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第18回バーチアル座談会 『新春放談 行く年、来る年 2008/2009!!』を開催します。(その2)
皆さんのご発言によりバーチャル座談会は第3回までは行きそうです。編集が上手く纏まらず皆さんのご発言、書き込みをそのまま順を追って転載しているだけですが、今年はお元気になられた富田さんのメキシコ小話や有名人になったメキシコ国際空港にホームステイしているノハラさんの話題等が入り(その2)が終わってしまいました。ノハラさんの話題は別枠扱いにしても良かったのですが、敢えて2008年年末の話題として残しておくことにしました。も一つ47年前に貨物船≪照川丸≫で南米を目指した菅間さん達の年末同窓会の話題も大きな出来事ですが、これは別建てで寄稿集に収録することにしてバーチャル座談会からは除くことにしました。
写真も色々採用したい画像が届いており選択に苦労していますがこの回は、矢張り私が年末に撮った風車小屋の池にある岩の上の領地を平和裏に分けあっている亀くんと小鳥の写真をイスラエルのガザ地区全面攻撃の戦争状況の早期回避を願って採用することにしました。


桐井:和田さん みなさん こんばんは。
早やアクセスカウント110万超過まことにおめでとうございます。
和田さんのサイトは実に人気があります。もっともっと多くの方に見てもらいたいです。
そこで、「人気サイトランキング」に登録されてはいかがでしょうか。
参考までに、私も下記のように登録しました。
http://ninkirank.misty.ne.jp/10/kame.htm
ここをご覧になると登録の仕方など載っています。
ますますのご活躍を心より祈念申し上げます。

和田:桐井さん 人気サイトランキングへの登録ご紹介有難う御座います。桐井さんのHPは、個人欄で4位にランクされていますね。
『私たちの40年!!』HPは、余りにも範囲が大きく適当な欄が見つかりません。このままで皆さんがGOOGLE、yahoo等で検索して毎日1000件平均アクセスがあるのでこれ以上PRする必要はないように思います。ご親切な申し出有難うございました。

内田:和田さん、まさきさん、あや子さん、丸木さん、ホノルルゆきさん、伊豆山さん、それにお付き合い頂いた方々へ。ありがとうございます。
今年は、ブラジルや日本の各地におられるかたに、色々と勝手な意見を自由に述べることが
出来うれしかったです。和田さんのコーディネーターとしてのすばらしい手腕に感謝します。
百十万回のアクセス達成もむべなるかな、です。ところで、今この、メールが何回目のアクセス
だとどうしてわかるのですか?110万回が22日ということで意識していましたが、知るすべを
もたず間が悪いことでした。
さて、今年。
暑い夏、(日本での、8月、9月です)まさきさんやあや子さん、丸木さん、それに
ホノルルゆきさんそしてその時々にコメントいただいた方々、ご存知、伊豆山さん達と
細香さんの世界を知る事ができました。楽しかったです。
細香とは、月の光のことだとか。
あの後、京都の西、桂離宮が実はお月見をするための山荘でそのように作られている事を
知りました。
満月に遊ぶ大宮人に降り注ぐ細き、月の糸、香りをイメージして、日本人の感性の繊細さ
にふるえるようでした。まさきさんそんな機会をありがとう。
印象にのこるのはまさきさんの解説のなかで、近江の蒲生野に遊ぶ大海人皇子
と額田王に擬した山陽と細香のやりとり。案外、日本人の恋愛は素直なのかな、
ブラジル人にもまけないナと思いました。
日本の女性とはいったいどういう存在なのか、これは、日本が世界のなかでこれから
生き伸びていく上で重要なテーマとなると思います。
丸木さん、樽屋宇兵衛。地元本住吉神社の古文書のなかに、何軒かタルヤとか樽屋とかが
出てきます。それが果たして宇兵衛さんなのかを現在、探索中です。楽しみに。4年ぶりの
住吉霊園、いかがでしたか?
それと、みどりの神戸市電。なつかしい。今、日本は12月できのうから寒くなりましたが、
夏の浜風が開けっ放しの市電の窓から今にも入ってきそうな気がします。
それに、弓のこともおいおいご紹介できるようになりました。母校の学生たちも、まさか、
彼らの活動が私を通して、ブラジルや世界の皆様でご紹介されているとはびっくりするで
しょう。
ちなみに、わたしは今年の目標を1000射する、と決めて稽古に励んできました。今日現在、
1174射できています。一本一本、一射絶命の気持ちで神々と向き合っています。ポルトガル語
でのガイド書、来年は充実して行きたい。
さて、おめでたい話しとしては、やはり、
マナウスの山岸さんが叙勲の栄に浴されましたね。海外で活躍するサムライたちに真摯に
こうべを垂れ、その辛苦、まさに臥薪嘗胆そのものであったはずです。
なお、勲章は日本国の天皇陛下から頂くものです。「2009年秋叙勲」との言い方は節度
あるいいかたではありません。勲章は平成の御世におわす今上陛下からいただくもので
「平成二十年秋叙勲」というべきものだと思います。なぜそういうかをまわりの外国の
人に説明してこそ、日本の文化の端緒、糸口がつかめるというものだと存します。
ああ、そういえば今日は天皇誕生日です。
御宝算のいや増すことを祈りつつ。。。。

