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【南米探検記】 ブラジリアにお住みの河野 賢二さんの南米十七千キロの探検旅行記です。
『私たちの40年!!』メーリングリストのメンバのブラジリアにお住みの河野賢次さんが愛車パジェロを駆って南米の南の果てまで車で到達する事を思い立ち南に向うと決めただけで道順を籤で決める自由旅、あれよあれよと言う間にイグアス、アスンシオン、コルドバ、メンドーサ、南米最高峰アコンカグアを眺めるロスアンデスからアンデスを一気に下りサンチャゴ、パンアメリカンハイウエーを南下、オソルノのチリ富士を見ながらの再度アンデス越えでバリローチェ、そこから南下中、帰路ポルトアレグレに立ち寄って呉れるとのことで何時になるか予定が立たない旅とのこと大変でしょうがリアルタイムのメーリングリストによる探検記を20日ブラジリア発から年末までの分を掲載して置きます。コメント、質問何でもありで現場からお返事を頂けるかも知れませんんね。誰もが夢見る一度は実現させたい気侭旅、皆で一緒に走り応援しましょう。
写真もお願いしていますがまだ届いていませんのでイグアスの滝で泊まられたトロピカルホテルと滝をヘリコプターから見た写真を使用して置きます。


12月22日
和田さん、皆様
いかがお過ごしですか?ブラジリアの河野です。
私は全ての仕事を12月19日に終了し今年の年末はとくに行事もない事もありふらっと南に向け旅に出ることにしました。
12月20日朝、愛車のパジェロでブラジリアを出発。連邦区、ゴイアス州、ミナス州、サンパウロ州と合わせて1千キロを走りぬけ無事サンパウロに到着しました。
サンパウロではBlueTreeホテルに一泊しスシヤス・パウリスタでスタミナをつけ翌日21日朝、さて和田さんのポルトアレグレへ行くかもしくはイグアスーの滝へ向かうか、悩みの末くじを引き結局イグアスーと出たので、即サンパウロを出発、立派なカステロブランコ高速道路を西へ・・・・ソロカバ、TATUI、Ourinhosを経てパラナ州へCambara、Asai、Londrinaを通過しMaringaまで来てしまいました。DevilleHotelなる(スタッフによるとここには天皇が皇太子時代に宿泊したとかホンとかな?)カテドラルの前のホテルに宿泊しています。

12月22日
河野 さま
愛車、三菱のパジェロを駆ってブラジリアから一路南へですか。羨ましいですね。籤がポルトアレグレでなくイグアスに出たとか。イグアスから南下は、MONTEVIDEOでもBUENOS AIRESでも往路か帰路にはポルトアレグレを通過すると思いますので網を広げて御待ちします。グラマードの紫陽花が綺麗ですよ。沿道を埋め尽くす紫陽花のトンネル、南米のグランドキャニオン云われるイタインベジニオ、ブラジルの犬吠埼か東尋坊と言われるトーレスの海浜、見るところは結構ありますよ。
私はこれからサルバド-ルよりサンパウロ経由ポルトアレグレに戻ります。
南米探検記続きを楽しみにしております。是非続けて下さい。

12月22日 伊豆山さんからのお便り
ブラジリアの河野さん
サンパウロの、又は、の伊豆山です。
仕事を離れての、気ままなご旅行、羨ましい限りです。
くじで行き先を決めながらの旅なんて、多分、私だけでなく、多くの皆さまも、一度はしてみたい旅だと感じていらっしゃると思いますが、、、。
(それとも、結構、皆さんやってらっしゃるのかなあ。)
旅先での、大発見 小発見、是非お知らせ下さい。 お帰りになってからでもいいですよ。
でも、多分、ブラジリアにお帰りになったら、又々お仕事に忙殺されて、旅先見聞記どころではなくなるかも知れませんね。
我々にお付き合い頂けるのも今のうちかも、、ですね。 
Have a pleasant trip!!

