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学移連創立50周年式典関係BLOG(写真)及びコメント編
ブラジルの邦字紙サンパウロ新聞、ニッケイ新聞(ブラジル新聞メルマガ版)の記事を中心にまとめた前篇に続き式典で撮った写真等を簡単な説明を付けてBLOGに紹介しておりますが、それに付いてのコメント等と共に寄稿集に収録して置きたいと思います。式典に参加されていた全員の方を取材、収録すれば良かったのですが、普段親しい方の写真を殆ど撮っていないことに気が付き驚いていますが、私の個人的な選択で偏ったものになってしまいましたが、式典の一部を記録に残せることになったのは幸いです。
沢山ある写真のどれを使用しようかと迷いましたが、各写真はBLOGで見て頂くことにして矢張り式典に参加していた早稲田の4人組を使用させて貰うことにしました。


学移連50周年ブラジル訪問団(記念式典・「北辰斜めにさすところ」上映)
11月5日(水)サンパウロで学移連50周年ブラジル訪問団(吉永正義団長)の日本、アメリカ、エクアドル、パラグアイ、アルゼンチンの関係者が集まりました。懐かしい仲間が集まり楽しい一時を過ごしました。邦字紙の報道等に合わせ関係写真を貼りつけたいと思いますが、今晩は、皆で撮った記念写真を公開して置きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/36871473.html

上記の記念集合写真は、普段私が使っていないCanonのEOSで堀江記者に撮って頂いたものです。オリジナルはそれぞれ3メガ近くあるのを縮小して掲載しています。
転載許可に設定していますので御自分が一番良く撮れている写真を自由に取り込んで頂いて結構です。
堀江さん有難うございました。

お知らせ2
集合記念写真を拡大プリントご希望の方にはオリジナルの3メガ近い写真をDMで送りますので送り先メールアドレスをお知らせください。

ここに逞しき『ハポネス』あり(8) サンパウロ新聞WEB版より
下記ニュースを『私たちの40年!!』MLに11月3日に流しましたがニュースの主人公であるエクアドールの井上順八さんその人が学移連50周年記念式典に来たおられました。『学移連』と云う特注銘柄の日本酒(少し甘口)で乾杯する時の音頭を取られた井上さんの写真と共に掲載しておきます。

サンパウロ新聞、福岡支局長の吉永拓哉記者は、今回2冊目の本出版の為に若い頃に歩いたエクアドル、ぺル他を再訪しているとのことで立ち寄った各地で取材し足を使って【ここに逞しき『ハポネス』あり】を連載しており皆さんに紹介しておりますが、東京の拓大OB会の事務局長をしておられる井川 實さんを通じてOFF会参加者に配られたエクアドルのタグア(象牙椰子)のストラップを記念に頂いたのを覚えておられる方も多いと思いますが、その提供者が今回紹介さえている井上順八さんです。遅まきながらお礼を述べさせて頂きます。昨年のあるぜんちな丸45周年記念式典でもこのタグアのストラップを記念配布させて頂いています。
11月5日に今は無くなってしまった日本学生移住連盟の創立50周年記念式典がサンパウロで開催されますが、日本から今回で30回目の来伯となる吉永正義団長は、拓哉君の御尊父、初めて奥さんを同行とのことで吉永一家がサンパウロに揃います。お会いできるのを楽しみにしています。

