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皆様のご支援に感謝して 【月刊「聖母の騎士」2001年6月号より転載】
学生時代の1962年暮れにトメアスー移住地を訪問した際、同じ1962年に上智大学を終えられて奥様とアマゾン開拓の大望を抱きピメンたー栽培に従事40年近くトメアスー移住地に根を据えて現在も熱帯農業と環境問題と取り組んでおられる大先輩に今年の初めに再会することが出来ました。是非何か『私達の40年!!』に原稿をとお願いしておりましたが、実現しないままになっていたところ、インターネットでトメアスーを検索したところ奇しくも新井さんの「皆さまのご支援に感謝して」という一文が2001年6月号の月刊「聖母の騎士」に掲載されているのを見つけました。新井さんのご同意を得てこれをご夫妻の写真と共に転載させて頂きます。新井さんは、上智大学時代からの敬虔なカトリック信者でトメアスー文化協会の会長も勤められた方です。現在は俳句も嗜んでおられ「断ち切れぬ二つの祖国 移民の日」 伯石 の一句を頂きました。


私がブラジルのアマゾンの一番古い植民地トメアスー村に移住したのは、1962年のことでした。日本側と現地側の共同出資による胡椒(こしょう)栽培の支配人として着任いたしました。夫婦二人で移住して10年目に、両親がトメアスー文化協会の招聘(しょうへい)を受けて来伯し、孫4人の日本語教育をしてくれました。一九七二年のことです。両親とも教師で、ペルーなど海外日系人の子弟教育のため、文部省から派遣された経験を生かし、再びブラジルのアマゾンまで来てくれました。5年間にわたって日本語教育に専念した両親は、一九七七年故郷の北海道旭川市へ帰りました。
 そのころから「聖母の騎士」を愛読していた母は、ブラジルの私たちに「聖母の騎士」を送って、励ましてくれました。父が亡くなってから母は、北海道・月形町にあるカトリックの藤の園養護ホームに移りましたが、毎月、「聖母の騎士」は送り続けられてきました。
 過日、国際電話をした折、母に「聖母の騎士」のお礼を言ったところ、母は「もう送っていない」とのことでした。このとき、初めて、御社のご好意で、「聖母の騎士」の送付が続けられていたことに気づいた次第です。母の愛がこのような形で引き継がれていたことに感謝の気持ちで一杯です。心よりお礼申し上げます。
 アマゾンの原生林の中に移住して現在までの39年間、開拓生活の中で心の支えとなってきたのは、カトリック情報で唯一「聖母の騎士」でした。「聖母の騎士」が私の信仰を守ってくれました。ほんとうにありがとうございました。
 最近届いた「聖母の騎士」2001年1月号では、お元気そうなローシャイタ神父様や八幡とも子さんの特集記事があり、「聖母の騎士」を通して、お互いに強い絆で結ばれていることを実感しました。
 現在、私は公職を辞してアマゾンの農業に専念しております。所有地内には原生林や川もあり、自然を大切にした森林農業をテーマに、熱帯雨林の持続する有機農法に向かっています。ゴムの樹、ティンデン椰子、カカオ、クプアスー、アセロラなどの樹木、熱帯果樹を植林しながら胡椒の栽培なども試しています。原生林は種子を集めて再生林の植林のため、永久保存にしたいと考えております。これからは、アマゾンの環境問題を中心に活動してまいりたいと希望しております。
 
2001年2月20日
ブラジル・パラ州 トメアスーにて

 



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