12月25日
和田様
帰りはポルトアレグレに必ず寄らせて頂きます。
さて、Maringaを22日朝、雨の中を出発、一路イグアスーの滝へ。このあたりは大豆畑、サトウキビ畑ばかり、途中CascavelのMMCディーラーに立ち寄り簡単な車の点検をしてもらった。月に新車30台中古車30台、トータル60台を売りさばき純益は売り上げの5%だと。
夕刻といってもまだ明るい時間にイグアスーの滝の目前にあるトロピカルホテルにチェックイン。なんか見たことのある日本人がいるなと思ったら、ブラジルヤンマーの社長さんが家族で3泊旅行で来てました。とりあえずおなじみのヘリコプター遊覧飛行と滝見物の歩きコースを終えぐっすり休ませて貰いました。
23日朝宛てのない小生はアルゼンチンかパラグアイか、またまたくじを引いたところ今度はパラグアイと出た(本当はアルゼンチンに行きたかったのだ・・)。ということで友情の橋を渡り入管手続きをしてアスンションヘ・・・途中イグアス植民地の日本レストランで焼きそば食って、穴ぼこだらけの道路を行くもとにかくパラグアイの警察がブラジルの車を見つけるとこれぞとばかりストップ!グリーン保険を持ってるか?なぜライトをつけて走らないのか?お前は日本人だからメルコスール方は適用外などなど、とにかく各ストップで2万グアラニーはポリス用チップとして用意されたし、チップを取り上げるまでは何をメチャ言われるか分かりませんぞ! (これアドバイスメモです)
またまた夕刻アスンション着、グラナドホテルへチェックイン後アスンション市内見物にでました、皆ギョロメでCambio,Cambioと汚いグアラニー紙幣を振りかざし観光客に見える私を追いかけてくる・・・円かドルかどちらを為替したいか? ノン・ケロ・トロカル・レアルと答えると、ブラジレーニョ?と一寸がっかりしたようだ。そうだオレはBrasileiroだ、Cidade de DeusのBrasileiroだと言うと、あの映画は見た、ブラジルはすごい、怖いな〜と一寸尊敬されたような気分になった。

12月26日
河野 さま
現在、アスンシオンですか。そちらに聳える本物のお城見学されましたか?是非パラグアイのお城を見学して様子を知らせて下さい。アスンシオンから南下する事になると思いますが、ラーコルメナーの移住地、来年45周年を迎えるアルトパラナのピラポ移住地、エンカルナシオンに出るのであれば悠久の歴史を感じるイエズス会の残したインヂオ教化部落とその廃墟を訪ねて時の移りに思いを馳せるのも良いですよ。
エンカルナシオンからブエノスまで下るのですか?それなら帰路は、ウルグアイのMONTEVIDEO経由となるのでしょうか?パラナ河を渡れば直ぐRS州です。一番近いのはサント・トメ(ブラジル側はサンボルジア)、その下はイタキ、もう少し下がってウルグアイアーナとアルゼンチンとブラジルを繋ぐ国際橋が掛かっています。
RS州にもSETE POVOSと言うイエズス会の開いたインヂオ教化部落と廃墟がありその内の一つサンミゲル・ダス・ミッソンエスはUNESCOの世界遺産の一つに指定されています。サント・トメーサンボルジアから入るとすぐです。一見の価値ありです。
何時頃ポルトアレグレに入って来られるか楽しみにお待ちします。出来れば何時頃になるか分ると有難いのですが、籤次第で決まる行き先、難しいかも知れませんね。
ではまた。

12月26日河野さんから
和田様、伊豆山様
河野です
和田さんさすが詳しいですネ。でも実はCasteloも大統領官邸も見学終了しまして今日はアルゼンチンのCordobaにいます。アスンションはあまり見るところがないと思いましたね (ブラジリアはもっとないかも・・・) 和田さんと一緒に来れば話は別でしょうね・・・
24日朝、愛車のパジェロのエンジンがかかりませんでした、クールボックスを搭載しているためバッテリーが上がってしまったのです。
さっそく新しいバッテリーをアスンションで探すはめになりましたがオリジナル日本製のユアサが100レアイス、ブラジル製Heliarが150レアイスでした。もちろんオリジナルのユアサを購入しチェンジしたら一発でOKでした、お昼になってしまったので内山田ホテルの中にあるレストランすきやきで中華メンを食べていたらJICA専門家のまるナントかという人(福岡から大牟田に向かう西鉄電車の4っつめの駅の前に住んでると言ってました)に会いパラグアイの政治の話と日本政府の対パラグアイ資金、技術供与のありかたに関して議論になり2時間くらい時間をつぶしてしまいました。
午後、さらに南下しようとアスンションからRemansoの大橋をわたりアルゼンチンに出ました(和田さんの思ってたルートではなくてごめんなさいね)
橋の反対側でアルゼンチンの入管手続きを済ませルート11を500キロほど、何もないまっ平らなチャコ平原を縦断南下したところにCorrientesという人口30万程度の町がありました、パラナ川のほとりでホテル・レストランが並び柵のない豪邸がずらっと並ぶところを見ると治安も悪くないんでしょうね。
Corriente Plazaと言うホテルに宿泊し2004年のクリスマスイブをクソ暑いせみの泣く南米アルゼンチンで・・・吹き出る汗をふきながらこんなクリスマスも悪くないな〜と思いました。
25日朝、快調のパジェロでさらに南へ500キロ・・・サンタフェー(Santa Fe)を経由しコルドバ(Cordoba)へ・・・なんと人口100万活気あふれる都市にびっくりしました。なんでも自動車部品を生産する工業都市だそうです。市内にはいたるところに400年前に建設された教会、刑務所、それこそお城、などがずらりと並んでおりますぞ。
今日は26日、コルドバを見学してその後隣町のMendozaに向かおうと思います。なにかいいアドバイスがあったら教えて下さい。

