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チリ旅行備忘録2006年7月16日-25日(後編)
今回のチリ旅行は、けい子が大学の休みには入り2002年の休暇旅行が気に入っていたこともあり私の仕事での出張ではあるが、同行してくれるとのことでブエノス、サンチアゴ、コンセプシオンを訪問した。幸い土曜日が仕事の関係でお休みとなりタクシーでチジャンの温泉迄、アンデスの雪景色を見に出掛ける機会があった。2002年5月のチジャンに上った時と比較しながらの訪問は、忘れがたい雪山となる。
仕事の話も混ざり余り面白い備忘録とは云えないが日頃の生活を記録して置くのも良いのではないかと思う。
写真は、チジャンの温泉地の雪景色の中での一枚です。


7月22日(土) 第7日目
工場の作業上の問題で本日は一日お休みとなり明日押出機を止めて本格的な改造作業を開始する事になり衆議一決、アンデスの雪山の町TERMAS de CHILLAN(チジャン温泉)を訪問する事にした。2003年5月末に車を借りてけい子と初雪の降った後のチジャン温泉を訪問しており今回が2度目になる。CONSEPCIONの町からCHILLAN迄が120kmそこからTERMAS迄、更に80km片道200kmの行軍で9時半に出てホテルに戻ったのが午後6時半の都合9時間の日帰りの旅となる。綺麗に整備されたハイウエイをユーカリ、パインの植林と今を盛りに咲き誇るミモザ(黒アカシア)の黄色い花を左右に見ながらの3時間の旅。途中小雨が降り天候が心配されたが直ぐに上がり大きな虹が掛かり目を楽しませて呉れたが、前回はチジャンの町からは、遠くにアンデスを眺めながらの登り80kmでしたが、今日は生憎の曇り空で山は全く見えず雲を目指しての登り坂となる。途中COPECのガャ潟塔|ストに止まったが3年前と全く同じで懐かしさを覚える。前回と違うのはTERMASの手前6kmのところで警察員に止められ前輪にチェインの着装を指導され貸しチェインを付けて貰い雪で滑る道をのろのろ上り頂上近くのホテルに辿り着く前回と同じホテルのレストランで昼食を摂る。野外の温泉プールは、周りを雪に覆われプールから湯気が上がり多数の宿泊客が温泉に浸かっていた。チジャンの山の頂上近くから湧き出す温泉から引いたお湯(摂氏40度程度)を雪に覆われた野外プールに引いた温泉は、水温が35度前後で熱い温泉が好きな私は海水パンツを購入し浸かるだけの勇気がなく写真だけを撮らせて貰い我慢する。昼食は、魚のサラダー、こくのある野菜スープにコルビーナ(鯛の一種)のフロレンス風のバター焼きのフルコースで空腹を感じていた事もあり大満足する。
雪山に広がる多数のスキーコースに挑戦するために頂上までリフトが動いており上がりたかったのですが、下りはスキーかスノウボードでしか降りられないとのことで断念、6頭で引っ張る犬そりに乗ろうと思ったら二時間待ちとの事でこれもGIVE UP。結局、雪の舞う雪山を散策、写真を撮り下山することにする。
普段ブラジルでは味わう事がない雪山、雪景色は写真に撮ると全て白黒の世界となり風がなければそれ程寒さを感じないとは云え足の先、首筋、鼻、耳が痛くなる程度の寒さを感じ今年初めての寒さを味わう。
タクシーの運転手さんは、CONCEPCION到着時から工場から出して呉れている運転手さんで今日はプライベートに山まで付き合って呉れましたが、彼自身初めてのTERMAS行きとの事で雪山の道では緊張していました。料金は250ドルとのことでしたが、少しデスカウントして貰い230ドル、頂上のホテルの食事が少し高く40ドルしたので一日九時間の雪景色見学は、一人あたり100ドル合計400ドル掛かりましたがお金にには換えられない大きな経験となり大満足の一日となりました。
夕食は、ホテルの前のショッピングモールで済ませ、明日からの仕事に備え早目に床に着く。 

『私たちの40年!!』のHP時期外れのチリ4361kmの休暇旅行【その1】の2003年5月14日の記述としてチジャンの温泉を訪問したときの事が次のように記述されている。今回と比較する意味で下記しておきます。
