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JK ジュセリーノ クビチエック移住地を訪問しました。
これまでも仕事で度々サルバドールには出かけているのですが、サルバドール郊外のマッタ デ サンジョアンにあるJK ジュッセリーノ・クビチエック移住地を訪問する機会がなかったのですが、今回恵子も一緒にサルバドール、アラカジュに出かける機会があり念願のJK移住地訪問を果たせました。タクシーで移住地まで出掛けただけでしたが、それでも石井拓雄さんと田沢行雄さんのお二人にお会いしてお話をお聞きする機会がありました。
JK移住地にはあるぜんちな丸第12次航の6家族34人がサルバドールで下船、入植されており私も47年前の63年に一度訪問させて頂いていました。当時の事が良く思い出せなく一度は再訪したいと願っていただけに大変嬉しく思いました。
BLOGに写真と共に3回に分けて報告しておりますので纏めて寄稿集にも収録して置くことにしました。
写真は沢山あるのですが、お話を伺った石井さん、田沢さんと一緒に恵子が撮って呉れた写真がありますのでこれを使用する事にしました。
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松岡聡介君をしのんで 近藤 博之
早稲田大学には数えきれない程のサークルが存在し学業と共に色々な課外活動、サークル活動に青春の一時、情熱を込めて活動するのですが、そんなサークル活動の中でも特異な存在として移住研究会という泥臭いサークルがあり人生の一つの選択として移住と云う道を選びブラジル始め南米諸国に移住した若者がいた。私もこの移住研究会に所属し仲間達と語り合い大学3年修了時に休学、移民船あるぜんちな丸に東京都の農業移住者として1962年に乗り込み来伯しました。私より5年も前の1957年に既に着伯してブラジルでの生活を始めていた先輩がいます。松岡 聡介先輩です。今年5月15日にリオを亡くなられましたが、交通事故で18年間も車椅子の生活を強いられていましたが強靭な精神の持ち主で最後まで大好きなブラジルで生き続けられました。リオに行く機会が度々あっただけに是非訪問したいと思っていながら電話だけでのお付き合いで最後までお会いする機会がなかったのが残念で成りません。 同時期にブラジルに来られた近藤 博之先輩が同僚、松岡さんをしのんで書かれた追悼文が寄せられていますので寄稿集に収録して置きたいと思います。
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『海外派遣の先駆者、支倉常長を想う』 横内 正毅
私の学生時代に所属していた早稲田大学海外移住研究会と云う泥臭いサークルには、多士済々日本の高度成長期を支えた戦士たちが数多くいた。海外移住を人生の一つの選択肢として移住を目指しそれを実現、ブラジル始め海外に移住し日本を祖国としながら海外に軸足を置き50年以上海外に住み既に鬼籍に入っている先輩もいる。これら海外組と違い一部は、日本で就職、日本の高度成長期を生き抜いて来た残留組も多い。現在早稲田海外移住研究会OB会は、これらの戦士たちが守って呉れています。訪日時にはこの残留組の皆さんとの交流が一つの楽しみと云える。残留組の戦士の一人横内さんは、YKK入社後一貫して海外勤務が多く海外派遣経験者として海外派遣の先駆者は誰か?との命題と取り組み見付けだした先駆者は支倉常長だったと語る。
横内 正毅さんの支倉常長を想うとの一文を移住研BLOGよりお借りして寄稿集に収録して置きたい。
写真は、東京での移住研連中の集まりの際に撮った記念写真を使用した。筆者の横内さんは右端に写っています。
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麻生 悌三のブラジル不思議発見 (13)アマゾンの陸封魚類と古代魚
愈々師走、今年も12月に入りました。何時も月初めには麻生悌三さんのブラジル不思議発見が届きます。今年最後のブラジル不思議発見は、北伯アマゾンの話題です。アマゾン河は、2千万年前には流れが反対だった?との事。「陸封魚類と古代魚」色々良く調べられていると感心します。
今回も付録として興味深い シロアリ(ゴギブリ)と蟻塚(ゴギブリ塚)が写真と共に届いていますがこれはBLOGで紹介して置きます。
2011年の新しい年も継続して送って下さるとの事で楽しみですが新年号にはどんなブラジル不思議発見があるのでしょうか?連続寄稿文として何時までの続いて欲しいと願っています。麻生さん来る年も宜しくお願いします。
