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『アマゾンの読経』上映 in 仙台  報告仙台市 洞林寺住職 吉田俊英
現在、日本で自作ドキュメンタリー作品の上映会を全国規模で行っているブラジル在住映像作家の岡村 淳監督の仙台に置ける上映会の様子を洞林寺住職の吉田俊英さんから写真と共に送って頂きました。吉田住職の岳父は、ブラジルへの移民船さんとす丸で途伯、パラナ州ローランジアに佛心寺を建立されその後帰国、前洞林寺住職になられたとのこと。吉田現洞林寺住職は、早稲田大学法学部を卒業されておられる稲門でローランジア佛心寺の40周年記念に招待されて来泊された事もあるとの事です。ご自身も宮城県のブラジル留守家族会の役員としてブラジル移住者への暖かい眼差しを向けて呉れています。
以前に頂いたお便り(『私たちの40年!!』MLにおいて紹介済み)も一緒に掲載させて頂きました。
写真は、洞林寺での上映会終了後岡村監督との懇談会の写真です。


和田好司 様
先にお知らせ致しました岡村淳監督ドキュメンタリー作品『アマゾンの読経』上映会が、当寺を会場に9月1日に開催されました。3部告ャ5時間16分の作品を昼食や休憩を挟みながら上映するのですから、かなりの長時間を要します。全く人が集まらなくては寂しいから、当寺の檀家さんや宮城県海外移住家族会会員、そして当方の知る範囲でブラジルにご縁があるような方や関心のありそうな方にもいくらかは呼びかけました。
岡村監督の勧め(脅迫?)で河北新報(東北地方で一番の地方紙)の大友庸一記者が取材に8月26日に見えました。大友記者は日本ブラジル交流協会の元研修留学生で、ポートアレグロで和田さんにとてもお世話になったとか。取材はして行ったが、上映会のことが翌日の新聞にも翌々日の新聞にも載らないので、ボツになったのかなあと思っていました。そしたら、8月30日の朝刊に思いのほか大きく載りました。  (添付ファイル参照)

やはり新聞記事の影響力は大きく、上映会主催者の佐藤仁一氏には結獄竝せがあり、新聞記事を見たという知り合いなどからも洞林寺にも電話がありました。当寺の先住と藤川師への供養の意味でも、お昼にお茶とおにぎりだけでも提供させてもらうことにしていました。当初多くとも50人ぐらいと見込んでいましたが、もっと多くなるかと思われたので、おにぎりの数を追加することにしました。

元曹洞宗南米開教師の猪俣正孝老師、普段はサンパウロ在住ですが日本に来ていたブラジル宮城県人会副会長石田俊朗氏(当寺の前住職吉田道彦と移民船さんとす丸で一緒)、曹洞宗サンパウロ佛心寺の信者弓桁正夫氏もわざわざおいでいただきました。京極昭宮城ブラジル友好協会会長にもお越しいただきました。主催者は作品紹介のチラシとアンケート用紙を70部用意しましたが、足りなくなり、また洞林寺で用意したお茶のペットボトルも100本以上出ました。主催者の開会の挨拶、会場主として私の挨拶、そして岡村監督の解説で上映会は始まりました。昼食用のテーブルを置いたり上映機材を置いたりしていたので、あまり広い本堂ではないこともあって、100人以上の人が座るとほぼ満員という状況でした。
(写真    岡村監督と主催者佐藤氏、   本堂がほぼ満員に)

所用や体調不良のため、第1部や第2部終了後に帰られた方もいくらかいましたが、
60人前後の方々が10時半から17時半まで熱心に観賞され、大きな拍手の中上映会は無事終了しました。すべての方々から感想を聞くことは出来ませんでした。長時間の作品であることから、疲れを感じたり冗長に感じたりという方もおられたようです。しかし、「勉強になりました。」「感動した。」という声も寄せられました。うちの母の話では、海外移住家族会会員の方で、一つ一つの言葉に頷いたり目頭を熱くしたりしている方もいたそうです。ブラジル移民関係者以外の方々にとって、移民事業や移民生活等について多少なりとも理解を深めて頂く良い機会となったのではないかと思います。

当日、本堂の須弥壇には、宮城県海外移住家族会前会長鎌田源一郎の発願による「海外移住物故者諸精霊」の位牌が安置され、上映会終了後に来場された皆様にご焼香していただきました。(写真   「海外移住物故者諸精霊」位牌、 位牌の前で焼香する方々)

上映会終了後は寺の座敷でささやかな懇親会が行なわれました。岡村監督はかつて『60年目の東京物語』取材撮影の際、会津若松で取材の後に森下妙子さんと共に仙台に来て居酒屋で食べたサンマの刺身が凄く印象に残っているとのことでしたので、サンマの刺身を準備いたしました。
(写真   洞林寺座敷で懇親会、サンマの刺身に御満悦の岡村監督)

