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あるぜんちな丸第12次航の同船者の皆さんへ!!【お知らせと御願い】
『私たちの40年!!』編纂作業で一番最初に出来上がった文書であり、本来ならば、この寄稿集の最初に掲載すべきものですが後先になってしまいました。HP作成プログラムでは、順序を変えることが難しく(技術的には可能だと思いますが)次回改定までここに置かざるを得ません。【お知らせと御願い2】アンケート用紙も一緒に掲載して置きます。写真は昨年6月初旬に神戸の移住斡旋所の建物を見に行った時に見つけた移民発祥の地と書かれたブラジル産の大きなグラナイト(御影石)の碑が立っていたのを撮ったものです。


『つたない編集ではありますが、「あるぜんちな丸」第12次航の乗客名簿を作成しましたので、皆さんに御届けします。長かった船旅もあと僅か何かときぜわしいことと思います。無事目的地に落ち着くと思い出すのは楽しかった船中生活でしょう。折角仲よく生活し懇意になったのですから、この付き合いを単に船中生活だけにとどめることなく、今後も各々住む場所進む方向は違っても相互に、助け合い励まし合って頑張って行きたいものです。
そう云った意味で、ごく粗末な名簿ではありますが今後も腕組かわし肩をたたき合って行けることを祈願しつつ編集しました。
4月2日に神戸発の「あるぜんちな丸」で渡航したと云うことが、今後皆さんの履歴書の一行に加えられるとか、どうか仲良く助け合って行こうではありませんか。
      1962年4月30日 ベレン入港を前に
ニュース班代表   和田 好司    川上 尚武
          佐藤 昭子    吉田 美智子
          吉田 洋子
          藤岡 和弘
          北田 隆夫   (原文のまま) 』
     
上記記述に遠い思いを抱く方もあるのではないかと思いますが、これは、我々あるぜんちな丸第12次航で移住してきた者が分かちあった船内生活の一部、船内新聞編集者達で作成したガリ版刷りの同船者名簿の最後に書かれた文章です。文章の拙さは、別として何か真摯な気持ちが伝わって来るではないでしょうか?特にサントスまで40数日を一緒に過ごした我々には…。
     十年一昔と云いますが、我々は既に四昔を迎えようとしております。故国日本から移り住んだ私たちの第2の祖国は、一体どのような場所だったのでしょうか?各人の移住生活は、人生の大半を移り住んだブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアの異国であり新天地である第2の祖国に過ごし、志半ばに異国の土に還った物故者も多いと思います。その志を継いだ2世、3世も既に育っていると思いますし戦後の移住史の1ページとして『私たちの40年!!』を皆で語りあって見ませんか?単に一握りの成功者に光を当てるのでは無くごく普通の一移住者としての一人一人の赤裸々な生き様を社会学的な観点、統計学的な接近を図ることにより「あるぜんちな丸第12次航」をキイワードとして括り戦後移住のケースワークとして後世に私たちの生き様を記録に残して置こうではありませんか。皆様のご協力をお願いする次第です。
外務省領事移住部政策課移住班のご協力により当時の全計画移住者の名簿も入手しており、移住監督官元外務省、伊藤 敏夫氏(86歳)、移住助監督官、元建設省、長沢 亮太氏(78歳)、移住助監督官元海外協会連合会(現JICA)上園 義房氏(69歳)の御参方も健在であることが判明しております。更にあるぜんちな丸の乗組員の多くの方がご健在で連絡が付いております。
私たちのあるぜんちな丸第12次航は、戦後の移住ブームが終焉に向かう段階での最後の大きな団体で総勢700名近い移住者が同船していました。ブラジルでは、北はアマゾンのトメアス移住地、サルバドールのクビチエック移住地、リオのフンシャル移住地、サンパウロ州、パラナ州更にはリオグランデドスール州のペロッタス市まで、アルゼンチンのガルアッペス移住地、パラグアイのイグアス、アルト・パラナ移住地、ボリビアのサンタクルス市のサンファン移住地と大きな広がりを持ち、産業開発青年34名、コチア青年16名、花嫁移民14名、野球移民7名、計画移住地へ入った家族、呼寄せ雇用農、ロスで下船した戦後進駐軍の呼寄せ花嫁家族等多彩な顔ぶれを誇り、その切れた糸を一つ一つ辿る作業を開始しております。
大きな計画を立てても中途半端で終わってしまう可能性が強い事から、40年に当たる来年2002年の5月11日には、サンパウロに於いて志半ばで亡くなられた同船者の慰霊祭を行い生きている我々の喜び悲しみを語り合う同船者の集いを実施したいと念願しております。
この時期に合わせ、出来るだけ多くの同船者の消息、動向を調べあるぜんちな丸、第12次航、船内新聞の40年後の号外、特別記念号として皆さんに配布できれば、寄港中も1日も欠かさず40数号まで発行した船内新聞が完成するのではないかと思います。この特別号をベースに関係者の皆さんと相談の上、記録に残すに値するとの判断が可能であれば何らかの形でこれを後世に残す事を検討したいと念願しております。
従い同船者の皆さんに仲間の消息を知らせあう作業、当時の船内新聞、写真その他の資料の探し出し作業、船内新聞40年後の特別来年号への執筆作業等を通じて私達の40年を振り返りこれからの展望を語り会おうでは有りませんか。ご協力をお願いする次第です。また日本に帰国された方々の消息等も含め出来るだけ探し出して行きたいと念願しておりますので消息をご存知の方はご協力ください。

この音頭取りは、船内新聞の編集責任者としてお手伝いさせて頂いた私とガリ版切り、謄写印刷に毎日精を出して呉れた皆さん、関係協力者が発起人となり始めますが、今後の進展でどしどし賛同者、協力者を募り最終的には、40年記念式典実行委員会、『私たちの40年!!』刊行委員会等を結成皆で協力しあって実施して行く組織にして行きたいと思いますので宜しくお願いします。
     この計画実施に当たっては、サンパウロ人文科学研究所の森 幸一研究員、ニッケイ新聞の瓜谷 美由紀、深沢 正雪記者にも個人的にご支援を頂いております。
平成13年10月25日
あるぜんちな丸第12次航
船内新聞40年後の特別記念号
『私たちの40年!!』編集委員会
         
和田 好司
高野 泰久
北田 隆夫
龍川 いく子
横井(吉田)和子
小原(東)美香
三宅(佐藤)昭子(ベレン)
園田 八郎(パラグアイ)
本多 桓三郎(ボリビア) 
小山 徳
杉島 秀機



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