和田:内田 さん 今年の出来ごとに丁寧なコメント有難うございます。
この内田さんが書かれたメールは、メリングリス上は9695回目の書き込みとなっておりyahooでほぼ総ての9695件の過去メールが読めるようになっています。
今回110万回のアクセスを記録したのは『私たちの40年!!』の本体ともいうべきHPの方です。例えば内田さんの寄稿関係の【神戸の市電の思い出】 『私たちの40年!!』メーリングリストへの書き込みから抜粋。が下記に掲載されていますが、これをクリックスすると左下の方に小さなアクセスカウンターがあります。このカウンターが110万回を達成しました。現在1100766を記録しています。
写真集のBLOGも現在52652回のアクセスを記録しています。画像掲示板は、96975回のアクセスを記録しています。
銀行は預金高、商社は売上高、ホームページはアクセス数といつも数字が気になる悪い習性を持っています。御免なさい。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1290

丸木:そう云えば今年の夏は内田さんの書き込みで盛り上がりましたね。神戸方面には博学の方が居られるようで、いろいろ参考になりました。僕は町人の分際で維新までは苗字がなかったらしく、子供の頃には家の表札に士族の肩書きがある友達が居たので不思議に思ってました。士農工商の身分が現在では逆さまになってるのではないでしょうか?インドに行くと、今でもカースト制の身分にうるさいので面食らいます。
3週間の日本滞在が余りにも充実し過ぎて、住吉霊園での父と妹の墓参りを忘れました。大阪四貫島の先祖(祖父母や樽屋宇兵衛)の墓参りはしてきました。

伊豆山:
伊豆山=> あや子さん
横浜は関内のスナックの女性に、伊豆山さんが 『H談』すると、いやらしくなくなるから不思議ねと深く深く『感心』?されたことがあります。
かたそう〜で、軟派とは、そう云うことらしい。
これでは女性を口説くことは出来ませんね。 残念!
=>内田さん
今でもシャープにお勤めでしょうか? 常々シャープの健闘振りに感心しています。 秘訣は? 教えて頂ければ幸いです。
=>丸木さん
超人ぶりに、只々圧倒されています。
=>富田さん
全快オメデトウございます。 ブラジルのお越しの折は、声を掛けてください。 
=>和田さん
今年は、お陰様で、松田さん、石田さんなど、昔を思い出させる方々に接することが出来ました。
バス旅行の仲間も楽しい仲間でした。 ありがとうございました。
=>皆様
よい新年をお迎え下さい。

丸木:40年以上外国暮らしの僕も、定年退職までは日本人との付き合いはありませんでした。リタイヤーしてから里心がついたのか、タイミング良くトロント歌声喫茶の会やトロント猛虎会が発足したので参加したら、それぞれ世話人や幹事になってしまいました。地元のマスターズ水泳クラブにも入会できたので競技生活に復帰し、世界新記録樹立し世界の頂点に立つ日が近づいてきました。仕事してた頃より忙しく、骨格も大きくなって下着やや衣服がきつくなりLサイズからXLに買い換えました。
和田さんのMLを通じ、内外の識者から各種の情報が得られ有難いことです。「バーチャルからリアルへ」正木さん、和田さん、それに阪神タイガースの宮崎オーナーとも会えました。いつの日かサンパウロの「なつメロ合唱の集い」で伊豆山さんと一緒に「空の神兵」を唄うのが楽しみです。今年の訪日では55年目の驚愕がありました。
朝の連ドラてるてる家族で「すみれの花咲く頃」をを口すんでいた看護婦長役の女優が僕の高校同級生と判りました。どこかで見たような顔とは思ってましたが、かつて僕が岡惚れしてた隣の席に座っていた文学少女のマラソン選手でした。「ほんまもん」や「風林火山」にも出演してたそうです。映画「濡れた唇」や「愛欲の罠」等の主役だったとか・・・。

