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移民?移住者?どう違うのでしょうか? MLで盛り上がりました。
移民?移住者?普段は別に気にしないで両方を使っていますが正式な意味の違いがあるのでしょうか。私は戦前にブラジルに来られた方を移民、戦後の方は移住者と使い分けしている積りですが、心情的には『移民』に強い郷愁と愛着を感じています。戦後移住者協会とか50周年記念とかにはすんなり納得がいくのですが、日伯交流年の今年が『日本移住100周年』との表現には違和感を覚えつい『日本移民100周年』を使ってしまいます。100年前に笠戸丸でブラジルにやって来られた方は紛れもない『移民』であって当時は移住者という言葉は使われていなかったと思います。
『私たちの40年!!』メーリングリストで富田さんが問題提起され皆さんが呼応し盛り上がりましたが、結果として11月末に河野さんのアナポリスの農場での花火大会開催にまで発展しました。
今回参加した日本における100周年記念式典では外務省主催の東京では『ブラジル移住100周年』が使用されており神戸での式典でも移住100周年が使用されていました。写真は神戸の記念式典のプログラム表紙です。


ML7113
富田さんが日本移民100周年か日本移住100周年か、移民と移住の違い、使い分け特に使用する側での心情面に付き知りたいとの問題提起が上がって来ています。皆さんのご意見を伺いたいですね。
戦前は、移民が公用語?として使用されていたようで神戸移民収容所(現在の神戸移住センターの古い呼び名)が使用されていましたが、戦後移住の最盛期に移民は棄民を思い出させるとの理由で移住を推進していた行政機関の海外協会連合会(現JICA=国際協力事業団)が使用公文書では移住を使用し移民と言う言葉を使用してはいけないとの指示を出しています。それに呼応?してNHKでは移民という言葉を放送しないとの方針を出しインタビューで移民の言葉を使用した方に移住に言い換えて欲しいとの注文をだしたがその方は、申し出をあえて拒否したとのエピソードも語られています。
私は、戦後移住者ですが移り住む民、人生の選択の一つとしての移住を積極的に捉える意味で移民という言葉の響きというか特に戦前を語る場合は移民船であり移民でないと表現できないのではないかと思っています。

富田さん発言
4月28日が笠戸丸の出港日とは知りませんでした。生まれ故郷での大事な行事に参加出来るとは、幸運ですね。
ところで、移住100年祭で気になっていることがあります。
私たちの40年のメンバーの方の中でも、ブラジル移住100年祭、と言う方と移民100年祭と言う方の両方がいます。移住が公用語で、移民は差別語と言う感じが私にはあるのですが、どんなものでしょうか?
それとも「移民」と言う言葉に愛着がある方もいらっしゃるのか、とも思っています。ブラジルの方の「思い」を教えて下さい。
では、お元気で。
富田

ML7119 伊豆山さん発言
和田さん、富田さん
移住者と移民の話、何かの読み物で(日本語新聞だったか、本だったか覚えていませんが、)、下記のように定義されているのを読んだことがあります。
『移民とは、政府が殖民計画をつくり、計画的に送り出した移住者』と定義されていました。この区別が正しいかどうか知りませんが、戸山修さんの『100年の流氷』を読んでいて、(未だ半分しか読んでいませんが)何となく、今、この区別が見える気がしています。

私自身、又、私の周囲の方々を見ていて、どうも、移住者にも当てはまらない感じのする人々が大勢います。 彼ら(私を含めて)は在外邦人と位置付けるのが適当かも知れないと、私には思えます。 移住者と在外邦人とはどう違うのか、正確に境界線を引くことは出来ないでしょう。 

