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【アマゾンの野生ゴム】 高橋雄一さんのコメントです。
1月にアマゾンを訪問した際にマナウスの近くでゴム栽培農場をガイドの高橋
さんに案内して貰いました。過酷な天然ゴム採集のためにノルデステのセアラー州から父親に連れられてマナウスに移住して来たシリンゲイロのセヴェリ−ノさんにゴムのラテックスの採集、炉に火を焚き煙でラテックスを固めて行く作業の実演を見せて貰いました。
今回、真砂 睦さんのお馴染みの「おいやんのブラジル便り」(その68)でこの天然ゴムの栽培が盛んになり再びブラジルの主要産業の一つとして世界に通用する天然ゴム栽培が経済活動の一つとして戻って来るとのコメントに対して高橋さんから掲題のアマゾンの野生ゴムとの投稿がありました。
写真は、暑い昼間にも頭にカンテラを焚いてゴム採集の実演をして呉れるセヴェリーノさんです。


アマゾンの野生ゴム
19世紀の後半から20世紀の始めごろにかけてアマゾンは空前のゴムブームでかってない繁栄がありました。18世紀(1736年)にペルーに来ていた学術調査チームのあるフランス人が原住民がゴムの樹液を塗って防水しているのを知り このゴムの塊を本国に持って帰ったことから ヨーロッパにゴムが伝わり 消しゴムやレインコートが作られるようになりました。
1839年にはグッドイヤーがゴムに硫黄を加え加熱することでゴムの弾力性が増大することを発見し 布入りゴム靴の特許を取得し欧米でゴム靴製造が盛んになってきました。 さらに1887年にはダンッロプが空気入りタイヤを発明 ついで仏人ミシェランがある自動車レースで天然ゴムを使った空気入りタイヤが安定した高速走行や運転性に優れていることを証明したことで天然ゴムの需要が高まり天然ゴムの集散地だったマナウスが一躍脚光を浴びるようになり世界中の富みがマナウスに集まったかのような繁栄ぶりでした。
しかし「おいやんの便り」にも記述されてあるように1876年(明治9年)に英人ヘンリー ウイッカムが 当時はブラジル政府も海外持ち出しを禁止をしていた天然ゴムの種子7万個をロンドンに持ち帰りキューガーデン王立植物園にて発芽させ その苗をセイロンやシンガポールにある植物園に送り届け そこから東南アジア全体にゴムの栽培が広がっていくことになります。
やがてゴムの品質改良も進み 採取方法や生ゴム加工の技術も進歩しアマゾンよりもコストの安い上質のゴムが市場に出回るようになるとアマゾン産のゴム価格が沫獅オ マナウスのゴムブームが過ぎ去っていきます。
マナウスがパラーゴムの景気で沸いていた当時イギリスはその恩恵を他のどの国よりも充分に得ていたはずなのですが国策だったのでしょう 自国に近い直轄領でゴムの栽培に成功し東南アジア産のゴムに関しての利権を一手に握り 今まで以上にゴム産業がもたらす莫大な利益を得るようになったのです それに対抗してアメリカのフォードがサンタレーン近郊に百万ヘクタールの土地を手に入れ近代的な植林方法や栽培技術の研究および開発に力をそそぎ英国領でのゴム栽培に負けない規模のプランテーション計画を始めることになりますが 時すでに遅しで失敗に終わります。 
記録によるとマナウスに勃発したゴムのブームは1865年〜1915年までだったとあります需要の高まりにパラゴムの生産量が追いつかず(ゴム採取人が不足していたため)ブラジル東北伯の干ばつ凶作にあえいでいた大量の小作農民をアマゾンに移住させたりして産出量の確保を そういった労働力で間に合わせていた時代がありましたが そうしたゴム移民達はアマゾンの奥地に送りこまれ熱帯病(マラリア、黄熱病)に苦しみ慣れないジャングルでの生活に耐え偲びながらの困窮生活を余儀なくされ 莫大な富を手中にした一握りのゴム商人や天然ゴムの裕福な土地所有者とは あきらかに格差のある状況でした。何時の時代にも富みを得る人がいれば その反面では もたらされる利益も収入もなく苦しむ大勢の人達がいるという事実です。 アマゾンの奥地 (ャ潟c塔Gス河の上流) に送り込まれた多くの国内移民はブラジルの東北伯から来た貧農の人達だったそうです。

