【フェルナンド・デ・ノロニア島とは?】 休暇旅行番外編です。
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女房と二人だけのブラジル最東端の夢の島フェルナンド・デ・ノロニアでの9泊10日の夏期休暇の生活を10日間に渡り『私たちの40年!!』MLで流しまたこの寄稿集でも3回に分けて掲載しておりますがその番外編として【フェルナンド・デ・ノロニア島とは?】という日誌と重なる部分もありますが、一般情報を羅列しました。
また今回の休暇旅行に対するコメント、質問等を寄せて頂いた方との交信も収録して置きました。鈴木さん、出羽さん、坂本さん、赤嶺さん、丸木さん、荒木さん有難う御座いました。
写真は、二度に渡って早起きをしているかの湾にいるかが大挙して入って来るのを見たくて出かけましたが、とうとうその勇姿を見る事が出来なかったGOLFINHO ROTADOR(空中で何回転もするのでこう呼ばれている)で飾りました。
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番外編 フェルナンド・デ・ノロニア島とは? 及び交信欄です。
フェルナンド・デ・ノロニア島は、ペルナンブッコ州の州都レシフェから545km離れており、一番近い町はNATALの町で340kmの郷里にある。飛行機はこの2都市から毎日合計4便が島通いをしている。主用食品を運ぶ小型貨物船から大きなクルーザ船も定期定期に島に来ているようです。
ノロニア群島は、人が住む本島とそれを取巻く大小20の無人島に囲まれている。面積は112.,7平方キロメーターある。
フェルナンド・デ・ノロニア群島の紀元は、3300万年前に始まった海底火山活動がその始まりで1200万年前の噴火の結果が現在の島の紀元となっているとのことで、直径74キロメーター、深さ4200メーターの海底が島の基盤となっている。大西洋側には地震がなく津波の心配がないと思っていたが遠い昔にはこの島も火山活動により形成され大きな地震と津波を繰り返していた事を想像すると我々の住んでいる現在は、悠久の地球の歴史のなか時間が止まったような夢の10日間を神と家族に感謝したい。
フェルナド・デ・ノロニアの島には二つの違った様相を持つ海浜がある。Mar de DENTRO(内海)とMar de FOR A(外海)である。内海は、風が少なく年間を通じて波が穏やかでDOIS IRMAOESの近くには珊瑚、植物が石灰化した岩?等が多く見られる。港もこの内海の湾にある。外海は、アフリカに面しており風が強く年間を通じて大きな波が寄せている。それでもATALAIAの海岸には、珊瑚礁ではないCRISTAS ALGAISと呼ばれる石灰を多く含む海藻、貝類により形成された岩に囲まれた天然プールを提供して呉れる。
Patrimonio Natural Mundial(世界自然遺産)。フェルナド・デ・ノロニア群島は、2001年にUNESCOの世界自然遺産に指定されておりIBAMAによる島の環境保全にはWWFとの共同開発事業となっている。
1984年に開始されたProjeto Tamar/Ibamaがノロニア島の環境保全運動の最初であり1988年に海浜国立公園に指定され1996年にWWFとの協定により世界的な組織による環境保全が実施されている。TAMAR/IBAMA計画は、ノロニア島のPRAIA de LEAOに卵を産みに上陸する海亀の観測と保護計画でこれが現在も継続されている。TATARUGA VERDE(甲羅が緑色しているのでこう呼ばれている)は、親亀の乱獲と卵の採集により粗、絶命の危機に瀕していたのをこのTAMAR/IBAMA計画で救助したとの事で特に大事にされている。12月から翌年の6月頃まで夜にPraia de Leaoに上陸し300kgの巨体を動かし2時間程掛けて卵を産み落とす場所を作り一度に平均120個程の卵を産み落とし砂を掛けて卵を隠し海に戻って行く。太陽の熱で砂浜が暖まり50日・0日間で孵り小亀達は海に戻って行く。1000匹の小亀の内、1匹か2匹が親亀として生き残る。若し生き残る事ができれば25年後に生まれた浜と同じ浜に卵を産みに戻って来る。TAMAR/IBAMA計画では、毎晩5名程度のグループを募りTATARUGA VERDEの観察隊を出している。3月から6月に掛けて小亀が生まれるのを観察に行くツアーを計画している。
早起きをしてGOLFINHO(いるか)がいるかの湾に入って来る姿を見に2度も出かけたが結局双眼鏡でそれらしい波の動きを見たのと観光船の側に泳いで来る群れを見たが写真を撮った積りがシャッター速度の関係で波ばかり写っていた。ノロニア島を好んで棲息するのはGolfinhos-rotadorsと呼ばれる曲芸士で3色の縞がある2メーター40センチ程の大きさで90kg位の成魚が中心になっており、年間を通じて粗毎日(90%の頻度)5匹以上のグループで2000匹近くが日の出前に湾に入って来て生殖、子育て、休息を楽しみ夕刻になうと外海の深海に食事を求めて出て行く習性がありIBAMAが1986年から毎日看守人を出し毎日のいるかの出入りを丹念に記録している。
