日本文化協会会長選挙参加の結末 5月7日 (1338)
ここ暫らくブラジルに置けるニッケイコロニアの話題をさらった日本文化協会会長選挙に立候補していた谷広海さんの裁判取り下げで一段落したとのニュースが5月5日付けのニッケイ新聞に掲載されていますので本件最後の話題として転載して置きます。
谷さんご苦労さんでした。今後も利他の気持でコロニアの為に尽力して下さい。貴方の投げ込んだ石の波紋は大きく広がって行くと思います。
谷広海氏=正式に裁判取り下げ報告=今後も日系社会のために
---------------------5月5日(木)
「今日、正式に裁判を取り下げてきました」。晴れ晴れとした顔で谷広海氏は処齊梠Oに来社し、そう語った。文協会長選挙はこれで完全に終わった。
前夜、聖市の日本語センター会議室で行われた解散会には支援者やシャッパ参加者ら四署l以上が参加した。「全員の意見を聞き、最終的に決断しました。中には無
念の涙を流す人も何人かいました」と報告する。
「僕は金曜日(選挙前夜)の記者会見の時点で、会長になろうという気はなかった。現執行部に続けていただくつもりだったから、上原さんにパラベンスと言ったのです。ただ、正義を貫きたい、不公平だった選挙制度に関して一石を投じておきたい、その一心で選挙を継続させていたのです」との心中を語った。
裁判を起こした動機を、「向こうは会員全員の電話番号があるのに、こっちには七曙ワ歳以上のリストや、企業会員の投票可狽ネところの名簿すらなかった。真っ暗闇の中、手探りで選挙したようなものですよ。こう不公平なことが二度と起きないよう要求しようとしていた訳です」と振りかえった。
支持者に対して、「多くの人が応援したくれたから接戦になり、レオポルジーナ案を中止することができました。これからも文協、コロニア、日伯関係のためになることに努力していきたい。支援者のみなさん、こころからの感謝とお詫びを垂オ上げたい」との思いを述べた。
ブラジル日本文化協会会長選挙に立候補した谷 広海さんのお礼状。7月5日 (1575)
4月のブラジル日本文化協会の会長選挙に立候補してコロニアを大いに盛り上がらせた爆弾男、もぐり同船者の谷 広海さんが日本文化協会会員の皆様へとの選挙後初めての公への書簡を発浮オました。本日郵便で受け取りましたので【読んdeココ】のャtトでワードに変換し下記に掲載して置きます。好漢、谷 広海のブラジルでの活躍の場が近い将来到来することを期待しましょう。
ブラジル日本文化協会会員の皆様
戦いすんで日が暮れて・・・…
日毎に肌寒くなりつつありますが、皆様にはお変わりありませんか。
文協の会長選挙に立候補しました谷広海です。
このたびは皆様方の力強い、期待以上のご支援をいただきありがとうございました。心より御礼垂オ上げます。
残念ながら、初志は貫けませんでしたが、第一次選挙では804票を獲得出来、第一位となりました。止むをえず第二次選挙に参加致しませんでしたが日系コロニアを活性化させ、文協のあり方を問い、尚且つレオポルジーナ案を中止させることが出来ました。
思い起こせば選挙に対する準備も不足していましたし、初めての経験でもあり、あれやこれや残念なことが多々ありました。しかし、心の落ち着いた今考えますと、やはり「天の時」がいまだ熟していなかったのではないかと思われます。
私たちが今移住100年の大祭典の時に巡り合わせていることは素晴らしい幸運です。私はこのことに感謝し、個人的な利害を超え、コロニア活動に参加することが使命である考え、文協選挙に出馬しました。選挙が終わってもその意志に変わりはなく、ブラジルに感謝し、先没者を慰霊し、先輩移住者の遺してくれた事跡を.べ−スに、日伯交流を更に深め、将来のコロニアのために働きたいと念じています。
私は人生の意義は、世の為、人の為に如何に働くかにあると信じています。
これから、上原先生率いる文協は、思いも新たにコロニア丸の舵取りをされてゆくことでしょう。皆で温かく見守り、協力していきましょう。
今回の選挙においての私に対する熱烈なご支援と、皆様方の団結力は、いずれの日か、きっと生かされると信じています。
大変遅くなりましたが皆様方に改めて感謝の意を浮オ、ご挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。
2005年6月28日
谷 広海 (電話サンパウロ011−3141−9025)
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