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徳力啓三・皇居の奉仕でご先祖に会えた (第一部) 富田さんからのお便りです。
和田さん&私たちの40年の皆さん
皆さんは皇居内の清掃が全国のボランティアの方々によって行われていることをご存じだろうか?「皇居勤労奉仕」と呼ばれる清掃作業は、終戦の年の12月から連続して行われています。今回、ブラジル在住の友人・徳力啓三氏を団長とする、勤労奉仕団が皇居の清掃にはるばるブラジルから来日しました。

 一同の仕事ぶりは「それはそれは熱心で、誰もしゃべらない。黙々と小さな鎌を動かす人、竹ぼうきで落ち葉をはく人」と、団長さんが「みな皇居に来ると熱心にやるものだ」と感心するほどでした。

 両陛下から親しくお言葉を賜る「お会釈」の榮にも浴しました。くわしくは、下記のアメリカ便り掲載の徳力団長による詳細、かつ感動的なレポート「皇居の奉仕でご先祖に会えた」をご覧いただければ幸いです。
すでに徳力レポートをご覧になった方も多いと思いますが、まだの方々は徳力氏が渾身の思いを込めたレポートを是非一読されんことを。
なお、長文のため三部に分けてお送りします。

http://blogs.yahoo.co.jp/stomita2000/24662858.html

Shinzo Tomita


皇居の奉仕でご先祖に会えた

ブラジル日本会議・第7回皇居勤労奉仕 第一部
   皇居勤労奉仕は、昭和20年5月に空襲で焼失した宮殿の焼け跡を整理するため、同年12月に宮城県内の有志が勤労奉仕を申し出たことが始まりであり、それ以降、全国の有志による勤労奉仕が行われています。ブラジルからの参加は今回で七回目にあたります。日本学生海外移住連盟OB(三重大卒)でもある、徳力・第7回皇居勤労奉仕団団長の報告を三部に分けてお送りします。
    
    徳力啓三(ブラジル日本会議・第7回皇居勤労奉仕団団長)
 2012年10月のブラジル日本会議の役員会で、勤労奉仕団の団長を引き受けることになった。団長名が決まらないと、宮内庁に対して、奉仕団の申し込みが出来なくなるという理由からであった。少なくとも奉仕期間が始まる6カ月前に申請しないと無効になるという。団長の資格は、75歳以下であることと健康であることが必須といわれ,「貴方はその条件を満たしている」と強請された。ぐじゅぐじゅと悩んだ挙句「俺にも出来る」と決心した。
 
 11月に入って団員の募集を始めた。ブラジルと日本は遠い。飛行機代だけでも2000ドル前後は掛かる。それに地上費といわれる日本での経費が約20万円、考えてみれば随分と高い。また奉仕団としての団体行動は最小で6日間、前後の往復に3日間をみると最低で9日の旅となる。これだけの条件をクリアーしないと、団員にはなれない。宮内庁への申し込み人数は30名という。
12月と1月、かなりの努力をし、パラナ州はロンドリーナとマリンガまで出かけ勧誘に歩いた。1月末を第1次締め切りとしたが、集まったのはブラジル側で13名、日本在のブラジル大好き党のご婦人が2名参加してくださることが決まった。どうやらそれで目標の50%となった。
 2月になって、日本のオイスカに応援を求め、残り15名の募集を頼んだ。
団員表を提出した翌日になって、血流不正常でドクターストップが掛かった団員から、夫婦二人のキャンセルがでた。なんとしてもブラジルから半数の15名を確保するため、あちらこちらに電話を入れ、再勧誘に努めた。最終的には、親子で訪日され、日本では別行動をとるという息子さん方に奉仕団に入ってもらうように説得した。が、難問であった。ぎりぎり一杯、「二人の息子が奉仕に参加する」と連絡が入った時のうれしさは今想いだしても切ない。最終的には日本在のご婦人がもう一人加わり、ブラジル側13名、日本側3名、オイスカ組が10名で合計26名の奉仕団が出来上がった。
 
 3月27日、勤労奉仕の決団式兼送別会がピニェイロスの「八代」で行われた。パラナ州の3名とサンパウロの1名を除いた9名が集まった。ブラジル日本会議の役員10余名が集まって下さり、激励の言葉を頂いた。一番若い人で35才、最高が81才と年齢はばらばら。男が8名、女5名。サンパウロ州10名、パラナ州3名という組み合わせで、この日が最初の顔合わせであった。ブラジル日本会議はすでに7回奉仕団を送り出しているが、経験者達が、「皇居に行けば、どこででも経験出来ないすばらしいことがある、目をあけ、耳を立てて、よく見て、よく聞いて来てください」とはなむけの言葉があった。
また、目には見えない世界で「きっと、ご先祖さまが喜んでおられるのを感じられるかも」との励ましもあった。
 4月5日金曜日、夜10時グアルリョス空港に集合、エミネンテ航空の午前1時半の飛行機で本隊7名が出発。途中砂嵐でドバイ空港着が遅れ、成田に着いたのが翌7日の夜19.00,1時間半遅れの到着であった。東京の芝増成寺にある東京プリンスホテルに到着したのは22.00過ぎであった。グアルリョスに集まってからホテルまで正味36時間掛かった。でも、全員無事、到着を祝った。

