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東北関東大震災の記録(その4)
東北関東大震災が起きて既に3週間が過ぎました。サンパウロへの出張等もあり地震記録に間隔が空いてしまいましたが、(その4)を掲載して置きます。BLOGに記録されているものを拾う作業ですのでそれ程苦になりません。4回位で終了すると思っていたのですが、まだ続きそうです。次回は番外編として工藤さんの仙台オリンピック提唱とか3週間漂流したワンちゃん生還の話し等明るい話題で締めたいと願っています。コメント頂いた皆さんに感謝です。
地元紙でも大震災の話題からオバマ大統領の来伯、リビア空爆の話題等に移り福島の原発の行方と義捐金活動、日本は立ちあがれるのかと云ったこれからの復興の話題に移って来ていますが、写真は地元紙に掲載された東京電力の会長が深々と頭を下げ福島電発は廃棄処分をすると告げている写真をお借りして使用する事にしました。


サンパウロの知り合いの方々へ 松川さんの東京便り(その3)
3月16日現在  まだ各地で地震が起きていまして、震源地は長野、茨城沖、静岡沖、とさまざまです。やはり11日のM9地震で活断層が刺激されたものと思います。
昨晩10時過ぎの地震はかなり揺れたようです。
NHKなどでごらんいただけるとおり、原発は予断を許さない状況が続いています。
発電所への送電が止まり、バックアップ電源も作動せず、なんてことにどうしてなるのかわかりません。ここだけは大丈夫、でなければいけない場所だったはずです。
燃料棒の冷却水が回らず、水が入らず、燃料棒が一部露出したままの状況です。
海水を入れ始めていますが燃料棒が水に全部入るレベルまでにはなかなか達しないようです。
1、2、3号機のトラブルに続き、使用済み核燃料を保管している4号機でも同様の冷却トラブルが発生し、小規模爆発が起こっているようです。
5、6号機も類似の問題が起きる可能性もあります。
この、原発のトラブルだけでも何とか解決してほしいと思います。
被曝を省みず冷却水注入の現場で作業をしているのは東電のマネジメントもしくは幹部社員ではなく若手社員だと聞きました。とりあえずはガンバレ東電の作業員の人たち!と叫びたいです。もはや日本の将来は彼らの活躍にかかっているといっても過言ではないでしょう。
適切な対処がされぬうちに原子炉に直接損害を与えるような余震が来たら本当にまずいです。
スーパー等での買い込み、買いだめは続いています。先が見えないのである程度蓄えておかなければという気持ちはわかります。
関東近県にお住まいのご親戚、特にお年寄りや病人の方、乳幼児がおられる方は特に食料や電池、トイレットペーパーなどの調達に苦労しておられるかもしれません。
もしそのような人がいれば、中部、関西以西の人たちから宅急便で不足物を送ってあげるなどの対策をお勧めします。宅急便はまだ大丈夫です。
あ、また、茨城沖震源の強い地震に対する警戒情報がでました...。
ではまた。松川 純夫
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/24149914.html

3月15日も地元新聞は東北関東大震災の話題が1面を占めていました。
NHKでは24時間体制で東北関東大震災のニュースを流していますが、当地ポルトアレグレの新聞でも継続して日本の地震の話題が大きく取り上げられています。
当地新聞掲載の写真を貼り付けて置きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/24149994.html

東北関東大震災の記録(その1)
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1531
未曾有の観測史上最大のマグネチュード9.0(最終震度)の大震災が3月11日に東北太平洋沖を震源地として発生しました。以後NHKは、24時間体制で震災のニュースを流し続けています。『私たちの40年!!』メーリングリスト、BLOGでも沢山の書き込みが記録さえており、この苦難な時期に『私たちの40年!!』と云う媒体を通じて同じ思いを共有した仲間の思い、書き込みを一つの記録としてホームページに収録、書き残して置きたいと思います。バーチャル座談会の大震災編とも云えるものです。
暫くはこの話題が継続すると思いますのでBLOGに記録しながらぼつぼつホームページに収録して行きたいと思いますので皆さんの参加をお待ちしております。
関係写真は、BLOGのURLを記載していますのでそちらで見て頂きたいと思います。ここでは、当地新聞に掲載された仙台空港の写真を使用しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/24166439.html