島には赤いマダガスカル島から持ち込まれたフアンボヤンと言う花が島の象徴として咲き誇っていたが、MULUNGUと言う大きな木(赤い実を幾つも見つけ拾って来た)、白い花の咲くイッペー、黄色と桜を思わせるROXOも咲いていた。BURRO LEITEIROと言う猛毒の乳液を出す木、風に逆らわず片側だけに葉を茂らしていた。。。。。。、直径5メートルー10メートルにも成る木GAMELEIRA等、興味深い木があった。XIQUE-XOQUEと呼ばれるサボテンが丘陵地には、多くみられたし砂浜にもJITIRANAという緑の葉を付けた地を這う植物に混ざり健気に咲く朝顔が風に揺れていた。
島で一番蔓延っているのは島特有の蜥蜴MABUIA。マブイアは、島のいたる所に蔓延っており間違って踏み潰すかと思う程。蚊や小さな昆虫を食べるとかで、島には蚊が少なかったのは、マブイアさんのお陰?
島で一番ありがたかったものは、FONTE SANTA RITAで瓶積めしているミネラルウーターのINDAIA、通常はガスなしである。1日5本平均で50本は飲んだと思う。水なしでは島では過せない。
今回の休暇旅行には、どうしても読んで置きたい本として神山典士さんから送って頂いた本2冊『組織に頼らず生きる』『勝負あり』と昨年送って頂いて置きながらつい積読で失礼していたカリフォルニアにお住みの鈴木武テリーさんの著書『遅刻してきた国民学校卒業証書』『高雄愛河%゚智の滝<Tンタバーバラビーチ』の4冊だけは完読したいと思っていた。都合現地で購入したFERNANDO DE NORONHA Da ilha Maldita ao Paraisoを含め合計12冊をトランクに入れて来たが結局半分も読み終わらず仕舞い。神山さんと鈴木さんに送って頂いたこの4冊の著書は『私たちの40年!!』HPの関係書籍の欄でも紹介して置きたいと思います。
今回の旅行の経費に付いては、VARIGのマイレッジによる航空券を使用したのでこれが最低料金で飛んだとして一人当たりR$2860,00とか。
キャッシュで私がR$800,00. けい子がR$700,00を持参して来ており現地でカードで支払った島の滞在税(TAXA de PRESERVACAO AMBIENL=環境保全税) R$453,68、島の追加観光費R$280,00 1日半借りたレンタカーBUGGYの支払R$165,00は、けい子が小切手払った。ポルトアレグレで旅行社を通じて支払った9泊10日の宿泊料と観光費用の合計がR$3200,00 幾分現金が残っていたので、ざっと計算して矢張り総経費は5000レアイス。若し航空運賃を自前で払うと1万レアイスでは収まらなかっただろう。1日500レアイス平均は、最低給料が260レアイスであること考えると矢張り贅沢な休暇であったことは間違いないようです。
コメント、質問等の紹介編
親愛なるメンバーの皆さん。
明日から27日(日)まで夏季休暇に入ります。携帯,PCを担いで行きますが、大西洋のブラジル最東端の大陸から545km離れた夢の島、フェルナンド・デ・ノロニアに出向きます。ポルトアレグレから飛行機で7時間の道程でレシフェから545km東に浮かぶ孤島です。PC接続環境が悪いとの情報を得ており最悪27日まで交信不狽ニなる可柏ォもあります。(誰だそうなれば良いのにと思っている人は?)。カフェー店があるとのことですのでYAHOOなら繋がるかも知れませんね。若し繋がれば写真と文で島の様子を御知らせします。
これ迄この種の休暇を取った事がなく何時も何所かに行く場合でも仕事に託け、知人、友人に合うのが楽しみの一つですが、今回は、全くの無人島に二人だけで行くようなもので読んでいない本をどっさりトランクに入れカップラーメン、おかき他を詰め込んで行きます。完全隔離旅行、我慢ができるかどうかのテストでもあります。
お陰様でこの『私たちの40年!!』MLも先程の丸木さんの書き込みで1000件を突破しました。昨年7月20日に初めて7ヶ月で達成です。よくまあ遣って来たなーと感慨深いものがあります。
『私たちの40年!!』HPも昨年10月18日に10万回を達成し4ヶ月後の本日135000回を記録しております。1日平均291回となりサーバーの不調で見られない時間帯が多くなっている昨今、一体何方がアクセスして呉れているのかと感謝の気持で一杯です。これからも倦まず弛まず継続して行きたいと願っています。
皆さんのご声援をお願いする次第です。
では行って来ます。地震のない大西洋ですが津波には気を付けます。
鈴木隆行さんとの交信
和田好司様
うらやましいです。
日本はまだ寒いです。
さて、このメールは、島で見てもらえるでしょうか?(通信環境が整っていればいいのですが、)
FERNANDO DE NORONHA(PE) の旅行の事でお聞きしたいのですが、
AEREO Gol Reservas . Pantanal. Rio Sul. TAM. Varig. Vasp .