私の感想も述べるべきなのでしょうが、9月1日の夕方には御通夜があり9月2日には葬儀があるため、その準備などもあったため第3部を全部見ることが出来ませんでした。(ちなみに、兵庫県明石市生まれで、旧制神戸中学出身という経歴(和田さんの先輩?)の方の葬儀でした。)責任ある感想は現時点では垂オ上げられませんが、藤川辰雄氏が死者の泣き声呻き声を感じ取ったということは凄いことだと思いました。私自身はその域まで達することは出来ないかもしれませんが、そういうものを感じ取れるよう精進せねばと思いました。

 伊豆大島の富士見観音は今後どのように維持管理されていくのか?誰によって守っていくのか?ブラジル研修留学生による伐採清掃活動する姿にいくらか光がさしたようには思えますが、根本的な解決にはなり得ないでしょう。
そう思うと同時にいささか身につまされる思いになりました。と言いますのは、宮城県大崎市にある東鳴子温泉にある「宮城県海外移住慰霊碑」のことです。昭和50年代に宮城県海外協会と宮城県海外移住家族会の手で建立され、毎年慰霊祭が行なわれています。以前は、宮城県助成による県費留学生や海外技術研修生が毎年かなりの人数宮城県に滞在しており、そういう方々のうち南米移民の親族に当たる方々が慰霊祭に招待されていました。また、宮城県が署粕N間実施してきた「海外移住者里帰り事業」では、南米から数諸N振りに里帰りした方々を必ず鳴子の慰霊碑に案内し、お焼香していました。
しかし、県の財源不足に伴い、県費留学生も里帰り事業も廃止となり、技術研修生もかなり削減されました。そして、移民船廃止以来30年以上が経過して、宮城県海外移住家族会の会員は激減し、慰霊祭参加者も年々減少しております。戦後の海外移住事業を行なってきた宮城県海外協会は宮城県国際交流協会となり、その業務内容から移住事業は全く無くなり、海外移住者への支援等の項目もありません。国際交流協会職員で海外移住事業時代のことを知る人はもはや誰もいないし、鳴子で行なう慰霊祭もルーテインワーク化しつつあると言えましょう。
笠戸丸から百周年を迎えようとしている中で、ブラジル日系社会も更なる転換点を迎えようとしていることと思います。海外移住者を送り出した側の留守家族も、今後どうあるべきか?悩みは尽きないところです。最後はグチみたいになってしまって垂オ訳ございません。


岡村 淳さんが仙台で上映会を行われたことはこのMLでもご紹介しておりますが、仙台にお住まいの曹洞宗 洞林寺住職 吉田俊英さんより下記お便りを『私たちの40年!!』HPの通信欄を通じて頂きました。
住職は、早稲田の法学部を出ておられるとのことで奥様はブラジルのパラナ生まれでお父様が長年パラナ州で住職、日本語学校の先生等で地域社会に貢献されていたとの事です。
『私たちの40年!!』を通じて日本の各地のブラジル関係者との輪が広がって行くのは嬉しい限りです。次回訪日時には是非仙台まで出掛けてみたいと思います。
吉田住職今後とも宜しくお願いします。岡村さん有難う。

Nome: 曹洞宗 洞林寺住職 吉田俊英
E-mail: dorinji@ybb.ne.jp
Endereco: 仙台市若林区新寺5−2−28
Comentario: 和田 様

                          仙台市若林区新寺5−4−28
                            曹洞宗洞林寺住職
                            宮城県海外移住家族会 会計
                               吉田 俊英
                       (早稲田大学法学部 昭和54年度 卒)
初めてメールを投稿させていただきます。以前、新聞記事で「私たちの40年」という記事を読み、検索してホームページをちょっとだけ拝見したことがありました。本日、「岡村 淳」で検索したら、本人のホームページの他にこちらのホームページがヒットしましたので、今回はじっくり拝見させていただきました。
私は、現在宮城県海外移住家族会の会計をしております。昨日、6月19日に家族会の総会が開催され、総会後に岡村淳製作「60年目の東京物語」上映と岡村監督の講演がありました。仙台在住でドキュメンタリー映画に関心を持つ方が岡村作品に関心を持ち、昨年11月17日に第1回上映会を開催し、今年移民の日に第2回上映会を開催することに企画しておりました。海外移住家族会の総会を6月19日に嵐閧オていたので、それなら家族会の総会で作品を上映し、監督に講演をしてもらおうということになりました。宮城県でも平成12年までの10数年間にわたって「海外移住者里帰り事業」を実施し、海外移住家族会もそのお手伝いや交流活動をしてきたので、「60年目の東京物語」が一番相応しいだろうということで、この作品を観賞することになりました。