(コメント集)
三浦忠義君の安否 横内さんからの御便りが届きました。
早大海外移住研究稲門会OBの皆様
東北巨大地震で被害の大きかった石巻市在住の三浦忠義君及びご家族の安否が気遣われ、OBの皆様よりも安否を気遣う問合せを頂いております。
地震当時の11日より連絡を取っておりましたが、たった今、三浦君の妹さんからお電話を頂き、本人と連絡がとれ、本人及び家族共に無事であるとの知らせがありました。
石巻市の被害は甚大で、市の7割が水没しており、市民約1万人が避難所に避難しているそうですが、三浦君家族は自宅に避難しているとの事。
ただ、自宅は1階が水没し、2階に避難している状態が続いているそうです。
なにわともあれ、無事が確認できた事は何よりも朗報ですので、皆様にお知らせ致します。尚、三浦君を力づける為、皆様のご協力をお願いする事もあるかと思いますが、その際は宜しくお願い申し上げます。
2011年3月18日 横内 正毅

横内 さん 石巻市在の三浦忠義さんの消息が掴めたとの事、良かったですね。
私たち仲間では、唯一三浦さんが被災地に住んでおられたのですから心配していました。
ご自宅での避難とはいえ1階が水没して2階で避難しておられるとの事、どんな思いでしょうか。
船で食糧とか救援資材が充分届いているのでしょうか?石巻市の7割が水没しているとの事大変だと想像します。
無事が分かったのは大変嬉しいのですが、これからの復旧、復活への道を思うと言葉も出ません。
今回の4月の訪日は、中止する事になりそうですがその内、機会があれば石巻にも行って見たいと思います。何時の日か笑って今回の水害の思い出が語れる日が来ることを願っています。
機会があればブラジルからもエールが届いているとお伝え下さい。

横内兄
三浦君ご一家が無事だそうで胸をなでおろしました。
石巻は甚大な被害をこうむったとのニュースで心配していましたが、三浦君の家は海岸からかなり遠かったと記憶していましたので、必ずどこかの避難所で元気でがんばっているだろうと念じておりました。
ともあれ今は無事を確認できたことを喜んでいます。眞砂

横内さん吉報深謝。これで私の仙台方面の知人は全員無事でした。亡くなった方々の冥福を祈る場会です。
是非三浦君への支援を考えましょう。菅間

早大海外移住研究稲門会 OBの皆様
既に三浦君の無事確認をお知らせ致しましたが、昨夜、震災以来初めて本人より電話があり、元気な声を聞くことが出来ました。
18日付読売新聞の震災安否確認欄に掲載をお願いしたところ、それを見た仙台にいる息子さんが本人に伝えてくれ、本人からの電話につながった様です。
石巻市のインフラはまだ回復していませんが、仙台の息子さんが食料を運んでおり、食事の心配は無いとのことです。市内の水も引いてきており、少しずつ様子を見に出られる様になったとの事。
OBの皆様からも色々ご心配をいただいている事に大変感謝しており、宜しく伝えて頂きたいとの伝言がありましたのでお伝えいたします。
2011年3月20日 横内 正毅

和田 様 ご無沙汰しております。早速、御見舞いのメールを頂き有難うございます。
昨日、本人から電話がありましたので、皆様からのお見舞いの事も伝えましたので、それが励ましになればと思っております。
恐らく目の前の一日、一日の事で精一杯でこれからの事にはまだ考えが及ばない状況だろうと思います。
まさかの事、想定外の事が現実に起ったと言うことを受け止めてはいますが、それにはどの様に対応すべきか、全く考えが及ばないというのが正直なところかもしれません。
私たちにとっても、30年以内に7割の確立で東京直下型や東海地震が予測されると言われていますので、明日は我が身と言う覚悟も必要と思っています。
「備えあれば憂いなし」の格言がありますが、今回の地震・津波の規模にはどこまで備えれば良いのか全く見当もつきません。
日本の有史以来、毎年台風、地震、津波などの大災害に見舞われながらも発展して来たパワーを信じて乗り切って欲しいと切に願っています。次回、来日される機会を楽しみにしております。
2011年3月20日 横内