12月26日 丸木さんより
河野様
惜しいことされましたね、アスンションには世界一デラックスなホテルがありますよ。
オテル・ヨット&ゴルフクラブです。全室スイートでクレオパトラの間とかマリーアントワネットの間とかテーマ別に名付くけられ、本当に王宮に暮らしてる錯覚を覚えますよ。

12月26日
河野 さま
もうアルゼンチンのコルドバですか。今年、私もコルドバに三菱重工の工作機械売り込みに出かけました。アルゼンチン第二の都市で自動車部品工場等が多く工業都市です。南に下ればアルゼンチン第3の都市ロザリオがあります。今回は、メンドンサに廻られるとの事、メンドンサは第4の都市で一応この4都市を訪問しました。若しお時間があればメンドンサから南に行った所に元海外協会連合会(現JICA)の計画移住地のアンデス移住地というのがあります。アンデスの雪解け水で土地を洗い中性化させその土地に葡萄等の果樹を植えているとの事で40数年前の学生の頃に訪問しました。今年メンドンサまで出向いたので是非訪問したかったのですが時間が無く断念しました。
メンドンサからチリとの国境は直ぐ近くでせめてポンテ・デ・インカまでは足を伸ばし南米最高峰のアコンカグアの勇姿を奥様に見せて上げて下さい。末娘の小百合が今年3月に大学卒業記念旅行としてアコンカグア征服に挑みパーテイーを組み山頂を目指しましたが惜しくも悪天候に見舞われ頂上征服を断念して戻って来ました。アコンカグアは、技術的にはそれ程難しい山ではないそうですが長いアクセスと言うか歩く場所が長く体力が問題となり小百合は、半年以上身体を鍛え1ヶ月程、近くの山で訓練(頂上征服)を受けた後にTRYしたようです。日本の若い人達は、時間的な余裕が無く飛行機でメンドンサまで遣って来てそのまま山に入る事が多いようで死亡事故等も多く発生しているとの事です。このメンドンサの町にあるぜんちな丸第2次航でアンデス移住地に入られた増田四郎さんが住んでおられアコンカグアを目指す日本人登山家の世話をしておられます。お話を伺い写真を撮らせて頂いたのですが、カメラをタクシーに置き忘れ幻の写真なりました。若しお時間があれば訪ねて見て下さい。多くの日本人登山家の世話をされたとの事で外務大臣賞を頂いてw)「い詬k召癖・任后・・鹿届淋昭・埠暑uコ追崗柴藁圉皷B讐徐ぢ『私たちの40年!!』HPの下記URLに関係書き込みがあります。参考に覗いて見て下さい。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=632
BOA VIAGEM !!

12月26日
丸木 さん
アスンシオンのオテル・ヨット&ゴルフクラブに泊まられたのですか。
ラプラタ河上流のパラナ河に面したホテルでゴルフに出かけました。アスンシオンにはゴルフ場が二つあるようでこのヨット&ゴルフクラブは、パラナ河沿いのホールでは、河を注意して叩くのですが強風に煽られ?必ずボールが河に向かいます。風が強いホールとしては、もう一つMONTEVIDEOの市内にあるコースでなくモンテヴィデオ【山が見えた】の町の名前になったCERROのゴルフ場が一番印象に残っており、本当にラプラタ河の強風に煽られ帽子と共に幾つボールを叩き込んだか思い出のコースです。
丸木さんは新年をブラジルでお過ごしとの事、ブラジル感想記を是非書き込んで下さい。サンパウロの猛虎会との交流とか、楽しみにしています。

