セラードの生態系を守れ=JICA協力、動物の移動経路確保へ=連載(1)−(6)=
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荒木昭次郎さんが掲題のニッケイ新聞古杉記者の連載記事を読んで『私たちの40年!!』MLにコメントを送って下さった事からポルトアレグレからシャパーダ・ドス・ヴェアデイロスへの旅の計画が持ち上がりブラジリアの河野賢二さんがアルトパライーゾに別荘があるから使って下さいとの垂オ出もあり、長年訪問していないトカンチンス州のグルピーの町を娘達に見せてやりたいと家族5人での無謀な7000kmに渡るブラジル中西部の度を実施した。初期の計画ではバナナの島を横切りマット・グロッモゥらパンタナールに下る嵐閧ナしたが、時間的余裕が無くなりゴヤス州のリオケンチの温泉で休息してポルトアレグレに戻ることにした。
私自身が撮った写真と共に連載(1)から(6)までを掲載して置きます。
又とないチャンスを与えて呉れた荒木さん、河野さんに感謝しております。
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セラードの生態系を守れ=≠iICA協力、動物の移動経路確保へ=§A載(1)=シャパーダ・ドス・ヴェアデイロス=言葉失うほどの景観
5月17日(火)
ブラジルのへそ、中央高原。シャパーダ・ドス・ヴェアデイロス(CHAPADA DOS VEADEIROS)国立公園が〇一年藷月、ユネスコの世界自然遺産に登録され、エコ・ツリズモのスポットとして人気を集める。実はこのセラード地帯、生物多様性の宝庫だ。農地拡大、山火事、不法伐採などで森林が減少。絶滅が危惧されている種もあるという。IBAMA(ブラジル環境再生可箔V然資源院)は同公園を核に、パラナ─ピリネウス地域で生態コリドー計画(動物の移動経路を確保するための緑の回廊)を展開中だ。国際協力機香iJICA)が、長・短期専門家を派遣するなどして技術協力。統合的な生態系管理の改善に取り組んでいる。
急峻な遊歩道を七百メートル下ると、視界が広がった。落差百二純=[トルと八純=[トルの滝が並んで、辺り一帯に轟音をとどろかしている。「双子の滝」や「カショエイラ・デ・ガリンポ」と呼ばれているそうだ。壮観な景色をしばらく、言葉もなく見つめた。
「観光の目玉の一つで、多くの人が来るんだ」と、ガイドのジョゼ・ルシアーノ・マシャードさん(27)がPR。JICA派遣の長期専門家でプロジェクトリーダーの城殿博さんも「カレンダー用に撮影されています」と美しさを絶賛する。
同国立公園は、トカンチンス川などの水源地帯。公園を横切る形で、リオ・プレットが流れている。
「水はコカ・コーラの色。でも、透き通っているでしょ。川底に砂はないんだ。魚もたくさん生息しているよ。もちろん禁猟だけどネ」とマッシャードさん。
地平線まで続く草原に、曲がりくねった枝を持つ樹木がポツポツ。セラードと言えば、つい不毛な荒野を思い浮かべてしまう。公園内の標高は、六百メートルから千七百メートル。湿地帯から、鬱蒼とした森林が広がる。
城殿さんは「植物相が豊か。一ヘクタールに三百〜四百種ある。特長は固有種が多いこと」とステレオ・タイプなイメージをキッパリ否定した。残念ながら、きちんとした学術調査がなされていないため、基本的な情報が不足。保全すべき対象や地域を明示できていないという。
乾季に入り、これから半年ぐらいはほとんど降雨がない。マシャードさんはこの日、水浴のスポットがあると言って、「コレデイラス」にも案内してくれた。
その名の通り、岩が階段状に連なっているゆるやかな渓流で、タンバリが群れをなして泳いでいた。マシャードさんは「雨季に岩は沈んでしまい、流れが急になる」とニコリ。パンツ一枚になって、川に飛び込んだ。
取材中、「ポウサーダ・カーザ・ローザ」(アウト・パライーゾ市)に宿泊した。経営者の一人は、日系二世の依田哲雄さん(ミランドポリス市出身、65)。敷地内に、桜が曙ワ本ほど植えられている。
