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『私たちの40年 ! !』発刊にあたって。
今年の5月11日で着伯40年を迎えます。『私たちの40年!!』をホームページに掲載にするにあたりその意義、意味するものを纏めてみました。
写真は、昨年4月に「笠戸丸」が1908年に出航した神戸メリケン波止場に建立された移民碑「希望の船出」を昨年6月初旬に神戸を訪ねた時に撮った写真です。我々のあるぜんちな丸第12次航もこの近くから出航しました。訪日の際には我々のスタート点として又子供たちにもルーツとして伝えて行きたい場所です。


『私たちの40年!!』(あるぜんちな丸第12次航船内新聞特別号)発行にあたって。

光陰矢の如し!!と云われますが、私たちがあるぜんちな丸第12次航で南米に着いて既に40年を迎えようとしております。この40年を私たちはそれぞれの場所で精一杯生きて来ましたが私たちの40年の生きざまがその国、その地域の戦後日本人移民史の1ページを築いて来た事は間違いなく志半ばで南米の土に戻った多くの同船者の御霊を慰める慰霊祭と生きている喜びを分かち合う同船者会を2002年5月11日に実施するにあたり、船内新聞の40年後の特別号を計画する事になりました。回顧趣味でなく、40年の歴史を刻み更なる躍進、次の世代へバトンタッチして行く課程としてこの40年を色々な形で残して置く事は、先に逝った人たち、我々とその子孫へ残しえる無形の財産、生きざまの記録として役立つのではないでしょうか。
我々のあるぜんちな丸第12次航は、戦後移住がピークを越し、激減する時代の最終大型移民船の様相を示しています。昭和27年(1952年12月)に戦後移住が再開されピーク時の1960年には年間8000人を越す移住者が新天地を求めて移住して来ておりました。私たちの1962年度の移住者総数は2201人(ブラジルのみでは1830人)に落ち込んでおり、あるぜんちな丸第12次航1962年3月30日横浜発、4月2日神戸出港の移住者総数681名(外務省領事移住部政策課を通じて入手した海外移住事業団作成の戦後移住者名簿による)は、最後の大型移民団と云える構成で5月3日に本船より小船に乗り込みトメアスの移住地に向かう同船者を見送った北伯ベレン、5月7日にはサルバドールに寄港ジュセリーノ・クビチェック移住地に向かう同船者を見送り、5月9日にはリオの港でフンシャル移住地に向かう同船者と別れを告げ5月11日にサントス港に到着した。此処でブラジル、ボリビア行きの同船者が降り、5月17日に最終地アルゼンチンのブエノスアイレスでアルゼンチンのガルアッペ移住地、パラグアイのアルトパラナ移住地に向かう同船者が下船した。ブラジル移住者473名中には、産業開発青年隊、コチア青年、野球移民、花嫁移住、単身呼寄せ移住、海協連の計画移住地に家族で入植する者と多士済済の顔ぶれで戦後移住者層の一つの縮図がその中にあったと言える。このあるぜんちな丸第12次航同船者という共通項に絞り、各人がこの40年を如何に生きてきたかに光を当てて各国、各地での定着の課程、681名の動向、消息を探る事により戦後移住の歴史の1ページを辿る事が可能だと確信します。
移住助監督を勤められた若き日の上園 義房(当時宮崎県海外協会、国際協力事業団=JICA退職)さんも既に70歳を迎えようとしておられますが、『時の流れ』の寄稿文の中に神戸港出港前センターの壮行会祝辞を今 東光和尚が馬の餞として我々を励まして呉れたとの記述がありそれを基に関係者に調べて頂いた結果、当時の朝日新聞に下記の報道が残っておりました。【あるぜんちな丸出港前日、今東光和尚来船。外務省神戸移住斡旋所は4月1日各府県移住業務関係者、船会社代表、作家今東光氏らを招きここ数年間中断されていた移住懇談会を開いた。昨年(昭和36年)アルゼンチン、ブラジルを旅行した今東光は、
『水間寺で大騒動を起こして大きな口はたたけないが』と出席者を笑わせ『道路一つ満足につくれない日本で多くの人がひしめいていてもつまらない。大いに海外に渡り大和民族のエネルギーが世界でどれだけ必要で役に立つか証明しようではないか』と話した。一同は昼食の後、2日夕方南米移住者469名を乗せて出帆する「あるぜんちな丸」を見学した。】昭和37年4月2日の朝日新聞の記事より抜粋。あるぜんちな丸第12次航の681名中、469名が神戸移住斡旋所で船待ちし残りの212人が横浜移住斡旋所にお世話になり乗船した事になる。この当時の今東光和尚のブラジルに付いての書き物が残っていないか方々手を尽くして探して見た所、当時の今東光和尚の秘書的な仕事をしておられた集英社INTERNATIONALの島地社長、元神戸新聞の矢野記者等の協力を得て丸善石油高等工学院で同時期に「今東光和尚南米漫遊記」が同校学院便り第15号に春の教養講座からとして掲載されておりこれを我々が日本を出た当時に講話された貴重な記録として転載させて貰う事にしました。
