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富田 礼子さんからの画像掲示板への書き込みがありました。(続編2)
前回、掲題で続編まで寄稿集に掲載しましたがその後小山さんの当時の邦字紙に掲載された記事の転送、山添さんから当時の関係者(船で一緒に勤務されたいた仲間の方)等の証言も含めた詳しい話がメーリングリストに寄せられていますので(続編2)として掲載して置きます。新しい事実として礼子さん達のお母さんの敏子さんは、必死の捜索の結果無事見付かり死化粧をして貰い棺に入れられて最寄りのレシフェに港に下ろされその後、遺骨が日本に送られ栃木に葬られている事、お父さんの昭一さんは、トメアスのお墓に納まっている事が判明しており礼子姉妹が是非遺骨を日本に持ち帰りお母さんのお墓に納めて上げたいとのことで来伯を予定しておられる。
写真は、礼子さんより送って頂いた第2トメアス移住地で撮られた昭和40年7月のご家族の写真で7ヶ月の礼子さんがお母さんに抱かれています。お兄さんの裕夫さんが3歳だったそうです。


ML5220 2007年8月4日
富田 礼子さんからの画像掲示板への書き込みがありました。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1100
元日本学生海外移住連盟の派遣生としてブラジルで研修をされ卒業後三井大阪商船の移住船でスチュワーデスとして何度か移住船に乗っておられた山添洋子さんの思い出話しとして幼い3人の子供達を船に残して移住船の船上から身を投げられたお母さまの話しを伺っていましたがその残された幼子当時2歳だった礼子さんからの書き込みが画像掲示板にありました。ほんとに驚きの出来事でした。メーリングリストへの書き込みを中心にその記録を残して置きたいと思います。妹さんの当時9ヶ月だった美代恵さんもお元気だとの事で本当に嬉しいです。
『私たちの40年!!』HP、画像掲示板、メーリングリスト、blog等を過去5年間に渡り管理運営してきましたがこの富田さんからの書き込みが一番嬉しい出来事にように思います。今後の成り行きを見守りたいと思います。
写真は、山添さんの大事なアルバムに残っていた写真の一枚です。

ML5226 2007年8月4日
富田 礼子さんからの画像掲示板への書き込みがありました。(続編)
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1101
『私たちの40年!!』のHPは、使用しているソフトの関係上寄稿集は、1万語迄となっており続編として記述を続ける事にします。富田さんの『私たちの40年!!』の画像掲示板への書き込みから始まり富田さん兄弟の船内での面倒を見られた山添さんの40年前の船上の思い出は、記憶が薄れて風化しつつあるとは云え富田兄弟に取っては是非とも知りたかった母親の最後の様子、貴重な写真も見付かり喜んでおられるのではないかと思います。まだスペースが残っていますので関連書き込みがあれば追加していきたいと思います。
富田さんからトメアスのピメンタ畑で撮られたご両親との写真も送って頂けるとのことですのでいずれご紹介させて貰いたいと思いますが、山添さんが送って下さったポンデアスーカルに富田兄妹を気晴らしに連れ出した時のカラー写真をお借りしました。

ML5051 2007年8月9日
昨夜遅くサンパウロにお住みの同船者小山 徳さんから下記DMメールを受け取りました。富田さんのプライバシーを考慮してDMとなっていますが、富田さんの件は、御本人のご意志もあり少なくともこのMLの皆さんとは情報を共有したいとの事ですので皆さんにもご紹介します。
富田さん達の事は当時の邦字新聞でも色々取り上げられていたようです。小山さんが収集されている古い当時の新聞のスクラップ等からより詳しい富田さん達の様子が分かれば嬉しいですね。2週間程で纏めて下さるとのこと。楽しみにしています。
富田さん
和田さん
和田さん ご無沙汰しています。
富田さんとははじめての交信になりますが、和田さんと同じ船でブラジルに渡ってきた小山です。
ホームページ「私たちの40年」上で、今回の富田さんと山添さんが別々に投稿された寄稿文をひとつの物語にとりもった「私たちの40年」!!! 和田さんの執念を思い知らされました。
思いがけないめぐり合わせでしたね!。

ところで私は数年前に南米産業開発青年隊の新聞記事を集めていましたが、デジカメで撮ったブラジル側の引き受け機関「農拓協」の関連記事の画面の一部に富田さん達の事が載っていましたので最後に添付して置きますが、私が集めたスクラップ集の中に貴女方の記事が有ったという事も思いがけないめぐり合わせかと思います。
記事はAさん、Bさんの対談風に書かれています。
もし富田さんが希望されるなら当時の貴女方に関する邦字紙記事を集めメールに添付して送れると思います。
尚、資料集めには2週間ほどかかると思いますのでよかったら連絡ください。
そのときは富田さんに直接送りますので「私たちの40年」等に公表するか否かは貴女の方で判断してください。
尚、資料集めには2週間ほどかかると思いますのでよかったら連絡ください。
Hanachanのアドレスは携帯用ではないかと思い、添付画像があるので敢えてこちらのアドレスを使わせて
いただきました。
ではまた。 小山