ここに逞しき『ハポネス』あり(8) サンパウロ新聞WEB版より
時代遅れの漁法に「活」 福祉事業も手掛ける井上順八さん
 マグロの水揚げ港として東太平洋最大の規模を誇るマンタ市に日本人の『顔役』がいる。南米各地に散在する拓殖大学OBのひとり井上順八さん(七〇、川崎市出身)がその人だ。
 かつての「拓大生」といえばバンカラ学生で知られたが、井上さんはその先入観を覆すようなインテリ的な風格を漂わせていた。
 マンタ一の高級リゾート・ホテル『オーロベルデ』の最上階が井上さんの住居で、テラスからはエメラルドグリーンの太平洋が一面に広がり、無数の漁船が停泊するマンタの港が見渡せた。
 年間に二十万トンのマグロを水揚げする現在のマンタ市は、エクアドル国内でも急速に発展している町のひとつだが、その陰では井上さんによる功績も大きい。
 拓大卒業後の六一年から四年間、キトの国立中央大学に留学した経験がある井上さんは、七九年にマンタ市の水産会社から呼び寄せられ、妻と子供二人を連れてエクアドルへと渡った。「四十二歳厄年での一大決心だった」と当時を語る。
 同市へ来た当初は、地元漁師たちの漁法知識の乏しさに驚かされた。「連中(地元漁師)はマグロを釣ると、船上に放置したまま港まで運んでいたので、どのマグロも鮮度が悪かった」という。
 そこで井上さんは日本の船員を招いて延縄漁法を取り入れ、漁師たちに釣ったマグロの血抜きと、背骨にある神経を取り除くことを教えた。さらに、氷入りの木箱にマグロを入れて鮮度を保つことも指導した。
 このようにして保存状態のよいマグロを水揚げした漁師から、通常よりも高値で買い取ってあげたため、漁師の生活も向上していった。
 井上さんが勤めた水産会社は労働争議により解散してしまうが、自身はこれを機に独立。冷凍技術を普及させ、鮮度の良いマグロを米国や日本などへ輸出した。「東京築地の寿司屋でもエクアドルで水揚げされたマグロが握られるようになった」という。
 マンタの水産業を伸ばすことに成功した後は、「無理をせずにこの町の貧しい人を支援したい」とNPO法人プロアルテ財団を設立し、ボランティア事業にも力を入れている。
 同市にある市営孤児院は、井上さんが〇一年に日本政府からの草の根援助の取得に尽力し、実現させたもので、今では三百人の子供が院生活をしているほか、障害者のリハビリ施設などが建物の中に設けてある。
 また、ロータリークラブや日本マンタの会ら有志とともに、市内の貧困地域にサンホセ託児所を建てた。ここでは、両親が共働きをする貧しい家庭の子供に教育を施し、地域の住民には昼食を提供している。
 そのほか託児所の二階で、貧困家庭の主婦にエクアドルの名産品である象牙椰子(タグア)のアクセサリーの組み立て方や、パナマ帽の編み方など職業訓練も実施する。 現在の井上さんはマグロの貿易業から身を引いたものの、中華料理の素材であるフカヒレ、フィッシュ・モウの輸出を手がけ、「戦後廃れてしまったエクアドルの伝統手工芸品を再び世界へ」と、タグアボタンやパナマ帽の生産輸出に情熱を注いでいる。
 「原住民は熱帯雨林を伐り、木材を売って暮らしていたので、私らが原住民から森に自生するタグアの実を買い取るようにしたんです。収入さえ得れば原住民も森林を伐らなくなるから」と、環境改善とビジネスを両立させ、町の雇用者を増やすことにも貢献する井上さん。
 まさにマンタの『顔役』として市民から敬愛される日本人がそこにいた。

和田君
菅間です。1961年7月神谷君と一緒に横浜から川崎汽船の貨客船照川丸という船でコロンビアに向かった時同船していた井上さんの顔を拝見して驚いています。我々はブエナベンツラで下船しましたが、井上さんともう一人拓大の方がエクアドルに向かいました。
井上さんへの連絡方法を教えてもらえませんか。
一度連絡を取ってみたいのです。
菅間
神谷君 同じ船に乗っていた人は確か井上さんでしたね。

菅間 さん
1961年(47年前)の同船者のニュースと写真を見られたとのことさぞや懐かしいでしょうね。私も学移連50年祭で団長で来られた吉永さんにトメアスー以来45年振りにお会いしました。
井上さんの写真は撮らせて頂いたのですが、名刺を頂きませんでしたのでメールアドレスが分かりませんが、拓大のOB会の井川さんがこのMLのメンバーですので井上さん宛ての連絡を中継して呉れると思いますよ。
井川さん 井上さんのメールアドレスが分かれば教えて下さい。

和田さん
いや本当に懐かしいです。何しろコロンビアにつく迄35日の長きに渡って寝食を共にしたのですからね。
その船のパーサーをやっていた人と数年前にあったこともあります。
神谷君にも報せたところ彼も驚いていました。
菅間

