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のじぎく兵庫国体に招待された兵庫県人(連載5回)サンパウロ新聞福岡支局長吉永拓哉記者。
10月にのじぎく兵庫国体が実施されましたが私が高校生の時に行われて以来ですから50年振りでしょうか?1995年1月17日の阪神・淡路大震災より復興し力強く発展する新生兵庫を見て貰おうと南米3各国の兵庫県人62名を招待したとの嬉しいニュースです。
取材して呉れたのは、サンパウロ新聞で活躍しており諸事情が有り郷里福岡に戻り活発に日本よりサンパウロ新聞に記事を送り続けている吉永拓哉福岡支局長でお父上とはアマゾンのトメアスー移住地で1963年の新年を一緒に過ごした拓殖大学時代からの旧友であり、拓哉君も暫くポルトアレグレに住んだ事があり昨年取材に来られた時には我が家に一晩泊まって貰った事もある。日本からの新鮮な記事をこれからも届けて欲しいと思います。
写真は、連載第1回に掲載されていたサンパウロ新聞の写真をお借りしました。

真砂 睦さんの「おいやんのブラジル便り」帰国後掲載分(その83以後)
『私たちの40年!!』MLでも真砂さんの「おいやんのブラジル便り」を楽しみにしているメンバーが多いですがJICAのシニアボランタリとしての3年間のサンパウロ勤務を終え8月に帰国しました。帰国と共にブラジル便りもお終いになるのかと思っていましたが、暫くは(ネタが尽きる迄?)は続くとの事でこの程、帰国の挨拶と共に戦後移住地としての最初のドラードスの松原植民地に付き詳細レポートを送って呉れました。松原植民地は、和歌山県出身の戦前移住者の松原安太郎さんが時の大統領ゼッリオ・ヴアルガスより取得した移民枠を基に開いた植民地で真砂さんの郷里和歌山県出身者が多い。今回取り上げておられる谷口史郎さんも和歌山県の梅の里南部の出身とのこと。
丸紅勤務当時ドラードスの近くの丸紅が所有していたMAGRISAの農場に何度か通いましたが、適当な写真がなく2001年にBONITOを訪問した時に訪ねた農場に有った大きな木を使用する事にしました。少しは、マットグロッソの感じが出ているでしょうか。

歌声は7004マイルを越えて♪〜〜空翔る13時間35分〜〜 TOMOKO MASAKI
1960年代初めの大学時代によく通った新宿の歌声喫茶『ともしび』が現在も存在している。2003年に帰国した際に仲間と久しぶりに訪問したが大阪、トロントにも歌声運動は健在でトロントまで歌いに出掛けた方がいる。大阪の井ノ口さんがトロントの丸木さんを訪ねているし今回、往復14008マイルを駆けてトロント迄歌いに出掛けたTOMOKO MASAKIさんが歌声喫茶物語に掲題の報告を書いておられます。丸木さんから紹介頂き御本人の了解も得てここに収録させて頂きました。
元ブラジル移住者の丸木さんは、毎年夏には奥さんのご郷里レシフェーに戻りサンパウロまでブラジルの歌声のメンバーと『空の神兵』を歌うのを楽しみにしておられる。
写真は、TOMOKOさんから大きなUPは駄目よとの注文もありましたが、世界一小さい教会で撮られた写真が報告記に掲載されていましたのでお借りしました。

東洋人街に味処【一心】を開かれた八幡八郎さん。
10月下旬サンパウロに出張しました。自動車ショウやF1のレースがあり殆どのホテルが一杯で何とか頼み込み今回は、ニッケイ・パラセに3泊しました。10月21日(土)に僚友滝谷 英一さんと夕食に出掛けました。便利な場所で色々なオプシオンがありサンパウロに出てくる楽しみの一つがこの食べ歩きです。ホテルから直ぐ近くに明るい味処【一心】と言う看板がある新しい店が開店していました。開店2ヶ月でまだ店の造作等も終わっておらず正式開店披露もしていないとのことでしたが、経営者は、昔馴染みの【こけし】のオーナであった八幡八郎さんがお嬢さん、息子さんに残して遣りたいとの事で再度日本食店を開店したそうです。日本酒の熱燗に寿司、刺身を楽しみ最後に味噌ラーメンを食べながらお話を伺いました。
写真は、八幡ご夫妻、合わせて160歳です。

