『笠戸丸移民物語』制作へ FPPが沖縄県人の足跡辿る サンパウロ新聞WEB版より転載。
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サンパウロで戦後移民50周年祭の記念行事の一つとして桜の植樹キャンペンに参加した時にお知り合いになりその後『私たちの40年!!』にも下記寄稿して頂いた野崎文男さんが『笠戸丸移民物語』を製作されるとの嬉しいニュースがサンパウロ新聞に掲載されていました。笠戸丸移民の半数は沖縄県人だったとのことで沖縄とグアタパラが主舞台になる模様。100周年記念事業の一環としてでしょうがどんな作品が出来るか楽しみです。
路面電車ボンデ FDP記録映画製作所 野崎文男
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=555
写真もサンパウロ新聞のものをお借りしました。
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『笠戸丸移民物語』制作へ FPPが沖縄県人の足跡辿る
サンパウロ新聞WEB版 9月21日付
第一次移民「笠戸丸」移住から今年で九十八年。〇八年の移民百周年の完成を目指し、笠戸丸移民の約半数が沖縄県人であったことから、主に同県人の足跡をたどるドキュメンタリー映画「笠戸丸移民物語」の制作が農水省認可の農林放送事業団の協力で進められ、六月には、サンパウロのFDP記録映画制作所の野崎文男プロジューサー、左藤嘉一カメラマンが約一週間、沖縄を訪れ撮影を行なった。
笠戸丸移民七百八十一人中、三百二十五人が沖縄県人。このうち十二家族の子孫の所在が沖縄県人会と各支部の協力で確認され、二年前から取材をスタートしている。
今回の沖縄の撮影では沖縄ブラジル協会(西原篤一会長)、県国際課が全面協力、名護、金武町など各地を取材、笠戸丸移民の出身地で多かった沖縄本島南部に位置する南風原(はえばるちょう)では、日系初の歯科医となった金城大和さんの生家や、彼の無二の親友でイッパチの名で知られた博打打ちの儀保蒲太さんの墓なども撮った。
帰伯後、住所が判明している笠戸丸移民県人子孫の十二家族の取材を続行、その中で、出稼ぎにいき、工場勤めから滋賀県甲賀で在日ブラジル人向けにキアボ(オクラ)やジロー(ニガウリ)のブラジル野菜栽培に転じた笠戸丸移民の金城善助さんの孫も取材、紹介している。
笠戸丸移民のドキュメンタリー映画のため、沖縄県人以外の取材進め、笠戸丸移民唯一の生存者、ロンドリーナ在住の中川トミさん(熊本県出身)のインタビューもすでに終えている。
取材はあと一年続き、フィルムは農林放送事業団で編集され〇八年の百周年までに完成さす。説明に来社した野崎、左藤両氏は「映画はDVDで各家庭で鑑賞でき、また移民史料館など、日伯関係機関にも寄贈予定。今後も日本を往復しての撮影となるが作品に期待してください」と自信のほどを語っている。
〔写真:撮影の進行状況説明に来社した野崎さん(左)と左藤さん〕
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