今回の御旅行はどの航空会社を ご利用でしょうか?
もし、お願いできれば、以下の写真を撮影して頂けると嬉しいです。(Web 写真掲示板などで公開していた だけると・・)
1 ホテルの外観の写真
2 ホテルのロビー及び室内の写真
3 毎日の食事の写真
4 浜辺の写真
5 海鳥の写真
6 イルカの写真
7 島で捕れる魚の写真
8 飛行機の機体外観の写真
9 飛行機の機体内部の写真
10 機内食
11 フライトアテンダント(スチアーデス)の写真
奥様と良い休暇をお過ごし下さい。
鈴木 さま
子供の頃の遠足の前日のように久し振りに気が高鳴って12時に就寝しましたが中々寝付けませんででした。朝も4時45分に目覚ましを掛けておいたのですがまだならない内に起き出しメールをCHKしております。
蔵書を倉庫に収納しておられるとの事、凄いですね。私は事務所引越しで多くの本を処分しました。少々残念でしたがあってもなくても普段使用しない物は余り気にならない事が分りサッパリしました。
御依頼の件、出来るだけに忠実に写真等を撮って置きます。
今回のフライトは、VARIGのマイレージを使用しての無料切符です。通常料金ではポルトアレグレからだとR$3800,00,一番安いのでR$2758,00掛かるとのことです。今回は一人往復2万マイルで席が取れずに片道はBUSSクラスで3万マイル使用となりました。マイレージも有難いものです。
ポルトアレグレを7時に出てノロニア島までの直行便でリオとレシフェに止まり同じ機体がノロニア迄行きます。多分737を使用ではないかと思います。便利なものです。帰りも同じ飛行機がレシフェー、リオ経由ポルトアレグレ迄戻って来るようです。
4時45分の携帯の目覚ましがなりました。これから準備の上ポルトアレグレの飛行場に出向きます。写真の件、被写体、要請事項(宿題)を頂きましたので出来るだけ忠実に追って見たいと思います。いるかの泳ぐ姿、海亀の産卵現場等は旨く機会に恵まれるかどうか?では行って来ます。
和田好司様
もう、FERNANDO DE NORONHA に到着された頃でしょうか?
景色は、奄ヌうり、青い海、青い空、白い砂浜ですか?
依頼の件、お手数掛けてすいません。
それではまた、
(さて、島でメール見れるでしょうか )
MLチエックを20時間後に確認してみます。
和田好司様
鈴木です。
こんにちは、2週間ぶりぐらいですか、(お久しぶりです)
FERNANDO DE NORONHA 奄ノたがわず、良い所だったみたいですね。
事前にスパイクレスのゴルフシューズを用意して行くとは、感心しました。
ちなみに、私は海・磯場ではダイビング ブーツか地下足袋・コハゼの部分がマジックテープの物(海水で金属 のコハゼが 劣化するので)を使用しています。
ダイビング シューズ
http://vesuvio.e-oshina.com/vc/s11tz201833/
ポルト アレグレ の近くの浜辺 海は寒いので、ドライ スーツが有ると何かと便利だと思います。ドライ スーツ(保温効果があります)
www.marine-web.com/special/school/drysuits.html">http://www.marine-web.com/special/school/drysuits.html
お願いいたしました、旅行中・島での写真を画像掲示板で見せて頂ければ嬉しいです。
(できれば、キャビネサイズ以上の大きさでお願いできますでしょうか?)
