第13回バーチャル座談会 【ハルとナツ 届かなかった手紙】 に付いて語る。(第5編=番外編)
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『ハルとナツ 届かなかった手紙』 NHK放送80周年記念ドラマは、放映中の感動と共にその後も色々なご意見、コメントを頂いておりバーチャル座談会の形で『私たちの40年!!』寄稿集に収録させて頂いておりますが、その後も岡村 淳さんの作品をNHKが無断に参考にしたのではないかと意義を雛ァてている問題等に付き話題が飛び交っており関係書き込みを番外編として収録して置きたいと思います。特にbatepapoと言うMLの健筆家の赤嶺さんの書き込みを中心に取り上げており座談会というより紙上座談会(発言集)の感があります。尚、使用ャtトの関係上ご発言の一部を省略させている箇所がありますのでご了承下さい。関係使用写真が無くなりましたので発言されておられる伊豆山さんご夫妻にサンパウロでお会いした時に撮らせて頂いたものを使わせて頂く事にしました。
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岡村:マナウスでの「アマゾンの読経」上映会から昨日戻りました。
北伯では「ハルとナツ」フィーバーそのものも、南の方で勝手にやっている、といった感じでさめていました。
それだけにサンパウロのように、そもそもケチをつける奴はけしからん、という思考はなく、本件にも冷静な立場から多くの皆さんに応援いただきました。
さて、11月の私の訪日に際して「60年目の東京物語」の日本での上映を企画しておりました。
しかしこれまでも私の作品の上映会をしてくれていたさる大学からは、今回の上映を許可しないばかりか、今後とも一切の岡村作品の上映は禁止、ということになったのと連絡がありました。
これが今どきの日本の大学のありさまです。こういう状況のなかで、ひとり闘っております。
昨日・本日と連日のサンパウロ新聞の醍醐氏による岡村批判には、さっそく反論をサンパウロ新聞に送っておきました。
神山:えーっ、その大学はひどいですね。どこですか?醍醐さんの批判というのも、読みたいものです。どこかに載っていますか?
和田:サンパウロ新聞のWEB版が久し振りに更改され岡村 淳さんの投稿が掲載されていました。醍醐氏の投稿の内容が分かりませんが、少なくとも岡村さんの投稿でその内容が理解できるのではないかと思います。サンパウロ新聞10月24日付けのWEB版をお借りしました。
投稿 作家・醍醐氏への素朴な疑問 記録映像作家 岡村 淳
醍醐麻沙夫様
諸ェ、暑纉とサンパウロ新聞を占めた上下にわたる投稿を拝読しました。醍醐さんと私の立場の違いを、改めて認識させていただきました。あえて失礼を覚悟で垂オ上げましょう。
前回の醍醐さんの投稿を読んだブラジル各地の読者の方々から、私にこんな感想が複数寄せられています。「醍醐という人は、NHKからカネをもらってるんじゃないか?」
これに関連して、私からの質問です。
(1)「ハルとナツ」制作に当たって醍醐さんはご協力されたとのことですが、NHK側から謝金ないし謝品をいただいているのでしょうか?
(2)今年九月に私がNHKに質問状を送って以来、NHK側から醍醐さんに岡村問題に関して何か依頼があったのでしょうか?