和田さま
学移連50周年式典のニュースと写真拝受しました。その場の雰囲気が手に取るように感じられます。ありがとうございました。
拓大井上先輩のメールアドレスですが、ご本人のOKを取らずにお教えするわけにはいきませんので、この菅間さんおよび和田さんからのメールを井上先輩へ転送し、直接菅間さんへ連絡してくださるようお願いしました。ご了承ください。
和田さんの超人的なご活躍、いつも呆然として拝見しております。「人にして人にあらざる人」というイメージですな。これからも御期待申し上げております。
よろしくお願いします。


涼恵コンサート in Brasil (文協大講堂)
11月5日学移連50周年記念映画会【北辰斜めにさす】上映の後、涼恵さんのコンサートが行われました。映画を見た後そのまま帰る方もいましたが殆どの皆さんが恵さんのコンサートを楽しんでおられました。恵さんは昭和53年1月にサンパウロで生まれたそうで新渡戸稲造さんの曾孫に当たるそうです。
コンサートで歌われた曲は、この道、涙そうろう、故郷の名作3曲にご自分で作詞、作曲したオリジナルのさくら道、豊葦原の瑞穂の国、水の惑星の3曲を加えた6曲を披露されました。
作詞、作曲を手掛ける一方、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの洋楽器に和太鼓、箏、龍笛、神楽鈴といった邦楽の楽器を取り入れた独自の音楽世界を創造し、各方面から高い評価を得る。(配布パンフから)

夜の50周年式典にもご尊父と参加されておられ花を添えていました。写真を撮らせて貰っていたら「一緒にどうだと撮ってやるぞ」と言って呉れる仲間がいて記念写真を撮って貰いました。涼恵さんが有名になれば貴重な写真になるのではないでしょうかね?
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/36932110.html


学移連50周年祭の早稲田4人組の記念写真
第十期の委員長だった武藤嵩さん(70、早稲田大)は、六六年にアルゼンチンに。その後、パラグアイに再移住、現在は、首都アスンシオンで自動車部品を扱う会社を経営する。(ニッケイ新聞記述)
早稲田関係は、以前単独で早稲田の海外移住研究会の一行16名が来伯しており今回の訪問団には参加者ゼロで寂しい思いをしたが、上述のパラグアイから参加した武藤 嵩さん、先輩の村井 修さん、谷 広海さんに私の4人が現地で参加した。早稲田4人だけの記念写真を貼り付けて置きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/36933027.html

富田真三さんからのコメントです。
和田さん、貴君の写真で移住研の村井君の元気な顔を30年振りくらいで見ることが出来ました。村井君は学生時代とほとんど変わらず、若々しくてMe dio mucho gusuto 是非会いたいものですね。
彼とのエピソードを一つ紹介します。あれは1957年ごろ、ブラジル二世の田村連邦議員が早稲田を訪問された時のことです。田村氏に学生からポルトガル語であいさつさせたい、と言う当時の大浜信泉総長の意を酌んで村井、後藤薫(ブラジル在住)と小生が総長室で、議員にポルトガル語で挨拶し、「将来、ブラジルに渡りたい」等々と語りあった、のでした。
我々のポルトガル語が通じたのにすっかり喜んだ総長には、「早稲田の人材が豊富なことを示して呉れて有難う」と御ほめの言葉を頂いたのでした。
村井、後藤両君は初志を貫徹して、ブラジルで万丈の気を吐いているのは、立派なものと、メキシコで途中下車した小生は「良い友を持った」と両君を懐かしく思い出しています。