お忙しい中 本当にありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
鈴木隆行
鈴木 隆行 さま
ご無沙汰失礼しました。島は完全隔離状態で衛星通信が可狽ネのですが、役に立たない昔のままの島を楽しみました。
写真は、1200枚(一日平均120枚)撮りましたが使えるのは25%程度ではないかと思います。使えそうな写真を縮小専門ャtトで400X400の70kb程度に島にいるときに落として置きましたので直ぐにでも掲載可狽ナすが時間がなく(夜か早朝に作業)まだ掲載出来ていません。ボツボツやります。
画像掲示板、このMLにあるWEB欄のフォットアルバムにも掲載しますが、サイズは上記縮小版となります。オリジナルは、700kb前後のものですのでご希望の写真があればオリジナルをDMで送らせて頂きます。
鈴木さんのご指定の写真は、ほぼ網羅出来ていると思います。各説明等は、10日間の備忘録の中に出ていると思いますが、必要があれば特別欄のQ&Aを用意して御説明可狽セと思います。
鈴木 隆行 さま 皆さん。
フェルナンド・デ・ノロニアでは、合計1151枚の写真を撮りましたが、その内の84枚をサイズを落としこのMLのフォトアルバムに掲載しましたのでご覧下さい。ご要望通り行かずアトランダムですが、特別関心をお持ちの写真があれば手持ちの中に撮っているかCHKの上お返事させて頂きます。備忘日誌に記載されている範囲での写真となりますが。
リオの出羽さんとの交信
和田さん、
リオの出羽です。
FERNANDO DE NORONHA 、一度行ってみたい処ですが、まだ望みを達しておりません。BOA VIAGEM。
出羽 さま
FERNANDO de NORONHAについて長々書きましたが、筆では言い浮ケぬ良い所ででした。是非行って見られることをお勧めします。リオからだとRESIFEでワンストップ次はNORONHAです。2泊か3泊で助ェです。
留守中に送って頂いた【イパネマの娘】、1月の【イデンチダーデ】を寄稿集504番目の【牛肉】12月分掲載の場に一緒に掲載して置き増したのでご確認下さい。URLは、下記です。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=727
そろそろ3月分が上がって来るのでしょうか。楽しみにしています。
和田様、
リオの出羽です。
フェルナンド・デ・ノロニャ リポート、うらやしく、楽しく読ませていただきました。
2泊か3泊で充分とのことですが、一度行ってみたいすばらしい北伯の孤島。「百聞は一見に如かず」、ある日そのチャンスが来ればと願っております。
次の雑文、やがてお送りいたします。宜しくお願い致します。
千葉の大網にお住みの坂本さんからのコメントです。
楽しそうですね。
ところで、<特にマダガスカル島原産のフランボヤンの花が島の象徴の一つとして咲き誇っているのも頷ける。>とありますが、マダガスカルというのは、アフリカの東、つまりブラジルの方からは大陸ひとつ隔てているのではないですかね。ここだけが<頷けません>では、楽しい旅を、バイバイ。
坂本 翼 さま
ご指摘の通りマダガスカル島は、インド洋側にある大きな島で私も1965年にローヤルインターオシアンの移民船テゲルベルグ号で再渡航する際に立ち寄った懐かしい島です。ブラジル本国のポルトガルは、アフリカ大陸の東側(マダガスカル島側)にモザンビークというポルトガル領を持っており、ブラジル側の西海岸にもアンゴラ領を持っており今でもポルトガル語を話しています。従い当時のポルトガル人の世界を制覇?した航海術と航海員からするとケープタウンを通過してのアフリカの西と東の交流は今より進んでいたのではないかと想像します。ブラジル発見、ノロニア島発見もヨーロッパ大陸から胡椒初めアジアの香料をアフリカ大陸を回りインドに通じる航路開発の一環で間違ってと言うより意図的に西に流れて実現したというのが歴史上の事実のようです。ノロニア島からはヨーロッパは僅か2600km、ポルトアレグレが4500km近く離れているのを考えると思ったよりアフリカとの交流が有ったのではないかと思います。それにフランボヤンの少しどぎつく感じる赤い花を見たら必ず自分の住む場所にこの花を咲かせて見たいと思うのではないでしょうか。ブラジル本土でもポルトアレグレでもリオ、サンパウロ、ブラジリアでも見かけました。
また何か気が付いたらコメントして下さい。