以上、差し障りがあるようでしたら、お答えいただかなくてもかまいません。
醍醐さんは岡村を「友人」「身近」と称しながら、岡村に直接、連絡を取ることもなく、そして岡村の二度のNHKへの質問状の内容を確認することもなく、「文章を公にするのに片手落ちがあってはいけないと思い、面倒だけどNHKに電話をしてみた」。同じサンパウロ市内の身近な友人には電話をして主張・事実関係を確認することはせずに、NHKには国際電話をして、先方の言い分を鵜呑みにして、友人を公の場で繰り返し、たたき続ける。読者の方々の疑問は深まるばかりでしょう。
私も告白しましょう。私は今回、話題となった「六諸N目の東京物語 ブラジル移民女性の里帰り」をめぐってNHKからカネをもらいました。しかし、それはNHKが放送八庶・N記念ドラマの計画を始める二年前のことです。NHK本社内の研究会で、岡村の手法と作品について同作品を上映して私が講演し、質疑応答を行なうというものでした。
私の講演と質疑応答の内容はNHKの社内誌に掲載され、広く社内に知れわたるとのことで、私は責任者から承諾を求められました。これもNHKらしさでしょうか、承諾は求めらても、残念ながらいまだ刊行物は送られてきません。この時に講演料をいただきました。私はこうした上映・講演の際の謝金とカンパを製作資金としていますが、その時の金額は日本での相場程度だったと記憶しています。
私のこの作品はおかげさまで評判がよく、テレビでの再放送の他にも日本やブラジルでの上映会で何度か上映してもらっています。変わったところでは、「ハルとナツ」の原作者も乗船された日本の豪華客船の船内テレビでも再三、放送されています。
醍醐さんは「物書きとして発言しています」とありますので、私もキャリア四半世紀の映像屋として発言しましょう。映像屋はドキュメンタリーにせよ、ドラマにせよ、新たな企画を進めるにあたって、文献よりも、より映像を参考にしてしまうのが人情というものです。
特にドキュメンタリー作品は、作り物ではない本物の映像と肉声が記録されているわけですから、ドラマを作るにあたってはこんなにおいしい情報源はないでしょう。実際に私はこれまで日本とブラジルの移民をテーマにしたドラマや映画の企画に際して協力して、作品も提供しています。
醍醐さんは「何万という再会物語」があり、NHK側もブラジル移民の肉親の再会を題材にした番組が数多く制作された、とおっしゃいます。こうおっしゃる以上、今回、「ハルとナツ」制作スタッフが岡村作品以外にも参考にした同種のドキュメンタリーをほんの数本だけでも挙げていただけると説得力があるのですが、NHK側は岡村の再質問状に対して、岡村作品以外に参考にした一作品も挙げることなく、沈黙を続けています。
私の制作しているのは作り物ではない、事実そのものを記録するドキュメンタリーです。作者の私だけではなく、私の撮影を許してくれた被写体の方々は、生身の人間として私と共に生き続けているのです。
私は愛するその人たちの尊厳を作家生命にかけて守らなければなりません。被写体の方々が故人となられている場合はなおさらです。そうした生身の人間の記録を作品としてではなく、ネタとして利用できるかどうかだけの関心で利用して、参考にしながら作者と作品に何の敬意も払わず、公の場で全く関係がない、と発浮ウれたら責任者として黙っているわけにはいきません。
実際の移民に敬意を払う気もない制作陣による移民ドラマに私は関心がありませんが、大資本・大権力を隠れ蓑とする制作者の怠慢と傲慢を問題としているのです。
お互い作家として、立場の違いから不毛・徒労の観も呈してきた投稿合戦より、新たな作品を通して切磋琢磨しあい、今後とも胸を貸していただけたらと願う次第です。
大島:岡村さんの来日をメールで知りました。出来たら、同じジャーナリストとしてぼくもお会いしたいと思いますし、岡村さんの作品「60年目の東京物語」もぜひ見てみたいと思います。ですが、作品上映を断っている大学がある由、どこの大学ですか。また、拒否の理由は何ですか。サンパウロ新聞に掲載された岡村批判とそれに対しての岡村さんの反批判も読んでみたいと思います。どうしたら、読めますか。NHK の「ハルとナツ」についてはその全てを見たぼくなりの感想がありますが、いずれにしろ、先入観や偏見なしに、一連のファクトを知っておきたいので。ところで、来日はいつですか。また、いつまで日本に滞在しますか。
