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鹿児島県研修生(3期生)山下大介君のメキシコ漫遊記(ML投稿より転載) 続編
単身日本を飛び出しメキシコの地での漫遊記続編です。ブラジルでの1年間の研修経験を生かしての一人旅、地球の歩き方、スペイン語辞書を両手に予算を決めての貧乏?旅行、何度もこそ泥の被害にあい色々な出会い若い者の特権とも云える漫遊は、旅行中はそれ程感じなくても一つ一つの経験が身に付き体に染みついて行く事でしょう。1962年-1964年迄2年間北中南米9各国をほっつき歩いた若い頃の自分と重なる部分も有り懐かしく感じる漫遊記です。
写真はブラジル研修生時代の者を園田さんから送って頂きました。


鹿児島研修生のメキシコ漫遊記 第四回
メキシコ頭髪マエストロ 〜コロニアル流星群〜

 グアナファトには日本人が多すぎる。街を歩けば必ず日本人がうろついている。せっかくメキシコに来てるのに日本人とばっかりつるんでもな〜と思い。メキシコの旅日記(アミーゴス101に載せたやつ)を打ち終わると、次の日ここを出ることを決めた。そしてこの街での最後の思い出にピピラ像のある丘へ登ってみた。ピピラという人は独立戦争の英雄で、このグアナファトを奪還するのに活躍した人物らしい。

 そして、ここから見下ろす夜景がとてもキレイだと聞いて登ってみた。頂上に着いたのが8時だったがまだ空は明るく街を見下ろすとコロニアルな街並みは見渡せたが、まだカンテラの明かりは灯っていなかった。だからこの丘で、一人街を見下ろしながら宵待ちをしていると少しづつ空が暗くなり始め、ところどころに街の灯が咲き始めた。そして、建物の間をヘッドライトをつけた車が走り、建物の影に消えていく。まるでコロニアルの街に降り注ぐ流星群のように次から次へと...”あ〜ここは一人じゃなくて彼女とくるとサイコ−だろうな〜”と思い一人でいる自分がカワイソウに思えてきた。

 次の日ドローレス・イダルゴへ、ん〜これと言って何も無い街だった。

 そして...ついにこの旅での最終目的地であるReal de catorce(レアルデカトルセ)へ...はっきり言って何処らへんにあるかも知らない、ガイドブックにも載っていない村。それでも、ある映画の虜になった人にとってはこの村に行かなければメキシコに行ったとは言えないというような村だ。それでいろんな人に尋ねてみると「まずサンルイスポトシを目指せ!!」といわれそこに...次に「次はマテワラだ!!」という情報が...そしてついにマテワラからレアルデカトルセ行きのバスを見つけた。僕は期待に胸を踊らせながらバスに乗り込む。ここからは全く未知なる世界への旅立ちだ。僕は今回の旅で、ガイドブックに載っている街をまわり、何処も観光地化されていて何となくつまらないと感じていた。

 旅というのはこんな風に未知の場所に飛び込んで行くことに意味があるんじゃないかと思う。そこにどんな危険が待ち構えているかは解からないけど、少しのドキドキと好奇心の向くままに進んでいく、そうすれば素敵なものに出会えるかもしれない。誰も知らないものを見つけることになるかも知れない。そう思いながらバスが駆け出していく...
 そしてバスの窓に飛び込んでくる景色...もうすでに今までと全く違う風景を目にすることになった。

メキシコと聞いてみんなが思い浮かべるのは広大な砂漠にポツポツと立っているサボテンだろう。でも、ここまでの旅でそういった風景を目にすることは無かった。どちらかというとブラジルのような緑豊かな風景に近かった。でもここでは違う、ゴツゴツとした岩がそこら辺に散りばめられ、岩の間からユッカやタンブルウィード、ウチワサボテンにメスキート等がひしめき合っている。遠く遥かなところまでそんな平野が続き、その向こう側には紫色に染められた山脈が見える。

