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希望の船出 栗本克彦さんの寄稿
『私たちの40年!!』HP寄稿集104番目に掲載している栗本克彦さんの「私のページ見つけました」で紹介している栗本さんの 【人生・ロマン・メッセージ】のHPの「日々新しく」との題で日記を9月から掲載されています。その最近の欄に希望の船出(9月28日付け)と題する栗本さんの文章が掲載されておりこれを写真と共に転載させて頂きました。「南米航路移民船」として続編23章以下を継続して掲載していくとの事で楽しみにしております。栗本さんは、3年来ガンとの共存共栄10月7日に東京で精密検査を再度受ける予定との事ですが8月には帰路富士登山を果たし神戸にも立ち寄られた頑強な意思をお持ちの方ですので今回も乗り越えられるものと確信しておりますが、ご自愛頂きたい方です。
9月23日付けの富士山頂も一緒に転載しておきます。『私たちの40年!!』HPのリンク集にも栗本さんのHPがリンクされておりますので是非ゆっくり読んで見て下さい。

あるぜんちな丸の基本設計に携われた辛島光二さんよりの寄稿。
私達が乗って来たあるぜんちな丸の基本設計に携わられた辛島光二さん(神戸市在住)からお便りを頂きました。辛島さん宛に下記の御礼の手紙をだしました。写真は、適当なものが送られてくるまでサントスの海洋博物館に展示されているあるぜんちな丸の写真を掲載しました。
辛島 光二 様
お忙しい中、ある丸に付いての原稿を書いて頂いており感謝します。第一報を受け取り非常に喜んでおります。震災で殆どの資料を全焼してしまっているとの事、それだけに資料の羅列でなく基本設計に直接参加された辛島さんの頭と心に残っている個人選択によるお話を今後何回かに分けて書き残して頂けるとの事、楽しみにしておりますので宜しくお願いします。
早速この第1回目を『私たちの40年!!』HPに掲載させて頂きますが、辛島さんのお気に入りの写真数葉をお借りできませんか。出来れば最近の辛島さんのお写真 (ご自宅の周りを散歩しておられるもの等)とやはりある丸関係の写真があれば是非お願いしたいと思います。
急ぎませんが、今後とも続けて書き残してください。宜しくお願いします。

「好きです神戸」MASAYOさんのHPからの寄稿
MASAYOさんは神戸のポートアイランドにお住みで大地震後、住んでおられる神戸を見直そうと「好きです神戸」のHPを開設され、残された神戸の良さを「神戸散策」の欄で紹介しておられ、今回私たちの希望も入れて下さり「成功を夢見て。神戸移住センター」を書き上げられました。10月1日に同時封切り?立上げで『私達の40年!!』HPにも掲載させて頂く事になりました。(実際には12時間の時差がありますが)
MASAYOさんのHPも『私達の40年!!』HPにリンクしておりますので是非詳細をご覧下さい。繊細な女性的感覚と暖かい目線で私達を見て下さっており心温まる寄稿となっております。
写真は,MASAYOさんが取材に何度も出かけられた神戸移住センターの入口に建立されたブラジルから運ばれた御影石(グラニット)にブラジルの地図をかたどった「ブラジル移民発祥の地の碑」です。MASAYOさんのHPよりそのまま転載させて貰いました。

来た道 行く道 上園助監督の新聞連載より(1)
あるぜんちな丸第12次航の移住助監督として当時の海協連本部より派遣された弱冠29歳の若き上園助監督が私達の681名の兄貴分、仲間の一人として意気に燃えての初海外出張に緊張と責任感を一杯に新しい世界への挑戦意欲を持たれてご一緒して呉れました。御郷里の宮崎日日新聞社の「窓」欄に2001年4月21日から8月25日まで101回に渡って書き続けられた原稿をこの度2002年7月1日に自費出版に近い形で発行されました。同書にも何度か出てくる同船者の園田昭憲さんに謹呈の付箋を付けて送って来られたものを園田さんが郵送して呉れました。あるぜんちな丸第12次航の横浜、神戸からサントス港上陸までの41日間の移住者引率の苦労話10章を取り上げ4回に分けて少しずつタイプ・アップすることにしました。今回はその第1回目です。写真は、同書の表紙です。