何故、自分が移住者でなく、在外邦人に適すると思うのか。 その根拠を考えると、仕事の面でも、個人生活の面でも、ブラジルに永住していると云う気持を持っていないことにあります。 個人生活の面では、息子は、ブラジルに一人、日本に一人、娘はアメリカですし、仕事の面でも、現状ではブラジル中心であることは事実ですが、将来、香港の会社の方が或いはより重要になるかも知れない。 もし、今現在、開拓中の日本市場が採算に乗れば、日本にも会社を開ける必要性が出るでしょう。 そうなれば、将来は何処に住むか。 自分でも分からない。 生まれ育ち、そして今でも大勢友人のいる日本が一番住み易い。 でも『怖〜い税金』を考えると、そう簡単に結論を出すことは出来ない。 香港の隣接地、珠海の新興住宅地など見ると、生活費が安そうで、将来、ここに住むのも悪くないな、と思ったりもいたします。 昨年、亡くなった女房は、将来はイギリスかフランスの片田舎に住みたいと常々云っていました。
この様に、今、偶々ブラジルに居るけれど、将来は何処に住むか分からない方は、私だけではありません。 このサイトのお仲間の中にも必ずいらっしゃるはずですし、 私の周囲にも大勢いらっしゃいます。 私が週末過ごす、PLゴルフ場に行けば、在外邦人、即ち、自分を移住者だと思っていない方々が半数はいらっしゃるのではないかと思えます。 決して私が例外ではないでしょう。  

どちらにしても、私は、何をどう位置付けしても、そんなに大きな問題ではないと思います。 個人的には『曖昧で結構』と思っています。
移民を差別語と感じられる方には、上記致しました、『100年の流水』をお読みになることをお勧めいたします。
この本で、移民の中には、差別語に値する人も、敬意を抱かせる人もいらっしゃったことを知らされます。
そして、差別語を感じさせるようになった経緯には、移民の悲惨な面を、ことさら強調しすぎたマスコミにもある責任があるように、戸山さんは云っておられます。 
人類の歴史を見るとき、飢饉で、或いは、抗争に負け、或いは社会から追い出され、流れ移った人々が、新たな文明を築いて行った事実が見える気がいたします。 住み慣れた土地を離れた動機は時の流れの中では、どうでもいい、大したことでは無くなるのです。 
移民、移住、差別語かどうかなんかにクヨクヨするようでは、とても新たな文明とは行かなくても、新たな価値を生み出す担い手にはなれないと、私は思っています。

ML7122 山本さん発言
伊豆山さん 今日は
このテーマから、思い出した事の比較論ですが、昔々話で、中国の華僑たちは、情報で知る限り、古くは東南アジアを中心に、戦前から日本でも長崎・神戸・横浜と、北米のロス当りに、生活を掛けたサービス業で、骨を埋めるつもりで、多数住み着いて、古くから活躍していますね。この人達は、故郷が中国に現存しても、腰掛的二重国籍の人たちもいるのでしょう?
山本より

ML7123 伊豆山さん発言
う〜ん 山本さん、難しいことをおっしゃいますね。 あまり考えていませんでした。

ブラジルは中国人が日本人より少ない、数少ない国の一つのようです。
ここでは、日本人が目立ち、中国人は目立たない存在です。 それは中国人が、移民或いは殖民と云うかたちで、纏まって入国しなかった為でしょう。
間違っているかも知れませんが、ブラジル在中国人は、2階層になっているようです。
第一階層は、不法入国です。 彼らはレストランや、小売の商売(主に密輸しながら這い上がった)を主にやっています。
長い間、下積みでしたが、近年、しっかり、財力をつけ、生活を安定させて来ているようです。
第二階層は、第一波は中共から逃れて来た資本家、第二波は、台湾の情勢が中共との関係で悪化した時、最悪の事態を想定して、大金持が家族の一員を、危険分散の目的で、資本と共に送り込んだ人々がいます。 この人達は大きな事業をやっています。 
私は中国の法律を知りませんので、彼らの子孫が二重国籍を取れるのかどうかはわかりませんが、既に、二世、三世が立派に育って来ていることは確かで、彼らは近年、益々存在感を増しています。

何方か、山本さんのご質問(中国人は二重国籍をとれるのか)に、お答え頂けるでしょうか。 
私もブラジルに帰ったら、知り合いの中国人に二重国籍がとれるのかどうかを聞いてみます。