和田:皆さん現在リオのサントス ヅモンのDinersClubのVIP ROOMにいます。7時にポルトアレグレを発つ予定が1時間以上遅れましたがサンパウロで調整(1便前に乗れました)予定通り昼前にリオに到着し神戸高校同級生の山下さんを飛行場に呼び出し空港内の上級レストランでワインにバデジョーと云う魚(日本語では何と云うのでそうか?)で昼食を楽しみ山下さんと別れてから新しく立派になったダイナスの部屋で無線ランに繋ぎこれを叩いています。4時過ぎに娘たちがリオに到着予定で大きな車を借りて5人でヴィソザに向かいます。6時間程の度でしょうか?昔、金を求めてOURO PRETOまでリオから冒険家が歩いた道を車で走ります。リオの国内空港へ着陸する前に対岸のニテロイまで行き引き返したのでグアナバラ湾に掛かるリオーニテロイ大橋の全景が撮れました。ミナスの写真と共にBLOGに貼り付けます。
バーシャル座談会へのご発言が続いており1回目をPC環境が許せば早々に掲載したいと思っていますが、適当な写真の提供もお願いしたいと思います。
昨日リオの飛行場からメールを出しましたがその後少し遅れて娘たちが着きレンターカを掴んでミナスに出発する段階の成って私の運転免許所がないことが判明しました。免許書のコピーを取るとのことで預けたまま返して貰わずに飛び出して来たです。運転免許書がないと車の貸し出した出来ないとのことで急遽恵子の名前で借りる事にしました。運転手は5人いるので問題ないのですが、私だけが運転出来ず地図を片手にコーパイロット(助手)を務めました。リオの町を出るまでに時間が掛かり(夕刻のラッシュに巻き込まれ、道を間違ったりして大変でした)途中ミナス州に入ってからジューズデフォーラの町でショッピングセンターに立ち寄り簡単な夕食をしました。末娘が住むシチオ(小農場)に到着したのが翌日の午前2時でした。着いてから話しこんで寝たのは3時過ぎでした。
予想していた通りまだ小百合の所にはブロードバンドが入っておらず無線もなしでインタネットに接続できず仕舞いでした。
今日午後12キロ離れた大学都市ヴィソザの大学まで来て大学構内で無線が飛んでいる場所で電源のあるところを探したインタネットに接続しています。大学はクリスマス休みで殆どの学部が御休みですが、大学経営のスーパーマーケットが一般市民に公開されておりクリスマス用の買い物をする人達で結構賑わっています。机も椅子もない所で地べたに座って作業をしており長く遣っておれませんが(娘たちは町に買い物に出かけており帰りにピックアップして呉れる事になっています。
静かな田舎町でのクリスマス休みを楽しみたいと思っていますがPCが使えないのには難渋しそうです。これを叩いていたら蜂が飛んできたり蟻ん子にさされたりしています。無事ヴィソザに到着した事のお知らせです。

あや子:和田さん
蜂にも負けず、蟻にもまけず、いすも机もない大学構内でたたく根性をやしない・・・・。
ありがとうございます。

和田:あや子 さん エール送って下さって有難うございます。クリスマスイブの晩餐に25日の昼間のクリスマス会、途中雨が降ったりとうとう昨日はPC接続が出来ず連続BLOG掲載記録もぽつんと切れてしまいました。今日も雨模様で夕刻から15キロ離れた大学に遣って来ましたが、蜂、蟻は今日はいませんが雨の後に出てくる小さな蚋(ぶ よ)に噛まれています。矢張りポルトアレグレの自宅が一番良いと感じているところです。余り長居ををすると家族が心配?するので引き揚げる積りですが、明日は朝からまた大学に出て来る積りにしています。日曜日に農場を発ち世界遺産の一つ(ブラジルで一番古い世界遺産です)のOURO PRETO(黒い金)に1泊して翌日の29日 に州都ベロオリゾンテ経由でポルトアレグレに戻る予定にしています。時間があればベロオリゾンテに住んでおられる荒木さん、青木夫妻にもお会いしたいと思っていますが確か8時20分のフライトですので7時過ぎには空港に到着する必要がありレンターカーでの道が良く分からない街での運転は大変だとも思っています。携帯電話 がシステムが違うのか通じずこれも困っています。電話、PCなしの何日間は、結構往生してます。