12月26日
和田さま
貴信拝受 ありがとうございます、参考になります。
アコンカグアの話を聞き興味がわいてきました。今日午後メンドーサに着いたらアンデス越えを企画してみます。どうせ宛てのない旅です・・・・
河野

12月26日
丸木さ〜ん
アドバイスありがとうございます。
実は泊まってみたいと思いましたが、価格が高そうでしたので断念したのです。
ブラジルからそう遠くないので金をためてまた行きます、その時は和田さんともども一緒に行って王様気分を満喫しましょう。ちなみにブラジリアを出発して今ちょうど4000キロです。
コルドバの河野より

12月26日
河野 さま
アンデス越えは季節としても最高ですが、それではポルトアレグレがだんだん遠くなってしまいます。特にロスアンデスを越えてチリに入るとバルパライゾ、ヴィンニア・デル・マール、サンチャゴそれからパンアメリカンハイウエイーを南に下ればコンセプシオン、プコン、プエルトモン、幾つもチリ富士を眺めながらの旅、ブラジルに帰れなくなりますよ。バリロッチ経由ブエノスでも良いですね。それからモンテヴィデオ経由ポルトアレグレでは何時になるのでしょうか?お立ち寄り頂く頃は、休暇でポルトアレグレを留守にしている可能性が出てきており心配です。
一昨年チリ休暇旅行の時の様子を下記URLで覗いて見て下さい。
時期外れのチリ4361kmの休暇旅行【その1】
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=123
活火山チリ富士を訪ねての4361kmの休暇旅行【その2】
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=124
初雪、地震、集中豪雨のチリ4361kmの休暇旅行【その3】
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=125

12月26日
和田さん
メールの電源を切ろうと思ってたらこのメールが入ってきました。
ブラジルにいつ戻るか今の時点では判りませんよ・・・とにかく今ルンルン・ノッテるんだから・・・・
和田さんの1月10日前後の日程はどうなってるんですか?メール交換しながらお互いのスケジュールを調整しましょうよ。
では今度はホントにOFFしますよ。でないとMendozaに着きませんョ。
またメールがつながる日まで。
河野

12月28日
和田様
メンドーサでワインを2本買ってチリに向かう事にしました。メンドーサのハイアットはカジノありタンゴショーありで最高ですよ。
で、とうとうアンデスを越えてサンチアゴに来てしまいました。車のメーターは5000キロです。
途中アコンカグア峰(6959m)をラグーナ(4000m)から眺めて、危険なトンネルだらけのアンデスを越えました、(すごいところですねぇ〜)
今日はマリオットホテルでゆっくりして、メルカードで買い物して明日さらに南のオソルノへチリ富士を見に行きます。
河野

12月29日
河野 さま
凄い勢いでパジェーロを飛ばしていますね。メンドーサでワインの買ってそれで新年を祝うのでしょうか?アンデスを越えサンチャゴに入り既に50幾つもあると云われるチリ富士の代表格のオソルノのチリ富士を見に出かけられたとのこと。サンチャゴから南に下がると右が太平洋、左がアンデス山脈で火山は全て富士山型でチジャンの温泉、プコンのチリ富士と楽しみオソルノのチリ富士も眺めましたが側までは行きませんでした。パンアメリカ道路の尽きるプエルトモントの先の大きな島迄走りました。
これからバレロッチからTERRA de FOGOまで走るとの事、夏だから良いですが秋から冬に掛けては大変だと思います。無事ブラジルに帰って来られるに願ってます。
ポルトアレグレではゆっくりして下さい。
1月10日前後とのこと、何とかポルトアレグレに居れるようにしたいと思いますが、現在9日ー11日リオ、17日ー19日ブエノスが予定に入って来ています。従い12日ー16日が最適です。
リモートコントロールではありませんが連絡を取り合って巧く日程を調整しましょう。
このMLに書き込まれる南米探検記を寄稿集に纏めて掲載する予定ですので続きをお願いします。
BOA VIAGEM !!