富田 さん
無事テキサス州サンアントニオに戻られたようですね。学移連のセレモニーに参加された方から成田ーヒューストン間で富田さんと同じフライトだったとの方がおられ凄くスリムになり精悍な風貌の富田さんを見かけたとのコメントしてくれた方いました。
富田さんとコンテポラニオの村井さんは、三菱商事をリタアーされ現在サンパウロにお住みです。学生の頃の事を思い出し飛び入りだけどと言いながら参加してくれました。学移連のOB回に当たる大束さんが主宰しておられるメーリングリスト【夢・ベテラン】の名簿にも掲載され今後皆さんとの交流を図っていくとの事でしたが、メールを遣っておられないとの事でアドレスはお持ちでないようです(以前はお嬢さんのアドレスを使用しておられたようですが現在日本との事です)。
村井さんのエピソード懐かしい方の名前が出てきますね。日系初の政治家田村幸重連邦下院議員が早稲田を訪問したのですか。時の総長大浜信泉には【家和して百事なる】との色紙を書いて頂いたものが我が家に今も残っています。後藤さん、富田さん、村井さんが堂々とポルトガル語で将来の希望を田村代議士に伝えたとの事、気負ってポルトガル語を話している若かりし頃の先輩諸兄の姿が目に見えるようです。
今回の学移連50周年式典に出て良かったと思います。菅間先輩が47年前に乗った照川丸の同船者の井上さん川崎さんの消息が分かり年末には同船者会?を日本で行うとのことです。懐古趣味だけでなしに若かりし頃の熱き思いを何らかの形で残して行きたいですね。

拓大OBの「勝ちます踊り」が会場を席巻。
途中、出身大学別に名前が呼ばれると拍手が送られた。余興では、拓大出身者らが、移住する仲間を港で見送るときなどにも披露した名物「勝ちます踊り」が会場を沸かせ、バンカラな校風を象徴する「押忍三唱」で締めくくった。(ニッケイ新聞記述)
吉永団長以下圧倒的な数字を占めたのが拓殖大学で全員で「勝ちます踊り」を披露していたが写真を撮っていた連中がもう少し真ん中に寄って欲しいとの注文も無駄で舞台狭しと踊りまくっていた。「押忍」の掛け声には圧倒される。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/36933307.html

早稲田は谷 広海君のサンバ踊りで対抗?!!
サンバショーでは、来場者がダンサーらとサンバのステップを踏み、会場のあちらこちらで笑顔が弾けていた。(ニッケイ新聞記述)
拓大の「勝ちます踊り」に対抗できるのはブラジルのサンバ踊り位です。サンバのリズムに合わせきれいどころのおねちゃん(サンビスタ)が4人登場し全員参加でカーニバル踊りを楽しみましたが、その中で抜群のパーフォーマンスを披露したのが早稲田の谷 広海君(日本語センター理事長)です。ご機嫌の谷君の写真を貼り付けて置きましょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/36933492.html


サンバの女神達の写真も披露して置きましょう。
ブラジルのこの種式典では必ず登場するのがサンバ踊りを指導するサンビスタたち。まずサンバのリズムを奏でながら4人の楽隊が登場、サンビスタは、紹介を受けて順番に登場します。しばらく4人で踊った後は参加者全員を誘い込み会場狭しと踊り捲る。手を繋いだり前の人の肩に手をかけて練り歩く、二人で作った手のトンネルを順番に潜って行く。参加者全員がサンバの軽快なリズムを楽しみます。
雰囲気だけでも伝えることができるかどうかできるだけ沢山の写真を貼り付けて置きます。参加された皆さんは是非ご自分が映っていないか探して見て下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/36934149.html