丸木:今年は久し振りで日本にも行き、想い出深い充実した日々をおくりましたが、悲しい別れもありました。繁田一家の大政小政として共に親分を支えたジェットの鷹が亡くなりました。本人は待望の千人切りも果たしたと豪語してましたから本望だったかも。ブラジルでは殊の他お世話になった森田左京氏の訃報は麻生さんからの書き込みで知る事が出来ました。これで僕のブラジルに行く第2の楽しみが消えてなくなりました。森田さんと一献傾けるのが楽しみでした。ロッキー青木も今年亡くなりました。有名なモデルのデボンは3号の娘で、本妻の娘のグレースのほうが美人やったけど、今どうしてるかな?僕の知ってる範囲では、このロッキーと小沢征爾の二人が実力で世界に通用する代表的日本人と尊敬します。

和田:アメリカ便り No65 「小話、Jokes & Chistes」送付有難う御座います。楽しく読ませて頂きました。今回のメキシコ小話は分かり易く少し鈍い私にもよく理解でき笑わせて頂きました。ポルノ撲滅キャンペンをしえ居られる牧師さんではないですが富田さんは何処でネタを仕入れているのでしょうかね。次回はアメリカジョークで翻訳作業中との事 ですが、その内自作ジョークもお願いします。
既に添付資料を開けて楽しまれた方が多いと思いますが、全文を下記して置きます。
私は、PC環境が整っておらず15km離れたVICOSAの連邦大学まで出かけないと無線ランが使用できずメールを書き貯めていますが、今日も生憎雨で出掛ける事が出来るかどうか垂れこめた空と睨めっこしています。当地は雨が多く川が氾濫しベロオリゾンテに向かう途中の隣町PONTE NOVA(新しい橋)と云う町が水浸しになっており迂回する必要があるとのことです。
小話、Jokes & Chistes No.15
                                2008年12月22日                    
来年2009年は「日本におけるメキシコ年」として、メキシコの文化、経済等の各分野で同国紹介事業が展開される。奇しくも400年前の慶長14年(1609年)9月4日、マニラから現メキシコ国(当時はスペイン帝国の植民地で、ヌエバ・エスパーニャと呼ばれていた)アカプルコ港へ向かうスペイン船「サンフランシスコ号」が上総の国岸和田沖で難破し、56名が溺死、残りの三百名以上の船員が命からがら岸辺に漂着したのである。スペイン船乗船者の記録によると、冷え切った漂着者たちの体を土地の海女たちが自らの体で温めて蘇生させた、とある。
これこそ日本人のCalor Humano、人情の温かさだと、メキシコ人は未だにこの救護作業を徳として、語り継いでいる。遭難地は田尻浦といったらしいが、近くの御宿町の山上にはこの海難事故を記念するメキシコ公園が作られている。サンフランシスコ号には、下級船員として日本人が乗船していて、通訳の任を果たしたようだ。当時 オランダ語の通詞はいても、スペイン語、ポルトガル語が出来る日本人はいなかったのである。
 日本とスペインとの接触はこの海難事故の60年前、聖フランシスコ・ザビエルの来日が最初だろうと、思うが、メキシコ人としては、1596年土佐沖で座礁したサンフェリペ号に乗船していた、聖フェリペ・デ・
ヘススをもって嚆矢とする。翌年、メキシコ生まれのフェリペ神父は太閤により、長崎で25人の神父、信者とともに磔刑に処せられた。後年26人の殉教者は列聖の栄誉に輝いた。毎年、スペイン、メキシコから多数の巡礼が長崎を訪れていることを皆さんはご存じだろうか。
 サンフランシスコ号の乗客の一人がドン・ロドリゴ・デ・ヴィヴェロ前フィリッピン総督代理だった。彼の来日によって、家康、正宗による慶長遣欧使節派遣が大きく動き始めた、のである。この間の事情は拙文「慶長遣欧使節の謎」を参照していただければ幸いである。
考えて見ると、日本とメキシコは太平洋をはさんで向かい合う隣国同士であり、400年もの交流の歴史があるのだ。来年のメキシコ年は、親日国である隣国の文化、習慣等を学ぶ良い機会だ。日本も昔は、トリオ・ロス・パンチョスを始めとするメキシカン・ミュージシャンの愛好家が多かったものだが、最近は如何なのだろうか? 