韓国人も、中国人同様、隣国パラグアイからの密入国入り、恩赦で、永住権を獲得した人達が大勢います。
彼らは、衣料品で、しっかりその地位を築いています。 
伊豆山

ML7136 富田さん発言
和田さん、伊豆山さん、早速の返信、有難うございます。さて、移住か、移民か、に関して一つのエピソードをご披露したい。
 2,30年前、我々が年に数回メキシコからロスのリトル東京に日本の食料品の買出しに出かけていた頃の話です。ロスの有力者のナルミスポーツ社長の鳴海先輩からエライ剣幕で怒られたことがありました。
我々が定宿にしていたロスのニューオータニホテルは開業時、「日系二、三世は移民の子である、という理由で日系人の採用を拒否した会社である。君も移民だろう。だったらあんなところに泊まるな。」という尤もなお叱りだった。
 俄には信じ難いことだが、そういう現実がカリフォルニアの日本人社会にはあったのである。
 更にその2,30年前、日の丸を背に日本企業が戦後初めて米国に進出した際、営業マンが真っ先に飛び込んだのは、日系人の会社、家庭であった。日系人の方たちは喜んでソニーのラジオ、ナショナルの炊飯器、トヨタの車を買ってくれたのだった。こうして、日本企業は米国市場に参入していったのだ。
 そういう経緯を無視しての「移民の子は採用しない」は恩知らずにも程がある。オータニはメキシコ人と黒人は採用したのである。鳴海先輩が怒るのも無理はない。
 ホテル・ニューオータニだけがこのような特殊な考え方をしているのか、は知らない。しかし日本の在外公館員、及び進出企業の一部の者たちが、移民に対してある種の偏見を持っていたのは確かなことである。
 
 明治初年、新政府が早速始めた移民事業は農村の人減らし、或いは二、三男対策が主な目的だった。「官」に対する「民」を使っての移民と言う用語がその辺の事情を物語って余りある。民を外国に移すの意であり、官主導の事業だった。
 当時移民事業の広報宣伝に一役買わされたのが、脚光を浴びていた慶長遣欧使節の支倉常長一行だった。
 
 これに対して「移住」は文字通り「移り住む」と言う当人の意思によって「生活拠点を変える」意が込められている、と思うのだが、どうだろう。
 さて、既に政府による移住事業は幕を下ろし、新しい形の移住が始まっていることは、伊豆山さんの例を見ても明らかである。今や昔の徒手空拳で海外雄飛するのではなく、「高学歴、高度な技術、資本」を持っている人たちの移住が世界的に盛んである。
 私が住むテキサスのサン・アントニオ市には隣国メキシコからこういう人々が多数移住して来ている。彼らが組織する「メキシコ企業家協会」のメンバーを見ると、小ではない中企業のオーナー経営者または彼らの子息たちが大部分であり、米国の大学の修士課程を終えた人たちの割合は非常に高い。彼らはメキシコで成功している事業を引っさげて、アメリカに乗り込んで来るのである。
 彼らは米国に資本を投下し、数多くの米国人を雇用するから、米国では大歓迎されている。こういう人たちも意識の上ではImmigrantなのだから面白い。そしてあくまでも彼らの文化、習慣は守って行くという態度を崩さないし、この国もそれを受け入れる度量の広さを持っている。
 
 さて我々が問題にしているのは、ブラジル移住100年祭のことである。ロスの例から見ても、明治以来の移民に込められた暗いイメージを払拭する意味から、少なくとも「私たちの40年」では「移民」は止めて「移住」を使って欲しいものである。
 この件に非常に良く似た例にスペイン語のIndioとIndigenaがある。前者はインディオと発音し、南北アメリカ大陸の先住民を指す、言わば差別語である。最近はこれに変わって、インディヘナという語が公用語として使われている。特
にメキシコでは、インディヘナに英雄的民族、という形容詞を付けて使用するので、耳に心地よく響くのである。
 この件が我々に教えてくれるのは、一つの意味に二つの言葉があることなのだ。英語でもスペイン語でもImmigrant一語切りだから、差別も何も付けようがないのである。
 それはそうと、この文を書くに当たって、Yahoo Japanで「ブラジル移住100年祭」を検索したところ、私が書いた小話、Jokes & Chistes No.12が紹介せれているのだ。  
小話のアタマに100年祭を少々紹介したためなのだろう。お暇があったら覗いて見て下さい。

