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愛ちゃん(マナちゃん)の国際結婚 代父菅間 五郎さんの歌に寄せた報告です。
早稲田大学の海外移住研究会の先輩、菅間 五郎さんから愛情溢れる歌日記『まなちゃんの国際結婚』を送って頂きました。メキシコ生まれのアメリカ育ちのまなちゃんが選んだ新郎は、ベルグラード生まれで北京大学卒、セルビア・モンテネグロの好青年、巨漢ネマーニャ・マリノヴィッチ君とのこと、本当に国際結婚の見本のようなカップル。代父菅間さん初め多くの皆さんの祝福を受け人生の大海に漕ぎ出したお二人に幸あれと祈りたいと思います。
ウイーンからプラハまでの航空切符が発券されておらず、汽車で向日葵畑を見ながらの旅を楽しまれたとかウイーンには仕事で3日間程滞在したことがあるが是非また行って見たい町です。菅間さんの歌日記が冴えます。
写真は、菅間さんに送って頂いたまなちゃんの結婚式の写真です。


愛ちゃんの結婚 その1
「一生結婚しません」と言っていた負けず嫌いの愛ちゃんがセルビア・モンテネグロの好青年、巨漢ネマーニャ・マリノヴィッチ君の魅力に負けて明治神宮神楽殿で五月一日に彼と挙式した。メキシコ生まれでアメリカ育ち、聖心女子大学を卒業しマイクロャtトで働いている愛ちゃんなので結婚するなら国際的なものになるなと踏んでいたが、矢張り親の心配を他所に見事な国際結婚を成し遂げた。ネマーニャ君もベオグラード生まれながら、北京育ちで北京の大学を卒業し、ルクセンブルグ籍の世界有数の製鉄会社に職を求め、上海で働いている国際人である。

この栄えある式に愛ちゃんの代父に仕立てられ、明治神宮では媒酌人を勤めさせられ、七月二暑纉にベオグラードのこれまた由緒あるサンマルコ教会の結婚式での立会いを求められて、又とない経験を与えられたと愛ちゃんに感謝している。代父として、ネマーニャ君に愛ちゃんの何処に惹かれたのかと訊いたところ、「マナは大変誠実で美しく、僕を愛してくれている。マナは素晴らしい両親の下で育ち、僕にとってマナは長い冬の後の美しい春です。」と彼は答えてくれた。愛ちゃんとネマーニャの二人はきっと素敵な人生を築き上げるだろう。愛ちゃんとネマーニャ君のご両親もそのことを実感しているだろう。結婚式にはセルビアからは勿論のことアメリカ、カナダ、メキシコ、フランス、ハンガリー、チュニジアからの人たちが参列し両人を祝福した。このことはきっと世界の平和に繋がるだろう。
セルビアと聞いて知る人幾人ぞ     
     愛に包まれ愛ちゃん嫁ぐ

宗教と民族の差も愛の中
     信ある二人に春日燦燦

一陣の嵐の如く過ぎ去りし:
     我が愛ちゃんの国際結婚
平成一八年五月     代父  菅間五郎  


まなちゃんの国際結婚 その2

セルビアのネマーニャ君とまなちゃんが結婚してくれたお蔭で私としては望外の中欧への旅行を楽しむことになった。式に臨む前にウイーンとプラハ、式の後にブタペストに足を伸ばして来た。

まなちゃんが式を挙げたベオグラードのサンマルコ教会はセルビアを建国した王様の後を継いで14世紀にヨーロッパの中央に一大勢力を築いた王の墓がある由緒ある教会で、セルビア正教の儀式に則った式は荘厳で感銘させられた。式の後の宴はドナウ河畔のカレメグダンテラスという往時の要塞の中に作られたレストランで夕方6時より夜半2時過ぎまで延々と催された。二つのバンドのほかにセルビアの民族舞踏団が駆けつけ、二人を祝福した。二人のご両親の日本とセルビアでの御心労は如何ばかりと思わせられた。