少しイメージとは違うがそれでも今まで見たことの無い風景に心を奪われてしまっていた。そしてバスは進んでいく、少しづつ山を登り始める。その途中何度か乗客の乗り降りのために停車する。そこで乗り込んできた男がニヤニヤしながら近づいてきて「レアルデカトルセに行くの?」とバカにしたような言い方で話し掛けてきたから僕はムカッときてシカトしてやった。
 
そして少し経ってからその男が僕の隣に座ってきた。”何なんコイツは”と思っていると、その男は通路を挟んだ向こう側のおばちゃんと話すために僕の横に座ってきたようだ。そして、その男とおばちゃんの話が弾んでおばちゃんは大笑いを繰り返している。

”なんだ、この男はただのお調子者なんだな”と気付き、僕は彼に話し掛けた「レアルデカトルセに安いホテルある?」と尋ねると「エルレアルが安いぞ」「いくら?」「600かな」...コイツ、やっぱりふざけてやがる。僕は1日380ペソ(日本円で3800円くらい。これを1日に使う限度にしていた)で生活してんのにどこが安いホテルやねん「めっちゃ高いやん」と言うと、彼が笑い出してまたおばあちゃんと話し始めた。そして僕に向き直り「大丈夫、オレが連れてってやるから。

ところでお前なんて名前だ」と聞かれ「ダイスケ」というと「ん?ダエス、ゲイ?」と言い、そしてバスの中のほとんどの人が笑い出した。僕はすぐに気がつき「ゲイじゃね〜やん、け、だいすけ」と言うが「ん?ダエス、ゲイ?」しかいわない、ここで引き下がるわけにはいかない、僕はゲイではないのだから。そしてその会話をおもしろがって若い6人組の旅行者(メキシコシティーから来た男5人女一人)も話し掛けてきた「オイ、どこから来たん?」「日本からや」「レアルデカトルセ初めて?」「そうや」「俺らもやねん、後で一緒にホテル探そうや」と言ってくる。
 
 まぁ悪いヤツらではなさそうやし「せやな」とこたえた。そして、彼らと話しているときにフッと思った。この隣の男...誰かに似ている。頭には帽子をかぶり赤褐色の肌、ひき笑い、それに声や顔まで似ている。もしかしてコイツは...ミウチンなのか?でもミウチンがここに居るはずがない、彼はブラジルに居るはずだ。それに1つ違うところがある。ビゴージだ!!でも生やせばすむことか...もしミウチンだとしてなぜココに?もしかして園田さんのスパイか?僕が盗難にばっかりあってるから「オイ、ちょっと様子を見て来い!!」と送り込まれたのだろうか?あやしい...しかも「ダエス、ゲイ」とまだ言ってくる。このひつこさもミウチンにそっくりだ。

 そこで僕は「名前なんていうん?」と尋ねると「アンジェロ」と言う。まだ信用できない。もしかするとミウチンのフルネームが”ミウチン・アンジェロ”だったのかもしれないと思い、少し彼のことを警戒することにした。
 
 そうしながらもバスは目的地に向かっていく。ひときは長いトンネルを抜けたその先には僕が探し求めていた村が存在していた!!石畳なのはもちろん、建物まで石を積み上げて創られている。奥の方に見える家々はだいぶ崩壊が進んでいるようだ。まるでトンネルを抜けることによってタイムスリップしたかのように、そこには現代文明とかけ離れた村が存在していた。
 
 そしてバスを降りると僕と若者6人に「ついて来い!!」とミウチンが言うのでついて行くと近くのバールへ入っていき「まず飲もう!!」と言うので付き合ってみれば2時間ちかく飲み続けている。空はもう暗くなり、彼は僕をホテルへは連れて行ってくれないだろうと思い「もうホテル探しにいくは〜」と言うと若者のうちの2人が一緒に付いて来てくれるという。”ていうかコイツらはホテルどうすんねん”と思い「君たちはホテルどうすんの?」「テントに寝るねん」”はっは〜ん、だからこんなに暗くなっても心配してなかったワケか”と思い3人でホテルを探しに行った。