昨晩は、岡村監督と上映会の主催者(佐藤仁一氏)に当寺にお招きし、ささやかな晩餐と私の自己流カイピリンニャと宮城の地酒をご馳走し、楽しいひとときを過ごしました。あまり早稲田の話題は出ませんでしたが、ブラジルや里帰り事業のことで結腰bが弾みました。4時間呑みながら、話しているうちに9月1日に当寺で「アマゾンの読経」上映会を開催することが決まってしまいました。これも何かのご縁だと思います。
当寺の前住職吉田道彦は昭和33年の「さんとす丸」でブラジルに移住し、僧侶として布教活動に努め、昭和35年9月にパラナ州ローランジャ市に佛心寺を建立しました。昭和37年に結婚のため一時帰国し、昭和38年9月に妻ふく子と共に「あるぜんちな丸」に乗船してブラジルに再び渡りました。昭和40年8月に私の妻恵が生まれました。
吉田道彦は昭和45年に帰国し、昭和48年に先々代住職が亡くなったので住職となりました。その後、昭和59年7月に亡くなり、来月23回忌を迎えます。
私は一度だけブラジルに行ったことがあります。平成12年9月、ローランジャ市にある佛心寺が創立40周年を迎えるので、その記念行事のためブラジルに行きました。その折、現地の日伯文化協会の関係者のご尽力のお蔭で、故吉田道彦がローランジャ在住の間、日曜学校等の活動を通して地域社会の人材育成に貢献したということでローランジャ市議会から撫イされることになり、母が代わりに撫イ状を受けました。
早稲田に海外移住研究会というサークルがあったことをこのホームページで初めて知りました。和田様や岡村監督等、ブラジルでも稲門の仲間が活躍していることを知りうれしく思っております。更なるご活躍をお祈りいたします。

Nome: 曹洞宗 洞林寺住職 吉田俊英
E-mail: dorinji@ybb.ne.jp
Endereco: 仙台市若林区新寺5−2−28
Telefone: 022−256−3406
Comentario: 和田 様                      平成18年6月27日

                              洞林寺住職 吉田俊英

先般、私が送信させていただきましたメールを配信していただきましたことに、恐縮しております。岡村監督の上映会の様子を少しお知らせするつもりで書いたメールでしたので、配信されるとは思っておりませんでした。今後、メールを送る場合はもう少し内容や文面には気をつけなければと思っております。

先日の私のメールに誤りがありました。
当寺前住職  (誤)昭和33年のさんとす丸   母吉田ふく子  (誤)38年9月のあるぜんちな丸
             ↓                         ↓
       (正)昭和32年12月のさんとす丸         (正)38年12月のあるぜんちな丸

母吉田ふく子が岡村監督から3作品のビデオテーを6月18日の上映会の折に戴きました。「40年目のビデオレター」を拝見させていただきました。岡村監督に下記のような感想を送りました。これはメールで配信するほどの文章ではないと思います。配信はご辞退しておきます。但し、多少なりとも岡村作品の紹介に繋がるのなら、配信しても高ないですが。なるべく管理者の和田様の方ですこし編集していただき、もう少しまともな文章にしていただければと思います。



岡村 淳  様
                                 洞林寺住職  吉田俊英

 無事サンパウロに戻られたことと思います。日本からブラジルへ行くと言えば、大概の人はヴァリグを利用してきたと思います。それが昨年秋から日本までの直行便が飛ばなくなったというニュースにも驚いておりましたが、今回の経営危機の報道と差押さえ逃れの為の欠航の報道に驚いております。

6月18日、「ギアナ高地の伝言」上映会の折、母吉田ふく子が戴きましたビデオのうち、
『40年目のビデオレター − アマゾン編』を拝見させていただきました。母がブラジルに渡ったのも和田さんたちと同じ「あるぜんちな丸」でしたから、冒頭で船の写真が出されたのを見て「なつかしい。これに40日間乗ってサントス港まで行ったんだよ。」を語り始めました。
先日、和田好司さん宛に送ったメールで「母ふく子は昭和38年9月にあるぜんちな丸で出港」と書きましたが、誤りでした。「昭和38年12月出発」が正しいそうです。

 ビデオレターの作品を拝見して、移民とその関係者にとって、非常に感じるところの多い、素晴らしい作品であると思いました。但し、移民のことに無関心であったり実情を知らなかったりという方々にとっては、退屈な作品と受け取られるのではないかと思いました。

 トメアス移住地でお墓参りしているシーンを見ていて、6年前にローランジャ市の墓地に行き、母が一軒一軒のお墓に声掛けながらお線香を供え、それにつきそってお経を唱えて墓地の中を回った時のことを思い出しました。60年前、70年前、遠く日本を離れた地でどんな生活をし、どんな病気をし、どんな形で息を引き取り、どんな形で埋葬されたのだろうか?そう思いながらお経を唱えていると、ついつい涙腺が緩んできてしまい、唱える声も途切れそうになってしまいました。
 それぞれの方の40年間を如何にしてビデオテープに投影するのか、苦心されたと思います。感銘を受けたと言っても、私の場合、和田さんと岡村監督の思いや苦心をどれだけ受けとめられたか疑わしい部分があります。あるぜんちな丸乗船者である母の場合(第何次か覚えていないそうです。)、「うん、そうだよ。そうなんだよ。」とか「やっぱりねえ。」と頷いたり相槌を打ちながら観賞しておりました。それだけ、自分の思い出と重なるところが多く、より深いところで共感していたのだと思います。
 今月来月、色々と行事嵐閧ェ入っていてあまり時間がとれませんが、「第二の祖国に生きて」をじっくりと干渉させていただきたいと思います。9月1日の当寺での上映会を楽しみにしておりますし、心して佐藤仁一さん共々準備に努めたいと思ってります。





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