45年振りに再会した吉永正義団長。
日本から訪問団(三十八人)の団長を務める吉永正義さん(68、拓大)はあいさつで、開催に携わった関係者に感謝の言葉を述べ、「日本に残った人、ブラジルに渡った人も『世界は一つ』という気持ちでこれからやっていきたい」と一致団結を呼びかけた。(ニッケイ新聞記載)
私たちの40年!! メーリングリストに下記書き込みをしていますが、45年振りに吉永団長と再会しました。吉永団長の写真を貼り付けて置きます。
既報の通り11月5日(水)に『学移連』の創立50周年記念式典がサンパウロで開催されることになっていますが、今回の式典に日本から参加される皆さんの団長として来伯される拓殖大学卒の吉永正義さんから今朝ご子息の吉永拓哉(サンパウロ新聞記者)の著作本、関係記事、昔の懐かしい週刊誌の切り抜き等各種資料を集めたEMCの880gの封筒が届きました。
私もTAMのマイレージを使用した切符が取れているので5日の午前中のフライトでサンパウロに飛び午後1時からの記念映写会映画『北辰斜めにさすところ』(神山征二郎監督)の上映会に参加、夜のセレモニーにも参加さする予定です。
吉永さんからの手紙に北伯トメアスー移住地で彼と会った日のことが日記に残っていたとの事で送ってくれましたが、本当に几帳面な記録を残している事に感心しました。下記転載して置きます。
1963年1月16日(水)晴
【新井先輩の農場で和田君も交えてカッサー(狩猟)に行った。原始林の中の水溜りに亀がいたので捕らえたが臭くてしようがなく逃がしてやった。しばらくするとひょろ長いヘビに出くわした。和田君が銃にバラ玉をつめカベッサ(頭)に二発打ち込んだがなかなかくたばらなかった】懐かしいですね。四十五年振りの再会を今から楽しみにしています。ファミリーの皆様の健康とご多幸を祈ります。
全く覚えていない事実で果たして私が散弾銃を2発もぶっ放すことが有り得るか疑問ですが今もヘビは余り好きでない事を考えると当時の吉永さんの日記に記載されているのでだから事実だったのでしょう。若き学生時代の忘れていた出来事に驚いています。
来週の水曜日には、1泊2日で仕事と関係なく映画鑑賞とセレモニー参加の為に一人でサンパウロに出向きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/36949574.html

丸木で〜す
吉永団長いい老け方されてますね。昭和41年の暮、神戸港を出航したブラジル丸船上の僕宛にに激励の電報が届いたのは吉永さんからでした。顧みれば吉永さんはじめ学移連一行の帰朝報告会を拝聴し、カナダに行こうかブラジルに行こうか迷っていた僕にブラジル移住を決断させたのが吉永団長の熱血溢れるスピーチでした。吉永さんが谷さんを壇上に紹介するのに「サンバを習って帰ってきた谷君」と申されたら踊りながら出てきたひょうきん者の谷さん、今もお変わりなくムラータと一緒にご満悦なによりです。文協会長になれなくてもサンバさえ踊れれば、この世は春ですよね。
ブラジルはいいなぁ!雪のちらつくカナダにて・・・


北九州大学の安藤さんと平成生まれの山崎さん他の学生さん達。
母校の北九州大学から、ラテンアメリカ研究会の五人の学生を引率した安藤明さん(62)が日伯国会議員連盟会長でもある麻生太郎総理大臣の祝辞を代読した。
「初めての海外旅行」という北九州大学一年生でラテンアメリカ研究会に所属する山崎涼子さん(19)は、「今の学生にはない団結力。羨ましい気がする」と感慨深げに話していた。(ニッケイ新聞記載文)
麻生太郎総理大臣の祝辞を代読された安藤明さんと北九州大学、ラテンアメリカ研究会の元気な学生さんたちにも近くで話をさせて貰う機会がありましたが、これからは彼ら若い人たちの世界となります。何かを彼らにバトンタッチできれば嬉しいですね。このような機会に参加できた彼らの将来に大いに期待したいです。できれば自分の目で見たブラジルの素顔、ブラジルへの思いを綴って欲しいとお願いしておいたのですが原稿が届くでしょうか?写真は既に撮らせて貰っていますので紹介して置きましょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/36948687.html


世話になった伯国への恩返し株式会社菜の花 元学移連OB社長が共生図る
「年をとれば取るほど、若い頃の情熱が蘇ってくるね」。半数以上は顔見知りという会場を見渡すのは、宮本修さん(65、鹿大)。
 六四年から一年間、南麻州や聖州アンドラジーナ近郊で実習、今回七回目の来伯。山口県山口市経営する食品工場では、多くのブラジル人労働者を雇用している。(ニッケイ新聞記載)
訪伯7回目と云う宮本修さんのことに付いては下記の通り寄稿集に紹介しています。
世話になった伯国への恩返し株式会社菜の花 元学移連OB社長が共生図る サンパウロ新聞WEB版より。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=991