ML7137 河野さん発言
ブラジリア河野です
私は1960年渡伯の移住者です。
21年後1981年に海外移住事業団より120万クルゼイロスを借り入れアナポリスに初めて自分の土地(農地)を購入しました。
その際当時ジャミック(JICA・JEMIS)の関係者から移民の方ですか?移住者ですか?と聞かれびっくりしました。で、移住者と移民の違いは?と聞いたところ、移民は戦前に自分の意思で(自費で)海外に渡った人たちでしたがい政府による援助は受けられません、一方移住は戦後、日本政府の移住政策により国の費用負担(船賃)で渡った方たちです、と説明があり、結果として海外移住事業団によるこの土地購入融資は移民には貸せない制度で移住者(戦後)のみ借受けられた融資でした。
悲しきかなご参考まで

ML7139 富田さん発言
河野様、ご丁寧に移住者と移民の違いを教えて下さり、誠に有難うございました。目から鱗が落ちる思いです。
 やはり両者にはこうした違いがあったのですね。それにしても、「戦前に自分の意思で渡伯した人たち、即ち移民は事業団の融資を受けられない」とは驚いた話です。
 大変勉強になりました。
 渡伯21年後に初めて自分の農地を購入しました、の文字が胸を打ちました。
 アナポリスを地図で確認しました。ブラジリアの近くですね。何を耕作なさっているのでしょうか?
 ご健闘を祈ります。

ML7142 伊豆山さん発言
富田さん、そして、ブラジリアの河野さん
伊豆山です。

富田さん
コメント有難うございます。
移住、移民の言葉の問題、簡単ではなさそうですね。
先信で、少々、勇まし過ぎる発言をしてしまったことを、今、少々後悔しています。

ニューオータニがロスに進出した時代は、未だ日本人のアメリカ文化への憧れ100%でしたから、日本からの観光客に『外国』を感じさせようとのセールスストラテジーがとられたのでしょう。 50年たった今、多分、日本からの観光客は、アメリカで、日本語の対応を受ける方がアットホーム感を感じるかも知れない。 これも時代の流れなのでしょう。 

河野さん
商工会議所の勉強会で、戦後ご家族と『移住』され、幼少であった河野さんが、戦前から『移民』された方々の子弟、即ち、日系二世の子供達にいじめられたご経験を話されましたね。 そして、その、いじめの逆境を、河野流の知恵と勇気で乗り切り、且つ、その苦い経験を生かして、 世界一、見っとも無いブラジルの政界の中心ブラジリアで、しっかり、ご自分の場所をつくり、三代の政権の影で、真にブラジルを支えて来たゼリアンボーイズと親密な関係を築かれたお話しをされましたね。 ゼリアさん(コロール大統領時の経済大臣)から私へのメッセージまで、伝えて頂きました。 
私が先信の結びで書きました、『新たな価値を生み出す担い手』とは、まさに河野さんのような方を想定して書いたものです。河野さん、これからも頑張って下さい。

ML7145 河野さん発言
富田様
お褒めのお言葉恥ずかしい限りです。アナポリスはブラジリアから120キロ、車で1時間半程度です。
5千ヘクタールを所有する大農場主Mr.Fabioから1981年に30ヘクタールを譲ってもらいました。当初潅木を切って木炭を作り町で売り、土地なし運動連盟のグループに不法侵入されぬようその資金で土地を金網の柵で囲いました。もちろん最初は住む家もなくビニールのテント暮らしです。ほそぼそとタヒチレモンを植え3年後には1万本になりました。10年間でレモン成金とは行きませんでしたがユーカリ10万本を植林する資金を得る一方、8年前の2000年からサトウキビを植えて現在植林事業の傍らカシャーサ(サトウキビ焼酎)を生産しています。日産100リットル、ブランドは「Fazenda Paiol Velho」(古小屋農園酒)です。
お時間があればぜひ泊まりに来てください、南十字星がきれいです。河野

ML7146 河野さん発言
伊豆山さん
またまた誉めすぎですよ、からかわないで下さい。
ところで現在日本ですか?小職も18日発で東京へ向かいます。
24日の政府主催100周年式典と、28日の神戸のイベントに出席する予定です。
帰りは30日成田発です。