横内 さん
ご丁寧な返信有難うございます。
三浦さんご本人との直接の電話も通じブラジルからの応援の声を伝えて頂いたとの事、有難う御座います。
4月28日には、ブラジル稲門会会長の相田ご夫妻、富田さんを加え稲門会の皆さんとの会合が予定されていたようですが今回は、諸般の事情でブラジル組は訪日中止となり皆さんとの会合の機会を失ってしまいましたが又の機会に皆さんと歓談させて頂きたいと願っております。
若き日に海外への雄飛を夢見た我々移住研の仲間も老齢化していますが、気持ちだけでも気丈夫に持ちたいですね。今回被災された三浦さんの今後の活力と復興への思いを支援して行きたいですね。仲間なのですから。。。私にもお手伝い出来る事があれば仲間に入れて下さい。皆さんにも宜しくお伝え下さい。

ニッケイ新聞 2011年3月19日付け
「日本の皆さん、頑張って!」=被災3県人会が特別法要=万感の思い込めエール送る=「原発問題の収束願う」
 「日本のみなさん、頑張ってください! 各々の立場でブラジルから応援させてもらいます」。ブラジル宮城県人会の中沢宏一会長はそう祭壇に声を張り上げ、頭を下げた。最も大きな被害を受けた地域の3県人会が主催した「2011年東北地方太平洋沖地震被害による物故者追悼初七日法要ならびに災害お見舞」の特別法要が、ブラジル仏教連合会の協力により17日午後6時から、聖市の宮城県人会館で執り行われ、約250人が詰めかけ、それぞれの思いを込めて焼香した。

 宮城県人会(中沢会長)、岩手県人会(千田曠曉会長)、福島県人会(小島友四郎会長)が主催した特別法要で、最初に追悼の辞を述べた千田会長は、「コロニアのみんなが支援しているから、みなさんも頑張ってくださいと県庁にお伝えしました」と報告し、「この災害に接し、なんと言って良いか分からない」と言葉を詰まらせ、来場者に謝意を表した。
 続いて中沢会長は「日本人は自然の恵みに感謝し、自然と共に生きてきました。あの美しい調和のとれた環境が自然のもの凄い力で破壊されました。多くの尊い命がなくなり、代々築いてきた町が消滅しました。悲しみと無念の気持ちで一杯です」と万感の想いを込めたメッセージを送った。
 さらに小島会長は原発問題にも触れ、「これは福島県だけでなく地球規模の問題なので、これ以上問題が大きくなる事なく収束にむかうことを願います」と手を合わせた。
 長い焼香の列ができ、ひとりひとりが万感の想いを込めて手を合わせた。法要の最初から数珠を持った手をずっと合わせたままの人、頻繁に涙を拭う人の姿もあちこちに見られ、千田会長は最後の方ずっと思い詰めた表情で中空を見つめ、涙を流しつづけていた。
 「日本は何度も国難に直面し、その度に復興してきた。今回もまた回復してくれるに違いありません」。法話のなかで、本門佛立宗のコレイア教伯師がそう語りかけると、涙をこぼす来場者の姿が見られた。
 来場者の田中晴則さん(はるのり、61、広島)=聖市=は、「これほどの無残な出来事にたいして何もできない自分に恥じています。ともかく日本のみなさんには頑張って欲しい、それだけです」と一言一言噛みしめるようにのべた。
 阿部陽子さん(64、佐賀)は「家でもお経を上げているが、特別法要で線香の一つもと思ってやってきました」、阿部正司さん(65、岩手)は「叔父が釜石にいて、今朝8時半にようやく無事が確認できた。ホッとしている」と胸をなで下ろす。
 法要が終わった後、3県人会長の前には「頑張ってください」と握手する人の列ができ、小島会長は「みんなこんなに心配してくれてほんとに有難い」と目をうるませていた。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/24186073.html
(コメント集)
仙台の吉田です。ブラジルの皆様、慰霊法要ありがとうございます。私の寺では毎年春彼岸の中日に彼岸法要を行っております。檀家さんの大部分が何らかの形で被災者であり、ガソリン不足等交通事情もまだまだ悪いため、来たくても来れない方もたくさん居られます。そういう方々の分の気持ちも込めて、檀家さんの先祖の供養をし、震災で亡くなられた方々のご冥福を祈りたいと思っております。
宮城県人会の中澤会長も私も気仙沼高校の出身です。ニュース映像に涙しながら、同級生たちの身を案じております。私は気仙沼から少し内陸に入った千厩という町の出身ですので知り合いの数は限られてきますが、気仙沼市唐桑出身の中澤会長は大勢のお知り合いの身を案じておられることと思います。
和田さん旧知の大友庸一記者は現在河北新報石巻支局で被災地の取材報道に当たっておられるようです。
>宮城のニュース巻き網船物資続々 石巻
東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市の石巻漁港に、水や食料などの救援物資を積み込んだ巻き網船団が続々と集まり始めた。
大型巻き網船「第75はやぶさ丸」(349トン)は飲料水や缶詰などを焼津港で積み込み、石巻に入港した。17日、水没した岸壁と船をゴムボートで何度も往復。乗組員が胸まで水に漬かって救援物資を自衛隊に引き渡した。ほかに2隻の大型巻き網船が入港し、孤立した牡鹿半島の集落に救援物資を運んだ。全国に約30隻ある大型巻き網船のほぼ全船が支援物資を積んで石巻に向かっているという。
(大友庸一)2011年03月19日土曜日 河北新報 www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110319t13015.htm">ttp://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110319t13015.htm >

