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『日本から一番遠いニッポン』=ジャーナリスト三山喬氏=南米日系人の生き様描く ブラジル新聞WEB版より。
また読んでみたい本が出版されました。ニッケイ新聞に掲題の『日本から一番遠いニッポン 南米同胞百年目の消息』(三山喬氏著)が紹介されています。ブラジルにおける日本移民100周年の今年は、色々な関係書物、ルポルタージュが、新聞、TV等で取り上げられており現地に住む我々としても嬉しい限りです。目次によるとブラジルだけでなくフジモリ政権のぺルー、コロンビア、棄民政策の証言としてドミニカ、ブラジル、ボリビアにも言及する幅の広い内容で元朝日新聞記者の三山さんがぺルーに8年間住みついて得た実体験を元に書いておられる内容の濃い書物のようで是非読んで見ようと思っています。簡単な著者紹介と本の目次もお借りして掲載して置きます。写真は、同書の表紙をお借りしています。

トメアスーの新井範明氏の原生林を訪ねて 五味 茂さんの寄稿。
40数年振りに南米を再訪されたJICAシニアーボランティアとして現在ホンジュラスにお住みの五味 茂さんから写真と共にトメアスー第2移住地に半世紀近く住んでおられる上智大学OBの新井範明さんを訪問された時の紀行文を夢ベテランのメンバーの皆さんに送っておられます。私も1963年のお正月の頃、トメアスー移住地を訪問して新井さんご夫妻にお会いしており2002年の1月にもトメアスー移住地の同船者の皆さんを訪問した際に再会を果たしています。
五味さんが記述しておられる佐藤さんの【新井さんの森に掛ける夢】は下記URLに掲載しております。11月にはどうしても新井さんを訪問することを富田さんが楽しみにしておられたようですが、来年以後に延期されたのは残念だと思います。お元気な新井さんご夫妻をまた訪問したいものです。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=739

「自然」と「情緒」に精魂込めて 鉄の町に生まれた日本公園 サンパウロ新聞WEB版より
2008年度は、ブラジルにおける日本移民100周年の年に当たりブラジル全国各地で記念事業として日本庭園、鳥居、桜並木の造成、大きな石や鉄のオブジェ、果てはお城の築城と色々工夫を凝らし後世に残る記念事業を各都市の日系団体、企業、地方行政体が協力して設置していますが、その一つの例としてミナス・ゼライス州の州都ベロオリゾンテの町では、日本庭園を市の動植物園内に造園した。東京農大のOB家田東穂さんが工事の制作者、総括責任者として9か月掛けて作り上げたこだわりの日本庭園が完成したとのニュースをサンパウロ新聞の山口貴史記者が伝えています。家田さんは日本学生移住連盟の仲間として存じあげていますし山口記者には南にも取材に来て頂いているので親しみを覚える記事であり、是非ベロオリゾンテまで見に行って見たいと思っています。これから暫くは新しい町のスポットになっている各地の100周年記念の建造物の顕彰に出かけたいと願っています。
写真もサンパウロ新聞掲載のものをお借りしました。

在日ブラジル人ホームレス支援 2008年07月08日 朝日新聞東京版より
『私たちの40年!!』のメーリングリスト仲間のかなやさんが目聡く朝日新聞東京版に出ていた掲題の記事を見つけて流して呉れました。ブラジルから日本に出稼ぎに行っている30万に上る日系ブラジル人の一部が犯罪を起こしブラジルに逃げ帰ったとかマイナス面が大きく報道されている中、小さな善意、15年間も続くホームレスの人たちを支援しておにぎり、ゆで卵、お茶を配る。世界で国単位では世界で一番カトリック信者が多い国としてブラジルでは、こうしたちょっとした善意は、自然に培われている。この活動を15年前に始めた江東区の会社員・角智織(ともお)さん(44)は、結婚したブラジル人の奥さんがカトリック信者で自然な発想を聞き入れたのがその端緒とのこと。それを自然に受け入れる仲間が増えているという。「助け合いはブラジルでは当たり前だから」、このブラジル人の良さが日本でも認められ活動が広がって行くことを願いたい。写真も朝日新聞のWEB版からお借りしました。

