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南伯日本移民50周年記念式典決まる 来年8月リオグランデ港で サンパウロ新聞記事より。
過日、ポルトアレグレに取材旅行に来ておられたサンパウロ新聞の若きホープ吉永拓哉記者が現地取材の一つとして取り上げて呉れた南伯二州の『南伯日本人移民五庶年記念式典』開催のニュースがサンパウロ新聞10月14日号に掲載されています。
同じニュースをニッケイ新聞でも取り上げて呉れており10月19日のWEB版からお借りして同時に寄稿集に収録して置きたいと思います。
このように地元の行事、出来事を邦字新聞が取り上げて呉れるのは嬉しい事であり競って話題を記事にして呉れるのは有難いことです。
写真は、同記事を取材に来られた吉永記者が我が家に泊まり朝発って行く前に撮らせて貰ったものですがガレージのバックが悪く良く撮れていません。丸刈りの精悍な感じが薄れてしまい残念です。これからも南伯の記事を取り上げて下さい。


南伯日本移民50周年記念式典決まる 来年8月リオグランデ港で サンパウロ新聞10月14日掲載記事 (吉永 拓哉記者)
南伯二州(南リオグランデ、サンタカタリーナ両州)の『南伯日本人移民五庶年記念式典』が来年八月諸ェ、暑縺A二藷の三日間にわたり南リオグランデ州で開催されることが決定した。初日(諸ェ日)は、南伯に初寄港したリオグランデ港付近(リオグランデ市内)のシャビエル・ペレイラ広場で記念式典が行われ、翌暑縺A二藷の両日は州都ポルトアレグレ市内のガゾーメトロ(市営イベント会場)で記念イベントを行う嵐閧ノしており、南日伯援護協会の栗原隆之事務局長は「南伯移住の記念碑も作ります」と意気込んでいる。

 南伯日本移民は、戦前にサンパウロ、パラナ州などから少数の日本移民たちが陸路で南伯両州に入ってきた記録もあるが、正式な渡航で南伯移住をしたのは一九五六年八月二藷リオグランデ港寄港の第七次航海「ぶらじる丸」だった。
 「ぶらじる丸」が寄港する以前、戦前移民で南リオグランデ州在住の故・星子直隆氏が、日本人がほぼ皆無といった同州に日本人青年たちを送り込み、産業組合を立ち上げるといった国zを抱いていた。
 この国zに協力したのが、当時のメネゲッテ南リオグランデ州知事で、それまで開かれることがなかった南伯の門を開けてくれた。
 星子氏は、州政府の許可を得て熊本、宮崎、鹿児島の九州南部三県から高校を卒業したばかりの単身青年ら二庶O人を呼び寄せた。
 しかし、単身青年らが着伯する前にメネゲッテ州知事から、グリゾーラ州知事に政権が移行してしまったことにより、産業組合の約束は夢物語となってしまった。
 二庶O人の単身青年の一人だった栗原事務局長は、「政変があったとは知らずにリ
オグランデ港に着いたものの、約束がすべてパーになってしまい困り果てました」と当時を振り返る。
 星子氏は責任を取り、各単身青年を非日系農家に配耕したのだという。 彼ら二庶O人から始まり現在は、南伯援協の調査で南伯二州に一世・約二千人を確認している。 同五庶年式典の計画は、今年六月にリオグランデ市議会において同市に移住五諸N記念公園を作ることが承認されたため、八月に栗原事務局長をはじめとする地元日系団体が同市を訪れ、市長を交えて式典の段取りをしていた。
 栗原事務局長は同記念公園建設について「式典まで時間がありませんから、とりあえずリオグランデ市役所前のシャビエル広場の一角に記念碑の除幕をかねた記念式典を行います。ゆくゆくは記念公園を作り、その後、記念碑を移したい」と話す。
 記念碑は、同州の石材輸出会社から大理石を無料提供してもらい、リオグランデ市まで輸送されることになっているが、石碑に刻む揮毫は、まだ決まっていないのだという。
 栗原事務局長は、南伯移住五庶年について「ブラジル移民は百周年を迎えますが、南伯には、ほとんど戦前移民がいないので『百周年』にはピンとこない。もちろん百周年には協力しますが、我々にとって五庶年の方が身近ですから、まずは来年のこの式典を全力で成功させたい」と語っていた。