『今日は、チジャンの町が大目標でチジャン温泉まで足を伸ばし都合によっては、温泉泊まりを計画していた。チジャンの町でUターン禁止の標識を認めたが左折真っ直ぐは行けるとの判断で左折を指示したがこれが一方通行で出口のない曲がり方をして仕舞い、悪い事に角にいたバイクに乗ったお巡りさんに早速捕まってしまい誤りを詫びるやらチジャン温泉街行きの道を聞くやらで大慌てするが結局外国人の運転と言う事でこれも無罪放免Uターン出来ない所を警察の指導で曲がらせて貰いチジャンの一番の繁華街に入り正しい方向に向かう。ゆっくり町を見る機会もないまま公設市場の雑多を抜け人の頭の2-3倍もありそうなかぼちゃ、白菜と変わらない太さのセロリー美味しそうな大きなリンゴ等を横目にチジャン温泉行きの道に辿り付き82kmの山岳道路に入る。町の出口は道が悪く苦労したが町を出切った場所からは舗装道路で真正面に万年雪を湛える3212mのチジャン火山を望みながら山に向かう。途中のピントと言う町で始めて給油。チリ国営石油公社COPEC発行のチリ全土道路地図を購入する。良く出来た道路地図で昨日走行分も含め地図で確かめる。目暗めっぽう走っていたのに比べ地図を見ながらの走行は、非常に楽しく便利なことを喜ぶ。チジャン温泉への道は、万年雪を頂く遠方の高峰に黒い山に曼荼羅の白い初雪が見られる情景が前に広がり、思わず啄木の「故郷の山に向かいて言うことなし故郷の山は有難きかな」が思い出され口を付く。アンデス山脈の初めて見る山々であるが、啄木が故郷の山に畏敬と懐かしさを感じた気持と同じ様にこの初めて見るアンデスの山々特に三千メータを越すチジャン火山には、故郷の山は有難きかなの気持がぴったりの爽快な気分を味合う。ピントから山道の運転を担当した私の側でアンデス山脈の威容に歓声をあげ大きな喜びを阜サするけい子を見ていると本当にこのチリ旅行は、我々に取っても忘れ難いものになるとの確信を得る。舗装の登り道が続き初雪に白く染まった山を近くに見る頃には右側の陽だまりには所所雪が見られるようになり、上って行くに従い道路際の雪が増え、周り一面が真っ白の中に色取り取りの山小屋が左右に見え出し屋根には雪が積もっており動かしていない車の上には20cm以上の雪が積もっていた。公設バスが通う終着駅のLAS TRANCASには、多くの人が雪を楽しんだり踏みしめている姿が見られた。トランカスより舗装がなくなり砂利を固めた土の道で初雪が残り途中滑ったり両脇に掻き揃えた雪の間を時速30km程で走り照り返す雪の光線、木の上から時折ばっさりと落ちてくる雪しぶきと喜びと驚きに満ちた雪の山道を沿って殆ど対向車もなくチジャン温泉に着いた。温泉にはGRAN HOTEL CHILLANとHOTEL PIRIGALLOの2大ホテルに共有地の分譲別荘、バンガロー等が散在しており、雪がより深い感じのPIRIGALLOに向けてハンドルを切り入口の管理人に名前を告げてホテルへの道をとる。まだ道の上に雪が残っており一部走行不狽ノ近い場所もあったが動かなくなればトラックターででも助けに来て呉れるだろうとアクセルを踏み込む。何とかホテルまで辿り着き色々情報を仕入れる。雪は、今年の初雪として一昨日5月15日に一日降り続き大雪となったとの事。これは例年より早く皆を驚かせている。スキーのリフトは、やはり6月中旬以後に動き始める嵐閧ニの事であった。中庭にあるプールからは湯気が上がっておりこれが有名な?温泉だと言う。海水着着けてプールに入るそうだが温度は35度程度とかで周りが雪景色の中、こんな温泉に入れば凍え死ぬ可柏ォもある事と海水着の用意もしてなかったので温泉ホテルには、昼食だけで引上げる事にした。写真を撮り、雪に遊び12時半に始まる昼食まで待ちランチを楽しむ。記念にチジャン温泉と刺繍した雪山帽をゴルフの時に使用出来るとの判断で購入する。価格は10ドルちょっと。序に絵葉書も数葉購入した。
夏場のシーズンが終り、スキーの冬場のシーズンを控えて年間を通じて一番の暇な時期にあたりお客が疎らであったが初雪に誘われて地元の数家族が泊まっていたようだが海外からの客はこの時期には珍しく昼食時は我々二人だけにガルャ唐ェ付ききりでアテンドしてくれる。ホテルの周りを真っ白に染めている初雪は通年より早く5月15日に降った。貴方達は初雪が見られて幸運である。雪が降った後の最初の外国人は貴方達だ等食事もサラダの前菜、温かいスープにメインはチリ近海で取れた白身の引き締まった大ぶりの魚で非常に美味ではあったがそれ以上に周りの雪を見ながら静かな山の中の雰囲気が最高でスキーシーズンを前に閑散としたホテルの食堂が心を和ませて呉れた。