岡村:ご関心を寄せていただき、ありがとうございます。
ブラジル南部の取材からただいま、帰りました。
NHK側はとんでもない手を使って岡村つぶしを図っています。
ですので、当方も手の内を明かせないこともあり、岡村の訪日スケジュール等は直接、下記メールアドレスにご連絡いただければ幸いです。
NHK関係者の岡村シンパは岡村に情報を流したということで魔女狩り、血祭りにされています。
上映会中止の大学の件も、同様の懸念から、オンライン上では今は名前を上げられません。
ご住所をお教えくだされば、日本到着次第、問題の記事のコピーをお送りしましょう。どうぞよろしくお願いします。
赤嶺:<和田さんのバーチャル座談会>について。 そもそも和田さんのやっておられる「私たちの40年」のHPに掲載されたNHKの開局80周年記念ドラマ「ハルとナツ」に関する極めて長文のバーチャル座談会を読み、和田さんのご高配を得て読後感でも同HPに掲載していただこうか、と考えながらPCの前に座ったわけですが、この拙文を書いている内に、いや、ちょっと待てよ、話題性から言っても、まず先にBatepapoの皆さんにご一読賜れば有り難いな、と考えを変えた次第です。ちょっと余談になりますが、このバーチャル座談会を読んでいて、改めて気付いたのは、ご自分の本業の傍ら、このユニークなHPの編集の仕事を一から盾ワで担当しなければならない和田さんの並々ならぬ日々の自助努力のこと、特にネタが腐らない内に、陽の目を見させなければならないという(一種の焦りに似た)お気持ちからきっと出てくるのでしょうが、いくつかの誤字脱字の他に、各自の発言内容の重複箇所等が少し目に付きましたが、しかし、これとてもそうした状況に置かれているが故の一つのForca Maior(不可抗力)のように思えてなりませんでした。決してシニカルな言い方ではありません。
いろんな意味でNHKの話題を呼んだドラマ「ハルとナツ」を巡る和田さん主導のバーチャル座談会を先週の土曜日のほぼ午前中をかけて読んでいる内に、とても参考になったと言うべきか、意味深なと言うべきか、兎に角そういった数多くの発言内容を目にしましたが、なかんずく印象的なあるお二方の発言(阜サ)に出会うことが出来ました。それは、日本で気鋭の作家として活躍していらっしゃる(らしい)神山さんが「ハルとナツ」の脚本家(原作者)に就いての発言の中で<あざとい>という阜サを使っておられたこと、又、サンパウロにお住まいで、Batepapoの常連としても良く知られ、小生の畏友とも言える伊豆山さんが「この作者にありがちな手抜きの仕事」といった意味合いの発言しておられることでした。小生が何故お二人がわざわざ口に(いや、活字に)されたことに注意を惹かれたかと言いますと、古くは「おしん」に始まり、最新作は「ハルとナツ」に至るまで、一般庶民(特に女性)の生き様を描かせては、当代随一と評価されているこの人気脚本家に薄々ながら同じようなことを感じていたからに違いありません。
正直に垂オ上げて、日本の神山さんの<あざとい>という阜サは、ドラマを書くという分野の大先生に向かって大変に強烈なパンチだな、随分と勇気のある発言だなと考え、念の為に手許の分厚いある漢字字典を開いて見ました。そうしましたら、やはり、そこには「あざとい=例えば創作等の世界で抜け目のない仕事をしていること、あるいは、貪欲であること」と、場合によっては、そういう風に解釈できないこともない意味合いの説明が出ていました。自分流の解釈のついでにもう一つ、勝手な理解の仕方をお許しいただければ、いつも辛口の伊豆山さんがご指摘になった「手抜き」の字句の意味するところも、単なるやっつけ仕事、いい加減な仕事振りというより、いつも斜視で物を見る癖が既に付いている小生には、当地でよく言うところの<Superfaturamento>(水増し請求)のための一種の原稿料(量)稼ぎに当たるかも知れないな、と思えてなりませんでした。