 まず、バールの店主に安宿を聞いて、そこへ行き「ココいくら?」と聞くと「200」と言う。結構高いなと思っていたら、ここからがこの若者たちの腕の見せ所。彼らがフロントにかけより「コイツ日本から来てまだスペイン語そんなに話せんし、この前盗難にあって(これは飲んでいるときに話した)お金あんまないねん。少し安くしてやってや...」と交渉してくれている。

 彼らの会話がすべて理解できたわけではないがそんなことを言っていた。そしてフロントが「じゃ〜150」と、それでも若者が食い下がり120にまで落としてくれた。そこで僕が一言付け加える「2週間以上居ようと思ってるんやけど」と、そうしたらなんと100にまで下げられた。そこで手を打ち部屋に荷物を置いて彼らに感謝をし、バールに戻りまた飲み始めた。 

 そこで飲んでいると、その時は来た...あの男がミウチンではないとわかった瞬間が!!彼が帽子を脱いだ時、そこにはフサフサの髪の毛があった。もし彼がミウチンならば帽子の下には”少しの悲しみ”が隠されているはずだ。そして、ゼ・マリアの帽子の下には”完全なる敗北感”が...しかし彼はフサフサだった。そしてその夜、飲んだくれてホテルへ帰っていった。

鹿児島研修生のメキシコ漫遊記 第五回
メキシコ遭難シエリート  〜ブラックホール竜舌蘭〜

 次の日の昼に昨日のバールで彼らに会った。なぜか今日は3人しかいなくて「オラ〜!!何で今日は3人だけなん?」と声をかけると「あいつら街にお金下ろしに行った」と言う。そう、この村には銀行もATMもないのだ。

 そして話をしていると「プエブロファンタズマ(亡霊の村)に行かないか?」と誘われた。”ゲゲ!!オレ、オバケとか嫌いやねん”と思い「オレはエエわ」と断ったが「すぐそこやけん行こうや」とひつこく言われ、しかたなく行くことにした。そして4人で山を登っていく、一応道はできているものの石ころだらけでかなりに登りにくいし標高が高いため息がすぐに上がってしまう。

 そうしながらも、山の中ごろまで登ったところで村を見下ろしてみると村の全貌が見渡せて、ほとんどの家が赤茶げた石を積んで建てられているため村全体がセピア色に染まっているように見える。そしてまた登りプエブロファンタズマにつくと村の廃墟がそこにはあった。プエブロファンタズマというのは”亡霊の村”ではなく”廃墟の村”という意味だったんだと直感した。

 そして、そこに古い1つの井戸があった。そこに若者の一人が大きな岩を持ってきて落とそうとしている。僕たちは井戸の囲いに身を乗り出し下がよく見えるようになってから「イイよ」と叫ぶ、そして彼が岩から手を離す。岩は重力に任せてまっさかさまに落ちていき、空気抵抗を受け風を切る音と共に落下していく。そしてはるか下に見える水面がはじけたと思った1秒くらい後に「ボン!!」という音が響き渡った。それに興奮して僕らは次々に大小たくさんの石をその井戸に投げ入れた。

 その後、また少し離れた場所に朽ち果てた教会かありそこに行ってみると、教会の下に古い坑道があった。そこへ入っていく、若者の一人がライトを持っていたがほとんど意味が無く真っ暗で何も見えない。そんな中を進んでいくがどこも行き止まりですぐに外に出ることになった。でもなんかドキドキした。”メキシコだから、もしかしたらこんなところにチュパカブラがいるかもしれない”とか考えていたけどいるはず無かった。そしてその後村へ戻って4時ごろから彼らと飲み始めた。

 次の日、またお昼ごろにバールへ行ってみたが彼らはいなかった。しかたなくバールの店主と話していると、そのバールから見える近くの山を指差し「アレには登ったか?」と聞いてくる「まだや」「あそこからが一番キレイ街並みが見れるぞ」と言われ1人で登ることにした。バールの店主が言うには「30分くらいでつく」と言ってたにもかかわらず、実際には1時間半かかった。