ML5275 2007年8月11日
富田さんからのご返事が届いています。
こんにちは和田様、初めまして小山様、そして皆様。返事が遅くなり申し訳ありませんでした、和田様のホームページ「私たちの40年」に偶然にアクセスしたお陰で本当に色々と両親のことを知る手掛かりができましたことは人生最大の喜びです、小山様の親切なお計らいに感謝をしております、当時の私達のことが報知新聞の農拓協に載っていたことについてすごいと思いました、小山様できれば是非その報知新聞の記事をメールに添付してパソコンの方に送って下されば有り難いですパソコンの方から直接和田様のホームページにアクセスをすればすぐにでも和田様の目にとまるのでしょうが携帯からだとやはり時間がかかってしまうのであるならば極力、パソコンで次回からは返事を出させて頂きます、小山様有難うございます。

画像掲示板2774 8月18日
こんにちは。
大分遅くなってしまいましたが
お待たせしました!
お約束の写真をUPします。
小山様、新聞の記事等色々ありがとうございました

画像掲示板2675/2776/2777 8月18日
写真貼付 1,2,3.

画像掲示板2779/2780 8月18日
和田様大変遅くなりました 三枚の写真を送らせてもらいました・・・小山様からも新聞記事を配信してもらいました。またピメンタの画像も有難うございました 赤い実でしたね。 毎日、携帯の方に変換されてくる
ごめんなさい和田さま
途中で送信してしまいました 最近携帯の方に送信されてくる会員の皆様のメールを楽しく拝見してます 是非小山様にも宜しくお伝えください ではまた。富田

ML5387 2007年8月29日
和田様 富田礼子様

ご無沙汰しました。
その後礼子さんは20年ぶりにお兄さんと妹さんと3人でお会いになられたようで良かったですね。

この前のお話しの続きです。
富田さんのお母さんがベレンから乗船された翌日の午後、船尾から身を投げられ、必死の捜索が始まりました。
船は急ブレーキをかけて止めるというわけにはいかないのでぐるっとひと回りして元の位置に戻ってきます。
しかし、大海の中で、1枚の木の葉を見つけるようなものでなかなか見つけられるものではないそうです。
幸い、飛び込まれたとき、近くにいた人が「これにつかまれ!」とばかりにブイ(浮き輪)を海に投げ込まれましたのでそれがよい目印になったそうです。
デッキの高さはビルの5,6階ぐらいにはなりますので高飛び込みの選手でもないと、とても浮き輪に捕まって泳げる状態ではないのですが・・・。

船が元の位置に戻ってきてからは、「船上から見ているぐらいではとても無理」、と救命ボートを下ろし、1等航海士、2等航海士、3等航海士
そして機関士などが数名乗り込んで捜索に当たりました。
本船のブリッジには船長と4等航海士が残って、双眼鏡で探していました。
その時商船大を出たばかりだった4等航海士に、この度電話したところ「あの時は双眼鏡を当てている目も、持つ手も痛くなってしまったがそれでも必死に見ていた。段々夕方になってきて、“日が暮れるともうダメだ”
と思っていた頃に、幸いにも見つかった」とのこと。
多分、2,3時間かそれ以上かかったでしょう。
「見つかって良かった!」と、みんなが思いました。

その間、私たち二人のスチュワデスは礼子さんや美代恵さんをだっこしていましたが、泣いてばかりでこちらも泣きそうでした。
お兄さんはこの時5歳でしたね。他の二人と違って、ある程度ことが分かるだけに大変なショックだったと思います。
ショックで言葉が出なくなることがあるのですね。
これから1週間ぐらい、彼は全く話さなかったので周りの者は皆「この子は言葉がしゃべれない子」かと思っていました。

その夜はどこにあったのか急に作ったのか棺が用意され、祭壇が作られてお通夜をしました。
私の相棒のスチュワデスの、この時の思い出は「看護婦さんってすごいなあと思ったわ、なぜってご遺体にきれいにお化粧をしてあげてた」と、先日の電話で話してくれました。そう、私たちまだ22,3歳の若者にとって人の死に出合うのは初めてで、ほんとに恐い気持ちで捜索中にあなた方の部屋へ着替えやおもちゃをとりに入るのさえも恐る恐るだったことを覚えています。
看護婦さん二人はベテランの方でした。
お母さんはきれいなお顔で旅立たれました。

そして船は、同じ日に心臓発作で亡くなったアルゼンチンの人とお二人のご遺体をおろすため急遽レシフェ港に向かいました。(2,3日かかる?)レシフェ港は本船が接岸できなくて沖に停泊し、また、船からボートをおろし、それに乗せて運びました。
(記憶が薄れてお二人ともレシフェでおろしたかどうかちょっと?ですが、アルゼンチンの人は確かにそこから飛行機で国へ運ぶと聞いていました。
富田さんはどうされたか覚えがありません。礼子さんは聞いておられますか?)