最後に醍醐氏と岡村氏の熱い論争に就いて、小生の考えるところをちょっと垂オ述べます。<ハルとナツ>の原作者であるあの大先生は、きっと脚本の執筆や国zを練るのに忙殺され、とても時間的余裕がなくて、自分自身で岡村作品を目にしてないかもしれないが、もし複数人いるスタッフの誰かがそれを見て、参考になる何らかのヒントでも得ていたとすれば、スタッフリスト(クレジット)にそのお名前を記して敬意を浮キべきだったのではないか、と考えます。仮にそうしてもドラマの価値には、何の悪影響も及ぼさない筈だし、そうでないと、そうしたくないほど天下のNHK(スタッフ)が必要以上に映像作品のオリジナリティーに拘泥していたと受け取られても仕方ありません。
伊豆山:私の書き込みに、赤嶺さんちょっと誤解されておられます。 「この作者にありがちな手抜きの仕事」と書いたつもりは毛頭ありません。
私は『おしん』の大ファンでしたし、『渡る世間は鬼ばかり』に見せた、橋田さんの人の心の機微をみる、そしてそれを軽快なタッチで見せる迫ヘには大変感心させられました。 未だに日本での『渡る世間は鬼ばかり』の再放送に、ホテルに居るかぎり、テレビSwitch On しています。
天才橋田さんへの私の寄せた期待が大きすぎたせいか、今度の『ハルとナツ』には、ほんの少し飽き足らない感じがいたしました。 橋田さんの凄いところは、その人間洞察力にあるのに、『ハルとナツ』では、もう少し人々を深く描いて見せてほしかったの思いが残ってしまいました。 他の人ならいざ知らず、彼女なら出来るはず、と私には思えたのです。 従いまして、私が『この作者にありがちな手抜き』なんて云うはずがないのです。 私が云いたかったことは 『移民やその家族の人々の心の機微をもっと勉強して下さっていたら、もう一段良いドラマが書けたはず。』と云うことです。 ブラジルにしても、北海道にしても、もう少し、橋田さんが足で書いて下さっていたら、『ハルとナツ』はもう一段良い作品になったのではないかと、私には少々惜しい感じがいたしました。 橋田さんも、もう80を越えられていて、『足で書け』は無理だったかも知れません。 橋田さんは精一杯、頑張ってくださったのでしょう。 ここは橋田さんにお礼を垂オ上げましょう。
それにしても、80を越えたオバーチャマにしか大作を頼れないでは、今の日本のテレビドラマの作家達も情けない話ですね。
赤嶺:和田さんのやっておられるバーチャル座談会で果敢に発言なさっていらっしゃる方々の中には知り合いの方がとても少ないし、そういった中に伊豆山さんのお名前を見つけますと、その後に続くご発言の内容には、日頃から敬愛して止まない方の謦咳に早く接するつもりで、人一倍急いで目を通さざるを得ませんでした。それが勢い余って、今回の早とちり、早合点に繋がったと思し召し下さい。それにしましても、又もや冷や汗三斗もので、それこそ大海原みたいな大きなお心を以って、どうかご海容下さい。
伊豆山:赤嶺さん、そうお気になされては私が困ります。
読む人に誤解を招くような文を書くのがいけないのです。 これから気をつけます。
あまり窮屈に考えずに、皆さんと楽しく話し合いをしようではありませんか。
神山:メールありがとうございました。自分でも「あざとい」なんて言葉を使ったかどうか忘れていましたが(ふふふ)、貴文を読みながら、改めてあの時の自分の感情を思い出しました。そう、橋田作品は「あざとい」んですよ。
でも、今の感情としては、こうも思っています。
記者会見で橋田さんは「資料を読み込む三カ月はしんどかったけれど、書くのは楽しかった」と発言していました。それに対して僕は「この仕事の一番の醍醐味である現地取材を放棄してもったいない」という意味の感想を書きました。でもよーく考えてみると、現地取材は楽しくても書くのは「しんどい」というのが僕を含めた普通の書き手の感想です。ところが橋田さんはその逆だという。つまり、「現地取材にかこつけて非日常性を楽しんでいるうちは書き手としてはまだまだ」ととれなくもありません。