 しかも途中なんか4つんばいにならないと落っこちそうになるくらいの急勾配。”めちゃくちゃ危険やないか”と思いながらも頂上に着き村を見下ろす。村から見るとこの山が1番高かったのに、頂上についてもっと高い山があることに気がつく...まるで人生のようだ。何か一つのものを手に入れるまではそれが一番すばらしいものに見えるが、手にしたとたん周りにもっとイイものがあることに気づく、そんな感じだ。それでも僕はこの頂上で満足した。

 欲すればいくら時間があっても足りない、あそこに登ればまたそれ以上の山に出会うだけだと思いここから村を見下ろしていた。そして、ココにあるものを残してきた。バックから1枚紙を取り出し、メッセージを書いてカメラのフィルムケースの中に収め岩の間にそっと隠してきた。”もしかすると遠い未来で誰かがこのメッセージを見つけることになるかもしれない”と、そんなことを考えながらある言葉をこの世界に残してきた。

 そして次の日、また昼ごろに彼らと会った。今日は安い定食屋で偶然会った。しかも2人増えている。彼らはスペインからやってきたカップルだと言う。そこでいつものメンバー6人が「今日プエブロファンタズマに行かないか?」とまた誘ってきた「もう行ったやん、一緒に」と言うが「今日はそこともう少し先まで行くつもりや」と言ってくる。

 まぁヒマだしと思ってちょうど12時くらいに僕らは出発した。そしてこの前とおんなじ経路を辿り、その後にもっと奥の山へと進んでいく。奥へ行けば行くほど道なき道を進むことになった。そして道がなくなり崖を下ろうとしたとき若者の一人が足を滑らせ崖を滑り落ちていく、運悪くその下には竜舌蘭が待ち構えていた。まるでそこに吸い込まれるかのように落ちていく。そして竜舌蘭のトゲに刺され手や足から血を流している。それを見てみんなはバカにしたような笑い声と彼をまったく気にしていないそぶりで先に進んでいく。
 
 僕は彼にペースを合わせるがみんなどんどん進んでいくし、彼も「先に行って」と言う。”これがメキシコの常識なのか?使えないヤツは置いて行く。それが登山の鉄則だ”と言わんばかりにみんな先を急ぐ。僕も彼らについていく...そして彼の姿がまったく見えなくなった頃、ようやくスペイン人女性が気付き「彼はどこ?何でみんな待ってあげないの?彼怪我しているのよ」と僕らに向かって怒りをあらわにする。僕は”あんたも充分待つ気なかったと思うで”と思いながらそれを聞き流す。

 そして若者の一人が叫びだした「どこにいんの〜?」と、その声は山の斜面に反響して遠くまで聞こえるようだった。そして返事が返ってくる「今、馬に乗って近くまで来てる〜」と、「どこ〜」と叫んでいると若者の一人が彼の姿を見つけた。僕にはまったくわからなかったけど...そしてそこまで下っていく。

 そして彼と合流してまた山の奥へと登ったり下ったり...そのうちケガをした彼がやはり取り残される。そこでスペイン人女性が「あなたは彼と一緒にいなさい」と若者の一人に言う。”なんて自己中心的な女だ。そんなに気になるんだったら自分が行けばいいのに”と思いながら彼は」ケガをした彼の元に行き僕らとはぐれてしまった。こんなことがあって雰囲気が悪くなるかな?と思いきやみんな”シエリート・リンド(キレイな空)”を歌ったりしていてあんまり気にしてない感じだった。

 そして僕らは登っていく...そして目指していた山頂に着くとその山の向こうには壮大な景色が広がっていた。ここが”世界の果て”と思うほどのすばらしい景色。雲は僕らの目の高さにあり、遥か下の大地には知らない街が見える。肌に感じる風は冷たいけれど日差しは暖かく、目を閉じれば風の音は聞こえず「キーン」という静寂の音しか聞こえてこない。そこで30分くらい待っていると彼らもやっとたどり着いた。そして僕は久しぶりに時計を見てみるともう6時半をまわっていた。