あるぜんちな丸第12次航 同船者の集い2008年 忘年会開催のお知らせ!!
2008年は、ブラジルにおける日本移民100周年の記念すべき年となりました。『私たちの40年!!』も今年で着伯46年になりました。5月には出来れば46周年の集いをとの話もありましたが、仲間の大事なお一人藤間芳嘉師匠(龍川いく子)さんのご逝去もあり自粛していましたが、メーリングリストの遣り取りから米国のサンアントニオにお住みの富田真三さんとブラジリアの河野賢二さんの話し合いからアナポリスの河野農場で南十字星を眺めながらの花火大会、シュラスコ会をとの花が纏まり総勢12名の富田遠征隊が計画されていましたが、7月初旬に富田さんが脳梗塞で倒れられ11月のブラジル行きは延期したいとの連絡が入りました。どうしようかと慌てましたが、河野さんから予定通り実施でも受け入れ体制は問題ないとの確認を頂きABE旅行社の吉田栄一さんもバス代の一部を既に支払っており、参加者の一部は何時もバス旅行に参加しておられる定連の仲間にも声を掛けて補充も可能だとのことで実施することになりました。
昨年の陶器の町CUNHAへの1泊旅行が大変楽しい旅行だったことからブラジリア、アナポリス、ゴイアーニア、有名なブラジルの温泉郷カルダスノーバスでののんびりした1日半、行きと帰りの夜行バスでの2泊は大変ですが、楽しい旅となりそうです。
写真は、ブラジリアでコンサルタント業を通じて日本とブラジルを繋いでいるルーラ大統領のお友達の河野さんの写真を使わせて頂きました。

ブラジルの酪農 麻生 悌三さんの寄稿です。
まだ収録出来ていない麻生さんの寄稿原稿が手元にありますが、貯まらないように最近送って頂いた掲題の『ブラジルの酪農』の寄稿を収録して置きます。
最近地元リオグランデドスール州でも大型の粉乳工場建設が具体化しており、州内における酪農農家の生産が増大傾向にあるが、酪農は、粗放大農場での肉牛飼育と違いそれ程大きくない中農または家族労働力を中心とした小農の現金稼ぎ的な形での牛乳生産形態が多く広いブラジルで集中的に牛乳を集配するシステム作りから始める必要がありRS州内でネストレ、パルマラッテ、エレジェ(鶏肉のぺルジゴンが買収)等が大型工場建設計画を発表しており粉乳にして輸出産品としての世界市場への参入を企てており麻生レポートにもあるように近い将来ブラジルは、世界一の牛乳の生産国として粉乳、乳製品の大きな輸出国になることは間違いないようです。人工授精による品質改良、原乳のロジスチック面(流通路)の整備が進めばまあだまだ伸びる可能性のある酪農産業に期待したい。
写真は、ブラジルの代表的な乳牛です。

どっこい生きている明治男のど根性(1)―(4) 吉永拓哉記者の力作 サンパウロ新聞WEB版より
97歳のコロニアの色男?と自称する大坂勝次郎さんを取材した吉永拓哉記者の連続4回のルポールタジューがサンパウロ新聞WEB版に掲載されていた。『私たちの40年!!』MLにもお借りして流したところオランダのあや子さんから下記コメントが届いた。「"どっこい生きている明治男のど根性"楽しく読ませていただきました。自分のいいと思うところを、このようにまっしぐらに生きてきたひともいるのですね。"人に歴史あり" またなにかありましたら、お願いします。」これに対して下記返信を出しました。
「明治男の大坂勝次郎さんの人生は羨ましい限りの生き様ですが、それを取材して記者の目でレポートしている吉永拓哉記者の人生も大坂さんに劣らぬ立派な生き様だと高く評価しています。このHPでも何度か紹介しておりますが、吉永記者は、中学卒の元暴走族、『ぶっちぎり少年院白書』という自伝風の本を出版しており下記に紹介しています。」40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1238
今後も吉永記者の報道記事には注目して行きたい。頑張れ拓哉君とエールを送りたいと思います。
写真は、サンパウロ新聞に掲載されていた大坂勝次郎さんです。

ウチナーンチュの美談  赤嶺 尚由
『私たちの40年!!』HPにも何度か寄稿して下さりお馴染みの赤嶺尚由さんがこんなお便りと共に掲題の原稿を送って呉れました。
『去る19日(土曜)のサンパウロ新聞に<ウチナーンチュの美談>と題した拙文を掲載していただきました。敢えて、<ウチナーンチュの美談>と限定せずとも、笠戸丸からちょうど100年の歴史の風雪が流れたことにより、ごく普通の日系人が一般ブラジル人に遠慮せずともここまで「モノを教えることが出来る程度に溶け込んだのか。」翻って移住というものが定着するまで、そこまで長い年月が必要だったのか>という感慨から、日本移民100年の歴史のもう一つの側面に少しでも迫りたいという想いも少なからず込められています。』
写真も赤嶺さんが送って呉れたものです。