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9月3日南米産業開発青年隊協会50周年記念大会開催
南米産業開発隊青年隊協会の50周年記念大会が9月3日午前10時よりサンパウロの文化協会小講堂で行われた。あるぜんちな丸第12次航の同船者として第8期生33名の青年隊員が乗船していました。南米産業開発青年隊は、1956年6月に17名の1期生が到着して以後総勢326名が着泊、帰国者50名、死亡59名、不明24名、日本及びブラジル以外の国に在住者13名、現在協会登録者230名の大きな団体です。牧晃一郎会長、早川量通、坂本円二、吉田欣司、田中正雄、小山徳、小島忠雄、河野安則、北田隆夫、長田誉方、山木源吉、山下公の12名の隊員小島夫人、園田昭憲さん、私と681名中の15人(2%強)が集まりました。
300人以上の昼食会で全員が集まりませんでしたが記念写真を撮らせて頂きました。
関係記事を下記して置きます。


南米産業開発青年隊協会50周年記念大会開催通知。画像掲示板より。
最近50周年記念が相次ぎますが、来る9月3日(日)午前10時よりサンパウロのブラジル日本文化協会小講堂で産業開発青年隊協会の50周年記念大会が行われます。大会委員長の磯中雄二さんから添付の招待状が届いています。
1956年6月9日、第1次隊員17名の着伯以来署粕N次にわたり326名の隊員が相次いで来伯しました。
あるぜんちな丸第12次航でも第8期生の33名が来伯しており我々の同船者です。同協会の現会長は、同船者の牧晃一郎さんで同船者仲間の一人として是非とも出席して欲しいとの連絡を受けました。
実は、前日の9月2日(土)に連邦大学の卒業式がありけい子がベストプロフェッサーとして卒業生より招待を受けている卒業式とその後の晩餐会に出席する事になっており参加を見合わせようと思っていましたが、無理して日曜日の早朝7時のフライトでサンパウロに出ることに決めました。けい子はGIVE UPしたいとの事で私一人で出かけます。
写真は、招待状をスキャナに掛けたものです。

園田 昭憲 さま
日曜日の産業開発青年隊50周年祭に出席されるとの事、心強く感じます。あるぜんちな丸第12次航でも33名の青年隊の同船者がいることから多くの仲間にも会えると楽しみにしています。牧さんが青年隊協会の会長をしておられお祝いに駆けつける次第です。
15時からの弓場バレーの記念公演というのもプログラムの一環ですか?有名な弓場バレーを未だ一度も見たことがなくこれも楽しみです。
月曜日の夜カナリニョーにで同船者仲間と会えればと思ったのですが皆さん月曜日は都合が付き難いとのことでした。(和子さんの情報)。日曜日の夜にでも集まれるかどうかもう一度幹事の和子さんに聞いてみます。
使用航空会社が久し振りのVARIGで無事飛んで呉れるか心配ですが、早朝7時のフライトでサンパウロに出ます。
お会いできるのを楽しみにしています。

南米産業開発青年隊協会50周年記念大会関連ニュースが下記の通りニッケイ新聞WEB版に掲載されていました。

ユバ・バレエ団の公演も=3日、南青協50周年大会
 【既報】南米産業開発青年隊(南青協、牧晃一郎会長)の創立五庶・N記念大会が九月三日、文協ビルで開催される。
 当日は、半世紀の節目を祝い「ユバ・バレエ団」による記念公演が行われる。公演は、南青協二庶・N祭から五年ごとの節目に行われてきた。今年も弓場農場からこの日のために約四署lが駆け付ける。
 記念式典は三日午前庶桙ゥら文協ビル小講堂(サンジョアキン街381)で。正午から階下のサロンで記念昼食会、その後三時から大講堂で「ユバ・バレエ団」の公演が開かれる。
 南マット・グロッメA南リオ・グランデ、サンタ・カタリーナ、ゴイアス、バイーア、ミナス、リオ・デ・ジャネイロ、パラナ、ブラジリアなど国内各地からの関係者ほか、日本から青年隊OBで作る「朝霧会」(升ノ内三郎会長、団長)の慶祝団三署lが来伯。ポルトガルからも参加する。当日は約三百五署lの参加が見込まれている。
 式典前日の二日には、午後六時から宮城県人会サロン(ファグンデス街152)で前夜祭が開かれる。約百六署lが参加する嵐閨B
 式典参加者はサンパウロに到着後、旧コチア産業組合の下元健吉専務理事や訓練所となった土地を無償提供した和田周一郎氏(元県連会長)、コチア産組元会長の井上ゼルバジオ氏と長年青年隊を支援した久万浩氏の墓参りを行う。
 大会を前に牧会長は、「五庶・Nの節目の年として、この記念大会を大切に仕上げたい」と話している。