 さて、固いことはこのくらいにしよう。2008年年末を飾るメキシカン小話を六編用意したので、お楽しみ頂きたい。是非とも忘年会、新年会でこう言う小話を口演して、家族、友人たちをEnjoyさせて見ては如何?喜ばれますぜ。 尚、新春はアメリカン・ジョークの特集第二号をお届けしたい。乞うご期待!
浮気っぽい女
新婚初夜の翌日、新郎は習慣になっているジョギングに出かけて行った。ホテルの部屋に帰ってくると、新婚早々の新婦はあられもない姿でホテルのボーイにしなだれかかっていた。驚きの余り口も利けない新郎に新婦はこういった。「此れっぽっちなことで驚かないでよ。あなたは前から『私は浮気っぽい女』と知っ てたでしょ」
結婚の必要十分条件
女は男に宣言した。「赤ちゃんが出来たから、今度こそ結婚しますからね」
厚顔男は「赤ん坊?赤ん坊が出来たことは、男と女が結婚しなきゃいけない必要且つ十分条件じゃない」
怒った女は猛然と反ぱくする。「赤ん坊一人なら、何も言わないわよ。だけど、私たちには五人目の赤ん坊
なのよ!!!」
ポルノ撲滅運動
ポルノ撲滅運動を熱心に推進している牧師さまは困惑しきった聴衆に熱弁をふるっていた。
「一本のヴィデオにオラールセックスが三回、ソドミーが一回、獣姦が二回出てきました。又、一人の女は一度に5人の男とセックスをしていました。良いですか?皆さん、私はこのような不道徳な猥褻行為の絶滅に全力を注ぎます。何か質問がありますか?」
男が手を挙げて、質問した。「牧師さま、そのヴィデオはどこで手に入りますか?」
後悔先に立たず
 老女がソファに座って編み物をしていると、突然妖精が現れて、こう言った。
「お前に三つの望みを叶えさせてあげよう」 
半信半疑な老女は試しに「この椅子を金にして頂戴」と注文してみた。
妖精:「では、その椅子、金になれ!」と魔法の棒で椅子に触った。そのとたん、椅子は輝くばかりの黄金の椅子になり変った。
老女:「すごい! 納得。それでは、私を二十才の美しい娘にして頂戴」
妖精は再び魔法の棒で老女に触ると、あら不思議、そこにはうら若き、スタイル抜群の娘が立っていた。
妖精:「さあ、三つ目の望みを言ってごらん、娘さん」
娘は迷わず、こう言った。「私のネコを若く、たくましい二枚目に変えて欲しいわ」
魔法の棒が触れると、ネコはたちまち、若くたくましい二枚目に変身した。
ネコ、否、二枚目は飼い主の老女、否、今は若い美女に開口一番こう言った。
「今になって、おれを獣医に去勢させたことを後悔しても遅いぜ、馬鹿女め!」
母乳が出ない 
若くて好男子の産婦人科医は、診察室に生後数週間の赤ちゃんを抱いた豊満な30代の女性を迎えた。
女性:「この子の体重が増えないのです」
医師:「赤ちゃんは母乳ですか?粉ミルクですか?」
女性:「母乳です」
医師:「上半身、脱いで下さい」
女性:「でも、先生....」
医師:「脱いで下さい」 医師は繰り返し、求めた。
仕方なく女性は衣服を脱ぎ、豊かな胸を医師に見せる。医師は丁寧に女性の乳房を触診する。
医師:「この子の体重が増えない原因が分かりました。栄養が足りないのです。貴女の母乳が出ないのが問題です」
女性:「出る訳ないのです」と少しふくれる。 「私は母親ではなく、この子の独身の伯母ですから。
でも、どっち道先生に診て頂いて、嬉しかったわ」
処方箋
 一人のご婦人が薬局で薬剤師に100グラムの青酸カリを注文した。夫を毒殺すために欲しいのです、と公然と言い放った。夫は他の女と浮気をしているのです。
薬剤師はびっくりして、青酸カリは売れません、と断った。
分かりました、とご婦人は一葉の写真を薬剤師に見せた。夫の浮気の相手は薬剤師の妻だった。
ああ、そういうことですか、と薬剤師は青酸カリを包み始めて、ご婦人にこう言った。
「失礼しました。処方箋があったとは、気がつきませんで」
(以上)
お後が宜しいようで。皆さん、ご愛読ありがとう。良いお年をお迎え下さい。