あの人のあざとさは、膨大な資料を読み込む中である種の「普遍」に気づく才だと思います。これは岡村さんのことではありませんが、彼女の作品を見ると誰もが「そうそう」「あったあった」と頷くでしょう。僕ですら「大和と名乗る柔道家の孫の登場はコンデ・コマさんからの着想か」などと思ったのですから。でも橋田さんは、そんなことにすら無頓着なんですね。聞いたら「だって日本なら大和、柔道でしょう」てな感じでした。とほほ。つまりハシダスカコとは、日本人の記憶の普遍化装置なんですね。だから「おしん」のヒットもあったんでしょう。あんな話、当時の日本には一杯あったはずですから。
ストーリー告ャ的にもけっして才気走ったものではありませんよね。手紙が何諸Nぶりに発見されるというエピメ[ドは、むしろ苦し紛れだったし。けれどそのストーリーの底に「普遍」が流れているから、大衆に受けるんだと思います。そしてその分だけ、移民関係の専門家には「あざとい」わけです。抜け目ない、貪欲=細部にこだわる専門家を尻目に全体(普遍)を鷲掴みにする。
あってますよね。如何でしょうか。
赤嶺:今日(29日)のサンパウロは、朝からどんよりと曇っていますが、何となく蒸し暑く、やはり、季節の確かな変わり目を感じさせます。PCの前に座り、南の和田さんのお便りを目にしています。日本の神山さんへのMLの取次ぎ、大変有難うございました。
ところで、神山 典士さん、 和田さんによりますと、気鋭の作家としてご活躍だそうですが、お名前の字面だけ見ていても、何となくカッコ良いというか、(文筆)運にも恵まれているような雰囲気が漂っています。
話題作の「ハルとナツ」の原作者(脚本家)に関する神山さんの歯に衣着せぬ文章を注意深く読ませていただき、まったくその通りだと思いました。この豊かに大衆性を帯びた偉大な作家は、ここをこう押せば(書けば)、自分の作品を見て呉れる大方の人は、泣いて呉れる、又、笑って呉れるという創作(物書き)の世界の普遍(性)を既に丸摑みにしていることがご指摘の通り、我々素人目にも良く判ります。どちらかと言えば、同じように多くの人たちから支持された故向田 邦子が才気走っていて毒を含んでいて、時には小憎らしいところがあったのに対して、この作家は、大衆の心を鷲摑みにしたままなかなか離さないところなど、その分だけ人畜無害ではないか、とそんな気もしてきています。これからも腕(いや、文筆)を大いにふるって下さい。地球の反対側から期して待っています。
赤嶺:先日、NHKドラマ「ハルとナツ」に盗作部分があったかどうかを巡る論争が邦字新聞の紙面で繰り広げられた時、伊豆山さんが確かある記事の何処かでこの問題に就いては、「自分にもちょっと言いたいことがあるが」と、書いたまま、後は口を濁されてしまったことがありました。そこで、その時、余程「後学のために是非教えて下さい」と、食い下がろうとしたことを覚えています。
実は、4日午前、NHK映像祭で講演するため、サンパウロに到着した相田 洋(ゆたか)さんご夫妻と激しい雨の中、小生夫婦とで水入らずの夕食を摂る機会があり、2時間ばかりに亘っていろんな話をしました。相田さんには、既に当地の邦字紙の記事を送ってありましたので、例の論争のことも先刻ご存知で、ここだけの話ですよ、とオフレコの形で、およそ次のような私見を述べられました。
NHKの<ハルとナツ>のドラマは、勿論見ましたよ。まあ、良く出来ている作品だと思いました。岡村さんの作品は、まだ見ていませんので、軽々しいことを口にはできませんが、ただ、本当に私個人の意見というか、生意気な言い方を許していただければ、(映像)作品って言いますのは、製作して世の中にいったん送り出し自分の手を離れたら、後は皆の共有財産になるものと考えています。時には、腹立たしいこともありますが、他の誰かが自分の作品をもっと発展させて立派なものを作って欲しい、そして、私自身は、なかなか真似の出来ないドキュメンタリーを製作しよう、と常に努力しています。