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ジャブチカバウと盲腸と城島商会 西 精二
神戸高校9回生(私の1年先輩)の西 精二さんが11月29日に亡くなられた。享年73歳。
神戸高校時代は、ラグビーの猛者で怖くて傍に近寄れない感じでしたが、早稲田の3年を終えてあるぜんちな丸第12次航に乗り込み来伯時お世話になったのが城島商会で日本からの手紙等も城島商会にお願いしていた。2年で卒業の為に一時帰国する際にゴヤスの山奥から買って来ていたオームを西さん達の下宿に預けて帰ったが今も1匹は生き残っているようです。
リオの山下さんが中心になり刊行した【城島学校】あるブラジル日系異色企業の足跡に西さんが書き残しておられる掲題の【ジャブチカバウと盲腸と城島商会】をタイプアップして西先輩を偲びたい。
関係記事も一緒に収録して置きます。
写真は【城島学校】に掲載されている若き日の西さんの写真をお借りしました。
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神高生ブラジル移住のパイオニア、逝く 東海林 正和さんの追悼記
神戸高校9回生の西 精二先輩が11月29日に亡くなられましたが、12回生の東海林 正和さんが神高生のパイオニアと位置付けされた西先輩を偲んで追悼記を彼のBLOG【ブラジルに50年・男のエッセイ】書いておられます。
『私たちの40年!!』寄稿集に関係記事を掲載しておりますが、別枠として収録して置きたいと思います。
東海林君の移住を決心した経緯、ブラジル到着後の印象、西先輩の独立時の経緯「ニシ ニゲタ」の電報、同期9回生の新井秀介先輩との切っても切れない友情、私の知らなかった事も紹介されており西先輩を偲ぶ追悼記としては最高の寄稿です。同君が書いている「Cemiterio da Paz は、綺麗な墓場でした。現場を見ると、他人ごとではない気がします。」のコメントに全く同感の意を抱きます。元気な間は元気に生きて行くことが故人への手向けに成るのではないかと思います。
写真は、初七日の法要の席上で山下さんが撮られた霊前の西先輩の遺影をお借りしました。
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山下晃明のブラジルで損せぬ法(257)、(258)、(259)5月、6月、7月号
山下晃明さんの【ブラジルの実業】紙に掲載している息の長い経済論評「ブラジルで損せぬ法」をヤコングループのホームページからお借りして5月、6月、7月号を収録して置きます。話題が少しタイムログが生じていますが難しい経済論評を分かり易く解説しています。今回掲載分では『GDPは給与、利子、家賃、利益の総和』との解説が分かり易くて面白い。GDPて何?またどうして計算しているの?との疑問に答えて呉れる。
12月17日のサンパウロに置ける『私たちの40年!!』の忘年会に参加されて2011年は、3月から11月に大きな変動が起きる年、縦の上下関係が崩れ横の平坦な関係に移行するとの陰陽学飯田亨先生の予言だそうでどんな変動、大きな事件が話題になって行くのか楽しみで有ると共に心配でもある。
写真は、忘年会で撮らせて貰った山下さんの山羊ひげ面です。良く似合う風貌です。
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『実業のブラジル』誌掲載の南伯便り 【南の国境から見たブラジル】(その8)
神戸高校同級生の山下晃明さんに誘われて書き始めた『実業のブラジル』誌の南伯便りの(その8)2010年3月号―8月号までを収録して置きます。
4月号から上智大学名誉教授の堀坂浩太郎先生の東京便り【ブラジル・ウォッチヤーのつぶやき】の連載が始まっておりその第1回の「便り」開始のご挨拶に『本号で61回を数える山岸照明さんの「マナウス便り」、同じく44回となる和田好司さんの「南伯便り」にあやかり、今回から「東京便り」を担当させていただくことになった。』との記載がありますが、マナウスの山岸さん、日伯交流協会当時からご一緒させて頂いている堀坂先生と肩を並べての私の南伯便りは、如何にも貧弱ですが、南の国境から見たブラジルも既に4年を超える連載でブラジル南部の出来事を記録して行く意味でこれからも続けて行きたいと思います。
写真は8月号の表紙、今年のサンパウロの七夕祭りの写真を使用しました。
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