富田:和田さん、八面六臂の活躍の上、東奔西走ですね。ご家族お揃いのHolidaysは楽しそうで、良かったですね。さて「メキシコ空港にホームステイするノハラ君の近況」をお知らせして置こう。メキシコ国際空港にホームステイするノハラ君は空港に勤務する連邦警察の警官、入管の係官たちとともにコーラで乾杯、クリスマスを祝った。又ノハラは幾人かの乗降客からのプレゼントを受け取っていた。暖かそうなジャンパーや煙草のプレゼント等だ。
 彼の持ち物は6つの袋に増えた。袋の中身は、メキシコの土産品衣類と缶詰等、全部乗降客のプレゼントだ。
 昨夜はテツシと呼ぶ日本人旅行者が明朝6時のエクアドール行き便を待つ間、ノハラと一晩中語り合って過ごした。
この4カ月間ノハラは沢山の友人が出来た。日本大使館は空港の外に住いを提供しようと、説得したが、ノハラは空港を出る気はないと断った。「ここに居るのが気に入ったし、もう日本に帰る気はない」とまで言ったらしい。
 昨日は空港の外に煙草を吸いにでた後、再び定位置に戻って来た。
ノハラだと気付くと、殆どの乗降客は彼と写真を撮り、何かしら、プレゼントを置いて行く。空港関係者によると、金銭を差し出す人も多いが、ノハラは決して受け取らない、と言う。
昨日、ノハラは此処で知り合った、日本語を話す建築家のアルマンド氏に電話を掛け、31日、空港に彼に会いに来ると言ったことを確認した、と言う。
 尚、空港関係者によると、旅券、帰りの航空券を持つノハラが空港に長期滞在することを禁ずる規則はない、とのことなので、少なくともビザが切れる2月末まで、ノハラのホームステイは続きそうである。
(12月25日、レフォルマ紙電子版)
以上はメキシコの新聞(電子版)で見た記事です。物好きにもほどがある、と思うが行き掛り上、已む無く報告する次第です。
 

菅間:富田さん ノハラ君の続報深謝。世の中には親切な人が多いですね。

あや子:ノハラ君の続編、ありがとうございます。
クリスマスも、プレゼントをもらいみんなで乾杯。31日には友達までよんで、年越しの準備でしょうか。ホームレスではなくメキシコ国際空港が彼の家になってますね。
この先どうなっていくのでしょうか。

富田:和田さん、40年の皆さん、
メキシコ空港のヒロシ君が空港を後にしました。彼の目的地はブラジルだったらしい、こと、元清掃員だったらしい事も報じられています。先ずは、ご一報します。私もひまじんですね。
Hiroshi、117日後、メキシコ空港を後にする
 レフォルマ新聞によると、ノハラヒロシは昨日、東洋系の女性の説得に応じて、タクシーに乗って、空港を退去した。同空港の清掃員によると、その女性は前から頻繁にヒロシを訪ねてきており、ヒロシの遠い親戚である可能性もある。どうもメキシコ市に遠縁の人がいるらしく、ちょくちょく電話を掛けていたらしい。その女性がその親戚かどうかは、分からない。6袋に入った全財産を持って出たことから、短期の訪問ではなく、市南部のデルバイエ地区(高級住宅街である)の女性宅に腰を落ち着ける模様だ。女性はノハラに期限を限らずに、自宅に住んで構わない、とつたえているようだ。
 新しい情報として、ヒロシの目的地はブラジルだった、らしいことと、日本では長く清掃関係の職にあった、と報じているメディアもある。
尚、ヒロシのヴィザの期限は2月9日までである。

あや子:こういうのを読んで喜んでいる私は、もっとひまじんですね。




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