二諸N間、マット・グロッメEド・スル州とゴイアス州の州境で、精米所などを営んでいた。気候風土に魅了されて、三年ほど前に公園近くに住み着いた。「この辺りには、大小百以上の滝がある。標高も高いし、寝るのに扇風機はいらない」。
ポウサーダは親戚との共同経営で、二年目から黒字に転換した。マッサージやサウナの専用室も近々、オープン。「日系の宿泊施設はここだけ」と胸を張る。七月に、サンパウロから日系の団体旅行客約五署lが訪れる嵐閧セ。
標高千五百メートルくらいあるので、朝晩は冷え込む。空気が澄んでいるためか、満天に輝く星が美しい。天の川も、はっきりと見え、手にとれそうなほどだ。所詮、都会生活者の感傷だと笑われるかもしれない。何故なら、環境保護に奮闘する人々の厳しい現実があるのだから。
(つづく、古杉征己記者)
セラードの生態系を守れ=≠iIACA協力、動物の移動経路確保へ=§A載(2)=過去は開発優先だった=火入れ、動物にダメージ
5月18日(水)
シャパーダ・ドス・ヴェアデイロス国立公園の入り口、サン・ジョルジェ。目抜き通りと言えど、街路は舗装されていない。人々は、レストランや土産物店など観光客相手の商売で、質素な生活を営んでいる。
「地球の軌道で、もっとも輝いている地点だ」。NASAは以前、同国立公園周辺が際立った存在だと証言した。ガイドのジョゼ・ルシアーノ・マシャードさん(27)は「環境が壊され、公園がなくなったら、町自体が成り立たない」と顔をしかめる。
この近辺は、クリスタル(水晶)の産地として栄えた。公園内には直径三、四メートルほどの採掘跡が残されており、かつての面影をとどめている。
サン・ジョルジェは、一攫千金を狙って集まってきたガリンペイロたちによってつくられた集落だ。アウト・パライーゾで、ジョゼ・ライムンドさん(元ガリンペイロ、バイーア州出身)の手記を見つけた。
五〇年代半ば三カ月で里帰りの費用が稼げると聞いて、成金への夢を掻き立てられた旨が、綴られていた。「運が無かった」らしく、九〇年代に入っても故郷の土を踏むことは一度として無かった。
因みに、ゴイアス州はブラジルの心臓部でもあることから、宗教指導者やヒッピーに神聖視されている地域だ。JICAブラジル事務所のイノウエ・マナブ・マウロさんは「UFOが来ると、地元住民がよく騒いでいます」という。
シャパーダ・ドス・ヴェアデイロスは六一年に、国立公園に指定された。内部への立ち入りが規制されたため、クリスタル採掘のブームは去った。これに先立って、ブラジリア建設がスタート。労働者は既に、〃首都〃に流れていた。
ただ、ガリンペイロが環境に与えたダメージについて、長期専門家でプロジェクトリーダーの城殿博さんは「影響は特に、大きくない」と判断する。
サン・ジョルジェは、ブラジリアから約二百五純Lロ。国道010号を北に走り、アウト・パライーゾで左に折れる。自動車で三時間ほどだ。
途中、フォルモーザ(首都から七曙ワキロ)やサンジョアン・ダ・アリアンサ(同百八純Lロ)を通った。大豆畑やトウモロコシ畑が地平線の向こうまで広がり、道路沿いに森林と言えるものはない。
セラード開発に熱が入ったのは、軍政時代(一九六四─八五)だ。一九七〇年代〜八〇年代に、急速に農地が拡大。森林伐採や化学肥料などによる環境破壊が進んだ。その後も、開発の手が休まる暇はなかった。
土壌が出来たのはかなり古いため、一般に酸化がひどく地味が貧しいとされる。「川筋の林でさえ切り倒して、畑に変えてしまった。農薬を使えば使うほど効果があると、誤解する農家がいる」と、城殿さんの撫槝険しさを増す。
州の法令で、千二百メートル以上の高地に手を加えてはならない。禁止区域に、農地が造成されることもあるという。
ブリチ・ヤシ、イッペー・アマレーロ、カンドンバー、シュベイリーニョ……。セラードに一万種以上の植物が植生している。