それからお子さん達は徐々に落ちついて行かれました。
リオに着いたときはあの写真のように観光にお連れしました。
その後の和田さんのメールによる新聞記事などでブラジルの皆さんがずいぶん温かいお気持ちを寄せられたようですね。
船内でも、お母さんが亡くなられてあまり時を置かず、子ども達を養子にしたいというアメリカ人?からの申し出があったりしましたが日本のご親戚へお連れすることになりました。結局こうしてロサンゼルスまで船で、そこからは飛行機で帰られたのですね。

あやふやな記憶ですがこんな事を思い出して書かせていただきました。
上述の、スチュワデスや4等航海士、機関士と私の4人は皆新人で良い仲間でしたので、この度、久しぶりに連絡を取り、富田さんとこのような出会いがあったことを話しますとみんなが「良かった!あの子ども達がどうされたか、気になっていた。まさか巡り会えるとは・・・」とビックリしていました。
あなた方のお幸せを願っていることを伝えてくださいとのことです。
山添洋子

ML5389 2007年8月29日
山添 さん 富田 さん
山添さんの当時の状況を伝えるお話、感動しましたが、御本人の富田さん達に取っても当時の様子を伝える貴重な情報として大変喜ばれた事でしょう。何時間も望遠鏡を手が痛く成るまで握り締めて水面を探しておられた4等航海士の方の話と知らなかったのですが呉れてくる広い海の中から見付け出されたのですね。良かったと安堵しました。
山添さんのお話の続きも寄稿集に掲載して置きます。
有り難う御座いました。

ML5399 2007年8月31日
富田礼子さんから下記メールが届いています。
わたし達の40年のblogに本当にご丁寧に私達のメッセージを纏めて下さって有り難うございます 小山様からも新聞記事を本当に沢山送って貰いブラジルでの母を亡くしてからの様子や幼かった私達の写真も拝見することができました遠い国ブラジルから温かい気持ちを寄せて下さったご好意に心から感謝いたします 丸木様もメッセージ有り難うございました、 お礼が遅れて大変申し訳ありませんでした 富田

ML5400 2007年8月31日
富田 礼子さん達3兄弟のお父上である富田 昭一さんのお墓がトメアスー移住地にあることが分かったとのことです。山添さんのお便りにあるようにお母様の敏子さんは、移住船の懸命な救助作業で数時間後に暗く成る前に無事見付けられたとのことで船で用意してくれた棺に納められてレシフェーの港で下船されたとの事ですが、レシフェのお墓に埋葬されているのでしょうか?それともトメアスーまで運ばれたのでしょうか?その後を知りたいですね。礼子さんがブラジルにお墓参りに来られる時には、是非ともお母様のお墓にもお参りしたいですね。富田 礼子さんのお便りを下記して置きます。
和田様
こんにちは、今日は少し嬉しいお話をしたくてメールしました。昨夜は妹から電話が入り私のお父さんのお墓がトメアス北部の市営墓地にあったそうです、何と言う偶然でしょうか、嬉しさの余り涙が止まりませんでした。父の従兄弟で室井ヒロシさんと言う方が現在もサンパウロに住んでいて元気にしていらっしゃるそうです色々な奇跡が奇跡を呼んだのだなと思いました。父のお墓に今すぐにでも飛んで行って抱きつきたい心境です、父のお墓が存在したことがわかり本当にできれば今すぐにでもブラジルに飛んで行きたい心境です 和田様にも是非会ってお話しができたら最高だとなと思います 実は妹が立正佼成会に入っていましてそちらのブラジル教会とも縁を結ばさせてもらっています そのご縁の繋がりで今回、偶然にも父のお墓の所在と父の従兄弟の室井ヒロシさんの存在が確認できましたここ一連の出来事を辿ってみますと何か目に見えない不思議な力があるような気がして仕方ありません 和田様また遠くない未来にもしかしたらブラジルにいけるかな〜と目標ができたような気がします その時はどうぞ道案内を宜しくお願いしたいと思います また山添さまにも母のことを詳しくメールにて送って頂きました感謝感謝です。
富田礼子