スカイツリー前での団員の記念写真(ブラジル在住・石田幸作氏撮影)

 さて、翌日は、東京観光で疲れを癒そうというわけ。7日日曜日の関東は春嵐で、634メートルのスカイタワーは大揺れだったとか。ところが月曜日は嘘のような快晴、風もなく、展望は最高の条件、勿論富士山もバッチリ見える。人の込み具合も程よく、第一展望台350mより第2展望台の450mまで更に上昇。上がった人は「天下を取ったような気分」になったそうだ。あと、浅草あたりを観光、外人さんの多い事。日本では外人とは私らブラジル人のことをいうはずだが、私らを含めないで、実際外人さんが多い不思議な現象を見て、驚いたりしていた。
 午後、靖国神社に参拝。ブラジル産の有機珈琲を奉献。玉ぐし料などを用意し「ブラジル日本会議勤労奉仕団」として参上の旨、奉加帳に記入した。ブラジルを出た時から、団長は奉仕団のすべての責任者となる運命を背負っている。知らないことも知っているような振りをして、堂々と奥の院まで
案内される。うしろには神妙な顔をした団員のみなさんがついてこられる。玉串を奉納して、二拝、二拍手、最後に一拝、後ろの皆さんも私に合わせてくださる。245万の神霊に対し最大の敬意を表した。これもまた奉仕団の大事なお仕事、私にとっては始めての経験、神の道をなぞったようだ。
 夕食は、浜松駅前の居酒屋。ここで初めて奉仕団が一堂に集まった。とはいえ、ブラジル組は13名と日本組3名、それにオイスカ組が2名で18名、オイスカの方8名は明朝直接皇居に向かいそこで合流することとなった。勤労奉仕に来られる方々は、物怖じなどしない。初対面でありながら、皆打ち解けてそれぞれの席を譲りあいながら着席。食事の前に、元皇宮警察の向後氏に「皇居に関するお話」を聞いた。明日は7時45分、皇居の桔梗門前に整列,点呼を受けること。いよいよ明日から奉仕が始まる。
 奉仕作業第1日目は、宮殿周りの仕事。といって仕事が始まるまでに、奉仕団休憩所―窓明館に集まった団体の様子を見てみよう。この日9日に集まっていた団体は8団体、約300人。もんぺ姿の人たちは埼玉県からきていた。
大よそ80人の団体でキチンと統制のとれていること、年2回、すでに120数回も奉仕されている由、北海道からはモラロジーの団体、愛知県からは赤十字のというわけで、それぞれがユニホーム代わりの衣装をつけられ、他団体と見分けが付くように工夫されていた。私たちブラジル組は、緑のベストを着、緑の野球帽といういでたちである。奉仕担当の職員さんの皇居内での注意事項をたっぷり聞かされ、カメラの使用は一切駄目と念をおされた。
各団体毎に庭園係りの職員が一人つき、作業に出発するも第一番に集合写真を撮りますから、二重橋の近くまで移動してくださいと命令がでた。奉仕団のお休み所から,富士見櫓の横を通って、宮内庁庁舎の横を通り過ぎ、宮殿前の大広場を越え、伏見櫓をのぞむ二重橋近くの芝生まで、どれだけ歩いただろうか。距離にしたら1km位だろうが、途中案内に立ってくれた職員さんがごくごく丁寧に、建物の話から、御殿の中の様子まで詳しく話してくださる。そのたびに立ち止まり、お話を聴く。8団体全部の集合写真を撮り終えるまでに2時間はかかった。皇居の中で撮った唯一枚の写真がこの集合写真、専門の写真家が撮っただけあって見事に撮れている。一枚800円なりの記念写真である。皆さんうれしそうに、にっこりと笑っているのが素敵である。 


