サンパウロだけがブラジルじゃない ブラジル地方ライフ ポルトアレグレ
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サンパウロのコジロー出版(河原崎隆一郎代表)がPINDORAMAと云う雑誌を出版し6000部を無料配布しています。役に立つ広告を満載、無料配布している特異な雑誌は、購読者激減による廃刊に追いやられる心配もなく2012年7月号が73巻目になります。この月刊ピンドラーマに掲題のサンパウロだけがブラジルじゃない ブラジル地方ライフ というコラム欄があり北はべレンからベロオリゾンテ、リオ他各地の皆さんが協力して地方ライフを書き送っている。ポルトアレグレルからもと河原崎さんから誘われてローテーションに入れて頂く事になり年に数回南伯紹介の記事を送る事になりました。これがその第1回目です。
『私たちの40年!!』寄稿集にこの記事を収録して行く事にしました。
原稿料50レアイス(2000円)を払って呉れるとの事でしたがこれを断り転載自由との了解を得ております。
写真は、元日伯交流年協会研修生の写真家、仁尾帯刀さんの表紙の写真を使用しました。
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サンパウロだけがブラジルじゃない ブラジル地方ライフ ポルトアレグレ
ポルトアレグレは、リオグランデ・ド・スール州の州都、人口145万人のブラジル南部の勇都、お勝手口的な役割を果たし、余り活動はしていないがメルコスール市場の中心的な町として経済、文化の中心地である。近郊を入れた大ポルトアレグレ圏としてメトロポリタン圏では300万近い人口になり1000万州民の3分の1近くが集中している。標高は10-15メートルの港町でリオ、サントスに当たる。130km程離れたグラマード、カネーラ、カシアス等の街には毎年雪がふる。パンパスを通り抜けて来たミヌアーノと呼ばれる南風が山岳地域にぶつかり雪を降らせるのだ。おいおいこの南部ブラジルに付きお国自慢を届けさせて貰う事にしよう。
リオグランデ・ド・スール州に住む住民をガウショと呼んでいる。ガウショとは、パンパスの大草原を駆ける牧童の呼称であるが、南大河州の州民を総括してガウショと呼んでいる。ブラジルの中でもその歴史に置いて得意な存在でもあり1835年―1945年まで10年間ブラジル帝政から独立してピラチニ共和国(レプブリカ リオグランデンセ)を形成していた。このファロピーリアの戦いに付いては別途、お伝えしよう。
国境をパンパスのウルグアイ、アルゼンチンと接し何時も牛の取り合い、領土の奪い合いで小競り合いが続きガウショには、自分の領土、家族を守るという意識が強くブラジル陸軍の国(領土)を守る精神に息づいている。ポルトアレグレの陸軍幼年学校(コレジオ ミリタール=高等学校べ-ス)の卒業生、カステロ ブランコ、コスタ シルバー、メジシー、ガイゼル、フゲレードと5代続けて歴代大統領に就任している。カステロ ブランコは、セアラ州出身、フィゲレードは、生まれはカリオッカですが、ポルトアレグレの陸軍幼年学校で勉強している。残りの3人は、れっきとしたガウショ。軍政が続いておれば次期大統領は、誰か?ポルトアレグレ陸軍幼年学校の卒業生名簿を見れば予想が付くと云われていた。
笑い話になってしまいそうだが、カリオッカは、誰とでも直ぐにAMIGOになるが直ぐに忘れてしまう。パウリスタは、ネゴシオの話しなら乗ってくれるがそれ以外は、知らん振りをする。ガウショは、最初は、取っ付き難いが一度AMIGOになると一生忘れない。質実剛健、軍人気質、ドイツ移民、イタリア移民の気質を受け継いでいる。客先を訪問してマテ茶を勧められて断るようでは、ガウショと付き合って行けない。ネゴシオは、天気の話の後は前日のサッカーの試合結果。南大河州では、インテルとグレミオ、赤と青に完全に2分される。グレミオでもインテルでもどちらでも良いが旗色を明確にする必要がある。どっち付かず、どちらでもないと云うスタンスは、許されない。大体は、親から子供とチームカラーは、伝達されるが、恋人が赤と青に分かれると悲喜劇が生まれる。親が反対しても結婚すると「あいつは、善人だか唯一の欠点は、コロラードまたはグレミシタだ」と正面から認めようとしない。因みに私は赤党でここ数年は、東京でバルセローナを破ってのクラブ対抗世界1になる等我が世の春を謳歌している。
和田 好司 (わだ よしじ)
ブラジル着伯50年を5月12日にサンパウロで同船者仲間と祝った。丸紅ブラジル会社のポルトアレグレ出張所長を17年間続投。現地役員を最後に退職後さわやか商会と云うファミリー会社を経営。南伯日本商工会議所元会頭。管理運営している『私たちの40年!!』と云うホームページは240万回のアクセスを記録している。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/index.php
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