来年8月で私の住んでいるポルトアレグレのリオグランデドスール州南部のリオグランデ港に戦後初めて移住船ブラジル丸が寄港して50年になるとのことで地元南日伯援護協会が中心なって50周年記念式典と記念行事を計画している。ニッケイ新聞の関係ニュースを下記して置きます。
南伯移住50周年に向け始動=来年8月に式典挙行=移民到着港に記念碑=「移住者名簿をタイムカプセルに」
ニッケイ新聞   2005年10月21日(金)
 南部2州への移住開始を祝う南伯移住50周年記念祭が来年の8月19、20、21日の3日間にわたってリオ・グランデ・ド・スール州(以下、南大河州)で開催されることになった。50周年記念祭準備委員会(金福秀文委員長)が中心になって計画を進めている。現時点では最初の移民船が到着したリオ・グランデ市に記念碑を建設することが決定した。初日に除幕式を行う嵐閧セ。後の2日間は同州都ポルト・アレグレ市内にあるガゾーメトロ市営イベント会場で太鼓や踊りなどのショーも計画している。
 一九五六年八月二藷、鹿児島、宮崎、熊本県の農業高校に呼びかけて集められた若者、二庶O人を乗せた第七次航海「ぶらじる丸」がリオ・グランデ港に入港した。
 それ以前の戦時中、サンパウロ州から南に移住した故・星子直隆さんは「地域活性化のため南伯にも産業開発組合をつくろう」と、高校時代の知り合いを通じて二家族と単身青年を鹿児島から呼び寄せていた。
 彼らは直接リオ・グランデ港には入港できず、サントス港に着いたあと、陸路で南に下った。その後、「人数を増やそう」と、五六年に二庶O人の若者が呼んだのが、南大河州、サンタカタリーナ二州への正式な移住開始となった。そこを起点に、現在では南部二州の一世は二千人いるという。
 南日伯援護協会の事務局長を務める栗原直隆さんもこの二庶O人のうちの一人だ。「やはり、このゆかりの港に記念碑を創設したかったけど、人が全く来ないような所だったから、町中の公園に変更したんです」と説明する。州都ポルト・アレグレから南西に約二百三純Lロある同港は、内陸湖の入り口に位置し、人通りが少ないという。
 市中心部のリオ・グランデ市役所前にあるシャビエル・ペレイラ広場に建てられる嵐閧フ記念碑は、同州石材輸出会社から大理石を無料提供してもらい、同地まで輸送してもらうそう。
 揮毫の文字は未定だが、「小泉首相に依頼しよう」「移民船全ての名前を刻み込む」などの案が出された。また「移住者名簿をカプセルに入れて記念碑の近くに埋める」とのアイデアも出ている。栗原さんは「できれば地域社会のためになるような会館も設立したい」。
 記念祭へ向けて本格的に動き出したのは今年一月の南伯援協の総会から。実質、同協会が主導で南伯商工会議所、南伯日系クラブ、今年四月に設立したポルト・アレグレ文化協会が協力し合って同記念祭準備委員会を発足させた。麻生陽南伯援協会長が病気のため休養していたので、栗原事務局長、金福委員長を中心に話を進めてきた。
 先月四日には記念祭の資金集めのため、ポルト・アレグレ婦人会の主催で昼食会が開かれた。
 「ただ、記念祭をわいわいやっておしまいじゃ意味がない」と言う栗原事務局長。「移民百周年はもちろんですが、私どもにとってはこの五庶年もそれに値するくらい大切なもの。まだまだ準備段階ですが、これから具体的に話を進めていきたい」と抱負を語った。







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