動物相も豊か。公園の名の由来である、ヴェアード・カンペイロ(鹿)、クロアイサ(カモ)、大アリクイ、ジャガーなどがいる。種の保存にとって、価値が大きい。
森林減少の影響で着実に、数が少なくなっているそうだ。「私自身、まだ目にしたことのないものも…」(城殿さん)。密猟者が侵入してくるのを恐れてか、絶滅危惧種の話になると言葉が少ない。
「八〇年代終わりまで、保護というより、開発優先の対象とみなされた。乾季の火入れは、動物に致命的なダメージを与えかねないだろう」。
環境保全について語るとき、セラードは世界最大の熱帯雨林アマゾンに隠れて、くすんだ存在だった。
(つづく、古杉征己記者)
セラードの生態系を守れ=≠iICA協力、動物の移動経路確保へ=§A載(3)=壮大〃緑の回廊〃づくり=一方で複雑な行政の仕組み
5月19日(木)
アウト・パライーゾで今月六日から八日まで、環境がらみのイベント「ENCONTRO DOS POVOS DA CHAPADA DOS VEADEIROS」があった。第四回目の今年、「生物・文化多様性」が新たなテーマに加わった。
国立公園のペドロ・アウベルト・ビゲーリ所長が七日午後のセミナーの中で、IBAMA─JICAのプロジェクトを説明。八九年、九八年、〇一年に国立公園周辺を撮影した写真を提示して言った。
「この近辺の自然は八九年に保護されていたのですが、〇一年になると農地に変わっているのが分かるでしょう」。
明らかに緑が減っており、地域住民たちも納得せざるを得ない。今、国立公園から二藷キロほど離れたトカンチンス川の上流に、ミラドール水力発電所を建設する計画が持ち上がっている。
パラナ川などブラジルを代浮キる河川の水源となっているセラード地帯。源流域が汚染されれば、下流流域への影響は免れない。長期専門家でプロジェクトリーダーの城殿博さんは「新聞紙上でも、都市化や企業的な農業による水汚染が問題視されている」と話す。
セミナーでは、「水力発電所建設に関する環境アセスメント(評価)には、民有地自然保護区の情報が欠けていて、不助ェだ」「エコツリズモの価値が減ってしまう」「皆が団結して戦う必要がある」といった声が上がっていた。
「WWF」「GAMA」「ECODATA」など国内外の環境NGOが活動。エコロジーについて、住民の意識も高まってきているようだ。
IBAMAの管轄範囲は、国立公園から純Lロ以内。同水力発電所は州政府の領域になり、IBAMAとしても苦しい立場だ。ビゲーリ所長は「行政の仕組みは、複雑なんです」と硬い撫橇浮かべた。
ブラジルは、生物多様性条約の批准国。大統領令や国家環境保護地域システム(SNUC)法に基づいて、政府は多年度計画(二〇〇一年─二〇〇三年)を練った。
これを受けて、パラナ─ピリネウス間に動物の移動経路を確保するため、生態コリドー計画がスタートした。山火事や不法伐採などでセラードの生態系は分断されており、〃緑の回廊〃で環境保全地域を結ぶという壮大な事業だ。ゴイアス州、トカンチンス州、ブラジリア連邦直轄区にまたがり、総面積約叙恤ス方キロに及ぶ。
城殿さんは、一筋縄でいかないのだと明かす。「法の網がかかっているところには、行政権限が及ぶ。コリドー内に私有地も含まれるため、所有者の理解が最大の課題。自然環境を生かした土地利用、自然にやさしい生産活動への切り替えを働きかけていかなければならない」。
シャパーダ・ドス・ヴェアデイロス国立公園とナセンテ・ド・リオ・ベルメーリョ環境保護区が核。(1)関係機関の連携強化(2)保護地域の組替えや新設(3)情報収集・管理(4)環境教育──などを実施している。
生態系の統合的な管理を改善するのが、JICAの目的だ。(1)関係機関や地元コミュニティーの連携促進(2)持続的な自然資源管理について、技術的な提言(3)関係機関の環境教育・意識啓発の活動が成果として求められている。