ここまで書いてきて、伊豆山さんがあの論争に就いては、「自分もちょっと言いたいことがあるが」と、書いておられたのは、ひょっとすると、この辺のことかな、とふと考えました。もし差し支えなければ、やはり、後学のために教えて下さい。又、和田さんにも何かコメントをお願いします。
和田:【ハルとナツ 届かなかった手紙】に付いて語るとの話題で4回に渡り皆さんのご意見を収録するバーチャル座談会を『私たちの40年!!』でも取り上げました。その際にコロニアの映像作家、岡村 淳さんの作品と酷似している点があることから彼がNHKの橋本会長宛に質問状を出した事実とその返事、2度目の質問状(まだ返事が来ていないとのこと)、サンパウロ新聞の醍醐さんの投書とそれに対する岡村さんの返信等をMLでも取り上げ紹介して来ております。
映像の盗作問題は、文章の盗作問題ほど明確な一字一句のトレースにより証明する方法がなく、相田先輩がコメントされている通り、『(映像)作品って言いますのは、製作して世の中にいったん送り出し自分の手を離れたら、後は皆の共有財産になるものと考えています。』とのご意見に岡村さんも同意見ではないかと思います。
岡村さんご自身が既に楓セしておられるようにNHKの対応が不味かったのではないかと思います。スタッフの多くの方が岡村さんの作品を参考に見ているとの事実を橋本会長は無視して一切関与していないとの返事で盗作の事実はないとの返事でこれにはプロの看板を上げている岡村さんとしても黙っておれないとのスタンスで戦い?を継続しているようです。どうしてNHKは、一言【岡村作品も参考にした】との言及を出来なかったのでしょうか。今回の【ハルとナツ】製作に当たっては作者の橋田さんが3ヶ月間をかけて多くの文献を漁り国zを練ったとの事でどれほどブラジル関係の書物を参考にされたか当然映像も参考にしておられたのではないかと想像します。
岡村さんの問題提起とその後の流れでは、折角多額の製作費をかけてのNHK開設80周年記念スペシャルとして多大の感動を与えブラジル移民の我々の気持ちを代弁しブラジルを紹介をして呉れた【ハルとナツ】の大作に文句を付けるのは罰あたりで大袈裟に言えば非国民?であるとの岡村批判も多く見られたとのことですが、これは問題の摩り替えで適切ではないと思います。
私自身も素直に【ハルとナツ】には、大きな評価と感謝の気持ちを持っているだけに盗作云々の問題でケチを付けて貰いたくないというのが本心です。又このように拗れるのを避ける事も可狽ナあっただけに残念に思います。
NHKが一言岡村作品も参考にさせて貰いましたとの一言仁義を切っておれば問題なかっただけに大NHKの体質と言うかその内臓する経営体制と言うかその弱点を露呈してしまった形の対応が惜しまれます。
何れにしてもコロニアでビデオカメラ一つを担いでコロニアに住みコロニアの目線でカメラを回し続けている岡村さんの今後の活躍、特にブラジル移民100周年に向けての彼の集大成的な作品製作を期待している一人として今回ある意味ではNHKのお陰で有名?になった岡村さんへの支援団体、民間放送等の関心が高まり彼の腕を振るう機会が訪れることを期待したい。
伊豆山:今日、和田さんのサイトに、話題の岡村淳さんから、「岡村淳のオフレコ日記」が送られて来ましたね。
www.100nen.com.br/ja/okajun">http://www.100nen.com.br/ja/okajun
これを拝見していて、赤嶺さんへのお約束の、『ハルとナツ』盗作問題に付いての書き込みをする気力を失いました。
我々には対岸の火事ですから、この問題に触れるのは辞めましょう。 岡本さんも『盗作』と、賠償金を取り立てるつもりではなく、NHKから、事前に一言挨拶してほしかった、と云ったお気持ちのようですから、これは当事者同士で解決されればいい問題と思われます。
敢えて一言云わせてもらえば、理屈の上ではNHKに分があると思われますが、超大マスコミに噛み付く、岡本さんに、心情的には傾きたくなる面も、私にはあると云うことです。
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