チジャンの温泉ホテルを出て少しスキーのゲレンデに沿って横滑りしながら上に向かうが無理をせずに下山の道をとる、チジャンの町に戻りそのままRUTA 5を南に取り夜暗くなってからTEMUCOの街に入る。』

7月23日(日) 第8日目
今日は、押出機が午後6時に生産を停止、オバーフォールの仕事に入る事から午前中は、ホテルでインターネットでメールの整理、雪山の写真を整理、画像掲示板へ唐阨tける作業等をして過ごす。
HOLYDAY INNのホテルではブロードバンドのLAN接続が可狽ナ助かる。ただし通し3時間で5ドル、24時間10ドルを支払いホテルで発行するSENHA(暗唱番号)を貰う必要がある。客先がリザーブしてくれたコーポレート割引で1泊90ドルは、ブラジルに比べる割高である。イナターネット使用料を加えて1泊100ドルになる。
午後1時半に減速機の製造会社であるABEXのスパーバイザーの高田さんが空港到着嵐閧ナ出迎えにでる。空港で簡単な昼食を済ませ帰国便の変更を実施する。本日の夕刻のフライトでサンチャゴに出て1泊嵐閧セったが、サンチャゴのホテルを蘭していなかったのでもう1泊ここに泊まり明日、25日早朝CONCEPCION発に切り替える。
高田さんは広島の自宅を出られてから成田<_ラスーサンチャゴ経由43時間の長旅にも関わらずお元気で直ぐにでも仕事にと意欲を示されましたが、これまでの実施作業の報告と明日から本格的は仕事に入るので今日は休んで下さいと薦めて明日朝まで休息して貰う事にする。
我々は、午後5時半ホテル発。日曜日の夜で通訳がいない事から6時から11時半まで通訳もかねて押出機の解体作業をお手伝いする。いつもは図面とSPECを見ながらの営業ですが、HOT OILで本体を暖めたままの250度の押出機のそばでのボルトを緩め抜き取る作業等は立ったままの仕事で楽でない事を実感する。日本に出稼ぎに出かけ工場で働いている人達の事を考えると大変だなー実感する。
夕食は、工場で摂り夜間の作業の実施指導をして11時過ぎにはホテルに戻り明日からの作業に備える。明日からは、12時間交代の2シフトに入るが下倉さんは、初日の作業は見て置きたいとの事で夕刻3時間休息しただけで徹夜のシフトにそのまま入るとの事。

7月24日(月) 第9日目
8時過ぎにホテルを出てPETROQUIMのプラントに出向き1998年に納めた押出機の改造を伴うオバーフォール実施の作業を昼夜兼行の突貫工事で3週間終わらせる嵐閧ナ作業を開始する。昨夜夜の内に遣って置くようにと指示しておいた作業が全く進んでいない。どうしたと聞きただすと他にする仕事があり後回しになったとの説明、人数は助ェ揃えて呉れているが初めての作業で思うように行かず先が思いやられるがベテランの下倉さん、住川さん、昨日到着した高田さんに通訳の三好さん行部さんに任せてブラジルに帰国する事にした。又8月に2−3日訪問を嵐閧オている。
今回客先のPETROQUIM社が用意してくれた通訳の三好 貴志子さんは、高知生まれの方でチリ人のご主人が日本国文部省の国費留学生として訪日、宮崎大学、高知大学で農学部の植林木材関係の勉強をしている時に知り合い1992年にチリに移住?14年間CONCEPCION大学で教鞭を取るご主人と生活しておられ日本語<Xペイン語の通訳をお願いしている。三好さんにお聞きしたお話をHPにも掲載したいと思う。サンチャゴの山本先輩、ロスアンデスの小林ご夫妻に次ぎ3人目のチリでの取材となり何時も『私たちの40年!!』のHPが頭から離れない自分を感じ可笑しくなる。
夜勤で働かれる下倉さんと午後5時に工場を後にして新しいホテルにCHK INして夕食には時間的に早いので近くのショピング・モールに出掛け娘達へのお土産を探す。来るときに降り始めていた小雨が帰る頃には雨足が強まり歩いて直ぐそこのホテルですがタクシーの運転手さんに頼んで車で帰る。2000ペメi4ドル)で傘をかって帰った方が安く付くが雨に濡れるのは避けたかった。