城殿さんによると、コリドー計画は国内に藷カ所。JICAが携わっているのは、セラードの地帯の心臓部に当たる。長期専門家(三年)二人、短期専門家(一年未満)八人が日本から派遣された。
日本政府が、かつて熱を入れたセラード開発。事業は結局うまくいかず、痛い目に遭った。プロジェクトが〇三年二月にスタートした時、ブラジリアの学識経験者らに揶揄された。
「セラード開発の穴埋めに来たのか」。
(つづく、古杉征己記者)
セラードの生態系を守れ≠iICA協力、動物の移動経路確保へ=§A載(4)=低い住民生活レベル=できるか「持続可狽ネ開発」
5月20日(金)
宿泊先で就寝前に、ピンガを頼んだ。一杯一レアル。地元の労働者の間で、最も消費されているものだという。匂いを嗅いだ途端、頭がくらっときた。まるで、病院の消毒液のようだ。
卓を囲んだJICA関係者らは結局飲み切れず、別の銘柄を注文した。一同、地域住民の生活レベルを推し量った。
ガイドに案内してもらった遊歩道は、日本政府の無償協力で整備された。セラード生態コリドー保全計画で、活動の場はむしろ国立公園の周辺地域。関係機関の連携強化を図ったり、住民を対象に啓発運動を展開しなければならない。
もちろん、明日の食料に困る人がいる。道端の吸殻を拾って火をつけるような人に、「持続可狽ネ開発」(自然環境を維持しながらの経済開発)を、どう植えつけていくのだろうか。専門家の腕の見せ所だ。
環境教育に関する会議が六日午後、アウト・パライーゾであった。周辺市町村やNGOの関係者などが出席。IBAMA─JICAのプロジェクトについて、概要などを聞いた。
JICAは、年間四万〜五万レアルを拠出。官庁や民間団体のプログラムに五千〜七千レアルを支援している。「ミニ・プロジェクト」と呼ばれているもの。「ENCONTRO DOS POVOS DA CHAPADA DOS VEADEIROS」も、今年選ばれた中の一件だ。
席上、「教育教材の作成・配布」や「ゴイアス州全体のガイド会議」など、集まった約二曙盾フ事業計画案が紹介された。今後、実施迫ヘや内容などを見極め、最終的に五件ほどに絞り込む。
これまで、子供たちを洞窟に連れて行って実際に動植物を見させたり、小学校でテアトロ形式の課外授業を行なうなどの意識啓発運動があった。
長期専門家でプロジェクトリーダーの城殿博さんは「学習した内容を自宅に持ち帰って、両親に伝えれば幸いなんですけど」と熱い視線を送っていた。
会議終了後、出席者らに話を聞いた。ジョゼ・ロナウド・ロッチ・カヴァウカンテ市観光環境局長はIBAMA─JICAのプロジェクトを評価した上で、注文をつけた。「地方の文化に基づいた生産の在り方を考えてもらいたいネ」。
乾季の火入れに対して風当たりが強くなってきたことが、気がかりだという。環境に良いか悪いかは別にして、伝統的に行われてきたものだからだ。
「黒人奴隷が開いた集落があり、長らく自給自足の生活を営んでいた。政府が八〇年代に介入してきたため、固有の文化が失われてしまった」。
マルコス・サボイア・アウト・パライーゾ市環境保護審議会会長も「隣りの農地に放火して、延焼してくるのを期待する農家が出始めた」と危機感を募らせた。
生活を向上させて、所得格差を是正することも地元にとって大きな望みだ。
ロッチ観光環境局長は「手付かずに残っている土地の利用を考えたい。大豆か牧畜の二つの選択肢があると思う。もちろん、環境保護をしながらという前提だけど。JICAに、開発のモデルを示してほしい」と期待を込めた。
生態コリドー計画の理想の形について、百家争鳴的だ。多方面の関係者が、同じテーブルについて議論を交わすこと自体、最近になってからだという。
実はシャパーダ・ドス・ヴェアデイロス国立公園が〇一年藷月に、ユネスコの世界自然遺産に登録された。その前後に一時、政府が国立公園を拡大。新たに広がった区域内の居住者に、立ち退きを迫った。