皇居の中で撮られた唯一の写真、前列中央が徳力団長

宮殿の中でも一番大きな建物が長和殿である。天皇陛下ご一家が正月に国民の参賀を受けられるところである。ご一家が挨拶を受けられるベランダが長和殿の一部であり、建物の端から端まで165メートルもある。国民が待つ所が宮殿東庭という。とてつもながい建物だが、簡素、落ち着いた感じで、なんとなく威厳がある。ああこれが、天皇陛下のおられるところかと思うだけで、やっぱり何かが違う。ベランダから見て、お庭を挟んだ向こう側に、1メートルほどの高さの石垣があり、その上に生垣がある。この生垣がまた長い。200メートルは超えている。見事な刈り込みでまっすぐ、上面はまっ平らで、側面には枯れ枝一つ見あらたない。係りの方の話だと、すべて手刈りという。そんな技術があるものかと思うが、そこは100年単位の経験と皇居をお護りするという必死の意気込みの現われであろうと感じた。自然の中に端然と佇む長和殿と周りの景色が溶け合って、日本の味が醸し出されている。これが連綿と続くわが皇室の歴史であり、そこから生まれた日本文化の粋というものなのだろうか。
奉仕に参加すると、宮殿の中にも案内される。日本に住んでいる人たちは、皇居に入ることも、ましてや勤労奉仕の制度があることさえ知らない。私がこの度の旅で会った人に「皇居の掃除に行ってきた」と言うと信じられないという顔をする。ある人など、それは戦後少しの間はあったかもしれないが、今は「死語」となっている言葉であるという程である。が、知っている人も、日本全国には沢山いるようで、大都会など先進地域では知られていなくても、田舎に行けば天皇陛下ご一家を敬慕する人も多くいて「勤労奉仕」を今の言葉として知っておられるという。一般の方が正月に皇居に参賀にいったり、皇居の参観に出かけられることも多いらしい。皇居東御苑などは、一般の参観に開放されているし、無論入園料など不要である。配られた参観案内書などみると、皇居の一部には入ることができる。
我々は奉仕団である。天皇皇后両陛下が、態々「お会釈」という行事に出て来られ、奉仕団のみなさんにお声を掛けて下さる。係りの人たちも、天皇陛下の気持ちになって、できる限りの親切を奉仕団に与え、奉仕団に感謝の意を示される。従って皇居内の案内も微に入り細に至り、懇切丁寧である。
勲章をもらったり歌会をしたり、或いは外交官や政治家の出入りする公式の場所には案内して頂けないが、お庭の隅々まで自由に歩き回れ、また天皇皇后さまの田植えされる田んぼや養蚕用の桑畑にまで入り込める。また盆栽がずらりと並んでいる盆栽庭園の草むしりまでさせてもらえるから大したものである。奉仕団というのは「名前」だけで、その実は「皇居観光団」に近いものと感じたのは私だけであろうか。
(第一部終わり)


コメント集
和田:富田さん 逸早く徳力レポートのBLOGへの掲載ご苦労さまです。
昨日は、5時起きで日帰りでサンパウロに出張し11時から夕刻6時まで7時間ANIANBIの大展示会場を見て回り夜中の12時前に我が家に辿り着きましたが疲れておりそのまま寝てしまいました。もともと工場訪問は好きでなく(椅子がない)展示会参加も立ち詰めで好きでないのですが仕事となれば仕方がないですね。昨日の歩数は、疲れた割に少なく15457歩でした。
BLOG更新もどうなるかと思ってましたが富田さんの記事をトラックバックさせて貰い連続更新に役立ちました。ホームページにも富田版をそのまま使わせて貰うことにしましたのご了承下さい。3部作になるとの事、宜しくお願いします。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/32903967.html

富田:和田さん、私は暇人ですから、時間だけは沢山もっています。
お役に立てて光栄です。
徳力レポート、良いですね。多くの人に読んでもらいたい
ものです。それにしても和田さんはタフですね、頭が下がります。
お体を大切に!

山本:富田さん 徳力さん  徳力さんから送られてきた「皇居の奉仕」レポートは、私のメールでは添付を開いて見られませんでしたが、富田さんから三部構成のうち、まず第一部が送られたものを読んで、好く纏まった大事な内容ですね。
富田さんがお手数を掛けて三部までの続編とし公開して下さるなら、個人的に私が三鷹のSNSネット会員の皆さん方にも社会勉強のつもりで紹介したいと考えています。
なおFaceebookからも見られますが、友達の範囲しか見られませんので、多摩地域の多くのネット会員に、ブラジルの日本人と本国の日本人とで、ボランティア的奉仕活動の仕方について、富田さんの原文が参考となれば、そのまま紹介したいと思っています。

富田:山本さん、どうぞお使いください。徳力さんもOKだと、思いますよ。

徳力:山本さま 私がうまくe-mailを使いこなせないばっかりにご迷惑かけております。
写真の取り込みこみうまく出来ず、富田さんと和田さんに写真ないのか問われてから、あわてて取り込んでいるような次第です。
富田さんの写真入りで3部に分けて読みやすくなっているのは流石です。
読みやすくてきれいな方をどうぞお使いになってください。