 ”げ〜!!マジで!!もうこんな時間なん。ココまで6時間くらいかかったってことは帰りもそのくらいかかんのかな?ていうか今まで時間を気にしてなかったオレも悪いけどコイツら何考えてんの?”と思って彼らに聞いてみる「帰りは何時ごろに村に着く?」そしたら「6時間はかかるんじゃないかな?」といって笑っている。

 ”はぁ?何なんコイツら、お前らはテントでいいかも知れんけどオレはこの前(初日の日)ホテルに夜遅く帰ってきたら「10時には帰ってきなさい」って怒られたばっかなのに”と思いながらももうしょうがない。今日はコイツらのテントにお邪魔するかと開き直ってみんなとそこからの景色に見とれていた。そして7時になってやっと山を下り始めた。ココまで来た道のりとおんなじ道を...途中で彼らが違う道に入っていった。”おいおい大丈夫か?コイツラ道もわかってないんじゃないか?”と思いながらついて行くともう村が目に入ってきた。

 そして村に着いたのが8時40分...”マジかよ...こんな近道あるんだったらこっちから登った方がよかったやん。確かに急な坂道やったけど6時間は掛からんかったと思うで”そう思っていたが後になって考えると”いい時間の使い方だな”と思うようになった。

 一日中ひたすら歩き回って山頂に着きそこからの景色を堪能した後、暗くなる前に帰ってくる。普通日本人だったら”サッと行ってサッと帰る”と言うのが普通だから日本人にはない発想だなと感じた。その後やっぱりみんなと飲んでホテルに帰っていった。

鹿児島研修生のメキシコ漫遊記 第六回
メキシコ浮世デカトルセ   〜ラ・トルトゥラ捜査線〜

 翌日、いつものように昼ごろバールで落ち合った僕たち。でも彼らは今日メキシコシティーに帰ると言ってきた。彼らとともにバス停に行く...そしてモンツェ(唯一の女性)が「ダイツケ〜ヤクサ〜ヤクサ〜ヤクサ〜ヤクサ〜」(ヤクサ=ヤクザ)と手拍子と共に言い出し、エリックが「ソリャナイヤロ〜」と日本語で叫び、アルマンドロは「スゴイ!!」と次々に言い出す...”コイツらこの4日間で覚えた日本語フル活用してやがる...”と思っていたらアンドレが「ケ〜パッソ〜!!あ〜ノンエンテンジナ〜ダ」と僕の口癖をマネする。

 そうしているうちにバスが来てお別れの時、一人一人アブラッソをしていく...急に一人になることへの恐怖が沸きあがってくる。それを感じながら一人づつ抱きしめていく、そしてモンツェとアブラッソした瞬間”マジで!!コイツこんなに”チチ”デカかったのか”と驚かされた。少し小太りで猫背のせいで今まで気が付かなかった。

 そして彼らを見送る。そんななか僕は”あぁもしかしてモンツェに恋してしまったかも...”と一人考えていた。「何や、ただチチがデカかっただけで恋するかいな」と思いながらも彼女のことが気になり始めた...が、すぐ現実に戻って。”アイツには彼氏いるやん、その彼氏ともオレ、アブラッソしてたやん”と思い、彼らを見送ったあと、僕は一人バールへ歩いて行く。

 そして 一人ビールを飲み始める。みんなが居た頃の様に店のすぐ前にあるゆるやかな階段に腰を下ろし物思いに浸る...。一人になる事、孤独になる事を実感していた。僕は昔から一人 が好きだった。誰かといると気を使ったりめんどくさかったり...でも彼らが居た頃、まるで嵐の海を航海するかのように次々に色んな感情の波が押し寄せてきていた。でも、今は孤独な海にたった一人でプカプカと浮いているようだ...行くあてもなく...。はぁ、一人...どうしょうもなく淋しい。