サンパウロのbatepapoの仲間赤嶺さんとの交信
遥か孤島の和田さん
赤嶺です。
前略 遥かFN島にいらっしゃる和田さんの観光日誌を興味深く見守っております。小生にも過去2回くらい同島へいくチャンス(家族は行ってきたのですが)があったのですが、最後の段階になって、いつもImprevistoみたいなことが出てきて、残念ながら、いまだ未知の孤島となっています。
和田さん、注文を付けさせて下さい。観光日誌の日付が10日以上遅れてしまっているようですので、ちょっと無理かもしれませんが、当日の気象情報(NHK並とはいいませんが、もともとそれに関心を抱く癖がついていますので)を少しでも入れていただきますと、もっと臨場感が出てよろしいように思われます。
それと、できれば、長い文章ですので、4,5行ずつの間に1行分余白を設けていただきますと、特に最近視力(眼力も併せせて)衰えの著しい小生には大助かりだと思います。そのほかは、どうか過去の歴史の誰かさんのように、島流しといいますか、流島といいますか、どちらでもいいですから、とにかくその醍醐味を満喫してきて下さい。
赤嶺 さん 皆さん ご無沙汰しております。
自ら選んでの島流しフェルナンド・デ・ノロニアの10日間の日誌風記録を私たちの40年!!MLに10回に分けて流していますが、赤嶺さんのお目に留まっているとは光栄です。
残りの5日分には、気象情報(天気、天候の記載)も考慮します。
読み易くする工夫、これも大切ですね。HPの字のサイズを大きく設定したり今後の課題として考慮して行きたいと思います。
尚、この日誌風島の生活は、まとめて私たちの40年!!HPにも掲載嵐閧ノしておりますので別途お知らせします。
トロントにお住まいの丸木さんのコメント
丸木で〜す
ロビンャ塔Nルーメ[の如き生活体験、羨ましいですね。
私も今年の初めには、同じペルナンブコ州のタマンダレー海岸でハンモックに揺られながら、養老孟司の「馬鹿の壁」を読み、一神教の信者と我々多神教の日本人との間には壁があって、話せば分るどころかく話しても分らぬ者のほうが多いことを知りました。
たまには無人島なんかで、ゆっくりとしてハンモックに揺られ読書三昧も悪くないですね。私も日に焼け、黒人に黒人より黒いと云われてしまいました。
零下20度のトロントにて
丸木 さん
トロントは、零下20℃ですか。想像も出来ません。ポルトアレグレは、朝夕涼しくなり秋の気配がして来ていますが日中はまだまだ暑いです。
丸木さんも年末年始はペルナンブッコで過されたのですね。奥様がオリンダを占有していたオランダ人の子孫だと聞いておりますが、フェルナンド・デ・ノロニアもオランダが占有していた時期があるようでした。レシフェーから545km。50分で行けますので来年は是非訪ねて見て下さい。良い所です。
それと紫陽花の町グラマードにも足を運んで下さい。南伯も見るところが多いですよ。サンパウロのナツメロも良いでしょうが奥様とご一緒に南迄下って来て下さい。
ベロオリゾンテにお住みの荒木さんからタピオカに付いての思い出を寄せて頂きました。
タピオカは、マンジョカ芋の粉を良く篩いで漉した上質の真っ白な粉を暖めたフライパンに広げると薄いケーキ上のものができそれに普通はココナツのぱさぱさしたCOCO RARADOを入れてオムレツを閉じるように折り曲げて両面を少しあぶり加減にして食べるのですが、最後の日のお昼に食べに行ったタピオカ専門店では、見てる前でタピオカを作ってくれ1枚が3レアイス(1ドル以下)で中にチーズやバナナ果ては干し肉まで入れて作って呉れました。毎朝食べたココだけのシンプレスなのが一番食べ易く飽きませんでした。写真を画像記事版に唐阨tけて置きます。
和田さん、
孤島の休暇うらやましい限りです。特に毎日の朝のカフェーでタピオカを食べておられますが、読むたびに生つばが喉を過ぎます。と言うのは、数年ペルナンブーコ州とその周辺の東北伯に住んでいましたので、すっかりタピオカになれてしまい(ならさ
れたのかも)、東北伯の事になると仕事の事よりタピオカが最初に頭に浮かんでくる始末です。以前ベレンのサッカー場、マンゲイロンの拡幅工事に行った時泊まったホテルでも、朝のカフェーにタピオカがあり驚きました。果汁類は味が強く好みません
が、タピオカは適度のこおばしさの舌触りで忘れられない味となりました。ベロオリゾンテ 荒木。
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