『市民マラソンの輝き──ストリートパーティーに花を!』大島 幸夫著紹介
学生時代に入っていた早稲田大学海外移住研究会の大島 幸夫先輩が書かれた岩波書店出版の『市民マラソンの輝きーーストリートパーティーに花を』の新刊紹介チラシを送って頂きました。
大島先輩の市民マラソンに掛ける情熱が伝わってきそうな本で是非取り寄せて読んで見たいと思っています。身近に大島先輩のような方がおられるのを誇りに思います。
尚、大島先輩は、NPO(特定非営利活動法人)「東京夢舞いマラソン実行委員会」の知事長を務めておられます。
写真は、先輩ご自身が撮られたニューヨーク市民マラソンの一枚です。

札幌で決めた!新庄涙の日本一! デイリースポーツ紙より。
何時も阪神タイガーズ関係ニュースは、郷里の神戸新聞が発行しているデイリースポーツでフォロウしていますが、日本一を決めた日本ハムの人気男、パーフォマンスで皆を驚かせ日本シリーズ中も何度も彼の笑顔が放映されたが自ら作った最高の花道、これからも世間を驚かし続ける新庄剛志でありたいとの彼が何を遣らかすか大いに楽しみである。自民党から参議員議員に立候補することは断ったとのことでそれ以上のインパクトと世間を驚かせる変身を考えていると思う。期待したい。
私たちがあるぜんちな丸で日本を発った1962年以来の44年振りの2度目の日本一、当時は東映で、勝った相手は阪神だったとか。因縁を感じさせる。
北川さんが送って呉れたオリジナルの新庄胴上げの写真と共に永久に残して置きたい。

第26回県連ふるさと巡り ポルト・アレグレにおける交歓会の模様。ニッケイ新聞及びサンパウロ新聞掲載より。
第26回県連ふるさと巡りの一行がバス二台でポルトアレグレにやって来られた。世界遺産の一つに指定されているイエズス会による原住民のインヂオ教化部落のサンミゲル廃墟跡を見学500kmのバス旅、さぞお疲れと思っていましたが以外に旅慣れておられる皆さんはすこぶるお元気で交歓夕食会に参加されておられた。
同船者の小山 徳さんも最近では欠かさず参加しているとのことで場所を変えての再会、鹿児島県人会会長の天達 市雄団長とも歓談、特に丸紅コロラード社でコーヒーの国内販売をご一緒させて頂いていた和田 一男さんが23回目の参加とかで大ベテランとのことで旧交を暖めました。
その時に撮った写真を律儀に郵便で送って呉れましたのでそれを使って邦字新聞のポルトアレグレ関係を収録して置きます。


1962年、あるぜんちな丸第12次航帰路パナマ運河の太平洋側のバルボア港沖の勇姿。
もう44年以上前のあるぜんちな丸の懐かしい船体全景が写ったあるぜんちま丸の写真を当時2等機関士として私達をサントス、ブエノスアイレス迄届けて呉れた高根 健次郎さんが送って呉れました。
あるぜんちな丸が南半球の諸港に立ち寄りジャカランダの大木の下でおにぎりを広げて花見をされたとのことで奥様に是非このジャカランダの花が咲く季節に南米に連れて来て上げたいとのご希望をおもちですが、未だ実現しておりません。毎年ジャカランダの花が咲くと高根さんに送らせて頂いていますが、今年も満開で目を楽しませて呉れています。『私たちの40年!!』関連ブログを開設しジャカランダの花を高根さんに届けた所、久しぶりに嬉しいお便りが高根さんから届きました。
写真は、高根さんから送って頂いた貴重なあるぜんちな丸の44年前の勇姿です。