感謝の辞 【1962年5月6日(日)付け船内ニュースさくら第三十号より転載】
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昨日四番船室で閉校式後世話人会一同よりあるぜんちな丸船長仁平仁作氏始め乗組員に対して心から感謝を述べさせて頂きますと代表者吉田昌治さんから次のような感謝の言葉が送られました。全文をここに紹介し、新ためて私達一同の心からの謝意を船長さん始め乗組員一同に送りたいと思います。 |
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私共移住者は去る4月2日神戸埠頭で懐かしい祖国の地に尽きぬ想い出を残しつつ出帆致しまして以来早くも1ヶ月有余になりますが、その間身の細るような船酔いに悩まされながらの太平洋横断の拾数日も暑さに寝苦しい幾夜の赤道線通過の数日間も今は只一つの思い出として残るのみ、楽しかった運動会、面白かった赤道祭や演芸会、それに映画会等の数々の催し物に名残を惜しみながら後三,四日でそれぞれの港に下船致すことになりました。この度は681名と人数も多く殊に頑是ない子供達や可弱な婦人達を始め旅馴れぬ一同の者がこれと云った事故も無く実に24000キロに及ぶ長い航海も恙無く然も愉快に有意義に過し此処に大いなる希望達成出来得ますことは、これ偏に仁平船長始め乗組員の皆さんの温かい御配慮の賜と深く感謝申し上げる次第であります。
今後私共を待ち受けている現実は、想像以上厳しく、目的達成への道は遠く峻しく波乱万丈のものがありましょう。けれどもそのような時にはあの太平洋の波涛を想い亦目立たぬ甲板に司厨部に機関部に医務局船客の生命と財産の安全輸送の任務のため日夜黙々として勤めておられた皆様方の御苦労を偲んで如何ような困難にも耐え忍び船内生活中、直接間接学び得ました貴重な体験を生かしまして各々の目標に精進致すつもりで居ます。そうすることに依って眠れる宝庫南米大陸に私達の最善をつくすことこそ皆様方の御厚情に報ゆる唯一のものとその決意を新たにする次第であります。
以上粗辞ではありますが私共一同の微衷を披瀝し感謝の意を表しますと共に皆様方の益々の御健闘を心より御祈り申し上げます
1962年5月5日
乗船移住者一同
あるぜんちな丸 第12次航海乗組員一同殿
以上四十年前に書かれた船内世話人代表の吉田昌治さんの文をタイプアップしていて当時を思い出していますが「編集長!!編集長!!」と良く声を掛けて激励して頂いた吉田さんのスリムなこれで農業ができるのか?と心配になるような姿が目に浮かびます。1962年のブラジルに置ける最初のフィナード(お盆)をグァタパラ移住地の無縁墓地にお参りしたのを記憶しており11月初旬に吉田さん一家を訪問して以来お会いしておりません。その後ブラジリアに引っ越されたの事で、現在は長女の美智子さんと御一緒にエスピリトサントス州の州都ヴィットリア市に住んでおられるとの事ですが、5月の同船者会には健康が許さずサンパウロまでは出て来られないとの事で何とかお元気な内にヴィットリアを訪ねて見たいと念願しております。お元気な頃は、同船者会を開くようにと誰彼となく誘っておられたとの事で遅きに過ぎるとの気もする次第です。私が訪ねた後、直ぐの1963年正月に撮った家族の写真を次女の和子さんに借りて来ておりますので掲載しておきます。ご兄弟5人全員が5月にはサンパウロに集まって呉れるとの事で再会を楽しみにしております。
(平成14年4月14日 和田タイプアップ)
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