     移住監督官の当時外務省職員であった伊藤 敏夫氏も87歳でご健在、移住助監督で産業開発青年隊の父として慕われている当時建設省職員であった長沢 亮太氏79歳もお元気との事で原稿をお願いしております。あるぜんちな丸関係では、当時の乗組員の名簿、配船表等も入手しており、残念ながら仁平 政人船長は、他界しておられますが、当時2等航海士としてお世話戴いた吉川 誠治さんからは、『船、あるぜんちな丸第12次航から40年を経過して』の30ページに上る力作を寄稿戴いており2等機関士の高根健次郎さん、事務員の木田寿司さん等からも原稿が戴ける事になっております。
     当時の船内新聞の編集、原稿集め、ガリ切り等を一緒に遣った仲間では、野球移民で来伯、その後帰国した川上尚武さんの消息が掴めておりませんが残りの仲間は、帰国して北海道夕張郡にお住まいの藤岡 和弘さん以外は、現在もブラジルで活躍しておられます。私は、当時早稲田大学の第1政治学部政治学科の3年終了とともに東京都の農業移住者として東京都保谷町の酪農農家に居住、農業従事証明書を書いて貰い潜りで呼寄せ農業移住者として政府の渡航費10万2千円の貸付を受けあるぜんちな丸に意気揚揚と乗り込んだ次第です。最近会った同船者の一人から「お前は船の中でも目立っていたが移住とは余り関係のないブラション組みで直ぐに日本に逃げて帰ると思っていたがまだブラジルにいるのか?」と指摘された。事実、2年で64年の2月船で一時帰国、早稲田に復学、65年に早稲田卒業とともに再度移住船に乗りブラジルに戻り現在を迎えている。ブラジルの40年は、改めて細述する機会もあると思うので省略しますが、最近神戸高校の同窓生の一人から受け取ったメールを紹介しておきたいと思います。 『地球の裏から和田さんの、お元気な声が聞こえてきそうです。関西地方は、今年は美しい紅葉に恵まれこのところ、ずっと小春日和が続いていましたが、昨日の久しぶりの雨で秋もおわりでしょう。「ブラジルに40年を在りし人は、落ち葉踏む音恋しからずや」』と結ばれていましたが、落ち葉踏む音で象徴される日本の秋、残して来た故国日本を思う気持ちは正直云って無いとは断言しかねますが、私自身は、このブラジルでの40年を自分なりに納得の行く人生との位置付けをしており、悔いの無い人生であったと自負しておりますが、681名に上る同船者の皆さん一人一人の40年後の現在のお気持ちは如何なものでしょうか?まだまだ道半ば、人生はこれからとの積極的なご意見の方、一つの道を極め悠々自適の方、お孫さんに恵まれ小さい根を1本下ろした感じの日々を送っておられる花嫁移民の方、ブラジルで3人のお子さんを生み家庭の事情で5年で帰国、現在長野市でブラジルから来ている若い人達の世話をする事を楽しみにしておられる方、現在も日本で出稼ぎとして働く多くの方等々同じあるぜんちな丸で南米を第2の故国として選び移り住んできた同船者の皆さん一人一人に「落ち葉踏む音恋しからずや」と聞いて見たい気持ちで一杯ですが、これがこのあるぜんちな丸第12次航の40年後の船内新聞発刊の根底に流れる主旨ではないかと感じています。人それぞれその生きがい、生きざまは、さまざまですが同船者の皆さんが40年前の選択(自ら選択したとは限りませんが)出発が現在どうなっているのか?人生を〇×で2者選択、結果を出せる程、単純なものではないと充分心得ていますが、一人でも多く40年前の選択を肯定出来る形で過ごしてこられた方が多い事を念願しております。奇麗事でなく、赤裸々な私たちの選択し生きてきた40年の姿を書き残せればこれに尽きる幸せはありません。40年前に早稲田大学の海外移住研究会の一人として移住船に乗り込み皆さんの多くが入られた海外協会連合会の計画移住地を隈なく訪ねて歩き、その後の40年をブラジルで過ごしてきた現在、どうしてももう一度青春の土地、南米各地を訪問して出来る限りの同船者にお会いして生きてきた『私たちの40年!!』を語り合いたいと計画しております。

平成13年12月10日
あるぜんちな丸第12次航
船内新聞40年後の特別記念号
『私たちの40年!!』編集委員会
         
          編集委員代表 和田 好司
      




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