当日、一番感動させられたことはこの若き二人の国際結婚を祝福する為に在セルビア特命全権大使長井閣下がご光臨下されたことであった。長井閣下は日本の若者にもっとセルビアを知ってもらいたいという強いお気持ちをもたれていた。セルビアには4度目のご赴任とのことであった。

セルビアでの宴席で頼まれていたスピーチをネマーニャ君の家族、友人の為にセルビア語でやろうと考え四ヶ月ほど特訓したものだが、緊張のなかにも何とか最後まで原稿を読み終えることが出来ほっとした。途中拍手が2、3度程聞こえて来たので、言いたいことは何とか伝わった様子であった。

以下は当日の模様を伝える旅日記の歌である。

一.サンマルコ教会にて

厳かな婚姻の式正教の
     王と王妃の冠かむりて

二人の手真白い布に結ばれて
     絆は固し天国までも

今日の日は生まれし日より約されし
     洗礼名はいみじくもマナ

まなちゃんの名前の謂れ旧約の
      脱エジプトの一節なりき

ベオグラードの新聞紙上賑わせる
      騒ぎなりけり改宗儀式

セルビアを興せし王の名を持てる
      男に嫁ぎて屈託やなし

二.ダニューブ河畔のカレメグダン・テラスにての宴会

セルビアの日本大使のご光臨
      実にも晴れやか今宵の宴
    

賑やかなスラブ舞踏の祝福を
      受けて楽しき宴の夜かな

この宴知らせる如く天地に
      ダニューブ河畔に雷光渡る

交々の親の涙を垣間見し
      延々たりし宴のうちに

スピーチに我が意託せし訥々と
      習いしばかりのセルビア語にて

生れし国夢な忘れそ我が贈る
      言葉届けよ若き二人に
平成一八年八月 菅間 五郎


追記

その他今回の旅の顛末記を若干添えたい。
まず第一に家内が同行できなかったことである。家内の兄が胃潰瘍で入院中のところ肺炎を悪化させ一時は人事不省の状態となり、一旦は私も旅行を断念したほどであったが、その後医者の言によれば奇跡的に快復し、それを見届け私だけが出かけることになった。
旅の手筈は欧州経験豊ということで一切私に任されていて日程に従い飛行機の便を決め業者に蘭を取らせたが、出発前日に届いたチケットを大して確認もせず、飛行機に乗り込み、ウイーン、プラハ間のチケットがないのに気付いたのがプラハに発つ前の晩という大失態を行った。幸い翌朝の汽車便にて結果的には快適な旅となったが、この歳になっても粗忽なところは健在だ。アルゼンチンから来た郡さん達は私の蘭に従って飛行機に乗ったが、最初から汽車の旅にすれば良かったと思うほど向日葵畑を眺めながらのプラハ入りは格別であった。お蔭で「私はチェコびいき」という本を車中で読み直すことができ、プラハも堪狽キることになった。
ウイーンは昔ロンドンに勤務した折大きな仕事があり、少なくとも20回以上は足を運んだところであるが、プラハとセルビアは初めて、ブタペストも仕事で2、3度出かけたぐらいで初めてとは言わないが何も見たこともないというところであった。牛に引かれて善光寺参りの伝で音楽好きの郡さんにお付き合いする形でモーツアルト縁のプラハの劇場でドンジョバンニを観劇、ブタペスでもまなちゃんの友達がトスカの切符を用意してくれて、音楽愛好家にとっては垂涎の旅であったと思う。余談になるが、見残していたブリューゲルの絵をブタペストの美術館で見られたことは幸運であった。

名物のトルテの味の食べ較べ
    余興なりけりウイーンの街で

何時来ても美しき街我がウイーン
    脱硝装置を収めたる街

チェコ贔屓となりし人ありその人の
    本を抱えてプラハの街へ

チェコ人の苦難の道を拭い去り
     人人人のカレル大橋

美しきお伽の城の不気味なる
     人首啄ばむ鴉の紋章

山奥の聖地訪ねし無理強いし
     世界遺産を見たきばかりに

セルビアに「行き過ぎた文明の無駄更に無し」と
     手記を残せる旅人ありし

迫り来る歴史の重みブタペスト
     古都のカフェーは豪華絢爛



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