ML7147 丸木さん発言
丸木で〜す
 北米も南米も新大陸の国は、今では移民の国です。この事実は原住民にとっては怪しからん話と思われますが・・・。勝手に入って来て、原住民を蹴散らして築いた国ばかりですから昔から居た者には、たまったものでは御座いません。
 僕達の様に他所の国から入ってきた者は移民であり、カナダに住む僕などブラジル移民のなれの果てとでも申しましょうか。トロントに住むイタリア人やポルトガル人にはドイツやフランスで働いたことのある人が多く、話を聞くとその人達の境遇に僕も似通ってると共感をおぼえます。
 トロントにも新移住者協会と称する団体があり、戦前の日本移民と別の団体になってますが、僕には意味不明です。戦前に移住し様が戦後に移住し様が、同じ日本人に違いがあるとは思えません。カナダではイミグラント(移民)かニューカマー(新参者)と呼ばれてます。いずれにせよ移民であって、移住者なんて言葉は全く意味がないとも思われます。日本人以外にも戦後移住した民族が多数居りますが、皆移民であり、わざわざ移住者とは云わないでしょう。
 日本から移住して大成功された方の奥さんが「丸紅がなんぼのもんじゃい!」と息巻いてたのを聞いた事があります。日本企業駐在員夫人が「宅は丸紅ざんすのよ・・・」とか「原住民の方々は・・・」と言われるのよ!」と憤慨しておられました。移住者の方々と言うつもりで云い間違えたのでしょうが、まぁ、日本から短期滞在の派遣社員には移民も移住者も目くそ鼻くそなのでしょう。
 アメリカもブラジルもカナダも移民の国、移民であることに誇りを持ち、移住者と言う言葉が消滅するのを切望します!! 

ML7151 伊豆山さん発言
富田さん
僭越ながら、誤解のないように、河野さんに代わり、お答えします。
河野さんは、政府との交渉、ヨロズ承りコンサル会社のオーナー社長でして、
日本大使館も、彼の顧客です。
21年目の土地購入は、彼の財テクの一環なのです。 胸を打たれる必要は全くないのです。
一年の半分を海外出張している男が、今更、鍬をにぎるはずはない。
もっとも、趣味でなら話しは別ですが、、。 そして彼なら、やりかねませんけれど。

彼は今年中にアメリカに居を移すと公言しています。
もしかすると、富田さんのいらっしゃる、TXに移住?移民?引越し?するかも知れません。そのときは、よろしく。 (失礼、出しゃばりすぎました!)

丸木さ〜ん
おっしゃる通りです。 『移民、移住、あっしらには、関係ね〜でござんす』ですね。
私は人に、貴方は? と聴かれた時は、土着民です、と答えています。
失恋してブラジルに流れ、悪い女に捕まって、土着民化いたしました。 
(悪い女は 『うそ』。 最高の女房に恵まれました! 女房に文句を言うとすれば、それは、僕より先に逝ってしまったことです。)

ML7153 富田さん発言
河野さん、伊豆山さん、
 アナポリスに南十字星を見に来いとのお誘い、本気にしますよ。私も伊豆山さんと同様に二年前女房を亡くしたので、気楽な身なのです。
 河野さんもお人が悪い、「住む家もなくテント暮らしをして細々とタヒチレモンを植えました」は事実でしょうが、本業はコンサル会社の社長さんだとか。
 ところで、お二人とも近く日本にいらっしゃるようですが、私も5/4(日)成田に着きます。河野さんは30日にご帰国のようですが、すれ違いになりますね。
 伊豆山さんはいつまで日本ですか、是非お会いしたいものです。ケインズ経済論を論じる方なので、落第生の私はちょっとお会いするのが怖いような気がしてます。
 その内にお会いできることを願っています。

ML7154 伊豆山さん発言
先ほど、このメールを出してから、もしかすると、河野さんのおっしゃる、土地購入は、ご両親の為の土地購入だったのかな、と思いまして、もし、そうであれば、財テックだなどと無責任な発言は取り消さなければなりません。大変申し訳ありませんでした。

