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ブラジル移民の原風景“テープの嵐” 映画【あこがれ】の感激のラストシーン 桐井 加米彦さんよりのお便り。
東宝映画【あこがれ】1966年を見られた大分市に御住まいの桐井 加米彦さんから下記お便りを頂きました。
『和田好司様
お久し振りです。ご一家お揃いで楽しいご旅行の様子、まことに結高ノ存じます。
さて、先日NHKの衛星第2テレビで映画「あこがれ」(1966年)を見ました。
そこには横浜の桟橋から大勢の人たちに見送られてブラジルに移民する人々の姿がありました。数多くのテープ、大声で叫ぶ人、泣きはらす人・・・。当時はそうだったのですね。きっと和田さんもこうして旅立ったのだろうと思いをはせました。今では隔世の感がありますね。
下記がその映画のサイトです。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD22017/index.html
時節柄、ご自愛専一に。
桐井 加米彦』
お知らせ頂いたURLを開き【あこがれ】のあらすじ、解説、キャスト、スタップ等を拾いました。ブラジル関係の映画として是非鑑賞して見たいと思いますし寄稿集にも紹介して置く事にしました。桐井さん有難う御座います。
写真は、あるぜんちな丸第12次航の1962年3月末横浜出向時の晴れやかな若かりし頃のものです。デープの嵐、出港風景より大分前に撮ったものでしょう。


解説
木下恵介の原作を松竹から木下プロに移った山田太一が脚色、「女体(1964)」の恩地日出夫が監督した純愛もの。撮影は「ここから始まる」の逢沢譲。

あらすじ
母親が再婚するため「あかつき子供園」に預けられた一郎は、平塚の老舗でセトモノ屋の吉岡家に貰われ、立派な若旦那に成長した。しかも、“貰い子"とも思われないような親子仲の良い家庭で、両親は一郎の嫁探しで懸命であった。一郎が暑纃ホになった信子と再会したのは、ちょうど、このような時期であった。信子も「あかつき子供園」の出身で、一郎とは特に仲の良い子供であった。幼い頃を懐しむ二人は、子供園を訪れ、二人の親代りともいうべき先生水原園子に逢い、楽しい一時を持った。信子には酒飲みの父親恒吉がいて、信子の勤め先に現われては前借りをして行くので信子は勤め先を転々と変り、いま平塚に流れて来たということだった。毎日のように逢う二人はいつしか愛し合うようになった。しかも一郎は、信子との結婚を決意、そのことを両親に打開けた。この一郎の話は父親の怒りを買った。それを知った信子は、一郎の家庭を思い、勤め先を平塚から横浜に変え、一郎のもとを去った。一郎の悩む姿に母親は“もう一人の子供が出来たと思えばいいじやないですか"と父親をといた。そんな時「あかつき子供園」に一郎の生みの母親すえが訪ねて来た。再婚した先の家族と共にブラジル移民で出発することを告げに来たのだ。園子からこの知らせを聞いた一郎の両親は、逢うことを遠慮する一郎に“生みの親に逢いたくないなんて人間じゃない"と励まし、一郎を横浜大桟橋へ送り出してやるのだった。園子はまた横浜にいる信子にもこの事を知らせた。出発間際の桟橋で、一郎はやっと船の上から一郎を探すすえを見つけた。“一郎ッ"“お母さん"と呼び合う親子を包むテープの嵐--そこへ信子も園子先生もかけつけた。


キャスト
新珠三千代 アラタマミチヨ(水原園子)
内藤洋子 ナイトウヨウコ(西沢信子)
林寛子 ハヤシヒロコ(西沢信子(少女時代))
田村亮 タムラリョウ(吉岡一郎)
沢井正延 サワイマサノブ(吉岡一郎(少年時代))

スタッフ
監督 : 恩地日出夫 オンチヒデオ
製作 : 金子正且
原作 : 木下恵介 キノシタケイスケ
脚色 : 山田太一 ヤマダタイチ
撮影 : 逢沢譲 アイザワユズル
音楽 : 武満徹 タケミツトオル
美術 : 育野重一 イクノシゲカズ
編集 : 岩下広一
録音 : 藤好昌生 フジヨシマサオ
スクリプター : 石月美徳




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