「あるぜんちな丸」の想い出 神戸在住の香西 仁さんよりの寄稿。
既に寄稿集140番目の『神戸じいじ』さんのW杯関連コメントで登場して頂いておりリンク集でも紹介させて頂いている神戸在住の香西 仁さんからの「あるぜんちな丸」の想い出を送って頂きました。最近は日本からも寄稿を寄せて下さる方も増えて来ており『私達の40年!!』HPも同船者681人だけの枠を拡大した戦後移住者全体、移住と直接関係の無い方達にもそれなりの関心を示して頂ける様になって来ており嬉しい限りです。
写真は、香西さんから送って頂いた造船所内に展示された「あるぜんちな丸」の説明文です。

「外国人になった日本人」故斎藤広志先生著【書籍紹介】
現在の日伯交流協会(玉井義臣会長、藤村修理事長)の産みの親であり初代ブラジル側事務局長としてブラジル派遣留学研修制度のブラジル現地サイドの責任者としてサンパウロ大学教授、文化人類学者としての多忙を極める中で「余生を日伯青少年交流にかける」と明言しそれを実践された。最初の前立腺癌の術後元気になられポルトアレグレに講演に来られた事があり2日間御一緒する機会があり当地南伯日本商工会議所主催のシュラスコの後、先生とお忍びで?腹ごなしに夜の巷に繰り出したのが先生とお会いした最後となってしまった。最後は直腸癌で1983年10月31日に亡くなられた。享年64歳。医者に後2年生かして欲しい。「異文化の中で50年」を集大成として書き残したいと言っておられたと聞く。最近倒産してしまい新しく版刷を続けられなくなってしまったサイマル出版会発行の斎藤先生の3部作「外国人になった日本人」、「新しいブラジル」、「ブラジルと日本人」を紹介して先生を偲びたい。写真は、同書の表紙、本文には先生が1978年に書かれた前書の「日本人・日系人・ブラジル人」を紹介しておきます。
第23期日伯交流協会研修生で現在ポルトアレグレで研修中の檀野令奈さんに長文の斎藤先生の前書きと玉井さんの後書きをタイプアップして頂きました。檀野さん有難う御座います。

横浜国際センター 海外移住資料館開設
旧「海外移住センター(横浜市磯子区)」と旧「神奈川国際水産研修センター(横須賀市)」の業務はすべて今回開設された横浜国際センター(事業主体国際協力事業団)に継承されます。2000年に着工2002年に完成、敷地面積4500平米、延床面積16000平米、地上8階宿泊施設、研修施設、展示広報施設等を備え「海外移住資料館」も同時に開設されており是非訪ねて見たい場所の一つです。本文は、神奈川新聞の10月3日付け記事をニッケイ新聞の10月4日に掲載されていましたのでこれを転載させて頂きました。写真は新装なった横浜国際センターの全容です。横浜、みなとみらい21の新しい名所として親しまれて行く事でしょう。

来た道 行く道 移住助監督上園義房さんの新聞連載より(2)
私たちのあるぜんちな丸第12次航の移住引率員、助監督として40年以上前に御一緒にブラジルに初めて来られた上園さんの船内生活の記録は、自分も一緒に乗っていたのに思い出すこともなかったシーン等を思い出させてくれる内容でうなずいたり、感心したりタイプアップしながら上園さんと同じ目線で40年前の船内生活を思い出しております。あるぜんちな丸第12次航がハワイにも寄港したという事実さえも記憶になかっただけに人間の記憶と云うものは自分との関わりによる選択性が強いものだとつくづく感心しました。最後の移住船があるぜんちな丸改造後のにっぽん丸だったこと、これは世界一周の豪華客船でハワイに寄港しワイキキの浜等観光を楽しんだとの話を聞いて「あるぜんちな丸第12次航はハワイには寄港しなかったよ!」と云う私のコメント訂正しなければならなく成りました。時間が短かった?のと移住監督陣のみ下船したとの事で関心がなかったのかも知れませんね。
写真は、62年4月に撮られたロス下船時の宮崎県出身の農業技術研修生との若かりし上園助監督(中央)です。