仙台の吉田さんと呼ばせて貰うより洞連寺住職の方がぴったりですが、お便り有難う御座います。
元日本ブラシル交流協会の研修生でポルトアレグレの南伯日本商工会議所の事務所があった丸紅ポルトアレグレ出張所で1年間会報発行を手伝って呉れた大友庸一さんが現地石巻で記者として活躍してとの情報有難うございます。先年、恵子と一緒に平泉を大友君に案内して貰った事がありますが、頑張っている事が彼が書いた記事を通じて知ることができ嬉しく思います。『私たちの40年!!』メーリングリストにも転載させて頂きます。有難う御座います。

東北関東大震災の記録(その2)
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1533
東北関東大震災が起きて1週間が過ぎました。寒さが厳しい被災地で今も耐乏生活をしておられる方が多いようで心を痛めています。8日目で気仙沼から救出されたという青年のニュースも伝わっているそうです。(五味情報)
ブラジルでは、連日地元紙のTOP PAGE飾っていた日本の大惨事の記事がリビアの内戦鎮圧への動きやオバマ大統領のブラジル訪問等の話題に移って来ていますがそれだけに地震、原発事故の解説記事等が特集で伝えられています。
『私たちの40年!!』メーリングリスト、BLOGでは多数の写真を掲載しておりそれに関する皆さんのコメントが寄せられておりそれをひつつひとつ拾ってこの時期に共に行きた者の気持ちとして記録して置きたいと思います。写真は、そんな中から自衛隊員に助けられている老夫人の当地で1面に掲載されていた写真を使用しました。

(コメント集)
実弟、中田成弘のメール連絡です。
香西さま
ご無沙汰いたしております。 この度はOFF会のお誘いありがとうございました。 またお返事が遅くなり申し訳ございません。
実は1月下旬より福島県いわき市、茨城県北茨城市、神栖市と出張しておりました。地震には鹿島臨海工業地帯の化学工場であいました。 住金鹿島より3Kmしか離れておらず、爆発事故にもあいましたがなぜか被害にありませんでした。 いわき、北茨城の協力会社の方々が多くなくなりました。 昨日神栖から16時間半かけて神戸に帰ってきました。 私は本当に強運だと思います。 イラン、トルコの内戦、サウジアラビアでの宗教戦争、阪神淡路大震災と色々経験しましたが、廻りの人は被害にあいましたが、なぜか私だけは安全でした。
今回の出張には個人のパソコンを持って行っていなかったため、香西さんのメールを先ほど読ませていただきました。
OFF会は神戸に居れば必ず出席しますが、現時点ではお約束できません。 いつ 調査の再召集が掛るか判りません。
出欠のお返事は直前になってしまいそうです。大変ご迷惑な返事で恐縮ですが御了解願います。
再会出来ることを願っております。中田成弘@神戸

