トメアス移住地の佐藤邦子さん御逝去 享年83歳
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同船者のアマゾン、トメアス移住地に住んでおられた佐藤 邦子さん(享年83歳)が2月9日午後12時45分に永眠されました。トメアス移住地の中心地庶囗H近くの自宅で三宅昭子(旧姓佐藤)さんの手厚い介護を受けておられましたが、昨年ご主人の佐藤正一郎さんを亡くし寂しい思いをしておられた邦子さんも天国に召されたとのお知らせを昭子さんから知らせて頂きました。
邦子さんが亡くなられる2週間前にお孫さん、荘キさん達が訪問され一緒に撮られた写真と共に昭子さんから『父母昇天』、『父の思い出』等のエッセイも送って頂きましたので寄稿集に掲載したいと思います。
キャボの花笑いはじけし母の顔
母逝って我が身の老いや霧立つ日
天に父母送りてひとり今日の月
ご冥福を祈ります。合掌!!
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父母昇天
父が召されて半年、母も天国へ帰った。今頃は父に色々報告していることだろう。七年間の短い間ではあったが親孝行のまねごとのできたことは幸いと思っている。“人は一度生まれることと死ぬこととは定まれり“と聖書にある。その上一人一人の生涯の神の前での裁きの座に立たねばならないという。弁護してくださるのはイエスキリスト様。幸いなことに諸N前二人とも信仰を告白して洗礼の恵みにあずかり、裁きの座に立ち得ることができる幸いを得たことを心から喜んでいる。
もし弁護人がいてくださらなければ人は一人も滅びの手よりまぬかれる者はないからである。
死んで終わりでない永遠の命を神と共に歩む。そして、再び逢える望みをいだいて過ごしているこの頃である。
父の思い出
父は私にとって植物学者であり動物学者であり、生物に関することは学校で習うより先に父が師であった。とても優しく、無医村の牛馬の医師であり、村人の医師的存在でもあった。しかし、仕事の面では自分にも厳しく私たちにも厳しく仕事の鬼と呼ばれていた。私は、毎日学校へ行く前と帰ってから農作業を手伝うのが日課だった。父から動物や植物についていろいろ教わることが楽しかった。10才の4年生から5km離れた本校へ自転車通学が始まった。村にお店などなくよく買物をさせられた。
ある日、父に頼まれた薬を私は忘れた。父は責任の重さを語りもう一度戻って買って来ることを命じた。神社を通りお墓の下の坂を通り、杉林の昼でも薄暗い峠を夕方は更に恐ろしい程であった。
しかし、泣きべそをかきながら果たした責任を父は褒めてくれた。それによって約束と責任を守ることを学んだのであった。
佐藤家の渡伯前に郷里秋田で撮られた写真がありますが、家長の正一郎さん(2005年歿)、邦子さん(2006年歿)、昭子さん、正邦さん(1974年歿)、薫さん(1963年歿)、恵美子さんの6人家族が2人になりましたが、昭子さんより送って頂いた写真にあるように邦子さんが亡くなられる2週間前に昭子さんの次男、潤さん(37歳)、お孫さんのハル(10歳)、ユウタ(5歳)、ユカ(2ヶ月)潤さんの奥さん、長女のクラウジアさん(42歳)と確実に人数が増えておりブラジルの地に根を下ろしておられます。ご主人を含めて5人のお墓を入植当時からトメアス移住地に腰を落ち着け墓守しておられる昭子さんは、人生の辛酸を舐め尽した苦労人ですが、昭子さんを救ったのは、神への帰依と趣味の俳句、両親を思い兄弟を偲ぶ詩情豊かな昭子さんの作風は、ブラジル俳壇でもその人ありとの詠み人でアマゾンの詩を多く詠んでおられます。
40年目のビデオレターを収録に岡村淳さんと一緒にトメアス移住地を訪問したのは2002年の1月でした。既に4年の歳月が経つとは言え佐藤さんご夫妻の銀婚式に参加されていた海谷コトさんとのトメアス長寿3人組の252歳の写真を頂きましたが、邦子さんの御逝去で3人とも会えぬ人になってしまいました。櫛の歯が欠けて行くように次々旅立って逝かれるのは寂しいものですね。
着伯44年になる5月には同船者名簿の物故者欄を判る範囲で更新して置きたいと思います。
老介護終えてひとりや霧の哭く
凍て蝶や眠るが如く父逝けり
アマゾンに祖さなる父の墓洗う
終の地をアマゾンと決め耕せり
自らに厳しき父の鍬一丁
闘病の23年間冬枯れぬ
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