これに対して特に、同国立公園北側のカヴァウカンテ方面が猛反発。訴訟問題にまで発展した。公園の面積は元に戻されたものの、住民にはIBAMAなど行政機関に対する根強い不信がある。
会議後に出席者した一人は、目を輝かせて言った。「政府のほか、多くのNGOがここで活動している。これまでは、バラバラだった。JICAがきて、みんなの意識が変わった」。
(つづく、古杉征己記者)
セラードの生態系を守れ=≠iICA協力、動物の移動経路確保=§A載(6)=活動統合センター立ち上げ=これで公園が守れる
5月25日(水)
「すべての者は民衆の共同財産として、自然環境保持の権利を有す」(ブラジル共和国憲法、荒木進訳)。民主化後初めて制定された、ブラジルの八八年憲法。第二百二曙ワ条で、環境権が明記された。自然を守るための法的根拠が存在しているというのは、注目に値する。
八〇年代末まで、開発優先の対象とみなされたセラード。大きな転機になったのは、リオ・サミット(九二年)だ。ブラジルでは八一年に、環境基本法が成立。八九年にIBAMA、九〇年に環境省が発足した。さらに、環境犯罪法が九八年に定められるなど法整備が進んだ。
シャパーダ・ドス・ヴェアデイロス国立公園で九〇年代初め、NGO団体により、クリスタル採掘人を研修させてガイドに変えるという試みも行われた。現地の地理に詳しいガリンペイロの知恵を、環境保全に役立てようという考えからだ。
城殿博さん(長期専門家、チーフ・アドバイザー)は「比較的古くから、自然を生かした観光が展開されています。持続可狽ネ開発という概念も周辺の行政機関やNGOの活動を通じて、浸透しているようだ」と話す。
ブラジルの受け入れ態勢に対して、JICAブラジル事務所(小林正博所長)に懸念がないわけではない。「財政難で関係省庁の落Zが不足、職員の迫ヘにも限界がある」。最も恐れるのは、政権交代による行政の断絶だろう。
実際、セラード生態コリドー保全計画で当初、六つの成果が設定された。プロジェクトが〇三年二月にスタートする直前に、PSDB(ブラジル社会民主党)からPT(労働者党)に政権が変わった。
業務の引継ぎが順調にいかず、仕事が軌道に乗るまでかなりの時間を要した。そのため、成果を三つに圧縮せざるを得なかった。
城殿さんは「何もかもリセットされた状態から始まりました。最初の一年はなかなか、IBAMAとの歩調が揃わなかった」と撫橇曇らせた。残された活動期間は、あと八カ月。JICAが去った後も、生態コリドー保全計画を継続させるための仕組みをつくりあげなければならない。
〃インテグラャ刀i統合)〃。プロジェクトが掲げた、大きなキーワードだ。JICAの支援が結実。環境活動統合センター(CIAA)がこのほど、公園内のビジター・センターに立ち上げられた。
行政機関やNGOが持つ経験を活用。それまでバラバラに展開してきた活動を、一元化していくのが狙い。「公園関係者だけでなく、地域住民が参加。必要な情報を共有する場になりつつある」(城殿さん)。
内規を整えて法人化し、IBAMAから公園管理を任されるような体制にもっていきたいところ。福代孝良さん(29、短期専門家)は「人事異動などでIBAMAに問題が起きても、CIAAさえしっかりしていれば、公園を守っていける」と力を込める。
法人格を取得すれば資金の受け皿にもなり、支援団体に宛てた要請書の書き方なども訓練中だ。
七日午後のセミナーで、国立公園とその周辺五キロを収めた地図の一部が披露された。GIS技術(地理情報システム)を駆使して作成しているもの。三次元空間が映し出され、出席者の目を釘付けにした。
これまで、紙の地図上に必要な情報を書き込んでいく方式が主流だった。浅野剛史さん(33、長期専門家)は「すごい進歩です。ブラジル、いや南米一の代物でしょう」と胸を張る。
新しい生態コリドーの場所を提言することなどが可狽セ。「道路建設などにも活用すべき」「公園づくりに利用したい」…。会場から大きな反響が起こった。