成弘 殿 テレビにも写っていた燃え盛る住金鹿島より3kmの地域にいたのですか?危なかったですね。多加代の第1報では電話が通じず心配していたようですが私が聞いた時には『電気がなく寒い思いをしているようだが命は助かった』との情報で胸を撫ぜ下ろしていました。強運の男ですか?丸木さんみたいやな!
私の訪日は、現在旅費の一部を負担して呉れる会社3社と交渉中ですが、月曜日には正式に皆さんに連絡できると思いますが、幻のOFF会になってしまいそうです。私は槍が降ろうが、放射線が降ろうが行く積りにしていましたがクライストチャーチの小百合が一番に反対し、地震の前は、我々がニュージランド行きを キャンセルしたので日本まで夫婦で会いに来て呉れるとの話が纏まりJAPAN REAL PASSの準備等を初めていた矢先の出来事で一番に訪日を断念、我々の訪日にまで反対し先ず恵子が訪日を断念してしまい、一人では日本に行かないと云っていた手前私も訪日中止を検討せざるを得なくなった次第です。
3社の内、2社からは中止をア クセプトして呉れているのですが、最後の1社が月曜日に社内協議の上最終結論を出すとの事で日本滞在を短縮して私一人で訪日の可能性も残されていますが、多分中止となる見込みです。OFF会で皆さんとお会いできるのを楽しみにしていただけに残念ですが、家族全員が反対する中、強硬は避けざるを得ない状況です。青森から鹿 児島の夢の旅は、五所川原、新潟、富山、鹿児島、霧島温泉とホテルを全て楽天で予約済みですが未だキャンセルせずにいます。月曜日には確実な返事を皆さんに出しますが、今回はお会いできないようです。悪しからず。。。

相田先輩、和田さん 富田です。
メール、拝見しました。訪日をキャンセルなさるとのこと、止むを得ないですね。又の機会を待ちましょう。
実は、先週金曜日の地震の第一報の後、地元のTV局の取材を息子と共に受け、米国人の地震への関心の高さを知りました。
未だTSUNAMI襲来の前でしたが、オバマ大統領の「日本はUSAの最も大事な同盟国である。日本のために出来る限りのお役にたちたいと言う、日本向けメッセージが印象的でした。
TV局の関心は「我々の家族は無事か?」にあり、日本時間が朝5時にも関わらず、電話させられて、東京の弟の情報をTVでリポートしました。
東京の自宅はお皿、酒ビン等が割れただけで、皆無事でした。
さて、パリから帰って見たWSJ紙に東北大地震と津波に関する、論文が載っていました。
「何世紀にわたって、日本は自国を襲った自然、人間による災害から、再建設出来ない、災害は無いことを学んだ。
必ずや日本は今回の災害から立ち上がり、以前にも増して、強くなるだろう」とイアン・ブルーマ氏は日本にエールを送ってくれました。
来年、お会い出来ることを楽しみにしています。なお、私は予定通り、来月末帰国します。
San Antonio, Texas
富田眞三

東北関東大震災の記録(その3)
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1534
東北関東大震災が起きて10日が過ぎました。この東北関東大震災の記録を残すに当たり『私たちの40年!!』メーリングリストに書き込まれた皆さんの思いを写真入りのBLOGに転載しそれをベースに作成していますが、時間の経過より書き込み内容による話の継続性を重視し後で読み返して見ても話の筋が繋がるように気を付けました。また匿名でBLOGに地震関係の書き込みgoogleでの検索を教えて呉れる方も多かったのですが、この記録は狭い『私たちの40年!!』のメンバーの皆さんのご発言をこの大惨事の時期を共有した証として残して置くとの主旨であることから一般的な情報は、あえて掲載を控えました。
今回の写真は、私がRBS TVでのインタビューに答えている時の写真を残して置くことにしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/24223970.html