マナウスがゴムブームの黄金時代 (1905年頃 定かではないが)で沸き返っていたころにペルーのサトウキビ畑耕地の契約移民として働いていた日本人移民がアマゾンのゴム採取労働者の需要を聞きつけ数百人が粉雪舞い散るアンデスの山を越えアマゾンの支流であるマデイラ河の上流付近でゴム採取の契約労働に従事した。ジャングルでの厳しい環境にさらされ苦労はしたがペルーでのサトウキビ畑の契約移民のときよりは収入が増え それなりに生活も改善され希望をもったが ゴム価格沫獅ノともない需要が減り契約労働も一方的に破棄され仕方なく大半の人達はリマへ戻って行った。しかし何人かは残りブラジル側のアマゾンに入り年月を経てマナウスまでたどり着いた人や途中の支流にある小さな町に定住した人達もあって非合法ではあるがペルー下りの日本人移民と呼ばれていた人達である。正式な日本よりのアマゾン移民よりも一足早くアマゾンに居た日本人であったわけです。
ヨーロッパのゴム商人たちのようにゴム成金になった人はいなかったみたいですが このように日本人もゴムブームに便乗してアマゾンに歴史を刻んでいたのです。
アマゾンのゴムはブームが衰退した後 第二次大戦中に僅かの期間だが再びゴムブームの再来だといわれたこともありましたが 戦争終結後はやはりゴムの主要産地は東南アジアでありアマゾンは見放されたようになりました。しかしながらゴムにとってかわる産業といったものがないアマゾン流域経済は細々とではありますが以降もパラーゴムの採取は続けておりました。 やがてマナウスは自由貿易地区になりゴムの精製工場も違った製品を作る工場に替わりマナウスの町からはゴムの匂いが完全に無くなっていきます。アマゾナス州は工業の誘致や近代工業化の推進に力をそそぎ工業都市としての発展をめざしていましたから ゴムはお隣のアクレ州がブラジル第一のゴム産出州となってしまいました。 天然ゴムの生産が再び脚光を浴びることになればアマゾナス州としてもこれを見過ごすわけにはいかないでしょう
セリンゲイロ達が(ゴム採取人)再び活躍できる日が来るかも知れないですね。

真砂さんのPCの調子が悪かったとの事で少し送れてですが2月25日付けの「おいやんのブラジル便り」(その68)が届きました。
今回は、アマゾンの天然ゴム(ラテックス)に付いてです。天然ゴムが100年振りにブラジルに里帰り?とのこと。
マナウスで天然ゴムの採集モデル農園を案内して呉れた高橋さんや大フォードがアマゾンのヴェルテーラに作ったゴム園フォードランジャに入植された佃さんあたりのコメントを頂きたいですね。

「おいやんのブラジル便り」(その68) 2006年2月25日
ブラジルで天然ゴム(ラテックス)の生産が増えている。ゴム生産者協会によると、昨年の9万7千トンから、2030年には37万トンまでもっていくという。天然ゴムの需要の70%はタイヤ用である。石油から作る合成ゴムが主流になって久しいが、現在でも飛行機用タイヤや、自動車用ラジアルタイヤの主原料は天然ゴムである。タイヤでも高級先端品の生産に天然ゴムは欠かせない。
数あるゴムの樹の中で産業用に利用される樹種がパラゴム。アマゾンの原産。もともと原住民が密林に点在するゴム樹からラテックス(液体ゴム)を抽出し、燻製して固めたものが知られていたが、1839年にグッドイヤーが加硫法による生産技術を確立して以来、産業用として飛躍的に需要が伸びた。20世紀に入り、フォード車の大衆化によって、アマゾンのゴムはブームを迎えた。成金達は当時ゴムの集散地であったアマゾン河中流のマナウスに、資材一切をヨーロッパから取寄せ、壮大なオペラ劇場を建てるという破天荒なことをやってのけたのもこの時代である。
おもしろいように金を生むゴムを、じっと様子を窺っていたのがイギリス。19世紀末、大英帝国の戦略植物園の要、ロンドンのキュー・ガーデンから、パラゴムの種を盗み出すようアマゾン在の英国人に指令が飛んだ。万事周到な英国人は、英国航路の汽船を借切るという大掛りな仕掛けでブラジル税関の目をくらまし、パラゴムの種を盗み出して、キュー植物園に持込むことにまんまと成功した。キュー植物園から、大英帝国植物園網を告ャしていた熱帯のセイロンとシンガポールに盗み取ったゴムの種が送られ、発芽にこぎつけた。発芽はしたが、商売として栽培できるだけの生産量を上げるのに苦労した。しかし遂にシンガポール植物園が、木に害を与えることなく、大量のラテックスを採取する方法を編出し、農園方式による栽培の目処をつけた。マレー半島に大規模なゴム農園が広がっていった。マレー半島の錫鉱山で働いていた中国人の多くが、ゴムの将来性に目をつけ、ゴム農園を拓きゴムの植付を先導した。現場労働者として、南インドのタミール人が導入され、労働力のネックも解消された。
こうしてイギリスは、アマゾンから盗み出したゴムの種から大規模農園を興し、当時最重要戦略物資であった生ゴムの世界市場を独占、莫大な利益を取込んだ。
原産地アマゾンでは、野生ゴムを自然採集する幼稚な生産方式では太刀打ちできず、1920年代初頭には生ゴム生産が崩壊した。マナウスにかわってシンガポールがゴム取引の舞台となった。
それからおよそ80年、本家ブラジルで生ゴム生産が復活しようとしている。時代は変った。合成ゴムが需要の多くを賄っている。しかし先端製品向けの天然ゴムの需要は着実に伸びている。合成ゴムの原料である石油の値段が不気味な高止まりをみせているなかで、ブラジルの心臓部、サンパウロ州やリオ州の広大な平原に、ゴムの大農園が姿を現した。増産余力は無限大。生ゴムの需要家である世界の大手タイヤメーカーが競ってブラジルに大型工場を建てた。生ゴムの手当ても狙ってのことであろう。
かつてブラジルを叩きのめしたマレー半島のゴムの樹は、あらかたパーム椰子に植え替えられ、もはや競争相手ではない。アマゾンの密林から姿を消して1世紀ほども経て、パラゴムが故郷に帰ってきた



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