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同船者の長老のお一人吉田 昌治さん7月26日にご逝去。享年89歳。
VITORIAの町で長女の美智子さんと一緒にお住まいの吉田 昌治さんが7月26日に亡くなられました。あるぜんちな丸第12次航では船内の世話人会の長として681人の同船者の纏め役として活躍されよく船内新聞班の部屋にも顔を出されて応援とご指導を得ました。最初のブラジルに滞在2年間の間に62年11月と帰国前の64年1月の2度グアタパラ移住地を訪ねる機会がありました。その後、ブラジリアに移られ最後にヴィトリアに美智子さんとご一緒に過ごしておられたようですが、終にお会いする機会がないまま亡くなられました。痩躯に大きな目で人を見抜く慧眼をお持ちで10年程前にヨーロッパにお一人の旅を企て帰国後めっきり体力、気力が落ちてしまったとの和子さんのコメント聞いた事がありますが、同船者会を開く事を早くから提唱しておられたとお聞きすると30周年にでも集まる機会があれば喜んで参加されたのにとこれも心残りです。
写真は、1964年1月にグアタパラ移住地を訪問した時にノートに唐阨tけて頂いた吉田ご一家です。


吉田 昌治さんは、47歳で一家を挙げて家族7人で佐賀県よりブラジルに移住、全国拓殖組合連合会の計画移住地グアタパラに入植されました。私は1962年の11月(アマゾンに北上途中)と一時帰国前の1964年1月の2度に渡りグアタパラの吉田さんご一家を訪問しています。
2度目に訪問した時に使用している写真と共に美智子さんが当時の記念ノートに下記書き込みをして呉れています。
我が家の夕食時
来年再び和田さんがこの地を訪れたとき、私は既にこの家族の一員ではないかも知れない。。。。
ステキナ人の良い奥さんになって、明るい楽しい家庭を築いて居たい。
吉田 美智子

また和子さんの次のような書き込みも見られます。
和田さんお元気で!
今度いらっしゃる時は、素晴らしい花嫁さんを連れて来てくださいね。。。。
1964年1月26日 吉田 和子
『日本に帰れるなんてうらやましいかぎりです』

亡くなられた昌治さんにも下記コメント頂いております。
和田君
君が若き情熱で体得した偉大なる南米への新しき開拓の夢が実現する秋こそ、真の移住が人類平和に大きく貢献することを信じて止まない。
1964年 1月 GUATAPARAにて 
吉田 昌治
私の【南米への新しき開拓の夢】は、グルピーの町を後にしてリオの石川島播磨造船所勤務、ポルトアレグレの総領事館勤務、丸紅ブラジル会社勤務、現在のさわやか商会経営とブラジルで歩んで来た生活は、人類平和に貢献するような移住者の道ではなかった事から昌治さんの期待に応えられなかったのではないかと思いますが、悔いのない懸命な生き様は、一移住者の歩んだ道程として平均的な及第点?と評価して貰えるのではないかと思います。

ヴィトリアの町にお住みの藤井美智子さんに出したお悔やみの手紙とそれに対する返事を下記して置きます。

ご尊父逝去にあたりお悔み垂オ上げます。
藤井 美智子 さま
ご無沙汰しております。
7月末にお父様の昌治さんが亡くなられた事を知りました。
7月31日(日)の岡村 淳さんの【アマゾンの読経】試写会でヴィトリアから戻って来られていた和子さんに様子を伺いましたが、出来れば『私たちの40年!!』でも寄稿集に訃報を掲載して置きたいのですが、美智子さんにお父様の最後の様子に付き簡単に書いて頂けないでしょうか。
それどころではないとのことであれば亡くなられた日だけでも結高ナすのでお知らせ下さい。
多分同じ週ではないかと思いますがトメアスの昭子さんのお父上も亡くなられたとの事で試写会に来られていた皆さんにお知らせし1分間の黙祷を捧げ冥福を祈りました。
寂しいですね一人一人歯が欠けていくように亡くなられて行ってしまうのは。。。
われわれもそれほど長くないと思いますが、生きているうちは先に逝かれた人たちの分も含めて頑張って行く必要があるのでしょうね。
ご家族の皆さんに宜しくお伝え下さい。
合掌

和田様
お悔やみありがとうございます。
先日、アマゾンの読経 試写会にて父の冥福を祈って下さいました由、妹から 連絡を受けておりました。まことにありがとうございました。
父は 5〜6年前から足腰が弱り寝たり起きたりの日々でした。
同船者会が開かれるのを待ち望んでおりましたのにやっと開かれた40年祭には とうとう出席することが叶わず可哀相なことだったと残念でなりません。
47歳で家族を引き連れ この遠いブラジルへ移住を決意した父、言葉も習慣も違う国で一から出直すことに挑戦した父、今 自分たちにそんな勇気はとてももてないこと。今更ながら父の偉大さを痛感しています。孫たちもおじいちゃんの生き方を尊敬していると言ってくれました。
7月26日夜、私たち夫婦、孫たち、末弟あきら夫婦に看取られながら安らかに昇天いたしました。
ブラジリア、サンパウロの弟妹は5月に入院した折駆けつけてくれていましたので父は 幸せな最期だったと思います。
先に逝った母とともに私たちを見守ってくれていることと信じています。
ありがとうございました。
        藤井美智子 

あるぜんちな丸第12次航の船内新聞【さくら】編集室で達筆でガリを切って呉れた美智子さん、現在の同船者会の事務局長格の纏め役をして呉れている和子さん、ブラジリアにお住みの武弘さん、寛さん、ヴィットリアにお住みの明さん吉田一家は掛替えのない仲間です。
オバーちゃんになった美智子さんを長にした吉田一家の今後のブラジルでの繁栄をお祈りしたい。

尚、吉田 昌治さんが書かれた文章が下記寄稿集に掲載されております。
『ブラジル良いとこ!!』 吉田 昌治さんよりの寄稿。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=180

藤井 美智子さんが書かれた文章も下記寄稿集にあります。
同船者の家族別現在の告ャ員の調査【ケースワーク1】
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=166




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