(コメント集)
マリコさん、荒木さん 川越しゅくこです
メールを有難うございました。12日から原因不明のパソコンの故障があり今日20日元に戻りました。1週間で450通くらいたまってました。ほとんどが地震のメールです。いまやっとあちこちに返事を出したりしています
地震の翌日、12日に東京の家族に頼まれて単1電池を買いに行きましたが、兵庫県の片田舎のここ三田でも棚からすでに電池が消えたあとでした。午前中走り回っても皆無でしたので家に備蓄してあったものをダンボールにつめとりあえず物資を送りました。
荷物は世田が谷には翌日着き、国分寺には3日かかりました。1週間たっても余震が続くなんて・・・・ほんとに驚きですね。ジーパンをはいたまま寝起。長テーブルの下で生活とのこと。ストレスがたまっているみたいです。
笛のことですが、これはなにかの下敷きになったときの救援のためです。子供のおもちゃよりもっといい笛があるそうですし、ほんの気休めかもしれませんが、・・・
山形の姑は92才の一人暮らしですが根が明るく気丈さを取り戻し、夫にカレーライスを作ってと頼んだそうです。落ちた壁も修復されホッとしています。日頃近所と仲良くしていますので、その点安心ですが。
山形も原発事故などから避難の方を受け入れていて、ここでも物資が不足しているようです。それでも物流がそろそろ可能になってきており、宅急便も引き取りにいければ送ることができるようになりました。
今回では東北のニュースで隠れてしまいましたが、友人の住む千葉の浦安もかなりひどくて水をもらいに学校にいってます。

しゅくこさま マリコです。
メールをありがとうございます。一週間で450通のメール...それに目を通され返信。
さぞ目が疲れ、肩が凝ったのではないでしょうか?
今やパソコンが故障するといろいろな情報から遠ざり、少々不安になる私は立派な依存症ですね?あぶな〜い、あぶな〜い症状ですね。
まずは、お姑様がお元気とのこと良かったですね。カレーを作るご主人様は、大変な中でも幸せを感じておられるのではないでしょうか?
買い占めですが...母が『オイルショック以来のことね』とトイレットペーパ確保だけはしていました。
電池はしゅくこさんが言われる通り「皆無」でした。その他、水、米、パン、乳製品、レトルト食品、カップ麺、缶詰等、保存食が売り切れ陳列棚は何も無い状態です。そんな状況を見ていますと、つい危機感に煽られ不安になります。
そこへTVが緊急音付きで「緊急地震速報」をながし、余震がきますから、世田谷のご家族の不安が良く解ります。我が家でもその度に母が厚手のズボンに履き替え、コートを着ようとします。可哀想です。
なにか必要なものがあればお伝えください。送れるものがあれば送らせていただきたいと思います
今日のニュースで言っていましたが、最近、めまいの症状を訴え耳鼻科を受診される方が多いそうです。
『地震酔い』とのことですが、我が家でも「揺れてない?」とお互いに尋ねることが多いです。
地震が起きて9日目を迎えた昨日、80歳のおばあちゃんとお孫さんが救出されたとの嬉しいニュース、反面、なかなか捗らない被災地の救援活動(一部良くなっていますが)原発事故から生まれる様々な問題が引き起こす生活不安。
しゅくこさんがおっしゃる千葉や他県の停電、断水問題。
皆さんの善意で行なわれている義援金活動を巡っての詐欺や窃盗。関東、東海でも地震。本当に『これから...』どうなるのでしょう?
不安を抱いては駄目駄目...と思いつつも、やはり落ち着かない日々を過ごしております。
ただ一点、このような時期ですのでカラオケ教室が休みとなり外出しない分、母と仲良しこよしで過ごしています。母も私もしゅくこさんと同じように大きな音の出る笛を鞄に入れておこうねと話しています。
しゅくこさん、優しく温かいメールをありがとうございました。
お姑様、ご主人様、世田谷のご家族皆様がこれからも無事であります様にと心から祈っております。
マリコ



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