昨夜は、9時から連邦大学のケミカルエンジニアの卒業式があり卒業生18名(内女性徒7名)が新しくケミカルエンジニアになりました。
式が終了が11時半。祝賀夕食会場に着いたのが12時過ぎ。夕食が始まったのは午前1時過ぎ。家に帰ったのが午前3時過ぎ。寝たのは3時半から5時半までの2時間でした。6時過ぎには飛行場に着きVARIG便の7時発でサンパウロに。ほぼ定時発で8時半にコンゴニアス飛行場に着きタクシーでホテルに。
何時も泊まるリベルダーデ地区のバロン・ルホテルには、ブロードバンドのADSLが設置されており助かります。
南米産業開発青年隊協会の50周年記念式典が10時から始まる嵐閧ナこれから会場の日本文化協会に出向きます。
また写真と共に様子をお知らせします。

9月3日(日)にサンパウロで行われた南青協(南米産業開発青年隊協会)の50周年記念大会に参加させて貰いましたが、9月6日付けのニッケイ新聞WEB版に当日の模様を報道していますのでお借りして送らせて頂きます。関係写真等も画像掲示版にも唐阨tけてて置きますが、あるぜんちな丸第12次航でもだい8期生33名が同船者として着泊しており、牧会長、司会をしていた早川さん、長田さんのお嬢さん、受付の坂本さん始め長田さん、山木さん、北田さん、小山さん、吉田さん、河野さん、田中さん、小島さん、山下さんと12人の隊員に小島さんの奥さん、園田さんに私と合計15名の同船者が一同に会する機会が持てた。
来年の5月には『私たちの40年!!』も45年に成長します。その間多くの方が他界、新しい命も育まれています。何らかの形で45周年を考える必要があるかも知れませんね。
これからもコロニアと共に=南青協=50周年大会盛大に=日本からも慶祝団迎え=盛況だったユバ・バレエ
南米産業開発青年隊協会(牧晃一郎会長)五庶・N記念大会が三日、文協ビル小講堂で開かれた。一九五六年六月九日のオランダ船ルイス号着伯からはじまった青年隊。全伯各地に散らばる隊員は今も、ブラジル社会の様々な分野で活躍している。式典には日本からの慶祝団を含む約三百五署lが出席。往時の思い出を振り返り、さらなる活躍へ向け、思いを新たにした。
 産業開発青年隊は戦後の一九五一年、農村部の二、三男たちに建設や機械等に関する技術を教え、国の復興に活用することを目的として設立。そこから南米産業開発青年隊が生まれ、五六年の第一陣着伯から今年、五諸Nの節目を迎えた。
 帰国、死亡した隊員をのぞき、現在同協会に登録している隊員は二百三署l。農業分野にとどまらず建設、土木、測量、通信などブラジル社会の各分野で活躍している。
 式典には、来賓として西林万寿夫サンパウロ総領事、酒井了ブラジリア大使館書記官など日本政府関係者、在伯日系団体代浮ネど多数が会場を訪れた。
 日本からも、管井文昭建設産業教育訓練学校校長(全国建設産業教育訓練協会長代理)、光森徳雄産業開発青年隊OB会「朝霧会」副会長(長沢亮太・元建設省建設大学校中央訓練所所長代理)、朝霧会の木下正喜副会長(升の内三郎会長代理)などが来賓として出席。朝霧会からは合計二署lの慶祝団が来伯した。
 牧会長は、「これからの時代、隊員である前に日系コロニアの中の一人の日本人としての姿勢もヒューマン性も要求される年代でもあります。豊穣の大地の中、コロニアの皆さんと共に、より豊かな人生観となおあせぬ人間味を享有し、日系コロニアの歴史の一ページの中を共に仲良く歩いていきたい」と挨拶した。
 式典後に開かれた記念昼食会では、親睦を深める人、昔の思い出話をする人など、参加者は思い思いに懇談した。
 パラナ訓練所で活躍を遂げていた青年隊八期生の小山徳さんは、「下元健吉さん(旧コチア産業組合専務理事)と青年隊を支援した久万浩さんは若い者が好きな方たちで、二人には本当に良くしてもらった」と当時の思い出を話してくれた。
 その後、同ビルで行われたユバ・バレエ団による記念公演には約千三百人が来場、会場となった大講堂は満席となった。
 弓場と青年隊の交流は、当時建設省技官で青年隊の生みの親であった長沢亮太隊長と弓場農場を創設した弓場勇氏との出会いから始まった。
 七六年に青年隊一期生のサントス上陸二諸Nを記念して開催された記念大会でユバ・バレエ公演が行われた。これを機に、五年ごと催される記念大会でバレエ上演が行われている。
 当日、大講堂サロンには青年隊のパラナ訓練所や、渡伯前の青年たちの写真パネルなどが飾られ、訪れた人たちは足を止めていた。
 式典を終え、牧会長は大会前の磯中雄二大会委員長の突然の死去に対し、「全て、挨拶も任せていたので本当に参りました」と話し、「しかし、日本から来た方々の協力もあり、このように盛大な式典を迎えられたことに本当に感謝しています。今日まで皆さんの支援の元にやってこられたことを忘れず、心を新たに命の続く限り頑張っていきます」と感想を述べた。