夕食は、ホテルの食堂で済ましメールが使用出来ず早めに休む。

7月25日(火) 第10日目(最終日)
HOTEL MOSULには無線LANのみで有線LANの設備がなくNOTE BOOKで叩いた報告書とメールをスチッキメモリーに取り込みホテルに備え付けのINTERNET(無料)でYAHOOに繋ぎ添付資料として送る。日本語入力が出来ず昔TELEX時代に叩いていたローマ字の書き込みは、慣れているので問題ないが読む方が大変なのではないかと心配する。6時からホテルのインターネットでメールをCHKし必要な返事をして添付資料を送る。朝食は7時半からとの事で6時半に部屋でカフェーを摂る。簡単な朝食後6時50分に頼んでおいた車が来てくれ飛行場に向かう。飛行場まで僅か5分で到着、7時50分発のSANTIAGO行きの飛行場乗り込み一番乗りとなる。7時まで待たされ改札が始まり、昨日飛行場でフライト変更手続きしてくれた職員が、変更料は、必要ないとの通知をしてくれSANTIAGO行きの手続きをする。
ほぼ定時に出発、今回もアンデス山脈よりの窓際を確保出来たが生憎の雨模様で雲ばかりでアンデスの勇姿は見られなかった。SANTIAGOまで小一時間、SANTIAGOも雨でしっとりと濡れていた。荷物を受け取り飛行場のINTARNET CAFÉでYAHOOに接続メールをCHK。大阪の妹、多加代からのメールが入っており27日に大腸ガンの手術の為、入院するとの事で親父さんを10日間だけ短期養護施設に入れる手続きをしたとの通知がある。早期発見で心配ないとは云って居るが心配になる。親父より先には絶対に行けない元気になって見せると気丈夫な事を云っているが心配である。
出国手続きをしてFREE SHOPで娘達にチリのワインを4本、サンパウロの飛行場で会う嵐閧フ滝谷さんにバーボンウイスキーを買い、2歳になる甥っ子、アントニオ君にも一番売れ筋とかの侮Dが出ていたリュックサック風のお菓子が一杯入った縫いぐるみを買う。チリで何度も飲んだピスコサウエルを家でも試して見る積もりでサモイの巨像を型取ったピスコの瓶を買い求める。6200ペメi13ドル)との事。
飛行場内にPACIFIC CLUBと言うVIP ROOMがありどうすれば利用できるかと見ていたらダイナースのカードを持っていれば使用可狽ニ分かり早速利用する事にする。ゆったりとした皮のャtァーがありコーヒー、ジュース等の接待と共に地元の新聞等も用意されていた。
今回はLANチリ便を選んでおいて事なきを得たが18日の入札でVARIGの売却は決まったが、9000人からの首切り、有望路線の選択等、現在は飛んでおらず、サンチャゴーサンパウロ間のVARIG便が運休している関係でLANチリは、満席でオーバーブックしているとのことで急がない客にはプレミアム切符を付けて席を譲って欲しいと垂オ込まれたがどうしても帰国する必要があると断ったが、LANチリには、追い風のVARIGの影響が出ている。
サンチャゴーサンパウロ間は3時間45分のフライトでアルゼンチンのメンドーサを上空を通過サンパウロを目指して北東に進路を取る。昼食にはチリワインが付き鶏肉と少し固い混ぜご飯がでる。
VIP ROOMで貰って来た新聞を読み終わるとすることもなくPCを取り出し備忘録を書き始める。
5時少し前にサンパウロ空港に到着、入国手続きと通関を終えてでてきたのが5時半。6時前後に待ち合わせていた滝谷さんチョウヤー梅酒の鈴木さんと会い9時過ぎまでビールの杯を傾けながら歓談する。ブラジルに梅酒を売り込みたいとの目的で来伯、市場調査を滝谷さんが手伝っている。
サンパウロからポルトアレグレへはTAMのフライトで10時過ぎに出発、ポルトアレグレに付いたのが12時前。次女の茜が空港まで迎えに出て呉れており、我が家に付いたのは夜中の12時過ぎであった。実に15時間の旅には疲れる。
メールをCHK床に着いたのは午前1時であった。
こうして10日間の旅を終える。




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