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戦後移住を後世の記録に あるぜんちな丸船内新聞号外を計画【サンパウロ新聞より転載】
昨年11月1日(木)付けのサンパウロ新聞社会欄に掲載された上記見出しの記事を転載しておきます。
同じサンパウロ新聞の10月27日付け大耳小耳欄に「一般的に移民船について書かれた本は、船のサイズとか寄港の順序など、あまりにも表面的な記録ばかり。ある日系人のグループがこれから作ろうとする移民船内での記録は、少しでも乗船者個人の日常を記したいと考えている。」と『私たちの40年!!』企画が紹介されている。写真は同日のサンパウロ新聞記事の写しです。


戦後移住を後世の記録に あるぜんちな丸船内新聞号外を計画
来年二〇〇二年5月十一日で着伯四十周年を迎えるあるぜんちな丸第十二次航の同船者の有志によって、船内新聞号外版特別記念号が発行される事になった。編集委員会の和田好司代表は同船者にアンケート調査の協力を呼びかけている。
あるぜんちな丸第十二次航は、一九六二年四月二日に神戸港を出航し、三十日ベレン入港、五月十一日にサントスに入港した。戦後移住ブームが下降している段階での最後の大きな団体で、総勢七百人近い移住者が乗船していた。同船者はブラジル(アマゾン・トメアス移住地、サルバドール・クビチエック移住地、リオ・フンシャル移住地)をはじめ、アルゼンチン(ガルアッペス移住地)、ボリビア(サンファン移住地)、パラグアイ(イグアスー移住地、アルトパラナ移住地)へと南米各地に移住していった。
また、産業開発青年隊三十四人、コチア青年十六人、花嫁移民十四人、野球移民十人など多彩な顔ぶれが揃っているのがあるぜんちな丸第十二次航の特徴だといえる。
和田代表によると、現在外務省領事移住部政策課移住班の協力で、当時の全計画移住者の名簿も入手し、移住監督官だった元外務省・伊藤敏夫氏(八六)、移住助監督官の元建設省・長沢亮太氏(七八)、移住助監督官の元海外協会連合会(現JICA)上園義房氏(六九)の三人が健在であることが判明した。
アンケートの項目は、氏名、生年月日、船出時の出身県、到着時の入植地または最初の町、当時の家族構成(本人)、現住所、電話番号(Fax番号、メールアドレス等)、現在の家族構成。その他、同船者の消息、動向の情報、当時の船内新聞、写真、その他の資料提供、船内新聞特別記念号への投稿、近影の写真などの協力も合わせて呼びかけている。
和田代表は、「同船者に四十年間の移住の生き様を語ってもらいたい。戦後移住のケースワークとして後世に記録を残したい」と語る。
連絡先は同船者の高野泰久さん(高野書店・コンセリェイロ・フルタード街七五九番、電話3209-3313)まで   
          
(平成14年4月14日 和田タイプアップ)



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