産業開発青年隊協会の50年祭の模様を伝えたサンパウロ新聞のWEB版です。
同じ催しを取材しても各記者によりスポットを当てる場所、捉え方が違い先に送ったニッケイ新聞の記事と比べながら読むのも面白いものです。サンパウロ新聞、ニッケイ新聞とも女性記者が取材を担当しておられました。ご苦労さまです。

ペンとハンマーで伯国建設に貢献 南米産業開発青年隊 渡伯50周年を祝う
《試練に挑み開発支える》

 一九五六年から日本政府、建設省がブラジルの地に技術訓練を受けた独身青年を送り出した南米産業開発青年隊。三日午前庶桙ゥら、同青年隊五庶・N記念式典大会が文協小講堂で開催された。来賓には西林万寿夫聖領事館総領事をはじめ関根隆範副文協会長、松尾治県連会長、日本からは建設省関係者が来賓として出席し、約三百人が節目の年を盛大に祝った。

 《北側国交相の祝辞披露 弓場バレエで華やかに記念彩る》

 式典はじめ、第一次青年隊として渡伯し、今大会の委員長として準備に奔走していた磯中雄二さん(七曙ワ歳)が八月暑纉に死去したことを受け、磯中さんが生前に用意していた開会の言葉を岩阪昇さんが代読した。

 日伯両国歌斉唱、先没者への黙祷の後、来賓がそれぞれ祝辞を述べた。

 西林総領事によって代読された北側一雄国土交通相の祝辞では「青年隊は一九五六年にブラジルに到着し、パラナ州に開発の鍬を打ちこみ、厳しい自然環境、幾多の試練の中でブラジルの基幹産業を始めブラジルの社会発展に大きく貢献した。また日本進出企業の建設にも携り、青年隊は日伯経済交流の掛け橋とえる」と語られていた。

 また、山中イジドーロ伯政府農牧供給省大臣特別補佐官からは、日本にいる出稼ぎブラジル人子弟の教育問題改善のため、旧建設省産業開発青年隊中央訓練所をブラジル人子弟の技術訓練所にしてはという提案がされた。

 祝辞の後、功労者の遺族と会員の未亡人への記念品の贈呈、移民百周年協会と日伯援護協会への寄付金の贈呈、青年隊綱領の誓いの言葉、隊歌、ふるさとが斉唱された。隊歌斉唱では会場で同期生同士で肩を組み、隊歌を歌う姿もあった。

 その後、文協展示室に場所を移して開かれた祝賀会では鏡割り、乾杯、第一次青年隊によるケーキカットが行なわれた。会場のあちこちでは、隊員同士で輪になり、思い出話に花を咲かせる姿が見られた。

 「食べさせるものがなかった」と当時を振りかえる進藤次夫さん(秋田県出身、七庶オ歳)は、一九五八年に渡伯してから一九六四年にパラナ訓練所閉鎖するまで同所に教官として務めた。多いときには九署lもなる青年隊がいた訓練所で兄貴的な存在だった進藤さんは、二書繧フ食べ盛りの青年隊の胃袋を満たすため苦労したという。

 午後三時からは、五年ごとに開かれる同青年隊記念大会の二庶・N大会から毎回公演を行なっている弓場バレー団によるバレー公演が行なわた。約千百人収容の記念大講堂は立ち見がでるほどの観客で埋め尽くされ、一つの演目が終るごとに割れんばかりの拍手が起こった。

 第一次生として一九五六年に伯国に渡った塘陽一郎さん(佐賀県出身、七庶O歳)は大講堂に隣接するフロアーに展示された青年隊の写真を指差しながら、パラナ州セーラ・ドス・ドラースの原始林を切り開き、道路や橋を作り、訓練所建設に携った時のことを語った。「オンサが現れることなんてよくあること。森のなかでインディオと出くわすこともあった」という。「終戦当時の荒んだ行き場のない若者に力を与えてくれたのが青年隊だった」と話してくれた。

 〔写真:青年隊隊歌を歌う元隊員たち〕



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