ML5401 2007年9月1日
和田様
お忙しい中 私のメッセージに素早く対応してくださり有り難く存じます。
ブラジルに静かに眠る父のお墓に早く会いに行ってあげたいと思います。 それと妹が兄に聞いて知った事実では母の遺骨は何年か前に兄と祖父とで母の遺骨だと確認をしてから栃木の母の墓に入骨をなさったそうです、私も初めて知った訳ですがどのような経過を経て日本に母の遺骨が届いたのか今はわかりませんが何しろ栃木の母の墓にあるのだと聞いてびっくりしました。後は父の遺骨を日本に持ってきてあげたいと誓いました。絶対にブラジルにどんなことがあってもお婆ちゃんになっても行きます(^_^)宜しくお願いします、本当にに感謝いたします。 富田礼子

ML5403 2007年9月1日
富田 礼子 さま
お母様のお墓はブラジルから届いたお骨を納め栃木にあるのですね。
トメアスーにあるお父様のお骨を分骨してお母様のお墓に一所に入れて上げると良い
ですね。ブラジルに来られる大きな目的が出来て実現が一歩進みましたね。出来るだ
け早く実現すると良いですね。

ML5404 2007年9月1日
和田さま 山添さま 『私たちの40年』の皆様 ご無沙汰して おります。
富田礼子の妹 麻柄 美代恵です。
いつも 和田さまの HPを興味深く拝見させて頂いています。
又 山添さんには 亡き母の事を昨日の事のように 本当に 事細かく 教えて下さり 感謝しております。姉も私も 本来ならば 到底知り得る事が出来ない事実を 40年前の お仲間にコンタクトをとり 奔走してくれた のですね。
母は 一人 淋しく 逝ったという 想いがありましたが あれだけ沢山の人々に携わって頂いていたのですね‥
姉のメールには 某団体の名称が出ましたが このHPに 持ち込むつもりは ありませんのでご安心下さい。

ご存知だと思いますが亡き父の お墓の場所が特定出来ました。 トメヤス文化協会の 大貫会長さんという方からご連絡が入ったそうです。 トメヤスから約30キロ離れた市営墓地に 眠っているそうです。
母の従兄弟に当たる 室井洋さんも現在 トメヤス在住と いう情報も頂きました。
1986年に ブラジル渡米 20周年記念として一時 帰国したと聞いた事がありました。
ブラジルで大成なされておられると 聞いた事もあります。
来年はブラジル移民 100周年だそうですね。 多くの犠牲と苦難も あったと思います。亡き両親、亡き移住者 全ての方々に 慰霊供養という想いを込め、姉と一緒に ブラジルに行けたらと 願っています。
姉の お陰様で 私も このHPに ご縁が持て た事に ただ ただ 感謝です。

今年は 酷暑でしたが ここの所 大分 涼しくなり 自宅の側では 夜になると 虫の鳴き声が 心地良く響いています
季節の移り変わりの 有り難さ 不思議さを 感じて いる今日この頃です。

追伸
和田さまのブログは、視野を広げてくれ ブラジル文化を 日本にいながら堪能させて頂けます。
これからも お体を自愛なされながら ご活躍下さい。
和田さま、山添さま
この場をお借りして 今一度 厚く御礼申し上げます有り難うございました。

ML5408 2007年9月2日
麻柄 美代恵 さま
お便り有り難う御座います。
前回掲載分以後のメーリング・リスト及び画像掲示板の関連書き込みを(続編2)として下記の通り寄稿集に掲載しましたのでお知らせします。

富田 礼子さんからの画像掲示板への書き込みがありました。(続編2)
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1130

前回、掲題で続編まで寄稿集に掲載しましたがその後小山さんの当時の邦字紙に掲載された記事の転送、山添さんから当時の関係者(船で一緒に勤務されたいた仲間の方)等の証言も含めた詳しい話がメーリングリストに寄せられていますので(続編2)として掲載して置きます。新しい事実として礼子さん達のお母さんの敏子さんは、必死の捜索の結果無事見付かり死化粧をして貰い棺に入れられて最寄りのレシフェに港に下ろされその後、遺骨が日本に送られ栃木に葬られている事、お父さんの昭一さんは、トメアスのお墓に納まっている事が判明しており礼子姉妹が是非遺骨を日本に持ち帰りお母さんのお墓に納めて上げたいとのことで来伯を予定しておられる。
写真は、礼子さんより送って頂いた第2トメアス移住地で撮られた昭和40年7月のご家族の写真で7ヶ月の礼子さんがお母さんに抱かれています。お兄さんの裕夫さんが3歳だったそうです。



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