元日本学生海外移住連盟の第5次団員としてブラジルに1年間研修されていた鹿児島大学の宮本 修さんは、現在山口県で弁当製造工場を経営しておられ、その後も盛和塾の塾生としても何度もブラジルに来ておられます。今回サンパウロ新聞福岡支局長の吉永 拓哉記者が宮本さんの紹介記事を書いておられます。若い頃に過ごしたブラジルとの繋がりを生かし50人以上の日系ブラジル人を雇用しておられ日伯交流を実践しておられます。最近は、若い学生を受け入れる制度が日本ブラジル交流協会の研修生制度も頓挫、現在では鹿児島県の研修生受け入れ事業程度しか見あたりません。人生の選択として移住の道が査証問題等で実現出来ないのは残念です。
写真もサンパウロ新聞からお借りしました。
今回は、直接宮本さんともお会いできお話しすることができました。お元気そうで何よりです。
吉永団長が30回目、高原さんが8回目、宮本さんが7回目3人合わせて日本とブラジルを45往復しておられますが、軸足を日本においておられ移住という若い頃の夢を叶えることができず残念ですとブラジル在住組に謝る場面もありましたがどこに住んでいても学移連、移住研の思いは一つを確認しあった。ブラジルからの出稼ぎの皆さんを親身になって世話をして呉れている宮本さんには頭が下がる。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/36953004.html


学移連50周年記念式典の写真
11月5日にサンパウロのニッケイパレスホテルで行われた学移連50周年記念式典で撮らせて頂いた写真の残りを貼り付けて置きます。
学移連のブラジル派遣第1次団で来伯し現在「夢・ヴェテラン」のMLを主宰しておられ団結を図るための名簿作りをしておられる大束員昭さんは開会の挨拶をされました。
愉快な仲間徳力啓三さん、神戸高校の後輩にあたる中井成夫さん、ブラジル日本交流協会の金原正幸さん、ジャーナリストの太田宏人さん、次期群馬県人会長さんの荻原建暁さん、同船者の浅野清子(旧姓谷)さんとご主人の浅野薫さん。記念写真的なもの等を掲載して置きます。一番最後は吉永団長ご夫妻です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/37073301.html


学移連50周年記念式典の写真(最終)
沢山の写真を貼り付けましたが、全体的な雰囲気を掴む意味で各テーブルを遠くから撮った写真とサンバのリズムとサンビスタのおねいさん達に誘われてほぼ100%の参加者が踊りの輪に入りましたがアトランダムにシャッターを押した写真の中に自分の姿を見つけられるのではないかと思いますが、重複するかもしれませんがサイズを落とし掲載して置きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/37073389.html


学移連50周年記念式典の写真(終わりの終わり=最終です)
サイズを落としているのですが1件2メガまですので最終を2回に分けました。ブラジルでは参加者全員参加の楽しい雰囲気と場を作って呉れるのが嬉しいですが、歓迎委員長(学移連ブラジルOB会会長)の日比野 亘さんが総勢8人のサンバ演奏と踊りを披露、皆をサンバの渦に巻き込むエンタテイナーを探して連れて来て呉れたお陰です。日比野さんご苦労さまでした。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/37073447.html

創立50周年迎えた『学移連』 記念式典、映画会で祝う 映画「北辰斜めにさすところ」上映 
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1315
ブラジル日本学生海外移住連盟(学移連)OB会(日比野亘会長)主催による『学移連創立五十周年記念祝賀会』が十一月五日、サンパウロ市内で行われる。この祝賀会には日本、米国、エクアドルなどから関係者約四十人が出席。また、学移連では五十周年と移民百周年をそれぞれ記念し、映画『北辰斜めにさすところ』(神山征二郎監督)の上映会をサンパウロ、マナウス、ベレンの三都市で催す。同映画では、主演の三國連太郎さんがコロニアに宛てたビデオレターを特別公開する。(サンパウロ新聞WEB版より)
11月5日(水)ポルトアレグレからサンパウロに出て学移連の創立50周年記念式典に参加した。『北辰斜めにさすところ』我々の学生時代の早慶戦よりまだ昔の五高と七高の因縁の野球戦を軸に過去と現在が交差する映画。見応えがあった。夜は、ニッケイパレスホテルでの式典に参加、訪伯団の吉永正義団長と45年振りの再開を果たす。関係写真は、BLOGに掲載しますが先ずは全員集合の記念写真です。
 



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