12月30日
和田様
今日29日は再びバンバン飛ばしさらに南へ・・・
さすがチリですね、国道5号線(パンアメリカン・ハイウエイ)の両サイドにはワイン産地のぶどう畑、大豆、コーン、麦、イチゴ、それにタバコの畑が見渡す限り地平線まで延びています。畑の中にはアグリビジネスならん農産品加工工場が立ち並び、道路の質、人々の態度など南米とは思えないイメージを植えつけてくれます。ブラジルも官僚がしっかりしていればチリのような一環した経済、インフラ政策が取れるのではと残念に思いました。
あっというまに車はオソルノへ、途中Valdiviaへ道草程度に立ち寄り中華料理の上海飯店でランチを取った。
オソルノでディーゼルを満タンにしてどうやって南下するか考えたところ、チリサイドはPuerto Montまでしかアスファルトがなく、その後は約2千キロの土道を通過することになる。一方チリのオソルノから東に向かって再びアンデスを越えアルゼンチンのバリロッチに出ればアスファルト道路を南下できると考え、急きょピュエ湖をまわりオソルノ山(チリ富士)のふもとをめぐってアンデスを越える事に・・・。
国境を越えるたびに違う事を言われながらもめげずに入管手続きを終え、雲の中のアンデスを通過、夕刻アルゼンチンのバリロッチに到着、真夏の5度であった。激しい南風が吹き真っ赤な日が沈む時間は夜の9時、暗くなるのは10時である。面白い事に空半分が夕日、もう半分が雨上がりの虹、申し分なく本当に来てよかったと思いました。夜11時にアルデンテのスパゲッティをたいらげホテルのガレージにパジェロを収めたときに見たメーターはちょうど6500キロでした。
バリロッチの河野より

12月31日
和田様、皆様 ブラジリアの河野です。皆様お元気ですか?
私の方は今ひとつスピードが出なくなりました、バリロッチを出発し一気に1千キロ先のコモドロ・リヴァダヴィアに進もうと計画したにもかかわらず、途中で疲れがドット表面化し結局昨日はESQUELという小さな村に泊まりました。近くにラ・ホヤという名前のスキー場があるらしいがとにかく体を休めようとホテルで一生懸命寝ようと思いますが、反対に眠れません。一つは夜の10時まで明るい事、もう一つはこの10日間毎日時速150キロくらいで車を飛ばし、眠ると体中がほてり事故を起こした悪夢にうなされるからです。
もちろん来月51歳になる年のせいでもありましょうが、そういえば以前はもっと軽やかな運転ができたなぁ〜と思い浮かべます。
27日のアンデス越えの際、和田さんのアドバイスもあって途中でアコンカグアを望める機会を得ました。4000メートルランクの山からアコンカグアを眺めるわけですが、ミランテまで400メートル歩かなければなりません。たったの400メートルですよ!ところが私がやっとの事で息切れしながら必死の力で歩けたのは恥ずかしきや40メートルでした。初めて自分は若くないんだと感づき、注意しなくては・・・と今後健康管理に十分な時間をかけようと自分自身に約束し山を降りました。
今回の旅行はそういうわけで自分自身を試すと共に過ぎ去った50年の歳月を振り返る忘れられない旅になりそうです。早く体を疲れから回復させ軽い風邪もプロポリスで治し、残る2千5百キロを完走し、そこからUターンして1月11〜12日ころポルトアレグレで和田さんの頼もしいはなひげ面を拝んでブラジリアまで帰りたいと思います。
しかしパタゴニアはなぜこんなに強い風が吹くんですかね?風の音が恐ろしいくらいです。それによく考えてみたら服装が短パンにTシャツでした、南米だから・・・と考えるのはやはり甘かったですかね。
皆さん健康には十分気をつけて楽しい年末年始を過ごしてください。
パタゴニアの河野より

12月31日
パタゴニアの河野さま。
南米のツンドラパタゴニアに車で挑戦(それもブラジルの夏姿)は、大変でしょうね。行ける所まで行って早く帰って来て下さい。帰路は、【帰心矢の如し】トラックの運転手のように毎日うん千キロ走ってポルトアレグレに辿り着いて下さい。他のスケジュールをキャンセルしてでも河野さんの到着を待っています。
これまでの記録を寄稿集に掲載したいのですが、適当な旅の写真があれば1葉DMで送って貰えますか。帰国後であれば適当なものを使用します。
コロニアの映像作家岡村 淳さんもパタゴニアの花を求めて映像を撮りに行っておられたようですが、岡村さんに今回の南米探検記に同行して貰い記録して置くと良かったのですが。。。
元気な帰還を御待ちします。




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