ML 7157 和田発言
伊豆山 さん
国際人(土着民?)の伊豆山さんが旅の空からこのMLに投稿してくださり移民?移住?の話題で盛り上がっており感謝しております。
河野さんのアナポリスの土地購入は、ご両親のためでなくご自分の農業移民(移住者でないと金が借りれないので戦後移住者に訂正)として移住振興(JAMIC)から借りられたのだと思います。金額からして農地に有刺鉄線を張り巡らせる費用程度にしかならなかったのではないかと想像します。それにしても事業家としての彼の第1歩を日本政府がお手伝いしたことは確かで戦後移住者は国策?としてそれなりに気を使って貰っていたといえましょう。
河野さんのご両親は、レジストロでの雇用農から自営農としてモジダスクルゼスに土地を買われて移り住みそこが墳墓の地となりそれを今も河野さんが大事にしておられ鶏小屋もそのまま残したホテルヴィクトリアパークホテルとして利用されておられます。週末の20人以上の客が集まらないと営業しないホテルですが、お母様が日本食の食事を振る舞いカラオケがあり賑わうようです。確か徳力さんが行かれたことがあるはずです。
河野家の【自慢の土地】に花咲くサバウーナのVICTORIA PARK HOTEL 河野さんの寄稿です。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=703
に河野ご夫妻の写真と共に掲載しておりますので参考にして下さい。

ML7158 和田発言
丸木 さん
丸木さんは移民派ですか。『移住者と言う言葉が消滅するのを切望します!!』とのことですが、少し心情的になっているようですね。私も気が付かず『日本移民100周年』と云う書き方をして来たようで富田さんから困惑を感じると指摘されました。今回の100周年は、やはり笠戸丸移民の100年を祝うお祭りであり『笠戸丸移住者』では私たちにはぴんと来ないところがあり自然と日本移民100周年と書いて来たのではないかと思います。しかし公用語としてのポスター他全ては『日本移住100周年』となっているようですので今後は富田さんが言われるように移住を使用することにします。
河野さんが実例として挙げておられた移住振興会社(JAMIC)の定義は日本政府の農業移住者(工業移住者にも一部適用されたようですが)への土地購入、営農資金等の貸付には戦後移住者でないと対象外となるとの明確な使い分けは、別としても戦前にブラジルに渡ってきた皆さんが移民、戦後政府の渡航費貸付(私も最初の渡航では10万2千円の貸付を受けました=大学卒業の為に一時帰国する際に返済する意思があることを示す意味で一部返金し残りは免除となりました)を受けてやって来た我々は、移住者との理解をしており『戦後移住者50周年記念』は、戦後移民50周年とは書いた記憶はありません。
たかが言葉の使い方とは言えその言葉に『万感の思い』が篭もる言葉もあるようですね。その一つが間違いなく移民であり移住者だと思います。 

ML7156 和田発言
河野 さん
日本でお会いできそうですね。
4月24日(木)の日本政府主催の100周年式典に潜り込めましたので河野さん、徳力さん、園田さん、谷さん等このMLのメンバーの皆さんとも会場で交歓が可能となりました。宜しく。
又4月28日の郷里神戸での記念式典、コンサート&レセプシオンには恵子も一緒に参加予定ですので歓談できると思います。では又日本でお会いしましょう。

ML7179 河野さん発言
富田さん
ブラジリアの河野です。
南十字星、ぜひとも見に来てください。その時はアナポリス日本人会の皆さんを呼んで我が家でシュラスコ大会を開きましょう。理想なのは6月28日がいい、冬の夜空は深く透きとおった感じです。大航海時代の男たちはこの夜空を見ながら未知の世界に挑んだのでしょうね。富田さんが本当に来られるのであればこの夜空に花火を打ち上げ歓迎しましょう。
私は週末アナポリスの農園に宿泊しますが夜空を見上げます。頭上には濁流の如く天の川が広がり、あまりの星の多さに南十字星を探すのが大変です。
夜空を見て今まで歩んできた移住者人生を考えせざるを得ないわけですが、いかに人間がちっぽけでありながら一方力を合わせれば現在の人類の繁栄を築きあげたような人間の頭脳のポテンシアリティーにただただ感動します。



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