山本:徳力さん  ブラジルから来日したメンバーたちの素晴らしい「皇居の勤労奉仕」レポートと、歓迎オフ会に関する模様は、富田さんが纏めましたレポートを元に拝借して、私がネット登録しています「みたか地域SNSポキネットwww.mitaka-sns.jp/modules/d/diary_view.phtml?id=334180&o=&l=30">vhttp://www.mitaka-sns.jp/modules/d/diary_view.phtml?id=334180&o=&l=30 と「多摩地域のブログ」並び「Faceebook」へ平行して紹介しました。
反応は多摩地域のブログではアクセスカウンタから、個々に見たのか見ないのかの数字でわかります。

オランダ香織:70歳以上のかたにお知らせです。
www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=78013&cx_thumbnail=06&from=yolsp">http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=78013&cx_thumbnail=06&from=yolsp 「ニューエルダーシチズン大賞」募集始まるそうです。
こちらのMLには、老後など関係なく前向きでご活躍されている方ばかりのようです。
自他推薦で優勝してください。

砂古:徳力さま、 素晴らしい内容の大レポート有難うございました。 感心の余り、無断で徳力さんの旧上司、ヤンマーの元社長、後藤さんに転送しておきました。唯一の同居人、子息のサルビオ君亡き後、ご自分でメールを開いておられるのかどうか存じません・・・・・。転送は入手早々にしましたが、徳力さんへは、この書き込みが遅れ失礼しました。 後藤さんはサルビオ君の分骨のため確か3月末に訪日し4月末に帰国されました。毎月2回絵の会であうのですが、この五月の初回は体調回復のため欠席され、この土曜日25日には参加確認すみです。後藤さんから返信がないので、 念のためレポートをコピーして持参の予定です。

徳力:砂古さま ご無沙汰いたしております。
後藤社長に私のレポートお送り頂いたこと感謝申し上げます。
サビオさんとは不思議な縁で、マットグロッソの大農園時代一緒しました。
後藤社長には長らく可愛がっていただきました。今はなき奥様がサビオさんやリリアンさんを連れ、サンパウロより2100kmも離れた農場まで来てくださったこと夢の如き現実でした。72000haの農園を自由に切り回す、正に私の夢の実現の中で起こった現実です。1975年に始まった農園つくり、奥様が来てくださったのは、私の家族が農園に移った直後ですから、1977年のこと、36年も前のことになります。
月日の流るるのはやいものです。お会いの節にはよろしくお伝えください。ありがとうございます。

砂古:徳力様 ヤンマーディーゼル元社長の後藤さんは、メールアドレス持っておられれますが、サルビオ君亡き後、今ではお母さん似の眼パッチリのリりアンさん来訪てないとメール開きはないように見受けます。
で、富田さん編集の2部の徳力さんご夫妻の写真がすごく良いので、それに皇居の鳥瞰、写真もあって、この土曜日再会に備えて、これもコピーしました。
2000キロ以上のMato Grossoの大農場とは聞いただけでも胸が躍りますね。後藤さんの子息サルビオ君、36年前とは彼が10代後半で大学は農科を志していたと記憶にあるので健康状態は上々だった頃と推察します。徳力夫妻も大地の生活に最高の充実感を持っての毎日だったのは想像に難くありません。サンパウロからわずか100キロの東山農場で、50−60年程前の社員時代に一泊しての早朝の空気ですらサンパウロでは味あえない素晴らしいものがありましたから。
ちなみに、サルビオ君は小生の長男がアクリマソンの小学校でも同級でした。私のソグロも大学で後藤さんの先輩だった関係もあり、我々も比較的親しくしていました。今は絵の会の後でウイスキーのお相手を私が勤めておりますので家内が僕の送迎運転に出這入りします。 飲酒運転取り締まり強化の Lei Seca のため遠路をタクシーに切り替えられる事になっておりましたのは最後の3月の訪日前の話です。
後藤さんの酒豪はご存じのとおりですが、昔は南米銀行の橘さんが主宰した、丸木さんの親友の故森田さんも会員だった大和会では、80歳以上が過半の中で酒がいくら廻ろうと後藤さんが一番筋が通った話をされ参考になり尊敬すると、最若年参加の息子の言です。

和田:富田さん  徳力レポートを『私たちの40年!!』の寄稿集にも収録して置く事にしました。今回は、富田さんのBLOGをそのまま使わせて貰いリード部分も含めておんぶにだっこで掲載させて貰う事にしました。
3回に分けておられるので字数に余分があるのでコメント集として皆さんの書き込みも一緒に収録しております。第1部は、下記URLでご覧頂けます。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1670




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