 そう思っていたらバールの中から一人の女の子が出てきた。歳は4っつくらいだろう。その子が僕にちょっかいを出してくる。後になってわかった事だが、この子はここの店主の娘で、今までずっとこの店に居たようだ。今まで気が付かなかった。

 そしてホウキを持ち出してきて「おうまさ〜ん」と言いながらホウキにまたがっている。しかも道端に落ちていた小枝を拾い、それをムチのようにしてホウキの”おしり”をヒステリックに叩きはじめた。それを見た僕は思わず大笑いをしてしまった。

 そして彼女は僕の一段した階段に座り込んできて僕にホウキを手渡す。”え"っオレにもやれってか?それはムリな話やで、お前は4っつかも知れんけどオレは23やねん。もう、エエおっちゃんやで”と思いながらホウキを手に取り”どうしようかな?”と迷っていた。そして、階段をはわくフリをして彼女のおしりをはわいてみせる。彼女は笑いながらこちらを見てくる。
 
 だから「あっ、ごめん。間違えた」と言うと彼女はまた座りなおして”もう一回して〜”と言うようにこちらを見てくる。だから僕はそれに応じてまた”おしり”をはわいてみせる。
 
 そんな事をしていると次に僕の隣に座ってきて、やたらと「カゴ〜」と言ってくる。”あ〜このくらいの子供はそういう言葉、好きだよな〜”と思いながら二人で話をしていると彼女が『ぶ〜〜!!』と屁をこいた。すかさず僕は「ポルケ カゴ〜?」と彼女に言う。彼女は恥ずかしそうに話題を変えようとする。そして、右手の指を左手の指で一つ一つさしながら「エスタ ジャーマ ポエマ」と言い出し、すべての指がポエマになった。”ポエマって詩の事かな?”と思っていたら数日後、彼女とお母さんの会話を聞いていて”プログレマ”と言いたいということを知った。

 ”親子ってすごいな〜。他人の僕は何が言いたいのかわからないのに親には理解できるんだ〜”と感心してしまった。

 そして僕は彼女のマネをして「エスタ ジャーマ ポエマ」と言い始め、ちょうど中指まで来たときに「エスタ ジャーマ トマテ」と言うと、手をパチパチさせ笑い出し喜んでいる。”子供にとって何が面白いのか全く見当がつかない”。

 そして彼女が僕のマネをして「エスタ ジャーマ トマテ」といって、キャッキャキャッキャ笑いながら手をパチパチさせる。そして僕はいつしか孤独感を忘れてしまっていたことに気付く。その後、僕は「じゃ〜また明日ね」と言って出て行くと「ノ〜」と彼女が言ってきた。カワイイけどもう帰らなくちゃ。

 そして何日かして、この村で最初の日曜日を迎えた日、この村では珍しく沢山の人でにぎわっていた。何なんだ?と思っていると、その人たちがろうそくを手に持っているのが目に付いて。”何だ、お墓参りか”と思いながらも僕には関係ない。そのままバールへ行くと初めて見る人達ばかり、その中に入って一緒に飲んでいると急にみんなが慌ただしく騒ぎ始め、みんな店の外に出て何かを見ている。僕もそれに釣られて外に出てみると普通のおっちゃんが家族連れで歩いている。

 「誰なん?」 と僕が尋ねると「あいつ有名なアコーディオン演奏者や!!」という。”へ〜”とは思ったがセンナに興味がない。それでも「そんなに有名なん?例えば?」と期待せずに聞いてみると「シャッキーラ」「マジでか!?」僕は驚いてそのおっちゃんに目をやる。今では彼に金色のオーラが出ているように見える。さっきまでただのおっちゃんだったのに...

 そして僕はメキシコ人を誘って「一緒いこうや!!」といって彼の元へ走っていって握手を求めた。そして握手をした右手を見ながら”あ〜これでシャッキーラと間接握手や〜”と喜んで、そのおっちゃんに「待ってて、オレ、カメラ持ってくるは」といってホテルまで走り、カメラを手にとって戻ってきたとこにはもういなくなっていた...待っててっていったのに...。
(続く)






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