ただ、GIS技術を使いこなせる人材が現地に不足している。プロジェクトが終了した後、どうなるのかと問いかけが出た。出席者の一人が、すぐに答えた。「研修をして、使い方を教えてください」。
福代さんが満面に笑みを浮かべて言った。「これが、インテグラャ刀i統合)につながるんです」。
(つづく、古杉征己記者)
セラードの生態系を守れ≠iICA協力、動物の移動経路確保へ=§A載(7)=援助無駄にしたくない=プロジェクト始まって=住民意識が高揚
5月28日(土)
「ここの自然を愛しているし、JICAの支援が来年終っても、セラード生態コリドー保全計画を必ず、継続させてみせます」。マウロ・ャAレスさん(42、リオ・デ・ジャネイロ出身)は、芯の強さを見せつけた。
ャAレスさんは、アウト・パライーゾ市前環境局長。環境活動統合センター(CIAA)でコーディネーター役を務めるほか、NGOなどに関係し、プロジェクトに欠かせない人物の一人だ。
軍人の子で、幼いころにブラジリアに移った。大学でコミュニケーションを学び、TVグローボ局に入社。長らく、コンピューター関係の仕事をこなしていた。
ある日、退職を決意。旅に出た。「沫ヘ・麻薬・セックスの氾濫する世界が、嫌になったんだ」。TV局時代に築いた人脈を頼りに、マラニョン、ピアウイ、セアラーなど国内各地を歩いた。旅行を続けるうちに環境問題に目覚め、関連図書を読み漁った。
近親者たちは気がふれたと、思い込んだらしい。おばがアウト・パライーゾに土地を購入。住居の建築に手を貸してくれと、頼んできたので腰を落ち着けた。 官庁や民間団体などが前歴を知り、ひっぱりだこになったという。先の選挙で市政が交代し、CIAAに新たな活動の場を求めた。「家庭から出る生ごみは庭に埋めているし、移動手段は自転車です」。活動と私生活に矛盾はつくらない。
世界経済フォーラムに対抗して、ポルトアレグレで毎年開かれている世界社会フォーラムの立役者でもある。NGO団体「GAMA」に所属。ラジオを通じて、住民の啓発運動などに励む。
プロジェクトが始まって、住民意識が高揚。トップ・ダウン方式から市民参加型に変わりつつある。「実は、行政のトップにとって、JICAは煙たい存在だった。役人たちは、監視されるわけだからネ。でも支援活動が成果を上げるようになって、みんな納得した」とャAレスさん。
「これまで受けた援助を絶対に、無駄にしたくない」。官民の共通した思いだ。専門家たちにとって、仕事冥利に尽きるセリフだろう。
JICAがブラジルで、環境分野に力を入れるようになったのは、やはりリオ・サミット(九二年)あたりから。グァナバラ湾(リオ)の水質汚濁を軽減させたり、トメアスー(ベレーン)にアグロ・フォレストリーを導入するなど成果をあげてきた。
「ブラジルは途上国のリーダーになって、知識を生かし他国の開発に寄与してほしい。例えば、アフリカのポルトガル語圏で活躍できるのではないだろうか」(広報担当)。
二〇〇三年に独立行政法人化した、JICA。事業に「効率性」や「透明性」が求められることになったのは、周知の通りだ。
ブラジルに対する技術協力は〇三年に、二庶l億三千五百万円。九八年(五庶O億八千九百万円)の約四五%まで落ち込んだ。とは言え、「貧困」などと並んで、「環境」はJICAで最重要課題と位置づけられている。
ブラジルはアマゾン、パンタナール、セラードなどを所有。環境保全に対して、担う役割は大きいはずだ。今後、デンデ椰子からディーゼル燃料をつくったり、ゴミを燃焼したときに出るメタン・ガスを発電に利用するといった事業が熱を帯びてくるだろう。
リオ・サミットから庶O年。京都議定書が今年二月に発効し、各国間で温室効果ガスの排出量取引が活発化してくるかもしれない。JICAが、人材やノウハウなどを活用。日伯関係促進に、一役買える場はいくらでもありそうだ。
(おわり、古杉征己記者)
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